作るということ

ボローニャに幾つかある布地屋。しかし布地と言っても色々あって、衣服向け布地もあればソファやカーテン向けの布地もある。私はそれらのどちらも大好きで、そういう店の前を通ると大抵足を止める。布地との出会いは私がまだ小さな子供の頃だ。手先が器用な母が店に立ち寄っては手に入れてくる様々な色柄の布地で私と姉の服を作ってくれたからだ。ミシンを踏む母の後ろ姿や横顔を私は良く覚えているけれど、もうひとつ覚えているのは母と一緒に何処かの家へ行って服を仕立てて貰ったことだ。母はミセスという本の愛読者だったが、本の中に気に入った服を見つけると私を連れて出掛けたものだ。行き先は、母より年上の、服を仕立ててくれるご婦人の家であり仕事場であった。そうして名が長い話が終わったかと思うと、母は私の手を引いて布地を探しに行った。地元の店の時もあったが、頻繁に足を運んだのは新宿だった。伊勢丹だったかもしれないし、そうでないかもしれない。その辺の記憶はぼやけていて幾ら考えても分からない。買うよりも作るほうが経済的だという母の言葉は決して間違っていなかったが、それは自分で作った場合のことで、人に仕立てて貰えば決して経済的ではなかった筈だ。しかし父はそれには一切触れずに、寸法がぴったり合った、仕上がったばかりのシンプルなワンピースを母が嬉しそうに身につけると、父は良く似合うといって褒めた。私にもおこぼれがあった。偶然布地が子供の服一着分残った為のおこぼれなのか、それとも元々そういう予定だったのか分からないが、同じ布地で母と揃いのワンピースを幾つか作って貰った。一番好きだったのは夏の白いワンピース。私がまだ幼稚園に通っていた頃のことだ。白い布地にターコイズブルーの線が縦横に走っていて、シンプルな方のワンピースが新鮮で斬新に見えた。もっともそれは子供だった私が考えたことで、大人だった母はまったく別の印象と持っていたのかもしれない。何はともあれ母と揃いのワンピースを着て歩くのが嬉しくてたまらなかった。イタリアに来て出会ったのがソファやカーテン向けの布地。これが奥が深くて見始めると止まらない。ボローニャ旧市街にもいくつかそんな布地屋があって、私は時々店に入っては物色する。兎に角様々な色柄がある。ソファ向けの布地はしっかりしているので、はぎれを買って鞄を作るのも面白い。事実そういう小物の店が最近ボローニャには増えていて、私を大変刺激するのだ。店先に並んだ鞄を眺め、流石にこんなに素敵には作れないけれど、と呟きながら。手作りとは良いものだ。出来上がったものを購入するのに慣れきってしまった今の私は、少しこんな手作業をしてみると良いかもしれない。

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