私のモカ

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朝、カッフェを淹れたあと洗い忘れたモカ。そのモカを洗いながら、ふふふと笑みが零れた。一番小さいタイプのモカで、もう20年以上使い続けている。時々気合を入れて磨くけれど、大抵は水でサササと洗うだけのモカは年季が入っている上に取っ手が火であぶられて少し変形していて実に格好悪い。昔の私だったら、こんな汚いモカ、と言って新しいのに取り換えたいと言いだしたに違いないが、今の私はそうではない。古ければ古いほど良い。特にモカは、そうだ。

アメリカに居た頃のことだ。相棒のフラットにはブリジットという名のイタリア人女性が住んでいた。ふたりともイタリア人ということもあって、カッフェには大変拘りがあるようだった。其処に私が加わり3人暮らしになると、拘りはカッフェではなく、モカであることが分かった。ブリジットはモカをいつも水で丹念に洗い、彼女には頑張って貰わねばならないのだからと言った。彼女って? と私が訊ねようものなら、モカ、モカに決まっているでしょう? とまるで当然と言った口調で答えた。このモカ抜きでは美味しいカッフェはありえない、とのことだった。年季の入った小さなモカ。もうひと回り、そして、ふた回り大きいモカが戸棚の中にあったけれど、彼女も相棒もそれらに手をつけることはあまりなかった。時々大勢の友人がうちに押し寄せて、一度にカッフェを用意しなければならない時だけ使うモカだった。その時だって彼らはあまり気乗りのしない表情で、まあ仕方がない、といった様子だった。
相棒と私が結婚することになり、ブリジットがタイミングよく空いた隣のフラットに移ることになった。相棒も私も別にブリジットとの共同生活を辞めたいとは思っていなかったが、彼女の方は、冗談じゃないわよ、新婚夫婦と一緒の共同生活なんて、と嫌がったからだった。さて、ある朝、引っ越しをぼちぼち始めた彼女が相棒に訊いた。このモカは確か私のものだったわね? 金髪のショートヘア、美しく日に焼けた肌、スタイル抜群のブリジットが悩殺の笑みを湛えて、そう言った。何て美しいブリジット。こんな風に訊かれたら大抵の男は、君のものだよ、と答えたくなるのではなかろうか。しかし相棒は冷たく言った。何を言うんだい。これは君が此処に住み始めた時にはもう此処にあったじゃないか。つまり相棒は遠回しに、違うよ、僕のモカだよ、と言ったのだ。彼女だってそんなことは覚えていたのだ。ただ、ひょっとしたら餞別に譲って貰えるかもしれないと思ったのだろう。彼女は落胆の溜息をついて、失敗、と一言残してキッチンを出ていった。モカは諦めたが、しかし彼女は、美味しいカッフェをご馳走して頂戴よ、と、時々うちの扉を叩いた。今ならわかる、今の私には分かる。このモカへの思い入れが。実際、ボローニャに住み始めてからひとつ新しいのを購入したが、どうしても美味いカッフェが淹れられなくて、戸棚の飾りになった。その戸棚の飾りも数年に一度くらい出番がある。私が休暇に、使い慣れた古いモカを旅の共に連れて行くからだ。キッチンのあるホテルなりアパートメントに10日くらい滞在する時は、やはりこのモカなしではというのが私の言い分で、その間相棒は戸棚の飾りのモカを使い、しかしそれで満足できなければ、近所の行きつけのバールでカッフェ、である。君がねえ、君がこんなにモカに拘るなんてねえ、と相棒は言う。全くその通りだ。私がこれほどモカに拘る日が来るなんて、あの頃には思いもよらなかったもの。

さあ、ようやくエンジンが掛り始めた。大晦日を過ごすエンジンが。そんなことを耳にしたら、まあ呑気なことを言って、と海の向こうに暮らす家族は笑うだろう。しかしそれも私。呑気で呑気で仕方がないが、そんな人がひとりくらい居るのもいいだろう。

今年も他愛ない話しにお付き合いありがとうございました。感謝です。どうぞ良い年をお迎えください。




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彼女のこと

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実感のない年末を過ごしながら、ふとアメリカに居た頃のことを思いだした。アメリカでの初めての年末は、友人と共同生活を始めて間もない頃のことだった。日当たりの良い広い部屋。南向きの大きな出窓。天井が高くて気持ちが良かった。唯一の難点は、私の部屋には扉がなくてプライバシーがなかったことだ。居間として使われていた部屋だったから仕方がない。それを承知でこの部屋を選んだのは私だったから、文句の言いようがなかった。こんな暖かい12月は生れて初めてだった。そのせいもあって、年末という言葉がピンと来なかったのだろう。私は坂道を上り、そして下って湾へとひたすら歩くのが好きだった。時には部屋を出る私に友人がついてきて、話をしながら歩いた。私と友人にはあまり共通点らしきものは無かったけれど、そして同感できるような事柄も少なかったが、私は彼女が案外好きだった。けろりとした性格が好きだった。そんな彼女のことを、私に紹介してくれた共通の友人は、こういう人だとは知らずに紹介したことを幾度も私に詫びたものだけど、私は感謝していた。私が考えたこともないようなことを平気で言ったり行動する彼女からは、奇想天外、幾度も目が覚めるような発見というか、刺激というか、そうだ、驚きと言ったらよいだろう、そのようなものを分けて貰ったからだ。四角い考えをする私に、いいじゃない、こういうことがあっても、彼女はいつも言った。そうかしら。そうよ。何時もこんな風だった。私は部屋で独りになると、そんな彼女の言葉を反芻して、そうか、そういう考えもあるのかと感心したものだった。12月31日。天気が良くて暖かかった。ちょっと歩こうと思って部屋を出ようとしたら、彼女が私を呼び止めた。一緒にダウンタウンへ行かない? ダウンタウンへは10分ほどで行けるが、私達は気まぐれに道を選んで、まるで遠回りするかのようにして歩いた。ショッピングモールに入り、いろいろ見て歩いていた時、ふと思いついたこと。ピアスの穴を開けてみようかな。彼女は急に思いついた私に辞めた方が良いのではないかと言った。いつもの彼女なら、いいんじゃない、ピアスの穴を開けるのもいいかもよ、と言うに違いなかったのに。両耳に穴を開けるのはたったの5ドル。そしてピアスはふたつで5ドル。切り詰めた生活をしている私には丁度良い程度の料金で、英語が何時まで経っても話せない、何時まで経っても殻から抜け出せない自分を吹っ切るには、丁度良いように思えた。彼女が驚くほど私は手早く決心して、あっという間に穴をあけた。この穴を開けたことで、後々炎症したり化膿したり面倒なことになったけれど、しかし私の思惑通り何か吹っ切れて清々した。勇気があると彼女は私の思い付きの行動に驚き、これが勇気というものならば何と安いものなのだろうと私は笑った。もう27年も前のことだけれど、私は今もよく覚えている。あの晩、耳がじんじんと腫れたことも。それが気になって耳を触る私に、彼女が触ってはいけないと幾度も窘めたことも。そんなことも私が覚えているだけで、彼女はとっくの昔に忘れてしまっているに違いない。私の耳の穴がとっくの昔に塞がってしまったのと同じように。あれから1年ほど彼女と一緒に暮らして、共同生活を解散した。解散したが同じ街に暮らしていたから、時々、ほんの時々会うことはあったけれど。その後私達には別々の道が待ち受けていて、異なる国に暮らすようになった。会わなくなってから、もう24年経った。お互いもういい年齢になって、家族を持ち、様々な責任や義務を持つようになった。いつか再び会うことが出来たら、彼女は驚くに違いない。私が、あの頃の彼女のようになったことを。いいんじゃない、そういうことがあっても、なんてことを言う人間になったことを。そして、それが彼女から貰った賜物だと知ったら、ことさら驚くに違いない。
久しぶりにあの日のことを、彼女と過ごした一日のことを思いだして、ちょっぴり感傷的になった。あのまま私も彼女もあの街に暮らしていたかったのに。そんなことを考えても、どうしようもないと言うのに。

世間の人はどうしているだろう。年越しの準備は万端だろうか。私はまだその実感すら得られていない。




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昔の風習

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休暇に入って一週間が経ち、すっかり曜日感覚が狂った。特に火曜日のクリスマスからがひどい。例えば一昨日の夕方、まだ日が暮れる前に家の最寄りの停留所でバスを降り、その足でクリーニング屋さんに立ち寄ろうと計画していたが、店はシャッターが下りていた。どうしたのだろう。具合でも悪いのだろうか。店主夫婦の健康を思いやりながら家に帰って来たところ、思いだした。そうだ、今日は木曜日だった、と。

昔からボローニャの商店は店を閉める日が決まっていた。月曜日の午前中、木曜日の午後、土曜日の午後、そして日曜日。反対側から言えば、店を開けることが出来る日がボローニャ市によって定められていたとでも言おうか。私がボローニャに暮らし始めた頃はそんな事情も知らず、随分な殿様商売をしているものだと鼻持ちならぬ印象を得たものだった。まずは店に入る客が挨拶して、店の奥に居る店主が挨拶に応えると言う具合なのが良い証拠だった。客があれとこれを下さいと注文すると、さあ、どうぞ、と頼んだものが目の前に出てくると言う仕組み。自由に見たり手に取ったりは出来なかった。それもベネトンなどの店があちらこちらに出るようになると、フリーストア、自由に出入りできる店、などと名付けられ、そう言うのが肩が凝ら無くていい、自由に手に取って品物を選べるのがいい、と客が思うようになり始め、そんな商流が大腕を振って街のあちらこちらに店を構えるようになった。もし私がボローニャに暮らし始めた頃にそんな店が沢山存在していたら、随分とボローニャの印象が違っていただろう。しかしボローニャは良くも悪くも昔ながらを重んじる街で、人々もまたそう言うものを好んでいる感があったから、私はこの街に閉塞感、よそ者を遮る分厚い壁のようなものを感じたものだった。だから、ローマに住んだ約一年間は開放感抜群だった。大きな街。首都、ローマ。大きな店、自由に見ることのできる店が多くて有難かった。ボローニャからローマに移り住んだ私は水を得た魚のような気分になっていた。あれから23年が経って、面白いことに私はそうした出入りが自由に出きる店よりも、こんにちは、こういうものを探しています、と言ったスタイルの、つまり昔ながらの商流の店が好みだ。理由は幾つかある。店の人と話をするのが好きなのもあるけれど、そんな風に店の人と話をして得る品物は店の人が吟味して店に置いているものが多いからだ。そして購入した後に何か不都合が起こって店に持っていこうものならば、即座に別のものに取り換えてくれる。たとえレシートなるものがどこかに仕舞い込まれて見つから無くても、ちゃんと店の人が客の顔を覚えていて、大抵の場合は大丈夫、大丈夫、と手をひらひらさせて面倒臭いことは起こらない。大型店ともなれば、そんなことはあり得ないことである。それからこんなこともある。店に置いていないけれど、メーカーに連絡を取って探してくれるなんてこともある。随分と親切なものである。食料品に関していえば、美味しくなかったと次の時に報告しようものなら、すまないねえ、と詫びの印に今回の買い物に幾つもの果物を袋の中に忍ばせてくれると言った具合だ。今の世の中は、店の人と言葉を交わすのが面倒くさい、そんな風に思う人が多いようだけれど、慣れてみれば楽しいものだ。それに、そんな単なる店の人と客の間柄なのに、街中ですれ違うとまるで昔からの顔なじみを見つけたみたいに、笑みを湛えて声を掛けてくれる。何十年経っても外国人である私には、そんな小さなことでも嬉しい。それに気付くまでに長い時間が掛ったのが、実に私らしいと思う。
さて、店が閉まる日のことだけど、これも年月を経て変化した。小さな商店の閉店スタンダードは木曜日の午後、土曜日の午後、日曜日だ。もう月曜日の朝は当たり前のように開いている。そして旧市街辺りでは土曜日の午後も当たり前のように開いている。そうでもしなければ、経営が成り立たないからだろう。これも時代の流れなのだ。今では日曜日も開いている店もあるし、あの有名なイタリアの長い昼休みも変化しつつある。まるで日本やアメリカのように便利だ、と思うけれど、此れほど便利になっても、旅行者には不便なことがまだまだ多いのだから全く面白い。

あと2日で今年が終わるが、どうも実感がなくて困る。気を付けなければならない。31日には忘れずに近所の花屋へ行かなくては。新年を迎えるためのVischio (ヤドリギ)、これが無しに、どうして新年を迎えられよう。これもここ数年の私と相棒の習慣なのだ。




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丘の町へ

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快晴。2、3週間前に公道に塩が撒かれたのは道路が凍結しないようにとのボローニャ市による配慮だった。雪が降ってからでは遅いからと、事前の配慮が施されたのは実にイタリアらしくなかったと今思いながら笑みが零れる。おかげで道路の凍結による事故や混乱が起きず、今更ながら此の事前の行動は正しかったと感謝するところである。しかし、ばら撒かれた塩による汚れがひどい。どの車も全く汚れている。可笑しいくらい汚れていて、ここ数日は洗車待ちの車の行列があちらこちらで見受けられる。隣の家の奥さんは昨日1時間も待ってようやく洗車できたのだと言って笑った。でもねえ、汚いまま年を越すのは嫌だもの、と彼女は言った。相棒は洗車の為に数軒回ったが、何処も10台以上の車が待っていて、そもそも待つことが大嫌いな彼だから、汚い車を引っ提げて帰って来た。明日、再びチャレンジするそうだが、恐らく強かに汚れたまま新年を迎えることになるだろう。

昼前に家を出た。今日は相棒と郊外のドッツァで昼食を楽しむ予定にしていたからだ。丘の町ドッツァは家の壁に絵が施されていて、それを眺めながら歩くのが大変楽しい。何時もならば散策してから昼食につくところ、何しろ洗車の件で出発が遅れたので直ちに昼食にありつくことになった。ポルチーニのタリアテッレ。この店の此の一皿が何とお腹を満たしてくれることか。手打ちのタリアテッレに此れほどポルチーニを入れて原価割れしないのかと心配したくなる。二年前にこの店に初めて入って以来、私達はこの店の料理のちょっとしたファンなのだ。素敵な内装はない。地元の人達が気軽に来る店と見受けられる。食事にありついている人達の顔ぶれを見ても、常連客、近所の人達と言った感じ。だから変なものは出せない仕組みだ。こういう雰囲気は好きだ。肩が凝らなくていい。でも、遠方から来る友人達を此処に連れてきたら、えー、とこの雰囲気のなさに落胆するに違いないけれど。お腹が一杯と言いながらキチンと甘いものまで腹に納め、カッフェをグイッと飲んだら終了。連日何かしらの理由をつけて飽食しているが、これもクリスマス休暇ならではの行事みたいなものと思えばいい。美味しいものを美味しいと言って堪能できるのは健康な証拠。ああ、有難い、有難いと言いながら店を出た。会計の時、店主から一割引きの券を貰った。次回使うといいよ、とのことだった。ああ、この店にまた来る理由が出来た、と言ったら、店主と周囲の客たちが楽しそうに笑った。

レストランを出てから駐車してあった自分たちの車の車体に指で絵を描いてみた。兎の絵、そして横にCiaoと添えた。相棒はカンカンに怒った。こんないたずら描きをするなんて、まるで車が汚れているみたいじゃないか、と。・・・うーん、すごく汚れているけどね、と互いに顔を見合わせて大笑いした。




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忘れもの

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旧市街へ行ったところ、フランスのクリスマス市が忽然と姿を消していた。あの大きな鉄鍋で炒めていた玉ねぎの匂いもなければ、少し焦げたソーセージの匂いもない。ワイングラスを片手にふらつく人は勿論いない。ひと月もの間、大きな郵便局前に居座って、人々に賑やかな雰囲気を提供していた其れが姿を消してしまった。淋しいと思った。でも、また来年。そうだ、また来年戻ってくれればいいと思う。

暫く午後になると霧が濃くて辟易していた。クリスマス前に旧市街へ行った時も、2本の塔の上半分が霧に覆われて見えなかったほどだ。こんな日に、塔に登ったらどうなのだろう。濃霧で下界が見えないのか。それとも案外不思議な雰囲気で街の様子が望めるのか。97メートルの高さを梯子のような階段で上がるのは金輪際御免と心に誓った私だけれど、こんな霧の濃い日はもう一度だけ登ってみたい気持ちに駆られる。それが今日は驚くような快晴になった。塔のてっぺんまで見える。それが何か特別の、空からの贈り物のように思えた。街はまだざわついていない。いつもよりも幾分人が少ないし、まだ冬のセールも始まっていない。もっともそれも店の中に入れば、実は秘密のセールをしているの、などと店員が耳打ちしてくるのだけれど。
今日は遠方からの友人と約束があった。約束の時間よりもだいぶ前に家を出たのは、セールの下見の為だった。定価を知っていること、それはとても大切なこと。消費者は賢くなくてはいけない、と思う。冬の旅行をしない代わりに賢い買い物をしようという魂胆、全然悪くないと思う。数軒見て歩いたが、面白いことにこれというものに巡り合えなかった。こういうこともある。空の誰かがたまには自粛せよと言っているように思えてならなかった。
友人との食事とお喋りは楽しかった。時間がいくらあっても足らないほどだ。でも、と腰を上げた。友人はボローニャを歩きたいに違いないから。元気ならばまた会える。案外また近いうちに。塔の下で別れて、丁度来たバスに乗りこんだ。途中で嫌な予感がして鞄の中に手を入れると、無い。携帯電話がない。ああでもない、こうでもないと探したが、鞄のどのポケットにも無かった。もしかしたら、とバスを降りた。食事をした店に置き忘れた可能性があったからだ。置き忘れたとしたら、期待はできない。イタリアはそういう国だ。いいや、イタリアばかりではない。忘れ物が無事持ち主に戻るなんて、恐らく日本くらいのことだろう。兎に角店に行ってみた。昼の時間はとっくに終わっていて、店のシャッターは降りていた。それで隣接しているホテルに飛び込んだ。店の中が繋がっているから、探してもらうことが出来るかもしれないと思って。中に入るとホテルの人が、どうしましたかと、声を掛けてくれた。恐らく私は大変困った顔をしていたに違いない。実は、と置き忘れたに違いない携帯電話の話をすると、ホテルの人は奥に引っ込み、そして私の携帯電話を手に戻ってきた。これですね、と。嬉しくてホテルの人を抱擁したいのを我慢して、丁重に礼を言って後にした。そういう事情で随分と帰りが遅くなり、身体も手も足も強かに冷えてしまった。家に帰るなり相棒に電話した。たった今帰宅したこと、予定より遅くなったけれど、と。すると相棒が言うではないか。どうやら携帯電話が手元に戻ったようだね。相棒の話はこうだった。店を閉める時に店の誰かが携帯電話を見つけ、一番頻繁に掛けている電話番号、つまり相棒の番号に掛けてきた。これはどなたの番号ですか。これは僕の奥さんの番号。ということで暫く保管してくれるになったらしい。私はといえば、己の失態を相棒には知らせたくなかったのだが、失敗に終わった。彼ばすべて知っていて、君も不注意だね、などと言われてがっくりだった。それでも気分がいいのは、忘れ物が見つかったことだ。悪くない。忘れたらもう戻ってくる筈がない、それがスタンダードだったけれど、正直者はまだまだ存在する。失敗したけれど、それが分かったことだけでも収穫。そう言って喜ぶ私に相棒が戒める。喜んでいる場合ではない。もう少し気を引き締めなければいけないよ。

明日も良い天気になるそうだ。郊外まで足を延ばすのによいだろう。




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