土の匂い

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昔もこんなだっただろうかと、この数日のうちに何度思っただろう。ボローニャに戻って4日目になるのに未だに調子が戻らない。気にしないようにしているが確実にいつものリズムに戻れない。そういえば何年も長時間飛行はしていなかった。あの狭苦しい中に長い時間座っていることがこんなにも疲れることだったことすら忘れていたくらいだ。いや、もしかしたら昔はそれを苦痛に思っていなかったのかもしれない。私がそれだけ長旅に弱くなったのかもしれない。これからは頻繁に帰省しようと心に誓うも長時間飛行を思うと心が萎えてしまうのである。それを他所にして母や姉にボローニャに来ることを強く勧めるのだから、随分勝手な話である。そうだ、次回はビジネスクラスにしてみたら良いかもしれない。これも懐具合との相談だけど。
母と姉家族が暮らす町は私が育った町ではない。私が育った町の家はひとりでは広すぎるからということで母が何年も前に人手に渡してしまい、母は別の町に暮らす姉家族の近くに引っ越したのだ。だからこの町と私には何の繋がりもない。母と姉家族が暮しているという以外は。私の知らない町。ある朝ひとりでぶらぶらと歩いていたら小さな畑を見つけた。住人達は所有の小さな土地を活用して本格的とは言いがたいが土いじりを楽しんでいるようだ。この辺りは土が良いらしい。しっとりした黒土。深呼吸をしてみたらいい土の匂いがした。茄子もあれば南瓜もあったが私の目を引いたのは里芋の大きな葉の群だった。そういえば私達家族は家の近所に小さな畑を借りていた。庭もあったが土が悪かったからだ。日曜日になると父を先頭にして畑への道を歩いた。重い農具を持っていたから、たった10分の道が長く感じられたものだ。畑を耕す鍬、幾つもの軍手、種や苗を手にして歩いた。子供だった姉と私は父と母が何故畑を借りたのか、畑仕事をしたいのか、どうしても理解できなかった。遊び盛りだった私達には、友達と遊ぶ時間を割いて畑仕事をするのは好ましくなかったからである。しかし良い土だった。黒くて土の匂いがぷーんとする、そんな土。私はその匂いが好きだった。初めての収穫はじゃがいもだった筈だ。まだ芋が小さい頃に掘り起こして収穫した。それを家で奇麗に洗って塩茹ですると驚くほど美味しかった。美味しくて沢山食べたくせに畑仕事は好きではなかった。あれは子供にはなかなかの重労働であった。多分父と母はこんな風にして家族全員が一緒に過ごすことを求めていたのではないかと思う。手を掛けて何かを育てることを私達子供に教えたかったのかもしれない。そうして収穫して食する歓びを皆で分け合いたかったのかも知れない。ある夏休みの朝、家族で畑に行くと向うの方にわさわさと大きな緑色の葉が揺れているのを見つけた。行ってみると手入れをしていた畑の持ち主が里芋だと教えてくれた。朝露の珠が大きな葉の中をすべるように走っていて奇麗だった。あのぬるぬるした里芋がこんな美しい葉を持っているならば嫌わずに食べてみようと思った。私は畑仕事が嫌いだったけど、次第に朝露に濡れた農作物の葉やしっとりと黒い土を眺めるのが好きになっていった。あの畑は確か3年ほど借りていた。土地の持ち主の気が変わるまでのたった3年間だ。あれから何十年も経っているが、人々は今も土いじりが好きらしい。手を掛けた分だけ実りが嬉しいからだろうか。それとも家族全員が一緒に過ごすためか。あの頃の父はどんなことを思いながら土をいじっていたのだろうかと思っても訊く術もない。そんなことに思いを馳せながら、もう一度土の匂いを吸い込んだ。


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コメント

yspringmindさん、こんにちは。
ご無事でよかったです。
久しぶりの日本、久しぶりのご家族との再会、その様々な思いはyspringmind
さんにとって一入であったことであろうと・・。また新たないい思い出が増えたのではないでしょうか・・
土の匂いから昔懐かしいいい記憶がよみがえってくる!なんていうのは何だかとても素敵です。生まれ育ったその場所の土でなくても、同じ様な土を見て、そしてその匂いから昔を思い出す・・生きているって感じがして、何だか私自身とてもいい気分になりました。

2011/08/16 (Tue) 09:02 | ca_fior #- | URL | 編集
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2011/08/17 (Wed) 08:06 | # | | 編集
Re: タイトルなし

ca_fiorさん、こんにちは。元気にボローニャに帰ってきました。久し振りということと、それから家族とよい時間が持てたことで、長年無かったホームシックみたいなものに早くも悩まされそうな気配です。
昔は土の匂いが一杯でしたね。今はすべてがアスファルト化されていてそれはそれで良いことだとおもうのですが、こんな黒い土を見ると、そして土の匂いがしてくると、土のある生活の方が人間らしくて良いのではないだろうかと思うのです。私は昔の人間の部類なのかもしれませんが、時代遅れかもしれませんが、そういうことをいつまでも大切にしたいと思うのです。

2011/08/17 (Wed) 17:00 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

鍵コメさん、こんにちは。仰るように同じ時間を過ごすって簡単そうで難しいことなのかもしれないと私も最近思うようになりました。だからそういう時間を大切にしていこうと思います。
それにしても毎朝物凄く早く目が覚め、そして夜はもう眠くてたまらないのです。考え方によっては健康的な生活サイクルなのかもしれませんが、朝の5時に目が覚めてしまうのだけは困りものなのですよ。

2011/08/17 (Wed) 17:13 | yspringmind #- | URL | 編集

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