懐かしい人

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ボローニャは毎日快晴。こんな冬は初めてだ。雪も降らない、雨も降らない。雨が嫌いな鹿たち。彼らがピアノーロの丘を悠々と歩き回る様子を眺めながらボローニャへと向かう朝は、ついている日。何か良いことがありそうな、それとも何事もスムースに行きそうな。先日ボローニャ旧市街を散歩していた。店のショウウィンドウを覗き込もうとしたその瞬間、ガラスに見覚えのある横顔が映った。私の背後を歩いている女性、確かに知っている顔だった。私は直ぐに振り返って彼女の横顔をそれとなく眺めてみたが何処で知ったのか、どういう知り合いなのか、何一つ浮かんでこなかった。私は歩き去る彼女の後姿をいつまでも眺めていた。彼女が人混みに隠れて見えなくなるまで、ずっと。何か良い印象のある人であるに違いなかった。とても懐かしい気持ちが沸き起こってきたところをみると、言葉を交わして時間を共有した人に違いなかった。しかし友達ではない。友達ではないけれど、それに近い感情があったのかもしれなかった。それで残りの一日は彼女が誰なのかを思い出すことで夢中だった。夕方になって空が薄暗くなりかけたと思うや否や霧が群れをなしてやって来てボローニャの街を包み込む。これに関しては初めてのことではないので驚きさえしなかったが、その次の瞬間に何か不安に似た気持ちが沸き起こり、その次の瞬間に思い出した。パオラだ。昼間、旧市街で見かけた女性はパオラだったのだ。5年間ボローニャから急行列車に乗ってフィレンツェに通ったあの頃、朝夕毎日列車に乗っていたのが彼女だった。他にも沢山の顔ぶれがいたが、その中でも彼女は印象深い人であった。何しろ朝早くの列車だ。誰もが眠い目をこすりながら出発間際に滑り込んだ。列車の中で眠る人は殆ど居なくて、大抵は本を読んだりお喋りしながらフィレンツェまでの時間を過ごす。ある日、霧が濃くてもう直ぐトスカーナ州という辺りで列車が止まってしまった。霧が濃い為、と車掌がアナウンスするのを私は本を読みながら聞いていた。よくある事だった。しかしそれにしても霧が濃くて、何か不安がこみ上げてくるような、そんな朝だった。その時、前に座っていた人が私に話しかけてきた。難しい本を読んでいるのね。そんな風に。それが彼女だった。私たちは互いの存在を知っていたし、何度も近くの座席に着いていた。しかし言葉を交わしたことは一度も無く、近くて遠い存在だった。声を掛けられて私は顔を上げると彼女が本を覗き込んで、もう一度言った。朝から難しい本を読むのね。私が読んでいたのはアメリカのペーパーバックで、気に入りの本だった。何しろ何十回も読み直していたので言い回しすら記憶に残っていて、次の展開は読まずとも分かるような本であった。それでいて私はそれを読まずにはいられなく、少し経つと本棚から引っ張り出して読むのだった。私がその話をすると彼女はあははと笑いながら、この本を書いた人は幸せものだといった。それを聞いてまったく同感だと私も笑った。そうして改めて彼女を見てみると大変優雅で大人びていたが、話しているうちに私たちは同じ年齢であることが分かり互いに驚いた。私は彼女の優雅さと大人びた様子に、彼女は元気一杯の私に。私たちはそれ以来、互いの姿を見かけると挨拶をしたり近くの席に座るようになった。いつまでフィレンツェに通う毎日が続くのかしら。私たちの一番の問題はいつもそれで、一日も早くボローニャ勤務になりたいと話し合った。彼女は公務員でフィレンツェの裁判所に通う人だった。ボローニャに移動できるように嘆願書を出しているが、なかなか空きが無いのだといって深いため息をついた。小さな娘が二人居るの。主人の協力が無かったら仕事を辞めなくてはならなかったと言った。それを聞いて彼女がとても常識的で感謝の心を持つ女性と分かり、私は嬉しくなった。私がフィレンツェに通うのを辞めたあの日、彼女にお別れを言いたかったが会えなかった。ボローニャに職を得て、そして列車での通勤を辞めて嬉しかったはずなのに、心の隅っこに小さな残念が残った。私は夕方の霧を眺めながら、そんなことを思い出した。彼女、この辺りをよく通るのだろうか。今度見かけたら声を掛けよう。きっと驚くだろう。それとも私がそうであったように、思い出せなくて当惑するのかもしれない。


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コメント

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2012/01/15 (Sun) 12:29 | # | | 編集
Re: タイトルなし

鍵コメさん、こんにちは。私自身には取り立てて面白い話は何一つ無いけれど、私を取り巻く人たちには日々さまざまなことが起きています。そういうのを映画を見るように、本を読むように接して生活しています。ところで人に関心を持たないのは、時として良いことです。雑音が入ってこないので本当のところが見えてきたりするものですよ。

2012/01/15 (Sun) 23:11 | yspringmind #- | URL | 編集

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