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11月。16年前の11月、一本の電話を貰った。私はボローニャ郊外の見渡す限り畑しかない知人の家に相棒と一緒に身を寄せていた。あなたに電話よと言われて電話に出てみるとローマからだった。少し前に送った履歴書に関心を持ってくれたらしく、面接に来ないかとのことだった。履歴書を送ることを喜んでくれたくせに実際こうしてローマで面接となると相棒はひどく当惑した。私は若く、自分の足で立ち上がりたい性質の女だったから、そんな相棒の当惑を他所に面接を受けるためにローマへ行った。面接はありきたりなもので、しかし其の数週間後には採用の連絡を貰い、年明け早々私はローマに移り住んだ。ローマはボローニャよりもずっと南にあるけれど、やはりローマにも冬はあってコートの襟を立てて急ぎ足で通勤した。私はヴィットリオ広場のすぐ近くの、時計屋の息子を持つ老女の家に部屋を借りていた。それはエレベーターの無い古い建物で天井が妙に高い分だけ上る階段の数も沢山だった。自由の無い家だった。それだからひと月後には其処を出た。今度はテヴェレ河の向こう側のプラティという界隈にアパルタメントを借りた。自分よりも若いイタリア人との共同生活。それも4人のイタリア人と。時々息苦しくなったが、老女と暮らすような窮屈さは無く、門限も無ければ消灯時間もなかったから、文句など無かった。この界隈はなかなか楽しかった。食料品市場で何でも手に入った。覚えたてのイタリア語で買い物をしながら店の人に正しい言い回しを教えて貰ったりした。時々住人の女の子と一緒に辺りを歩いてカッフェを楽しんだり、買い物に付き合ったり付き合わされたりした。私は相棒をボローニャに置いてきぼりにしてきたことに多少なりとも後ろめたさを感じながら、もう一度こんな風に自分のチカラで生活すること、自分の知人友人を持って笑ったり共感したりできることに喜びを感じていた。何故ならボローニャでは私は常に相棒の奥さん、という立場でおまけ的存在だったからである。少なくとも私はそんな風に感じていたのだ。私はローマで働き生活することで自分らしく生活する術を思い出したから、そして自信を取り戻したから、相棒にボローニャに戻ってこないかと願われて素直に帰ることを決めた。あれから16年。そうして戻ってきたボローニャの生活が果たして簡単だったかといえばそうではない。でも、私はもう相棒のおまけではなかったし、どんなときにも何とかなると思えるようになっていたから、躓いて涙を流しても再び立ち上がることが出来た。あのローマの生活は思えば今の私の軸なのかもしれない。ボローニャを歩きながら時々懐かしむ。ローマにはこんなポルティコは無かったけれど、石畳は何処もガタガタだったし雑然としていたけれど、オートバイや車の運転が荒くて驚いたけど、なかなか情緒があって良かったと。ローマは私の好きな町のひとつだと。


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2011/11/03 (Thu) 14:44 | # | | 編集
Re: タイトルなし

鍵コメさん、こんにちは。私も今はどちらの街も大好きです。
私は親元を離れたときから自分の力だけが頼りでしたから、そういうのを人より強く感じるようです。案外大したことではないのかもしれません。頼ることも大切なのだということも学びました。でも自分の足で立っていたい。これはどうやら一生変らない私のポリシーみたいなものなのだと思います。

2011/11/05 (Sat) 18:47 | yspringmind #- | URL | 編集

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