お洒落
- 2018/06/30 18:10
- Category: ひとりごと

7月を待たずに梅雨が明けた。放っておけば、ひと月以上連絡のない母から、一週間も経たずにメールが届いた。何かあったのか、とドキドキしながらメールを開けると、梅雨明けの知らせだった。母にとっては異常事態だったに違いない。母なりの速報だったのだろう。その証拠にそれ以外のことはあまり書かれていず、時間が気になっているから、という言葉で締くられていた。その直後に姉からメッセージが届いた。やはり梅雨明けの話だった。7月生まれの姉は、自分の誕生日の前に梅雨が明けたのは覚えている限り初めてのことだ、とのことだった。私にとってもそんな話は初めてのこと。子供の頃はなかなか開けぬ梅雨に、まだか、まだかとしびれを切らせ、梅雨が終わると言い合わせたようにして夏休みになったものである。早い梅雨明け。それはどうやら暑い夏を言い表しているらしく、8月の帰省を数か月前から指折り待ち焦がれている私への挑戦状のように思えた。いつの頃から暑さが苦手になった私は、家族からの知らせにほんの少し戸惑っている。
ひと月ほど前のことだ。ジーンズにさらりと合わせる白いシャツを求めて数軒の店を見て回った。最後の一軒は5年前に立ち寄って以来。小さな広場に面したこの店は名が知れているが店が大変狭い。店員も入れ替わっていれば、店の雰囲気も変わっていて、まるで初めて足を踏み入れる店のように思えた。白いTシャツを探しているのだけど、という私に外国人にしては完璧なイタリア語を話す、しかし、やはり外国人に見える長い金色の髪を後ろにひとつに結わいた女性が案内してくれた。色々見せて貰い、そのうちの数枚を選んで試着することになった。試着室から出てくる度に、これはいい、これは似合わないと彼女が歯に衣を着せぬ言葉でコメントを言うのが痛快だった。さて、似合うと言われたそのシャツだけど、しかしこのシャツはこんな風に着こなすものなのだと彼女は言いながらシャツの裾を履いていたジーンズの中に押し込んだ。と、その時、彼女が驚きを隠さずに言った。ジーンズにベルトをしないのは許しがたいことだと。そう言われて私は考えた。そうだ、一体何時からジーンズにベルトをしなくなったのだろうと。恐らく数年前からのことだ。理由は何だっただろう。しかし、ベルトをせずにジーンズを履くのもよいのではないかと反論する私に、彼女がぴしゃりと言葉を返す。お洒落をするのは大切なこと。でも、一番大切なことはお洒落をしようとする気持ち、お洒落でありたいと思う気持ち。ラクだからとか、面倒臭いからとか、そういう気持ちが一番よろしくない。成程、とうなずく私に彼女は満足したらしい。別に店に置いてあるベルトを薦めるでもなく。私は気に入った白いシャツを包んで貰って店を出た。ポルティコの下を行きかう人々に目を走らせてみると、素敵な女性達はジーンズのカジュアルな装いにもベルトが施されていた。いつの頃からか、私は座り仕事の時間が長いことを理由に、楽な装いを求めるようになったらしい。それは悪いことではないかもしれないけれど、店の彼女の言葉を借りれば大切なお洒落でありたいという気持ちから外れていることになるのだろう。お洒落の初めの一歩。ジーンズにベルトをしよう。そんなことを思いながら家路についた。一枚のシャツを購入するのに随分と時間がかったのは、彼女のお洒落講義を受けていたからだ。彼女はなかなか良い。次に行く時にも何か大切なことを教えてくれるに違いない。
イタリアは良いところ。ボローニャの生活も悪くない。でも、時々どうしようもなくここから去りたくなる時がある。今日は全くそんな気分。私に出来るのは、この気分が通り過ぎてくれるのを息を止めてじっと待つだけだ。
