新しい季節の匂い

Immagine 102 (Small)


心待ちにしていた3月。数日違いだと言うのに昨日と今日は違う空気が漂っているような気がする。新しい季節の匂いと言ってもよかった。数日前からぐんぐん上がりだした気温。昼間の太陽は素晴らしく温かく、冬の間に凝り固まっていた体の隅々までも解きほぐす。まだ冬のコートは手放せないが、それでもきっちりと外套のまえを閉めるでもなく、久しぶりに開放感を感じている。草木は私よりも季節に敏感らしい。枯れ木だと思っていたが、近くでよく眺めてみたら薄い銀緑色に輝いた小さな新芽を沢山つけていたし、野原には黄色い元気なたんぽぽの花が咲いていた。昼休みを屋外で過ごすのは勿論、仕事帰りに旧市街に立ち寄るのがますます楽しくなってきた。何しろ空がまだ明るい。空の明るさは楽しさと正比例している。少なくとも私にとっては子供の頃からずっとそうだ。旧市街の店先は陽気な色合いで一杯。奇麗な色の薄手のセーターにくるぶし丈のコットンパンツ、その上にトレンチコートを羽織って粋な姿で立っているガラスの向こうのマネキンを見ながら、そんな姿で街を歩く日が直ぐ其処まで来ていることを心の其処から嬉しく思う。16年前の今頃、私はローマに住んでいた。2月は駅から10分ほどの古い館の一角に部屋を借りて暮らしていたが、家に一日中居る家主である老女との生活はあまりにも窮屈だったのでひと月で飛び出してしまった。そうしてプラティと呼ばれる界隈に移った。ヴァティカンの直ぐ傍のその界隈は生活感があり活気があり洒落っ気があってなかなか楽しかった。もっとも若いイタリア人4人との共同生活だったから、楽しいだけでは済まないことも沢山あった。そんな時はふらりと家を出てひとりで散歩したものだ。3月のローマは暖かかった。夜でもちょっとしたジャケットかコートを引っ掛ければ充分だった。月が真珠のように輝く夜にひっそりとした大通りを歩きながら、連立する小売店の店先を見て歩いた。そうして一回りして帰ってくると先程の大騒ぎは終わっていて、同居人たちは夜にひとりで家を飛び出した私を心配しながらキッチンで待っていた。心配? 嘘でしょう? 私はもう大人なんだから。私は彼らの心配が不思議でならなかった。私はまだイタリア人というものがよく解っていなかったのだ。今思えば彼らの心配がよく解る。何をするにも誰かと一緒にしたがるイタリア人。ひとりで何処かへ行こうとすれば同行したがるイタリア人。その根底にはひとりでは可哀想、みたいな考えが潜んでいるのだ。私は昔からひとりで何処へでも行ったし、色んなことをしてきたからひとりをあまり苦にしない。それどころか、ひとりが案外好きなのだ。まあ、そういう訳なので、そういうことがこの国では通用しにくいことに気がつくまでに人より少し時間が掛かった。家で楽しくないことが起こらなくても時々ひとりで夜の散歩をした。私は月夜が好きだったのだ。それから春の生ぬるい、しかしふとした拍子にひんやりした空気が漂うローマの晩が。ある日何処かへ行った帰りに同居人と夜の散歩をした。ああ、素敵。だからあなたは時々晩の散歩に出掛けるのね。月光に照らされながら同居人はやっと解ったというような表情でそう言った。彼女は今まで知らなかったのかと私は酷く驚いたが、案外そういうものなのかもしれないと思った。身近にありすぎて解らないことって沢山ある。多分私にもそういうことが沢山あるに違いないのだ。
私は冬に少し疲れてしまった。少し春休憩しようと思う。

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