幸せさん

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昨日の寒さは何だったのか。夕方の帰り道は冬のような寒さで、冷たい風で体を冷やしたらしく夜に熱を出した。この季節に風邪など引いてなるものかと黙々と眠り、薬も効いたのだろう、今朝は元気に目を覚ますことが出来て感謝だった。今朝は空が美しかった。朝の空が美しいと思えることが嬉しかった。

最近週の真ん中に祝日があって調子が狂うと言うよりも、身体が、脳が、2日ごとに休むことに慣れ始めているようで怖い。飛び石連休を終えて平常に戻る来週はさぞかししんどいことだろう。家の近所で店に立ち寄った。手作り石鹸を売る店で、ケミカルフリーの様々な製品も置いている。今日は店に店主は居なくて、その代わりに店主の妻が店番をしていた。店のど真ん中に大きな犬が寝そべっていて、彼女が居にに声を掛けねばならかった。ほら、シニョーラが通れないでしょう? そう言うと犬はまるで言葉が分かったかのようにムクリと起き上がり、尾っぽを左右上下に忙しく振りながら店の奥の角っこに移動した。言葉がよく分かるのねえ、と感心する私に彼女はうんうんと頷いて、でもこっちの方がもっと話が通じると言って彼女は自分の足元を指さすと、お、自分の方に話の鉾が向いたな、と言わんばかりにそれまで蹲っていた濃い茶色の犬が立ち上がった。その犬に気が付かなかったのは、床の色とよく似ていたからだった。それにもう一匹とは比較にならぬほど小さくて、痩せていた。まだ幼いのかもしれないし、そういう種類なのかもしれないが、それにしてもビクビクして弱そうな犬だった。彼はね、保護されていた犬でね、と彼女は話し始めた。随分と嫌な目に合ったらしく、時々どうしようもなく弱気になっておどおどしたり震えたりするのだそうだ。犬を保護しているところに彼女と夫が足を運んだ時には、犬は夫婦を見ることもできなかった。人間に背を向けて震えていた犬。随分辛かったね、と夫婦はその犬を自分の家に連れてきたと言う。家に連れてきても犬は家の隅っこで夫婦に背を向けていた。何日も何日も夫婦は遠くから見守って、自分から近づいてくるのを待ったのだそうだ。そうして遂に夫婦が悪い人達ではないと分かると、心を開いたのだろう、犬はのろのろと歩み寄り、少しづつ、少しづつ、夫婦と共に生活を楽しむようになったそうだ。彼女が犬に向かって言う。大丈夫、シニョーラはいい人なんだから。ほら、顔をあげてみてごらんなさい。すると犬は上目遣いで私の方を向いて鼻をくんくんさせると、ふーん、と言うような顔をして私の膝に頭を擦りつけた。まるで猫みたいだ、と言う私に、彼女が笑う。そうなの、猫と仲良しだから、猫も一緒に暮らしているからと彼女が言うので、彼女の家には猫も居ることが分かった。動物好きの優しい夫婦。あんた、幸せねえ。こんなに優しい家族がいて。そう言って私が犬の頭を撫でると、奥に居た大きな犬がのそりとやってきて頭を突きだした。自分の頭も撫でてくれとでも言うように。彼女と私は顔を見合わせて、ふたりで代わる代わる頭を撫でると二匹の犬は満足したらしく店の真ん中に横たわった。犬の居る店。優しい人達が営む店。此の店の手作り石鹸がとても良い理由が分かったような気がした。家に帰ってきたら犬の匂いのする私をうちの猫が酷く嫌がり、尾っぽを太く含まらせてぷんぷん怒った。彼女もまた保護された猫。生まれてすぐに置き去りにされた猫。箱の中に入るのも、雨に濡れるのも、車の音を聞くのも嫌いなのは、置き去りにされた時の悪い思い出のせい。でも、彼女もまた幸せな猫だ。私と相棒という家族を得て、幸せに暮らす猫。幸せさんだ。もう悲しい思いは、怖い思いは一生させまい。

今日で4月は終わり。日本はひとつの時代が終わった。明日からは新しい時代。希望のある穏やかな時代になればいい。




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散り始めた花

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夜中の大風は前触れだったのだろうか。当たりはしないと思っていた天気予報どおり雨降りになった日曜日。始まりは穏やかに。そして気付けば激しい水飛沫と音を立てての強い雨になった。北西からの雨だ。雨が降って気温は昨日に比べて10度も低い。こういうことがよくある。春だ、春だと薄着になった途端に、ちょっと待て、とでも言うように冷えこむ。若い私達は良いとしても、姑くらいの年齢になると天候の変化が体に響き、ようやく元気になってきたと言うのに振りだしに逆戻りで、やれやれと小さな溜息が零れてしまう。それにしても雨に強かに叩かれた窓の前の栃ノ木の花が半分ほど散ってしまった。もう長く咲いていたから散り時だったのかもしれないけれど、心が少し痛んだ。可哀そうなことをした、みたいな。

栃ノ木、栃ノ木と言うけれど、正式には西洋栃ノ木という名らしい。そして外国ではマロニエと呼ばれる。私が子供の頃、父の帰りを駅で待ち伏せして連れて行って貰った気に入りの洋菓子店の名がマロニエだった。平和な時代だったから、小さな子供がひとりで駅に父親を迎えに行くことが出来た。それでもまだ小学生になるかならぬかの小さな子供が、母親に頼まれて近所の豆腐屋にお使いに行くように、駅まで来たことに父は驚き、良くひとりで来たね、と短く切り揃えた私の頭を撫でたものだ。駅周辺には私の気に入りの店が幾つかあった。マロニエ洋菓子店、本屋、映画館。踏切の向こうには玩具店もあったが、両親は其処に出入りするのを好まなかった。大人になってから、そうした小さなひとつひとつが理解できるようになったけれど、あの頃はどうしてなのかと小さな頭をひねったものだった。父は何も言わなくとも私が迎えに来た理由を知っていた。だから行こう行こうとせがまなくてもマロニエ洋菓子店に吸い込まれた。姉には苺のショートケーキ、母にはお酒をたっぷり含んだサバラン、私はプリンアラモード、父は、そうだ、父は何を注文しただろうか。そこだけがどうしても思い出せない。
駅前通りを奥へ少し行くと、母が良く足を運んだ仕立て屋さんがあった。母は子供たちの衣類を縫うことはあっても、自分の衣類を縫うことはなかった。母と私は生地屋さんへ行くのが好きだった。そこで母は自分好みの布を購入して、駅の近くの仕立て屋さんへ持ち込むのだ。店はなかった。個人の家で、頼まれたものだけを縫う。母と同じくらいの歳の女性が、布を持ち込んだ母の寸法を取って、こうしましょ、ああしましょ、と話をする様子を一体幾度見ただろう。一度だけ、私の為に行ったことがある。それは生地屋さんで見つけた破布と言うに等しいが、母はどうしても諦められなかったからだ。手触りの良い薄い、涼しい生地だった。覚えているのは紫に緑やらなにやらの色が混じるミステリアスな色合いで、子供の服ながらも此のデリケートな生地は扱えないと言って母が自分で縫うのを諦めたのだ。それで仕立て屋さんへ行って、寸法を取って貰った。子供らしく爽やかな仕上がりになるように仕立て屋さんが持ち合わせていた透き通るように薄い白い布で丸い襟をつけることを提案して、母がそれがいいと喜んだ。仕上がりは素晴らしくて母も私も喜んだ。子供は成長するのが早いから直ぐに着られなくなるのではないかと仕立て屋さんは案じたけれど、その予想を裏切るように私の成長はゆっくりで随分と長い間、その服を楽しむことが出来た。
私が父と母のもとから離れて28年が経つ。父はもう随分前に他界しているが、母は足が随分と弱ったことを除けば、今も元気にやっている。話をする機会はあまりなく、顔を合わせるのも数年に一度。母は寂しいだろうか。それともこれで良いと思っているだろうか。子供は巣立っていくもの。遠くに居ても元気で居るのが案外親孝行なのかもしれない。次に会う時には、私が子供だった頃のことを少し話してみようと思う。マロニエ洋菓子店のことや、仕立て屋さんのこと。それから一緒に新宿の伊勢丹に布地や毛糸を買いに行ったことなども。母が覚えていればいいけれど。私が覚えている父と母のことをこんなに沢山思いだしたのは、窓の前の栃ノ木の花のせいだ。散り始めた花を見ているうちに、少しでも母との時間を持ちたいと思うようになった。

ふと窓の外を見れば、雨が止んでいた。静かな日曜日の午後。薄日が射してほっとした。日曜日は太陽が出た方がいい。日曜日とはそういう日なのだ。自分から飛び出して行ったのに、糸の切れた凧のように飛んで行ってしまったのに、案外、私は、母や姉の近くに居たいと思っているのかもしれない。




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犬を連れた男

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今日から日本はゴールデンウィークと聞いている。過去に私がゴールデンウィークだからと遠出した記憶はいくら考えても思い当たらないが、しかし世間が浮足立って喜んでいる様子を見るのは何処へも行かない私にも嬉しいことだった。皆がにこにこしている。こんな良いことはない。私が日本に居た頃はこんなに長いゴールデンウィークは存在しなかった。10連休と知って、直ぐにそんなことを思った。相変わらず休暇を取りにくい日本だから、これは良いことだと思う。しかもこの素晴らしい季節の10連休だ。羨ましいと思っているのは私ばかりではないだろう。

今年は早くもテラスのゼラニウムが咲き揃って、初夏が駆け足でやってくる気配を感じている。朝、植物たちに水をやり、あまりに風の感じがいいので旧市街に行くことにした。きっと混んでいるだろう。この街は人々で賑わっているに違いないと予想した通り、どの通りも随分な人混みだった。週末は旧市街のあちらこちらが車両禁止。道の真ん中を歩けるのが好きだ。いつもは車が大腕を振っている感じだけれど、週末に限っては歩行者が大腕を振ることになる。こういう日は路上の芸術家、音楽家たちが現れて、私達の目や耳を楽しませてくれる。誰に促されることもなく、通行人たちがコインを帽子や箱の中に残していく。こういうのがとても好きだ。楽しめたからコインを残す。感動したからコインを残す。どの街でも同じだと思うけど、ボローニャの人達は良識があってなかなかいい。仕事帰りに塔の下の大通りでバスを待っていると、ツバメが小気味の良い声を発しながらまだ明るい夕方の空を徘徊するのが見えるが、昼間は何処へ行ったのか、ツバメの姿はない。袖なし姿はアメリカ人の女の子。キルティングの温かいジャケットを着ているのはボローニャ人。私は無理してジャケットなしで家を出たが、首だけは冷やすまいと小さなシルクのスカーフを首に巻き付けてきた。陽の当たる場所は暖かいが、日陰に入ると身震いするほど冷える。夏場は日陰ばかりを探して歩く私も、今日は日向ばかりを探して歩いた。
と、声を掛けられた。Buongiorno. 元気そうですね。そう言われて振り向いたら、背の高い巻き毛の、変わった眼鏡をかけた、年齢不詳の男性が立っていた。さて、私達は知り合いだったでしょうか。単刀直入に私が言葉を返すと、彼は、にっこり笑い、知り合いではないが数年前に丁度同じ場所で言葉を交わしたと言った。えー、そうかしら。そんな思いが顔にそのまま表れてしまったらしい。彼は少し弱気になって、足元を指さした。それで彼の足元を見ると、二匹のダックス。毛並みがぼうぼうで老いた感じの二匹のダックス。其れで思いだした。もう何年も前に、この二匹のダックスが可愛くて、路上で飼い主とお喋りをしたのだ。素敵な感じの男性だった記憶があるが、この人だっただろうかと思いを巡らす。巡らしながらこの数年で彼も、犬たちも、そして私も幾つか年を取ったのだというところに辿り着いて、ふーっと溜息をついた。思いだした、そうだ、私達は犬のことで話をしたのだ。正しく言えば私があなたに声を掛けたのだ。彼は私が思いだしたことに気をよくして嬉しそうに笑い、君はまだボローニャに居るんだねと言うので、そうよ、まだ居るし、これからもずっと居るのよ、と答えると益々嬉しそうに笑った。犬たちは足が弱り始めたらしい。でも元気そうだった。またね、またいつか。そう言って私は彼と犬たちに手を振って歩き始めた。歩きながら、小さな瞬間の些細なことを覚えている人が居ることに驚き、そして悪くないと思った。そして、人は見ていないようでよく見ていることを知り、いつもきちんとしていたい、礼儀正しい人でありたい、と思った。

最近ボローニャの調子がいい。サッカーのことだ。監督が代わって以来、良いゲームをするようになり、今日はエンポリを3-1で下して勝利。長い間出口が見つからないトンネルと歩んでいたボローニャなどと言ったら相棒に大そう嫌われそうだけど、最後の数試合はこんな好ゲームを見せてくれたら有難い。そう言う訳で相棒は機嫌が良く、ジェラートでも食べに行かないかと妻を誘う。次回も勝利を願おうではないか。




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美味しい生活

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今年の栃ノ木は見事だと、近所の誰もが言う。どの栃ノ木かといえば、私の居間の窓の前にある栃ノ木で、生き生きとした明るい緑色の葉が茂り、美しい白い花をふんだんに付けた私の気に入りの栃ノ木のことだ。周囲の人達の称賛を聞く度に誇らしく思う私ではあるが、しかし栃ノ木は隣の敷地に生えている木で、決して私のものではない。毎日窓を開けて眺めているから、いつの間にかとても近い存在になり、だから称賛の声を聞くと自分のことのように嬉しくなるという訳だ。今年は長く咲いている花。そういえば日本の桜もこの春は、長く咲き誇っていたと姉が言っていたっけ。

相棒が大きな袋を下げて帰ってきた。袋の中には大きなパンが3つ。パンは既に薄切りされていて、きっちりビニールの袋に入っていた。カラーブリアのパンだよ、と相棒が言った。訊けば知り合いの医者が分けてくれたのだと言う。医者はボローニャに長く住んでいるがカラーブリアの出身。時々誰かが故郷からこのパンを持ってボローニャにやって来るのだそうだ。今回は復活祭に帰れなかった医者の為に、復活祭の休暇を利用して家族がこのパンを山ほど持ってボローニャに来たらしい。こうしたパンを医者は直ちにスライスして冷凍庫で保存する。そうすれば欲しい時にいつも故郷のパンを頂くことが出来るから、とのことである。だから相棒にもすぐに冷凍するようにと、スライスをして持ってきたそうだ。どうして相棒に3つも分けてくれたのは訊くまい。相棒は時々友人知人から、これ美味しいよ、といった具合に貰いものをする人なのだ。しかし袋の中にはまだ他にもあった。見るからに辛そうなサラミが4つ。これもカラーブリアのもので、自家製とのことだった。そして私に、と胡桃を割る銀色の道具も入っていた。どうして私にかと言えば、動物の形をした道具だから動物好きな奥さんはきっとこれが好きだろう、とのことであった。それは、それは。おかげでずっと欲しいと思いながら買わずにいた胡桃を割る道具を手に入れることになった。
さて、こうした美味しいものを頂いた時は、直ぐに食するのがいい。夕食に頂いたパンと見るからにからそうなサラミ、そして山盛りのサラダとかチーズとか、色んなものを並べ、ずっと気になっていた赤ワインの栓を抜いた。ぱっと見は質素な夕食だが、こうした夕食が案外好きだ。まず話が弾む。それから食もすすむ。パンはほんのり酸っぱくて、私の大好きなサンフランシスコのサワードゥブレッドを思いださせるような味だった。サラミは予想を遥かに超えた辛さで、辛いものが好きな私達にしても大騒ぎだった。こんな時はパンを食べるのがいい。いや、ワインを飲むのがいい。そそのかされてワインを飲んだら口の中が大火事になって、さらに騒ぎが大きくなった。賑やかな食卓。こんな美味しいお裾分け。やはり訊いてみることにしたが、案の定、答えはいつもどうりだった。さあ、どうしてかな。

夏時間になって空が暗くなるのが随分と遅くなった。何時までも暗くならない空の下で鳥が囀る。こんなに気持ちが良い夕方に伸びやかな鳥の声。それを素敵なことだと思えるのは、元気な証拠。体も心も元気な証拠だと思っている。




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シンプル

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今日は祝日。イタリア解放記念日という名の祝日である。復活祭の連休以来、近所の人達は海や山へと足を延ばして楽しく過ごしているようだけど、私はカレンダー通りの毎日。しかし別に嫌ではない。長い連休にしてしまおうと思えばできるところ、自らカレンダー通りの生活を選んだのだから。色んなことが少し落ち着いたら、休みを取ればいいだけのことだ。兎に角、今日は祝日をよいことに、もう随分前からしようと思っていたクローゼットの中の整理に踏み込んだ。春夏物を引っ張り出して驚いたこと。どれも、もう何年も着たものばかり。昨年の春夏までこんなものを着ていたのか、と驚きだった。これも、あれもと分けてみたら、今シーズン着たいと思うものはそれほど残らなくて、もう一度驚かねばならなかった。仕分けた不要品のなかで状況の良い物は、リサイクルに回すことになる。必要な人達にあと数回でも使って貰えたらいいと思って。そんなことをしているうちに、アメリカに暮らしていた頃のことを思いだした。

私がひとり暮らしをしていた頃は、日本から移り住んだと言うこともあって、クローゼットの中は日本製で満たされていた。数があまり多くなかったのは、持っていた多くのものは日本の家族のもとに置いてきたからだ。ほんの少しの素敵な服に、後は良質ながらもカジュアルなものばかりで、其れで充分だった。良質と敢えて言うのは、日本製は縫製がよく、実によくできたものだとアメリカに暮らすようになって分かったからだ。半年も経たぬうちにぐんぐん体重が増えて、あっという間に持ってきた衣類の大半が合わなくなった。丁度友人との共同生活が始まった時期で、生まれて初めて他人と生活する小さなストレスなどもあったのかもしれない。でも、一番の理由は食生活だっただろう。改めて日本の食生活の素晴らしさを痛感した時期だった。合わなくなった衣類はフィルモアストリートの中古品を売る店に持っていった。小さな体の私の衣類は子供服として店に並ぶとのことだった。ガラガラになったクローゼット。それでなくとも小さなクローゼットだったのに。ショッピングモールで驚くほど安く手に入れた新品のリーバイスのジーンズが数本。シャツが数枚。ジャケットが幾つか、コットンのセーターが数枚。殺風景だけど、充分だった。それに私も友人も、そして後に3人目の同居人になった友人も、競うようにシンプルを愛した。どれだけシンプルで居られるかが、私達のステイタスのように錯覚していた時代だったかもしれない。後に相棒のフラットで暮らすようになると、同居人のブリジットはあなたの装いはいつも同じだけれど、と当惑したものだ。彼女は海のリゾート地、フォルテ・デル・マルミ出身の美しいイタリア人だ。フォルテ・デル・マルミという土地柄から、お洒落で優雅なものを愛して育ったらしい彼女は、アメリカに暮らして15年は経つと言うのに、イタリアの、フォルテ・デル・マルミのファッション感覚をそのまま持ち続けている女性だった。明るい暖かい日にはレモン色の丈の短い袖なしワンピースを着て、肌寒い日には真っ白のふんわりニットに白いパンツを合わせて、といった具合に。そういう彼女のことを褒め称える人達は多く居て、それは男性に限らず女性も、彼女はまったく素晴らしいと称賛したものだった。そんな彼女の部屋には大きなウォーキングクローゼットが備え付けられていたけれど、其れでも一杯で、抽斗箪笥を購入して、其れでも手に負えないようだった。美しい色の衣類たち。彼女が私の装いに驚くのも無理なかった。
そんな私が相棒とイタリアに暮らすようになると、案の定誰もが諭したものだ。何故美しい色のものを身に着けないのか。何故同じようなものばかり身に着けているのか。何故。何故。相棒は私の横で苦笑して、そして私は此処がアメリカではないことを初めて実感したのである。数年して、私の衣類がすっかりイタリアのものになった頃、休暇でアメリカに行くと、友人達が口を揃えて言った。君、すっかりイタリア感覚になったね。自分では気づかなかったことだけど、友人達にはそんな風に見えたらしい。いつの間にか、シンプルであることが全てだったあの頃の感覚も変化して、私のクローゼットには色物やデザインされた物も参加するようになった。24年という歳月なのだ。私の気持ちが変わっても不思議ではないだろう。
それは良いとして、すっかり減ってしまった春夏の衣類。特にシャツ類を補充したい。数枚でい。気に入ったものを数枚。此れからウィンドウショッピングが楽しくなりそうだ。

春は暖かかったり寒かったり。そう言うものだとは知っているが、それでもほんの少し溜息が出る。数日前の暖かさに心を躍らせ過ぎたからだろう。寒いとまでは言わなくとも、冷えた手足をさすりながら、肩透かしみたいな感じがして萎む。暫くぶりにダージリンティーでも飲んでみようか。ブラウンシュガーを入れて甘くしたら、ちょっとは元気になるだろう。




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