シャツの仕立て屋

ボローニャの街の中心の、Piazza Maggiore に面して店を営むシャツの仕立て屋さん。長いこと此処で店を営んでいるので年配のボローニャ人なら知らない人はいない。こんな街中の良い立地にありながら、私は長いことこの店の存在に気が付かないでいた。いや、気が付いていたかもしれないけれど、足を止めてショーウィンドウを眺めたいと思ったことは無かったのだろうと思う。5年位前だっただろうか。スカーフや襟巻の類が大好きで、特に秋口から春先まではそれらが手放せない私のくるくると毎日変わる私の首元を見て知り合いの年上の女性が私に訊いた。あなた、何処でそれらを調達しているの? そういう彼女の首元には私好みの襟巻があった。私はその質問に答えずに彼女に訊いた。あなたの襟巻は素敵ねえ。すると彼女は気を良くして教えてくれた。それがこの店だった。私はその週末早速店の前で足を止めた。紳士向けのものが主らしく、店の中には男性ばかりがいた。しかしそれでよかった。私は少し辛口のジャケットや靴、アクセサリーが好きだからだった。そしてそういうのが私らしいとも思っていた。ショウウィンドウに襟巻を見つけた。表は厚手のシルク、裏は軽い薄手のウールだった。表裏の色のコンビネーションが気に入って店の中に入った。小さな店なのに驚くほど店で働く人がいて、察するに彼らはどうやら家族親族のようであった。其の中で一番年上の、恐らくは60をとっくに過ぎたと思われる銀髪の紳士が私を迎えてくれた。店先で見た襟巻のことを言うと、上の階の生地置き場兼作業場に連れて行ってくれた。好きな生地を選べと言う。私用に作ってくれるといった。それで私は中から微妙な柄のオレンジ色のシルクを選んだ。すると店の紳士は裏面に来るウールはこの色しかない、と言って少しトーンを抑えたコバルトブルーを選んでくれた。はっとするような色合いで私はこの襟巻を今も愛用している。私の気に入りのひとつなのだ。そしてあれ以来この店の存在も私の大変な気に入りなのだ。そういう訳で頻繁に店の前で足を止める。1ヶ月ほど前、店先に気になる春用の襟巻を見つけた。藍色と白が絡み合うような柄の、薄い透けるようなシルクの襟巻だった。春先に重宝しそうだが、こういう色は案外難しく、ひょっとすると顔色が暗く見えたりする、などと思って見過ごした。それに安いものではない。衝動買いは頻繁にしてはいけないのである。その翌週またこの店の前に来てしまった。あの襟巻をもう一度見たかったからだった。うーん、見れば見るほど好みだけど、私には合わないかもしれない。と、また見過ごした。そして先週。また店の前で足を止めたら店の飾り付けが一変していた。あの襟巻の姿は無く、シャツや貝ボタンが並んでいた。貝ボタンは本当に貝から出来ているのか、と驚きながら店の中に入って少し前まであった襟巻きの事を聞いてみたら、売れてしまったとのことだった。あれは一点物で、と言う店の人の言葉に愕然としながら、いやいや、それで良かったのだ、と自分に言い聞かせた。そういう運命だったのだ、と。そうして店を出て2本の塔の下から七つの教会群へとのびる道を歩いていた時にすれ違った。あの襟巻だった。私があっと言って振り向いたので男性も何事かと思って振り向いた。私の視線が襟巻に釘付けなのに気が付いた彼は、ああ、この襟巻は・・・と話し始めた。それに私が言葉を続けた。あの店で買ったんでしょう? 私もずっと気になって見ていたから知っているの。さっき店に行ったら売れてしまったと聞いてがっくりしていたところなんです。すると彼はこの話しにひどく気を良くして、これは一点物だからねえ、と顔をほころばせた。そんな彼の表情に襟巻が良く似合っていたから、これでよかったのだ、と思うことにした。それにしても、こんなこともあるものだ。何処の誰だか知らない人と、店先に飾られていた襟巻で立ち話をするなんてことも。そんなことを考えながら歩いていたら、今日店先にあった貝ボタンが気になり始めた。一体どんな風にして切り抜くのか、今度店の人に訊いてみよう。ということでこれからもあの店に足を向けるのである。

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コメント

No title

素敵でお洒落なお話ですね!

BARでまた偶然出会い 恋が始まったりしたら映画みたいです。(^^)いや、そうだとベタ過ぎ。
すれ違いの会話だからお洒落なんですね。

それにしてもショーウインドゥにディスプレーされたその襟巻、拝見したかったです。 

オレンジ柄シルク、裏がブルーの襟巻きも 相当素敵と想像します。

2011/05/01 (Sun) 08:11 | pianuzza #79D/WHSg | URL | 編集
No title

pianuzza さん、こんにちは。そういう展開は考えてもいませんでしたが、確かに映画や小説だとそういう話になることもありますね。現実はこんな風に実にあっさりと。しかしあの襟巻は実に良い趣味でした。品がよくて行儀が良い、しかし個性的。上手い言葉が出てきません。店先にあるうちに写真のひとつも撮っておけば良かったですね。兎に角この店の襟巻の趣味に外れはありません。

2011/05/01 (Sun) 22:30 | yspringmind #79D/WHSg | URL | 編集

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