友人のコーヒー豆

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土曜日の喜びを、久しぶりに堪能している。平日忙しくしている分だけ土曜日が嬉しい。相棒によれば、今朝は海へと向かう高速道路が大そう混んでいたそうだ。此れから休暇が始まる人達というよりは、残りの夏を楽しもうと海へと向かう人達なのだろう。気持ちはよく分かる。私とて、夏の休暇こそ終わったけれど、秋がやって来る前の明るい季節を楽しもうと思っているのだから。ただ、私の場合は海ではなく丘、若しくは山の方がいい。山間の小さな村を訪ねたり、小さな宿に泊まったり。

この夏、オスロの友人を訪ねてカフェに入った時、友人がカッフェを注文すると言ってカウンターへ行ったが良いが、なかなか戻ってこなかった。どうしたのかと思っていたら、ふたり分のカップチーノを手に戻ってきた。そして、はい、と差し出したのが可愛いツバメの絵が施された、手のひらに載るサイズの紙袋だった。ボローニャで留守番をしている相棒の為に、とのことだった。友人が店の人に訊いたら、これが美味しいと薦められたコーヒー豆だった。彼女のそうしたさりげない優しさが好きだ。そう言えば彼女はいつだってそんな風だった。
さて、その豆だが、豆を挽く道具が無かった。アメリカに居た頃はグラインダーで豆を挽いたものだけど。そうだ、あの頃はイタリア人街のカフェ・グレコから豆を買ってきて、朝っぱらから大きな音を立てて豆を挽いて、モカで濃いコーヒーを淹れたものだった。あのグラインダーは友人に譲ってしまったからもう無い。どちらにしても80年代初めから使っていた年代物だったから、たとえボローニャに持ってきたとしても壊れてしまっただろう。それで色んな店に足を運んでグラインダーを探したが、あまり需要が無いとみえて此れというものが見つからなかった。仕方なくネットで注文して数日が経つ。昔アメリカで使っていたのとほぼ同じ物だ。話によれば月曜日辺りには手元に届くらしい。そんなことをしていたら、昔のことを思いだした。アメリカに居た頃よりもさらに昔のこと。家族と一緒に住んでいた、15歳くらいから20歳になるかならぬかの頃のことだ。うちではコーヒーは18歳からと決められていたが、姉が18歳になった時に4歳年下の私も同時に解禁になった。それを姉は酷く不公平だと文句を言ったが、私にとっては実に好都合だった。姉は何でも美味しいものが好きなので、折角珈琲を飲むのならインスタントではなくてもっと美味しいものを、と豆を挽く木製で手動式の機械と、カリタのコーヒーの道具を購入した。あれは勿論父か母から資金が出たに違いないが、姉が専門店に行って選んできたものだった。豆を挽いて。挽き具合はこんな感じ。紙のフィルターを器の中に敷いて。熱い湯を沸かして。店の人が姉に教えてくれた其のままを、姉が私に丁寧に教えてくれた。そうして姉が淹れた初めてのコーヒーは夢のように美味しくて、それからうちでは家族が揃うと姉か私がコーヒーを淹れるようになった。例えば日曜日の朝。トーストなどの簡単な朝食もたっぷりの熱い牛乳に淹れたてのコーヒーを注ぐと、特別な朝食に思えた。特に父が喜んだ。家族が揃うと言いだすのは何時も父だった。コーヒーが飲みたいな、飛び切り美味しい奴だよ。そのうち姉と私は豆に拘り始め、学校帰りにコーヒー豆を購入して帰るようになった。西武百貨店の中にあるコーヒー豆のコーナーは何時もいい匂いが漂っていて、姉と待ち合わせをして今回はこれにしようなどと話しながら、店の人にこれを200グラム、などと大人ぶって注文したものだ。そのうち店の人が顔を覚えてくれて、これも美味しいから試してごらんなどと言ってくれるようになった。姉と私、そして父と母が好きだったのは、煎りの強いものだった。コクがあって、忘れられない味。あれは何と言う名前が付いた豆だっただろうか。急に、昔のようにカリタ式でコーヒーを淹れて飲みたくなった。イタリア式にモカで濃いのを淹れるのも大好きだし、それに何の不満もないけれど。多分私はあの頃のように丁寧に丁寧にコーヒーを淹れることに恋い焦がれているのだろう。ところで、カリタが日本のメーカーであることを実は今まで知らなかった。ネットという便利なものがあるおかげで今更ながら知った次第だ。ボローニャ旧市街の数軒の店を見て回ったが、イタリア式モカは何処でも手に入るものの、カリタ式は何処にもない。諦めかけたところ、暫く夏季休暇で閉まっていた食料品市場界隈の古い店が開いていたので、昨夕立ち寄ってみた。店の人は機嫌がよくなかった。休暇が終わったばかりだからだろうか。プリントアウトしてあったカリタ式の写真を見せたら、ある、と言う。踊りださんばかりに喜んでいると、奥にそれを取りに行った店の人が残念そうな声で、いいや、もう無い、と叫んだ。がっかりしていると入庫する努力をしてくれると言う。直ぐには無理だけどと言う条件付き。其れでも良いからとプリントアウトした写真と名前と電話番号を残すことにした。機嫌はよくなかったが親切な店の人。だから他の古い店が消えていっても、この店は今も生き残っているのだろう。さあ、良い知らせは来るだろうか。めでたくカリタ式が手に入った日には、丁寧に丁寧にコーヒーを淹れて、相棒にご馳走したいと思う。私の家族の話をしながら。父のこと、母のこと、姉のこと、そして跳ねっかえりだった自分のこと。

友人が持たせてくれたコーヒー豆が色んなことを引っ張り出してくれた。こんな展開になるとは、彼女も想像していなかっただろう。今の私はテクノロジーや便利を背にして、自分の手を使うとか、丁寧とか、気持ちを込めるおとか、そうしたことに価値と魅力を感じ、愛おしく思う。




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寄り道ジェラート

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たかだか3日仕事をしただけで、此れほど疲れるとは。随分とやわになったものだ。それが5日間だったら、どれほど参っていただろうか。考えるだけで疲れが増すので、考えるのはよしておこう。

夕立が来ると言われていたのに、実際湿度が高くて雲の向こう側に雨が待ち伏せているのではないかと思ったのに、遂に降ることはなく、蒸し暑さを除けばよい金曜日の夕方となった。旧市街に入ってすぐの停留所でバスを降りたのは、ジェラート屋さんに立ち寄るためだった。ところが店は閉まっていた。ひと月の休暇中で、来週半ばまで開かないとのことである。ならば、と少し先の店に行った。こちらも気に入りの店で、しかも抹茶のジェラートがある。但し、確率は50パーセント。売り切れのことが多い。店に行くと客で賑わっていた。接客中の店の青年が、こちらを見て声を出さずに口だけ動かした。今日は抹茶がある。そう言っているのだ。私が白い歯を見せ、ぱっと顔を輝かせて喜びを表現すると、青年も客も、今度は声を出して笑った。この店のいいところは、こうした親しみやすい雰囲気が存在することだ。家族でもなければ友達でもない。でも、偶然此処に居合わせた仲。客と店の人の会話に耳を傾けて、話に参加することが出来る、そんな感じ。今日は小さな女の子がいた。とても可愛い子で、3歳くらいだろうか。口が達者で聞いている大人は皆目を丸くしている。女の子は傍らに居るご婦人の孫だった。ご婦人はとても品の良い女性で、短い髪を素敵にセットして、華奢な揺れるタイプのイヤリングをして、懐かしい雰囲気のワンピースといった装いだった。その昔は良家の子女だったに違いない。女の子の話によれば、数日前にサルデーニャから戻って来たばかりとにことだった。サルデーニャには家族の休暇用の家があって、毎日海へ行ったこと。海にはクラゲがいて、母親とその友達が腕を刺されて大騒ぎになったとのこと。女の子は悪ぶれることなく見たこと聞いたこと知っていることをぺらぺらと話して、傍らに居る大人たちをはらはらさせた。放っておけば次から次へと話すに違いないことに恐れをなして、ご婦人は女の子の手を握って店を出た。また近いうちにと言ったご婦人の真似をして、また近いうちにと女の子も言うものだから、彼女たちが店の外に出てからも私達は多いに笑った。可愛い子だ。ご婦人も毎日楽しいに違いない。

帰り道のジェラート。此れが楽しいのだ。暫くは暑さが続くであろうボローニャだから、時々寄り道ジェラートを楽しもうと思う。良い季節の喜びの一部と言ってもよいだろう。半袖で居られるうちは、若しくはトレンチコートなして居られるうちは、誰が何と言おうと週に一度はジェラート。




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日常生活

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気が付けば8月が終わろうとしている。9月に学校が始まるイタリアだが、始まるのはもう少し先。それも州ごとに始まる日が異なるから、外国人の私には訳が分からない。私がイタリアに暮らし始めた頃は、始まる予定の日は決まって教師のストライキが行われ、開始日が数日先延ばしになったものだ。20年以上前のことだから、今は予定通り学校が始まるのかもしれない。そう言えば、昔ほどストライキをしなくなった。バスも電車も美術館も。これで良いような気がするのは、私だけだろうか。

仕事帰りに青果店の立ち寄った。最近浮気をして、別の店に行くようになったのは、美味しい桃と杏子があるからだ。以前、贔屓にしていた店はこのところあまり好ましくない。理由は旧市街にほど近い場所に二号店を出して以来、一号店の青果の鮮度や質が落ちたからだ。特に桃と杏子が良くない。此れは致命的で通う気持ちを失ってしまった。それで近所のもうひとつの店に行ってみたら、まあ、何と良いこと。最近は美味しいのを選んでねと頼む前に、店主が熱心に選んでくれるようになった。ただ、店主のイタリア語があまり芳しくない。其れもそのうち達者になって、世間話などできるようになるのかもしれない。ところが今日は桃がたったの二つしかなくて、どうしたのかと訊けば、今日は近所の奥さんたちがこぞって桃を買って行った為らしい。成程。この店の桃が美味しいことに近所の人達も気づいたらしい。明日にはまた入荷するからというので、ふたつだけ買って帰った。ついでに購入したのはダッテリーニと呼ばれる小さなトマト。此れで今日はパスタにしようと張り切って帰ってきたら、あ、パスタが無い。厳密に言えばパスタはあるのだが、様々な銘柄の様々な形のパスタが中途半端な量で残っているだけだった。うーん、としばらく悩んだ挙句、決めた。みんな一緒に茹でてしまおう。トマトをザクザク切って大蒜もザクザク切ってたっぷりのオリーブオイルでじっくり火を通して、バジリコの葉を数枚入れて、まあ、何と簡単なこと。言い換えれば、まあ、何と雑なこと。テーブルに並べた白い皿にパスタを盛った時の相棒の顔と言ったら。何だ、何だ、三種類のパスタを一緒に茹でたのかい? と相棒が言うので、そうだ、ナポリではこうした種類の異なるパスタを詰めて袋売りしているではないかと口から出まかせで言うと、ああ、そうだったね、彼がそう言っていたっけね、とナポリ出身の友人の名を引っ張り出したので大笑いした。そうなのか、ナポリでは本当に種類の違うパスタを一緒に詰めて売っているのか、と。さて、パスタは大変美味しく頂いたが、やはり私は、パスタは一種類でいい。何故なら茹で時間が異なるので、実に微妙な茹であがりなのだ。湯で加減に拘りを持つ私としては、やはりパスタは一種類。一種類で行こう。

今夜は猫の動きが激しい。どうやら日中ひとりで退屈しているかららしい。遊んでくれ、遊んでくれと活発だ。オスロの友人のところの猫はどーんと貫禄があって遊ぼうなどと誘われたことはないけれど。寧ろ、独りを好んでいるような感じさえあったというのに。




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もう一度オスロへ行ってみようか

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雨と競うように家に帰ってきた。途中で追いつかれて、強かに濡れてしまったけれど。気に入りの靴が濡れてがっかりだったが、しかし降ると言われていたのだから仕方があるまい。雨が降ってやって来たのは、恐ろしいほどの湿度。亜熱帯地方は、こんな感じなのだろうかと思いながら、雨空を仰ぐ。

3週間ぶりに社会復帰した今日は、忙しくもなかなか充実した一日となった。休暇中に仕事のことを思いださなかったのには実は自分でも驚いているのだけど、此れは簡単そうで実はとても難しいこと。そんな難しいことをやり遂げたことに、私はとても喜んでいる。面白いことに、今日は幾度もオスロのことを思いだした。理由は何だっただろうか。兎に角、もう少し色んなものを見てみるべきだった、みたいな後悔というよりは物足らなさ、そして好奇心が今頃むくむく湧いてきて、友人がそれを知ったら大そう呆れるに違いないと思っては、独りでこっそり笑った。骨董品類が好きな私には北欧の家具や食器類があまりに新しすぎると思っていたけれど、あれはあれでなかなか面白く、友人があれこれ手に取って見ては感心していたのも理解できる。特に椅子の類の曲線が美しく、こうした椅子がひとつ家にあるのもよいと思った。ただし、量産ものではなくて一点ものが良いだろう。勿論、そうした物はとても高価で、私のような人には手が届かないのかもしれないけれど。旧市街の店でノルウェー特有の銀のボタンを見た。真四角の木製ケースの中はさらに細かくボタンの種類ごとに仕切られていて、それをひとつひとつ見るのはとても楽しいことだった。昔、ノルウェー製のカーディガンを持っていたことがある。母が購入してアメリカに送ってくれたものだ。其れに銀色のボタンが縫い付けられていたが、それによく似たものを店で見つけて懐かしく思った。あのカーディガンは数年後酷く虫に食われてしまったが、それでも欲しいと友人が言うので譲ってしまった。虫食いの部分は自分で修正すると言って、幾度も私に礼を言った。確かにあれは美しかった。私には修正技術が無いけれど、ニットを嗜む彼女のことだから、きっとうまく直しただろう。そんな昔のことをボタンを眺めながら思ったことを今日は思いだした。もう一度オスロへ行ってみようか。次に行く時は友人はオスロに居ないだろう。それもいい。独りで、若しくは相棒とふたりで、ふらりと遊びに行くのも悪くない。

帰り道に見た、陽に焼けた人達。まるで日に焼けた肌を自慢するかのような襟ぐりの大きいシャツを着て、焼けた長い足を丈の短いスカートから出して。恒例の、8月の終わりの人々の様子だ。私も行く先々で、やあ、日焼けしたね、何処へ行ってきたんだい、と訊かれる。日焼けするつもりはさらさらなかったが、見れば随分と黒くなった。ビタミンDの補充は完了。これでこの冬は風邪を引きにくいはずだが、さて、どうだろう。




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証拠

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火曜日。ついに来てしまった火曜日。それは夏の休暇の終わりの日で、いつかは必ずやって来るとは知ってはいても、この気ままな生活から離れがたくあり、残念でもある。勿論、戻る仕事の場所があるのは幸せではあるけれど、もう1日、もう2日、と心の中で叶わぬとは知りながらも願うのだ。猫にも分かるらしい。彼女は勘が良いのだ。そして私を慰めるかのように、朝から一時も傍らから離れない。

ふと昔のことを思いだした。家には沢山の原稿用紙があった。それは昔父が買いこんだもので、使わないものだから陽に焼けて少々黄ばみがかっていた。あまり沢山のことを喋ることの無い父は、だから交友関係も少なく、しかし其れを悔やんだり悩んだりすることも無く、家族と居心地の良い家と本があればよいような人だった。気が向くと庭の手入れをして、小さな私に強請られて散歩に出掛けることもあったが、それはそれで楽しいらしく、怒った顔はあまり見せたことの無い人だった。仕事にも野心は無く、大切な家族を守るた為に必要なものが得られれば十分というのが父だった。そんな父を周囲は欲がないとか何とか云ったけれど、私も姉もそんな父が大好きだった。父はペンを持っていた。それはその辺で景品か何かで貰うようなペンではなくて、何か思い入れのあると一目見て分かるようなペン。万年筆だった。あの時代は万年筆を持つ人が沢山居たのだ。少し太めの、くちばしが金色の万年筆。抽斗箪笥の一番上に入っていた。父が如何に大切にしていたかがよく分かる。その抽斗は大切なものをしまう場所だったから。子供がいたずらに使わないようにと思ってのことに違いない。一度父に訊いたことがある。此のペンはいつ使うの? 何故なら一度とて使っているのを見たことがなかったからだ。しかしそれは私が見たことがなかっただけで、どうやら父は時々あの黄ばんだ原稿用紙を引っ張り出しては何かを綴っていたらしい。というのも微妙に紙が減っていたからだ。時々学校の宿題の作文などを提出する時に、私が使っていたのを父は知っていただろうか。そうしては紙が微妙に減っているのに私が気付いていたことを。果たして父が書いたところを見たこともなければ、父が書いたものを読んだこともない。父ならば、人を優しい気持ちにさせる話を書けたのではないかと思うけど。その父はもう居ないし、あのペンも何処へ行ってしまったのか、家族の誰にも分からない。父のペン。今思えば父が存在していた証拠みたいなペンだった。欲しかったなあ、と思いながら先日急に思いついて自分の為にペンを購入した。父のペンとは比べ物にならぬような普通のペン。此れは絶対私のペン。店で見て一瞬のうちに気に入ってしまったそれを手に取りながら、父もまたそんな風だっただろうかと思った。この父あってこの娘在り。似た者同士というところだろう。

陽の高さがもう夏のそれではないことに気付いたのはここ数日のことだ。この時期はそんなことを始めに、何故か海の向こう側に居る家族のことや私を通過していった友人達のことを思いだす。少し感傷的になっているのかと思いながら、ならばそれもよいと思う。考える時間がある証拠。感傷的にる繊細な心をまだ持ち合わせている証拠。まだ、人の痛みが理解できる証拠。明日からは忙しくて、そんな時間もないだろう。




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