さよなら、ルーチョ

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朝から温かい空気に満ちた土曜日。数日前から体調が今ひとつだが散歩でもすれば元気になるに違いない、そう思って家を出た。私が暮らすボローニャ郊外の丘の町ピアノーロは何時だってボローニャ市内よりも数度低い。が、思い切って冬のコートではなくトレンチコートを纏ってみた。勿論首元にはシルクのスカーフ。その辺は用心しながらも。ボローニャ旧市街は異常な人混みだった。旧ボローニャ大学辺りのポルティコの下は行き交う人達で一杯だった。さて、どうしたものか。急に春めいて森の動物たちみたいに人間も外に出てきたのだろうか。そんなことを考えながら歩いているうちに音楽が聞こえ始めた。耳を澄ましてみたらそれがLucio Dalla (ルーチョ・ダッラ)の歌であることが解った。Piazza Maggiore に辿り着くと驚くほどの人の波。実際波は長い列のうねりで、恐らくは1000以上もの人が並んでいるように見えた。列に並んでいる女性に聞いてみたら二日前に突然逝ってしまった彼の遺体がボローニャ市役所の中に置かれていて、一般市民が最後の別れが出来ることが判った。大きな広場を埋める人の波。その頭上にCarusoが流れ始めた。彼が偉大なるテノール歌手カルーゾに捧げる歌として作曲したものだ。パヴァロッティが歌ったことで有名になった。パヴァロッティのあの鳥肌が立つような伸びやかな声は本当に素晴らしかった。しかし私はルーチョがあのぼそぼそと語るような口調で歌ったCarusoが好きでだった。私がルーチョを好きかといえばそれは自分でも良くわからない。彼の音楽との出会いは確か1992年のことだ。ボローニャ出身の彼の音楽はボローニャの人達には大変誇りらしく、例に漏れず相棒もまた彼の人柄と音楽を大変誇りに思っていた。相棒は彼の音楽を聴きながら育ったらしく、体に染み付いていると言ってもよいくらいだった。そんな相棒はイタリアに帰っては彼の新しい音楽をテープに吹き込んでアメリカの家に戻ってきた。そうしては友人達にも聞かせ、だから私たちの間では彼の音楽は当たり前のように存在していた。私たちが通ったカフェ・グレコにはいつも彼の音楽が流れていた。よく考えれば私たちの生活のどこかにいつも彼の歌があった。彼の音楽を好きとか嫌いとかはあまり考えたことは無く、兎に角生活の中に普通に存在していたと言ったらよいかもしれない。多分そうだ、私が思うに彼の音楽はそんな風にしてボローニャに暮らす人々の生活の中に普通に存在していたのだ。Carusoが鳴り止み、大きな拍手が沸き起こった。Bravo Lucio! と人々が声を上げる。何時までも鳴り止まぬ拍手。きっと彼は空の何処からかこっそり眺めていて、あの髭面でにっこり笑っているに違いない。さよなら、ルーチョ。沢山の音楽をありがとう。


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コメント

こんにちは。ブログはいつも拝見していながらコメントは久しぶりですね。
音楽が人の生活の中に生きている、という点ではイタリア人はアメリカ人の比ではないでしょうね。それが自分たちの町から生まれた音楽家ならなおさらでしょう。
Piazza Maggiore で熱狂的にわめくボローニァン(そんな言葉がありますか?)たちの声が聞こえてきそうです。
ああ、私があの広場に今度立つのはいつなのでしょう。

2012/03/03 (Sat) 23:25 | September30 #MAyMKToE | URL | 編集

なんか、悲しいことなんですけどあったかくなりました。

2012/03/04 (Sun) 09:48 | ханяма #HluRGzqc | URL | 編集
Re: タイトルなし

September30さん、こんにちは。イタリア人の生活には自然に音楽が組み込まれているようです。昨日の広場で私はそれを強く実感しました。ところで私が見た人の波はごく一部だったそうです。昨日一日で12000人の人がお別れの挨拶に来たというのですから、彼が沢山の人に好かれていたことが改めて解りました。昨日の情景を私は忘れることが無いでしょう。
September30さんにはまた近いうちにボローニャに来て貰いたいですね。私がボローニャに居るうちに。

2012/03/04 (Sun) 19:43 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

ханямаさん、私もルーチョが逝ってしまって悲しいはずなのに、広場に立って歌を聞いているうちにあったかい気分になりましたよ。

2012/03/04 (Sun) 19:44 | yspringmind #- | URL | 編集

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