濃い霧

Immagine 103 (Small)


最近、朝晩の霧の濃いことと言ったら。今朝の霧は特に濃かった。視界は10メートル程。丘の上をくねくねと車で走るのはどんなに運転暦に長い者でも速度を充分落としたうえで、前方に目を凝らしながらの運転だ。谷間や更に高い丘の方向を横目で見ながら、あの濃い霧の向う側には鹿たちが悠々と朝の散歩をしているのではないかと思いながら。ボローニャ市内へ行けば霧が晴れているのかと思えば、そうでもない。晩秋から冬のボローニャは大抵こんな風に1日が始まる。私がボローニャに暮らし始めた年の今頃、初めてこんな濃い霧に遭遇し、此処も霧なのかと思った。それまで私が暮らしていたアメリカの海のある町はこんな濃い霧が一年中気まぐれに発生したものだった。それが朝は素晴らしい快晴なのに、知らぬ間に海の方から霧の群れが押し寄せてきて、あっという間に町を包み込んでしまうのだった。秋に限らず冬に限らず、春もそして夏もそんな具合だったから、誰もがいつも何かしらの上着やセーターを鞄や車の中に潜めておかなくてはならなかった。さもなければ急激に下がる気温から身を守ることが出来ないからだった。私は寒いのが嫌いだったし、体が冷えると必ず扁桃腺が腫れるから、ジャケットかセーター、それから必ずスカーフを持っての外出だった。走る霧。そんな風に私達は呼んでいた。実際霧が目の前を走っていくかのように見えた。ある晩、私はひとりで歩いていた。月の美しい晩だった。でもあれがどの季節だったかは思い出せない。大体一年中同じような気温の町で、だから私達は一年中似たような装いをしていた。だからなのかもしれない、何時の季節だったのか思い出せないのは。私は坂を上りつめると右手にある気に入りの小さな公園を横切らずにぐるりと大回りすると、今度は急な坂道を降りて行った。ダウンタウンに暮らす友人のところへ行く為だった。私のアパートメントははダウンタウンのすぐ近くで歩いても10分と掛からないところだったから、雨が降らなければいつもそんな風に歩いていくのだった。私は友人の所でひとしきりお喋りしながら何かご馳走になって、さて、それではと外に出ると先ほどの美しい月は姿を消して全てが霧に包まれていた。そんな濃い霧は初めてだった。一歩先は真っ白の霧。私は恐る恐る歩き出したがあまりにも先が見えないことに疲れてしまい、2ブロック向うの坂の途中にあるカフェに駆け込んだ。カフェ・ロクサーヌ。いつもの気に入りのカフェだった。店は混んでいた。どうやら私と同じようにこの濃い霧に降参して駆け込んできたようだった。人気の店で混んでいるのには慣れているが、テーブルはなかなか空きそうになかった。さて、どうしたものかと考えていると直ぐ其処のテーブルの人が相席でも良ければどうぞと席を勧めてくれた。それで私はようやく席に着くことが出来た。テーブルの向こう側に座っているのは年齢不詳の男性で、店に備え付けられた外国の新聞を読んでいた。私が黙々と注文した温かい飲み物を頂いていると、何か話さなくては失礼と思ったのか、彼は急に新聞を閉じてアクセントの強い英語で話し始めた。どうやらフランス語圏出身の人らしく、もごもごと話す彼の言葉を私は何度も訊きなおさねばならなかった。そんなことをしているうちに外の霧が晴れ始め、月が再び路面を照らした。私は席を立ち、彼もまた席を立った。店の前でおやすみなさいと挨拶を交わし、私は坂道を上りだし、彼は坂道を下っていった。何時まで経っても晴れない今日の濃い霧を何度も窓から眺めながら、そんなことを思い出した。これからこんな霧の日には、幾つもの小さな霧の日のことを思い出すのかもしれない。案外私は・・・霧が好きなのかもしれない。


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