靴が好き

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久しぶりに歩く界隈のポルティコの下で、ふと、足を止めた。靴屋の前だ。私の大好きな店で、以前は夏といい冬といい、買い物をするしないに関わらず立ち寄ったものだ。私の大好きな靴を置いているボローニャ唯一の店。以前は直営店がボローニャに存在したが、それが撤退してからはこの店が頼りの綱となった。昔から私は靴が好きで、多くの靴を所有したものだ。それは私の家族の趣味のようなもので、母にしても姉にしても靴が好きで、靴屋に行くのが好きだった。父だけが例外で、何故もこれほど靴が必要なのだと呆れてばかりいた。そんな父に私達は、お父さんは何も分かっちゃいない、と首を横に振るばかりだった。あれから随分の年月が経ち、この靴に出会った8年ほど前からは、靴を多く持たなくなった。毎年買い替える必要もなければ、買い足す必要もない。いつの頃からかそんな風になった。お洒落じゃないと言えばそうかもしれないけれど、自分スタイルの履き心地の良い仕立ての良い靴が季節ごとに数足あれば満足できるようになったのだ。それが良いかどうかは分から無い。そして、それが良いかどうかを知る必要もない。皆考えることが異なってよいのだ。店に入ると感じの良い女性が出てきてくれた。此の店に長く居る女性。私の足元を見るなり、直ぐに私が見たい靴が分かったらしい。靴のサイズだけ確認すると奥に引っ込んで幾つも箱を持ってきた。あなたのことは覚えていますよ。此の靴が好きなんでしょう? そう言われて記憶力の良い女性たと感心した。ここに最後に来たのは、確か3年前のことだから。目の前に差し出されたのは同じブランドの踵の高いショートブーツ、モカシン、そして今履いているショートブーツの色違い。その中からモカシンを手に取ってみたら、何と革の柔らかいこと。ナイロンの靴下で履いても、それから素足で履いてもよさそうな、多様に使えそうな1足だった。試しに履いてみたら軽い。足にフィットして歩きやすかった。ずっとこんなモカシンが欲しかったのだと喜ぶ反面、厳しい現実を思いだす。この靴は安くない。だから私は頻繁に購入しないし、買った靴は手入れしながら5年も10年も履くのだ。ならば何故店に入ったのかといえば、興味本位だったと言えばいい。折角この界隈に来たのだから、と。考え込んでいる私に冬のサルディ対象品であることを彼女が耳もとで囁いた。聞き間違えかと思ったのは、此の靴は何時だって割引をしたことがなかったからだ。えっ、と目を丸くして聞き返す私に彼女が頷く。此の店の人達は、客に商品を強く勧めない。気にいったら、どうぞ。少しでも気に入らなければ、また次回の来店を待っていますよ、といった具合だ。此れほどさらりとしているのは、良い顧客が沢山居る証拠。例えば私が買わずに店を出ても、遅かれ早かれ誰かが購入するだろうと言うことだ。置いている商品に自信があるともいえる。それは良い客を沢山持っている自信かもしれない。少し考えてモカシンを手に入れることにした。失敗することの無い靴。多分5年も履いてしまう靴。履き心地の良い靴。色々理由をあげてみたが、気に入ってしまった、その一言に尽きる。新しい靴。夏以外のどの季節にも活躍しそうな、柔らかい革のモカシン。嬉しいなあ。こんな一足が欲しかった。

相棒が栗のクリームを買ってきてくれた。ずっと探していたが今年に限ってはどの店にも置いていなかったから、相棒とふたりで手分けして探していたのである。この栗のクリームをパンにつけて食べるのが私のおやつみたいなもの。それから疲れた夕方は小さなスプーンにひと匙すくって、口の中に放り込むのが私の癒し。こんなもので癒されるのだから、君は単純だねえ、と相棒は言うけれど、単純で結構。単純、万歳。




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歩く

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昨日からの冷たい空気。寒波、と呼んだら大げさだろうかと思っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。イタリア各地で冷たい強風が吹き荒れ、大きな樹がなぎ倒されたとテレビの報道で知った。こんな大きな樹が大風に揺らいでいる様子を想像したら恐ろしくなったが、その樹が突然倒れた場面に居合わせた人は驚いたなどといった言葉では言い表せなかったに違いない。怪我をした人は居なかっただろうか。それについては何一つ語られていなかったから、恐らく、被害を受けた人は居ないと言うことだろう。大風の日は早く寝るに限る、と母が子供だった私と姉に教えたものだけれど、それが昼間のことならば、どうしたものなのかと海の向こう側に居る老いた母に問いてみたくなった。今日の風は控えめ。しかし冷たさは相変わらず。今日は温かくして家に居るのが無難。冷たい風が吹いてはいたが、昨日散歩に出ておいてよかったと、窓越しに外の様子を眺めながら思った。

私にとって2月とは、退屈な月である。豆まきとかサン・ヴァレンティーノとか、そうした物では到底埋めきれぬ感じの退屈さが、子供の頃から付きまとっていると言ったらよいだろうか。其れも以前は父と親友の誕生日が存在したから多少なりとも意味があったが、今となってはそのどちらも不在の為に大きな穴がぽかりと空いてしまった感じである。だから、旧市街に寒桜が咲いているのを見つけたり、ショーウィンドウに気の早い春めいた美しいスカーフが飾ってあるのを見つけたり、それから知人のフランス土産のビスコットがフランボワーズの美しい色で、春の匂いが口の中に広がったのを確認すると、ただそれだけのことなのに、どうしようもなく嬉しくて有難く思えるものだ。こんな小さなことで嬉しかったり有難く思える私のことを、幸せさんと相棒は呼ぶ。昨年の2月は友人が日本からやって来て25年振りに時間を共有することが出来た。それだけで全く素晴らしい2月になった。よくも25年も会わずに居られたものだと私達は呆れかえったものだけど、私に関していえば、そうした友人は案外多く、しかしこれからはひとりずつ、順繰りに、会う時間を持とうと思った。もっと早く会っておけばよかった、と思わないように。互いが元気に海を、大陸を渡りあえるうちに。そんなことを思いながら旧市街のポルティコの下をそぞろ歩く。人混みを避けるかのようにマッジョーレ広場や2本の塔からまっすぐ伸びる大通りは歩かずに、裏へ裏へと足を運んだ。気が付けば随分向こう側まで足を延ばした。向こう側というのは、今はあまり足が向かないSan Felice界隈のこと。以前はこの界隈に毎日のようにしを運んだと言うのに。通っていたジムや友人達の店がこの界隈に集中していて、気が付けば何時もこの辺りに居た。ならば、この界隈に家を求めようかと思ったほどだが、全く違う方向に自分達に合う家が見つかると、自然と足が遠のいてしまった。ジムの契約も更新しなかったし、友人達もひとつふたつと店を閉めたし。もう足を向ける理由はあまりなかった。でも、嫌いになった訳じゃない。ただ、少し遠いと言うだけのことだ。足が遠のいているうちに随分の店が入れ替わり、知らない通りのように感じた。勿論、今も変わらずに存在する店もある。バスの停留所の背後にある小さなチーズ屋さんとかメガネ屋さんとか。大きなセレクトショップは今も商売が廃れることがない。昔からこの店には上等な常連客が居るらしいから。それから昔からある画材道具屋も生地屋もうまくやっているし、私が好きな靴屋も変わらず存在していた。消えてしまった店が何だったのかはいくら考えても思いだせない。しかし目新しい店が沢山あると言うことは消えた店も沢山あると言うことだ。昔はよく足を運んだ通り。でも、今は自分が余所者に思える。もう自分が居つく店はないし、店に入って声を気やすく交わす人達もいない。ちょっと寂しく思いながら、足が遠のいたのは自分ではないかと苦笑する。また時々足を運んでみようと思う。考えてみれば、それほど遠い場所ではないのだから。少しだけ長く歩けばいいだけのこと。不精になりつつある自分に気付いて、愕然とした散策でもあった。

歩くのはいい。これからの季節は積極的に歩こうと思う。スニーカーを履いて、歩くために歩くのだ。そうしたら、きっと脳も心も動き出して、色んな良い考えが浮かぶだろう。これから何をしたいとか、どんな風に生きていこうとか。どんなことだっていい。色んなことを考えてみたいと思う。さあ、明日は月曜日。仕事帰りに苺を買おう。甘くていい匂いの苺。イタリア産が好みだけれど、まだ少し早いからスペイン産だろうか。それもいい。一足先に春の甘さと匂いを求めて。




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ワイン蔵に葡萄畑

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今朝はゆっくり目を覚ますつもりだったのに、随分と早起きしてしまったのは強い風のせいだ。日除け戸を風があおる音。突風でも吹いたらしく、あまりの大きな音に飛び起きたらもう一度眠りに落ちることが出来なくなった。ベッドから抜け出してカッフェを淹れた。小皿の上に載せた5枚のビスコット、そして果物が私の気に入りの朝食。毎日同じなのに飽きることもない。そしていつもと同じなのに、週末ともなると何故か特別な朝食に思えるのだから面白い。いつもは時間を気にしながら、しかし週末は時計を見ることもない。そんな些細なことが、特別な朝食に想わせるのかもしれない。それにしても風が強い。今日は一日こんな具合らしい。

ここ数日、時間に追われていた。自分らしくないと思い、思いがけずポカリと空いた夕方にフランス屋に行った。水曜日の仕事帰りのことである。昼間に16度にも上がったから、仕事帰りも寒くなかった。2月らしからぬ温暖さで、奇妙に思えたほどである。忙しい毎日も、こうした楽しみを持っていると、何とかなるものだ。楽しみはどんなことでもいいと思う。例えば本屋に立ち寄るものひとつだし、カメラを持って旧市街をほっつき歩くのでも良い。幾つかの小さな楽しむ手段をポケットの中に忍ばせておく。私がいつの頃からか覚えたことのひとつだ。フランス屋には先客がいた。ひとりはカウンターでチーズをつまみながらワインを楽しむ黒髪の女性。ひとりはチーズを選ぶのに夢中な背中しか見えない女性。どうやらチーズに詳しいらしく、ああでもない、こうでもないと言いながらガラスケースの中のチーズを凝視していた。そして高い椅子に座っているのは店主の妻。彼女を見かけるのは久しぶりだった。店に入って来た私に気が付いた彼女が立ち上がって声を掛けてきた。新しい店が始まったこと、とても素敵に仕上がったこと、アンティークの大きな鏡が素晴らしいこと私達はひとしきり話して、一区切りついたところで赤ワインが注がれたグラスを店主に手渡された。少し口の中に含んでみたら素晴らしかった。前回のシチリアワインもさることながら、これは全く違う風味のもの。訊けばプロヴァンスのワインとのことだった。深い味わいの、香り豊かな赤ワインは2006年物。感嘆する私に、でも、と店主が言った。このワイン蔵はプロヴァンスを旅している時に偶然見つけたところで幾度か此処からワインを仕入れているのだが、前回仕入れた時にワイン蔵の主から言われたそうだ。これが最後の注文対応となるだろう、と。訊けば主は高齢で、後継ぎがいない。息子娘、孫は居るが、誰一人跡を継ぐ気が無いのだそうだ。それで泣く泣くワイン作りを止めることにして、現在は建物も敷地も売り出し中なのだとのことだった。こんな美味しいワインを諦めてしまうなんて、と店に居合わせた私達は半ば怒り気味で言葉を投げ合い、もう此処のワインを頂くことが出来ないなんてと残念がった。だからね、と店主が人差し指をピンと立てて言葉を続けた。明日から店主は直接出向いて欲しいワインをごっそり買いこんでくるのだそうだ。勿論いつかは底がつくだろうけれど、何もしないで残念がるほど愚かではない、と言うことらしかった。この勢いだとワインばかりでなくワイン蔵も葡萄畑も購入してしまうのではないかと冷やかすと、値段次第、うん、兎に角行って話を聞いてみたいんだよ、とのことであった。プロヴァンスのワイン蔵にブドウ畑。何だか夢が広がる話で、自分が葡萄を育てたりワインを作るなんてことは夢にも思っていないにしても、そんな場所を所有して、のんびり暮らすのは素晴らしいことに違いないと、見える筈もないプロヴァンスのワイン畑に心を向けて一瞬だけど夢を見た。と、向こうから豊かな長い髪の女性が私に声を掛けた。ねえ、あなた、私達会ったことがあるわよね、と。その声と特徴のある話し方で思いだした。恐らく2,3年前にこの店で居合わせた女性。知らない同士なのに居合わせた仲で、色んな話をしたものだ。確か彼女には20代の息子がいて、発売して間もない大人気の高級スニーカーを買ってもらって、彼女に幾度も礼を言っていた。あの女性に違いなかった。私達は挨拶を交わして、そして私はもしかしたらもう手に入らないかもしれぬプロヴァンスのワインをひとつ購入して、店を出た。来週の水曜日辺りにまた出向いてみようと思う。あのワイン蔵と葡萄畑のことが気になってならないから。それからどれほどのワインを確保できたのかも。

こんな話ばかりをするけれど、私のワインを頂く量と言ったらとても少ない。ほぼ毎晩頂くにしたって、グラスに半分にも満たない。ワインの風味やワインのある夕食を楽しむ程度のものである。これも、しかし、この少量のワインが美味しくないと感じたらば体調が悪い証拠。晩のワインを欲しくないと思ったら病気、だ。健康ならではのワインとの関係。健康を測る物差し、と言ったらよいのかもしれない。楽しい生活にワイン。これはイタリアに暮らして得た喜びなのである。




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粉を捏ねる

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元気にいつもの生活に戻った月曜日。いつもは月曜日が嫌いだけど、今日は違う。元気に月曜日を迎えることが出来た喜び。有難い以外の何者でもない。この気持ち、忘れないでおこうと思う。

旧市街の中心に建つ2本の塔。そこから放射線状に主要道が走っている。それがボローニャ。その塔の下と言っても過言でないほど近くの場所に本屋があり、そしてPalazzo Begaと呼ばれる建物がある。1680年代に建てられた歴史ある建物は1950年代のイタリア解放運動の一端の爆破によって破損され、その時代に名を馳せた有名な建築家が生まれ変わらせたものである。その微妙な立地や建物の雰囲気が、私はボローニャに暮らし始めると直ぐに気になった。私がボローニャに暮らし始めた1990年代半ばには、此処に銀行が存在した。其れもかなり長い間。それが閉まると良く分からぬ店になり、そして次にも今ひとつ理解に苦しむ店になり、私達は何時も首をひねったものである。それが2年ほど前に新しい店が入り、それはそれは私達の話題の的だった。まずはフランス屋の店主が嗅ぎつけた。どうやらワインを振舞う店になるらしいと言うのが彼の情報で、私はカフェや簡単な食事のできる店になるらしいと情報を提供した。果たしでその店は私の情報どうりで、そしてフランス屋の店主が言っていた通りワインも堪能できる店になった。注目すべきは塔の目の前にあるバルコニー。此処から眺める塔はどんなものかと心を躍らせたものだけど、何時もバルコニーは客で一杯で、まだ一度とて其処でのんびりカフェ、若しくはワインといった時間を持てたためしがない。其れほど店は賑わっている。開店当時は入店に列ができたほどで、並ぶのが嫌いな私は、列を横目に、ふん、と鼻を鳴らしたものだ。しかし店はなかなか良い。外からだって楽しめるのだ。ポルティコに面したガラス張りの場所ではパスタを打つ人が居て、それはもう粉5キロ分はあるに違いない其れを逞しい手で捏ねりまわしていて、通行人の目を釘付けにする。こうしたことに見慣れている私だって、この量は凄いと唸る。昔、自分でパスタを作っていたことがある。家に居て余りある時間と体力を何とかしようと、何でもかんでも家で作った頃のことだから21年ほど前のことになる。1キロの粉に卵の黄身を10個入れて練ったものだが、翌日から数日間前進筋肉痛になって寝込んだものだ。手で粉を練ると言うのは、其れほど力が居るもの。5キロならばどれほど大変だろう。横で眺めていた人達が、これは凄い、うちのカミさんだってこれはできないさ、と言うので振り向いてみたら、かちりとしたオーバーコートにボルサリーノ辺りのフェルト帽を被った髭面、想定70歳程の男性たちだった。最近の人達はこんなことはもうしなくなった。大抵機械で捏ねてしまう。しかし手で捏ねて延ばしたパスタは味が違う。だから昔の人達は大変だと言いながらもすべてを自分の手で済ます。家族が美味しいと言って喜ぶ顔を見てしまうと、大変なことも何のその、と言うのがこの男性たちの言葉だった。凄いなあ。凄いですねえ。私達は捏ねる彼女を眺めながら頷く。どうやら彼らはこの先の展開も見届けるらしい。興味津々で動く様子はない。この若い人が、捏ねるのは出来ても、上手くパスタを打つことが出来るのだろうか、と。この先の展開も楽しんでくださいよ、と声を掛けて傍を離れると、任せてくださいよ、最後まで見届けるから、シニョーラの分まで、と背後から楽しい声が聞こえた。年金生活で時間が沢山あるのか。それとも、このパスタを打つ作業を見るのが楽しくて楽しくてならないのか。多分両方だろう。実にボローニャ人らしいことだと思った。それにしても残念なのは、生まれ変わる前の古い建物を見ることが出来ないことだ。2本の塔の前に存在した建物だ。恐らく重要な建物で、恐らく豊かな人達のレジデンスか何かで、外装も内装も素晴らしいものだったに違いないが、それもすべて想像ばかりで、自分の目で確かめることはもうできない。形あるものは何時か壊れて失われる、と、うっかり手を滑らせて、割ってしまった気に入りのクリスタルグラスへの未練を絶つために自分に言い聞かせることはあるにしても、しかし建物となると話は別で、残念な気持ちを絶つことはあまり簡単ではないようだ。

毎晩11時過ぎに寝室の窓から見える月。美しい光を放つ限りなく満月に近い月に心を奪われながら、今日も1日の幕を閉じる。また明日。明日も良い日でありますように。




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楽しみとか喜びとか

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鳥の囀りが聞こえる。窓の外は明るく、2月にしては気温も上がった。遠方に見えるのは道行く人達。まだ冬モードではあるにしても足取りが軽いようだ。首に襟巻をぐるぐる巻く人も少なければ、モコモコのダウンコートを纏う人も少ない。若干だけど薄着の人々。時折吹く風に気を付ければ、こんな軽装でも過ごせる、2月中旬。私と相棒の体調も順調に回復に向かい、私に関していえばほぼ良好。油断はならぬが、明日には元気に起床していつもの生活リズムに戻れるだろう。こういうことが一番嬉しい。どんな褒美よりも、褒め言葉よりも、いつもの生活を当然の如く出来ることが一番嬉しいのだと、病に倒れるたびに思いだす。だから元気な方が良いに決まっているけれど、こうした感謝の気持ちを思いだすことが出来るならば、病もまた、時には大きな役割を果たしていると言うことになる。ありがとう。私は明日からまた感謝しながら生活するよ。そんな言葉を誰に向かって言うでもなく独り呟く。窓の外の鳥は耳を澄まして聞いているだろうか。

この時期のイタリアの菓子店ときたら、もっぱら謝肉祭向けのものばかり。仕方がないと言えば仕方がない。何しろ謝肉祭が生活の中にしっかり浸透しているのだから。私のような外国人は何年住んでも謝肉祭が生活に浸透しない。其れもヴェネツィアのような街に住んでいれば否が応でも自分が暮らす街の文化のひとつとして身体の中心まで浸透するのかもしれないと思う。一度ヴェネツィアの謝肉祭を見に行こうと思ったことがある。イタリアに暮らし始めて2年目くらいのことである。しかしテレビの画面に映された様子を見て諦めた。混雑、若しくは混乱。美しく着飾った仮面を付けた人々が優雅に、それでなくとも優雅なヴェネツィアの街を歩く姿は美しくも、その様子を見ようと集まる、恐らくは世界中から集まる人々で身動きする隙間もないと言った感じであった。私は混んだ場所が嫌い。スーパーマーケとですら眩暈がする。例えば渋谷の大きな交差点。こうしたところがとても苦手だ。ボローニャくらいの混み具合、若しくは空き具合が丁度いい、と分かったのは10年くらい前のことだ。兎に角、店と言う店のガラスケースに謝肉祭向けの菓子が並ぶ。その中でも一番幅を聞かせているのがスフラッポレ。揚げ菓子だが軽く、サクサクとした食感がなかなかいい。しかしこの菓子の呼び名ときたら街によって異なり、名を聞く度に目を丸めてしまう。ローマに居た頃はこれをフラッペと呼んでいたし、ミラノにから来た友人はキアッケレと呼んでいた。恐らく他の街でも異なる名がつけられているに違いなく、昔からイタリアが街ごとに文化が違うと言われていたのがこんなことから分かったりするのだ。美味しいけれど、かと言って自ら購入することも無いこの菓子である。しかし、ある店で食事をした後に店の驕りとして出てきたスフラッポレだけは別で、あれ以来、謝肉祭の時期になると店に立ち寄って訊くのだ。今日はスフラッポレはあるの? 近年の私は運が悪いらしく、もう一度食したいと願いながら、その幸運を得ていない。店の名前はアンナ・マリア。ボローニャの人なら大抵誰でも知っている有名なトラットリアで、色んな店を試したけれど、此の店のタリアテッレは私の好みに一番合う。このタリアテッレを打つ女性が作っているスフラッポレだから美味しくて当然と言えば当然で、さて、今年はその幸運に恵まれるだろうかと今から心が躍っているのである。目指すは2月下旬から3月初旬。ポルティコの下からそっと中を覗いて、ガラスケースの中にスフラッポレがあればよし、無ければまた別の日に出直し。そんな小さな楽しみがあるのもいい。

窓を開けてたら、太陽の匂いのする暖かい空気が流れ込んだ。部屋の中にあった燻ぶった空気は追い出されて、新鮮なポジティブな空気になって気分上々。猫が跳ねて喜ぶ。まるで兎のようだ。そういえば小さかった頃はこんな風に跳ねて喜んだものだ。嬉しいことを表現するのが上手な猫。さて、私はこの健康の喜びをどんなカタチでで表現しよう。




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