眼鏡屋

随分前から視力が落ちたと気が付いていたが、実際検査してみてそうと分かった。どうりで眼鏡が合わないわけだ。1年半前に作った眼鏡はまだ良いとしても、自分の視力に合わせて6年前に作ったサングラスに関しては甚だしいほど合わなくて、どうしたものかと考えていたのだ。フレームは18年前に購入したもので、幾年経っても飽きないどころか年々愛着が湧いて手放せない。視力が落ちる度にレンズだけを換えてきたが、何度も地面に落としているので眼鏡のフレームの隅っこの小さなひとつが何年か前から欠けている。それでいて新しく新調しようと思わなかったのは、この眼鏡にはちょっと良い思い出があるからだった。しかし気分転換も良いだろうと引退してもらうことにした。なに、捨ててしまうわけではない。お気に入りのひとつとして引き出しの奥に納めるのだ。さて、そういう訳で少し前から自分に合うサングラスを探していた。姿の良いのは幾つもあるが、かといって自分に合うとは限らない。幾つもの店を見て回った後、私は何度か見に行ったことのある、最後は一週間前に入って店の人に色々説明してもらった店に戻った。ボローニャ旧市街の真ん中の大通りの中ほどにある小さな店だ。ポルティコに面している建物の少し奥に存在する為、大抵の人は関心を持たないで通り過ぎてしまう店。でも人から聞いて知っている。眼科も兼ねているこの店は信頼できてなかなか良心的な店であると。割と地味な店だ。店の人も素朴。それだから私には入りやすく、そして相談もしやすい。店に入ると何時もの女性が居た。幾つかの眼鏡を出して貰って試してみたら、ひとつピタリとくるのがあった。自分の雰囲気にあうだけでなく掛け心地も良い。店の女性もこれが良いと言う。少し予算オーバーだったとつぶやくと割り引きしてくれた。それに来年春の確定申告で眼鏡代の申請をすれば幾分かの戻りがある。こんなに合うものは滅多に無いので迷うのはやめて直ぐに決めた。店の女性が用紙に色々書き込んでいたが、生年月日のところでふと彼女が顔を上げて私を凝視した。驚きだと言う。若く見えたと言う。嬉しいなあと笑っていたら続けて彼女が質問した。何年ボローニャに暮しているのか、結婚しているのか、相棒はボローニャの人なのか、ボローニャの生活は気に入っているか。それにいちいち答えながら、彼女はどうしてそんなことを訊くのだろうと不思議に思っていたところ、彼女が話し始めた。彼女はプーリアの出身で、ボローニャ人の婚約者がいた。もうすぐ結婚と言うある朝、目を覚ますと彼が終わりにしようと言って出て行ってしまったらしい。2年経った今もその悲しみから抜けられず、思い出しては涙が出るのだそうだ。実際その話をしている間に彼女の大きな瞳には見る見る間に涙が溜まり、今にも零れ落ちそうだった。陽に焼けた肌が美しい、背の高い美人さんの彼女は訊いてみれば私よりはるかに若かった。若く美しい、見るからに賢そうな彼女。どうして過去のことに傷ついたままでいるの。そういう男性と結婚しなかったのはもしかしたら幸いだったのかもしれなくて、何時か本当にあなたを大切にする人と出会う筈。だからそれについては奇麗に忘れて今ある自由な生活を楽しむと良い。確かそんなことを私は言った筈だ。すると彼女はパッと顔を明るくして有難う、あなたに話してよかったわ。と言って握手を求めてきた。それで私は彼女の手を両手で包んだ。遠い昔、私にもそんな経験があったのだ。もっとも私のほうは2年なんて長くはなくて僅か3ヶ月だったけど。単なる店の人と客の関係。でも私達は何か良いフィーリングを感じた。何時か店の外の何処かでばったり出会ったら友達になるかもしれない、そんな予感。人間関係とはそんな風にして出来上がっていく。店の外は大変な混雑だった。もうジャケットの要らない季節。人々のうきうきした気分が私にも伝染した。

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コメント

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いつも、物語を読んでいるようかのように楽しく興味深く読ませていただいています。眼鏡屋の美人さん、幸せになれますように。

2011/05/10 (Tue) 12:52 | Hina #79D/WHSg | URL | 編集
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Hina さん、初めまして。楽しく興味深く読んで頂いているそうで有難うございます。それはとても光栄なことです。ところで眼鏡屋の美人さんから、眼鏡が出来上がったわよ、との電話を今日の夕方に貰いました。私のことをシニョーラと呼びながら、電話の締めくくりはチャオチャオでした。親しみの湧く美人さん、きっと幸せになります。

2011/05/11 (Wed) 22:56 | yspringmind #79D/WHSg | URL | 編集

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