優雅

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冬時間を迎えて、日が暮れるのが早くなった。ふと窓の外を眺めたら、空が薔薇色に染まっていた。あまりの美しさに言葉もなく、傍に居た猫を抱き上げて美しい空を一緒に眺めた。明日も良い天気になるのだろう。もう少し薔薇色の空を眺めていたかったけれど、あっという間に日が暮れた17時半だった。子供の頃、母が教えてくれた、秋の日は釣瓶落とし、という言葉が頭に浮かび、全くその通りだと思った。昔の人はうまいことを言うものだと思ったら、思わず小さな笑いがこぼれた。

ところで昨日見た花のことが頭から離れない。あの、優雅な貴婦人みたいな花のことだ。菊の花と思ってネットで調べてみたけれど、どこをどう見ても出てこない。これはもう、店の人に訊くしかないだろう。そうだ、明日の仕事帰りに店に立ち寄ってみよう。この花を数本包んで貰って、それから名前を教えて貰うのだ。クリスタルの花瓶に数本投げ込んで、猫の手が届かない場所に置くことにしよう。こんな花を家に飾るなんて、ちょっと素敵だと思う。暫く花を買っていなかったけれど、これから冬に向けて花を家の中に飾ろうと思う。楽しい気分になるに違いない。

明日は月曜日。月曜日は苦手。唯一の救いは、雨が降らないこと。明日も良い天気になること間違えなし。薔薇色の夕方の空がその証拠なのだ。




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魅力的

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驚くほど冷たい朝だった。10月というのはそういうものだっただろうか、と朝食のカッフェを淹れながら思った。俄かに木の葉が揺れていた。風が少しあるらしい。なかなか晴れぬ空を眺めていると、重い腰がもっと重くなってしまいそうだった。最近、私は少し出掛けるのが億劫になっている。長らくなかった現象だ。家が居心地が良いからだろうか。古い家だけど、狭い家だけど、今の家は本当に居心地が良くて、うっかりすると外に出る気が失せてしまう。いけない、いけない。元気なうちは外に出なくては。自分の足を使って歩かなくては。色んなものを眺めて、色んなことを感じて、考える。そういうことは私にとって大切だった筈。そんなふうに自分に言い聞かせると、手短に身支度をして外に出た。

もう昼になっていた。目を覚ますのが遅かったせいだ。最寄りのバスの停留所へ行くと、その背後にある床屋のモレーノが昼の休憩中の札をガラスの扉にかけて出てきた。久しぶりに見る彼は顎髭なども生やしてなかなか格好いい。床屋という職業柄、髭の手入れはお手の物なのだろう、大変手入れが行き届いていて、決してむさ苦しい感じはしない。イタリア男性は髭を生やすのが好きだ。そしてイタリア女性は髭のある男を格好いいと多少ながら思っている節がある。ただ、この髭には条件がある。生やせばよいというものではない。生やす以上は手入れをせねばならぬ。しかもきちんとし過ぎていないように手入れをするのだ。これがお洒落に見えるか見えないかの瀬戸際。モレーノのそれは、正にお洒落の正統派だ。やあ、元気かい。ハンチング帽を被ったモレーノが片手を上げて挨拶を投げかけた。元気よ。今日で夏時間も終わりよ。私が返事をすると、そうなんだ、夏時間が終わってしまう、それが問題なんだよ、と言いながら大通りをひょいと横断して道の向こうにできた新しいカフェに吸い込まれていった。モレーノのいう問題は、何だろう。夜になるのが早くなることだろうか。爽やかな印象の夏時間が終わってしまうという、気分的なものだろうか。それとも私のように、僅か1時間違うだけで、暫く時差ボケで生活リズムが狂うのだろうか、モレーノも。
旧市街は賑わっていた。特別な催し物はないのに、七つの教会群の前の骨董品市があるわけでもないのに。恐らく皆、この秋の日を楽しもうと思っているのだろう。散策に一番適した季節。いくら歩いても汗をかかない、全く有難い季節なのだから。夏以来、歩いていない界隈を歩いた。ポルティコの下の店先に、たくさんの花が並んでいた。おもなる花の種類は菊。地味だったり寂しげな印象はなく、大輪で咲き誇ると言った表現がぴたりとくるような菊の花だった。菊をこれほど美しいと思ったことはない。そして、菊をこれほど魅力的だと思ったこともない。大変優雅でヨーロッパ的な大輪の菊は、まるで1600年代の貴婦人のようだと思った。その美しい菊のすぐ近くには、低い椅子に座ったバールの客。菊が美しいことに気づくこともなく。それとも彼はこのバールの常連で、毎日のように菊の花を見ているから、見慣れてしまったのかもしれない。どちらにしても隣の花屋の花を眺めながらカッフェや食前酒を楽しめるこのバールの客は大変幸せである。そうだ、今度花を買って帰ろう。久しぶりに家に花を飾ってみよう。散策の間、ずっとそんなことを考えていた。

今夜、夏時間が終わって、冬時間になる。単に元に戻るだけなのに、何か大切なものを手放してしまうような後悔の念に駆られるのは、何故だろう。引き留めることが出来ない自分の無力みたいなものを感じるのは、どうしてだろう。




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独り言

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金曜日。夕方、職場から外に出た時の解放感もさることながら、晩の喜びは何物にも代えがたい。少しくらい夕食時間が遅くなったっていいのだ。いつもは手早く準備する夕食も、時間を掛けて色んなものを用意して、相棒とワインを堪能しながらゆっくり過ごす夕食時間。今日はこんなことがあった、こんなものを見た、こんなことを考えた。ふたりで言葉を交換しながら、そうだ、まだチーズが残っていたっけ、そうだ、パンチェッタにバルサミコ酢を少し垂らすと美味しかったっけ、などと冷蔵庫や棚の中を探るのだ。そうしてまた少しグラスにワインを注いで乾杯をする。今日は一体幾度乾杯しただろう。別に素敵なことなどなかったし、特別な日でも何でもないけれど。しいて言うなら金曜日の晩に乾杯、だろうか。昔は外に気持ちが向いていて、外での食事、外でのワインが金曜日にぴったりだと思っていたけれど、最近の私達は、金曜日だから家で過ごす。肩の力を抜いて、思うがままに言葉を交換できるから。気取ることもなく、人の目を意識することもなく、そのままの自分でいられる家がいい。金曜日の晩だからこそ。

昨日の夕方、13番のバスに乗っていたら、ひとりの女性が乗り込んできた。完璧でない、栗色と金色が微妙に混じった真っ直ぐの長い髪は、背中の中ほどで真っ直ぐちょきんと切り揃えられていた。前髪の方もそうかと思えば眉の上でばらばらに切られて、それがとても似合っていた。スレンダーな体系の彼女は仕立ての良い濃い茶色のコートに変則的なリズムで揺れるベージュのプリーツスカート、そして履き込んだ、柔らかそうな革のロングブーツを履いていた。と書くと何か野暮ったそうな感じがするけれど、それぞれが実によくできていて、まるで彼女の体に合わせて縫ったのではないかと思うほど、幅も長さも微妙なタイミングでぴたりと合っていた。隠すように持っていた、もう何シーズンも前の小さな革のグッチの鞄。使い込んだ感じが素晴らしかった。彼女は、ひとつひとつは大変上質なものを身に着けていたが、決して目立つ装いをしていなかった。むしろ目立たぬようにしているような感じさえあった。バスの中にはもっと威圧的で派手で、ほら、私を見てよ、と言った感じの女性が沢山居たというのに、多くの人の目が彼女に釘付けだった。何がどうしてこうも皆の目が彼女に集中したのかと考えてみたがわからない。高価そうな、あの小さな鞄だろうか。それともあの見たこともないようなプリーツスカートだろうか。私はあれからずっと考えているけれど、分からない、私には分からない。彼女はどうやら私と同じ界隈に住んでいるようだ。またいつかバスの中で会うことはあるだろうか。私の脳裏に良い印象を残した彼女と声を交わす機会に恵まれればいいのにと願った。久しぶりに魅力的な女性に出会って嬉しくなった。

良い週末にしよう。平日の疲れを忘れるくらいのんびりして、そうだ、ツタの葉を見に行こう。きっと赤く染まっているから。それから植木屋さんにも行ってみよう。赤いもみじの木を探しに。




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もうすぐ夏時間が終わる

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あと数日で夏時間が終わる。そんな日が何時か来るとは知っていたのに、間近になってみると淋しくてどうしようもない。暑い暑い夏が終わった時はほっと胸をなでおろしたけれど、夏時間が終わることを、やれやれ、やっと終わるのかとは思わない。ちょっと後ろ髪を引かれるような感じよりは、これから寒い冬が来るのを改めて宣言されたような気分と言ったらよいかもしれない。扁桃腺の調子は良い。油断はならぬが、完治と言ってよいだろう。栄養と睡眠とストレスをためないこと。それから首元にはスカーフ。これを忘れてはならない。一昨日から晩だけ暖房を入れている。ほんの少しだけ。家の湿度を追い払うために。それからほんの少し壁や床を温めるために。このほんの少しが大効果で、体の力を抜いてよい眠りにつける。これは私ではなくて、暑がりで暖房嫌いの相棒が言った言葉だ。彼は少しづつ変化している。年を取ったというよりは、何か、内面的な何かが変化しているのかもしれない。

帰り道に犬に会った。犬は飼い主の手を離れて鳩を追っ走っていた。あらあら、元気な犬ね、と思って足を止めて眺めていたが、私の後ろをぐるっと回ったかと思ったその直後、犬は両腕で私の膝に後ろから抱き着いた。まあ! と驚いたのは飼い主だった。私の方は街を歩いていると時々犬が飛びついてくるので慣れているけれど。それにしても犬は抱き着いたまま離れない。この不思議な光景に、私と飼い主は顔を見合わせて大笑いした。あなたが犬好きなのが分かるのよ、きっと。そう飼い主が言うので、犬も猫も大好き、動物が好きなのよ、と私は答え、ようやく犬が離れたのを機にさようならと言って歩き始めた。家に帰るとうちの猫が怒る怒る怒る。ややっ、犬の匂いがするではないか、と言った感じで。高い空に光る細い月を一緒に眺めて、ようやく心が落ち着いたようだ。今夜は沢山可愛がってあげようと思う。

明日はもう木曜日。こんな風にしてあっという間に週末になる。先週末は少しも楽しめなかったから、今度の週末は何か楽しいことをしよう。雨が降らぬように、空にお願いしておかなくては。




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ひとり暮らしをしていた

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今日は午後から雨が降るらしい。この雨の後は、きっと気温が急降下して秋がさらに深まるのだろう。窓から眺める菩提樹の枝は、そろそろ葉が落ちだした。窓辺にたたずむ習慣があるのは猫も同じ。猫が眺めているのは窓から見えたプールの跡地。階下の家の庭のプールが在ったころは良かった。夏には子供たちが賑やかに集い、誰も居ない時は水面が風に揺れて、落ちた木の葉が波に揺れて、天気の具合によって水の色を変え、美しくて溜息すら出た。それが私と猫の小さな楽しみだったけれど、ある日プールが取り去られて、大きな空間になった。芝を植えたり木製のベンチを置いたり、花を植えたりしたけれど、誰がベンチに座って本を読んだりお喋りをするでもない。単なる空間、プールの跡地の感がぬぐわれない。まあ、それも隣人の庭だからどうしようもないことで、しかし、あのプールの存在がどれほど素敵だったかを思いだしては淋しく思う。もう、プールはないんだから、と猫に言って聞かせるけれど、いつかまた戻ってくると彼女は思っているに違いない。

ここ数日眠ってばかりいる。そして沢山の夢を見た。そのうちのひとつは懐かしくて、目を覚ました後もずっと心に残った。
アメリカに暮らし始めた頃、私はひとり暮らしをしていた。ダウンタウンの端の方で、坂道の途中にあった。赤く塗られたレンガの壁、白く塗られた窓枠。5、6階建ての建物には旧式のエレベーターがついていて、蛇腹のようなドアを手で閉めてボタンを押すと、一瞬がくんと下がってから、ギシギシ音を立てて上がっていく。私の部屋は上から二番目の階で、Studioだった。ドアを開けると奥にキッチンがあり、右手奥にはバスルーム、左手奥には部屋があり大きな窓があった。知人が用意してくれた部屋で、知人がこの建物の主だった。知人が住人に紹介してくれたから、入り口などですれ違うと誰もが感じの良い挨拶を投げかけてくれた。地上階に住む大工のロバート。その向かいに住むのはコンピュータ技師の夫と妻のリーナという名のフィリピン人女性。私の上の階には日本人の男性が居て、レストランで働く料理人だった。他にもいろんな人が居たけれど、思いだすことはあまりない。名前すら覚えていないのだから、共に通じるようなものは無かったのだろう。坂を下りると道の向こう角にコーヒーショップがあった。中国系アメリカ人夫婦が営んでいた。わりと寂れていて、それでもこの辺りでは人気があるらしく、いつも客が入っていた。店に行くことはあまりなかった。理由は代金を受け取ってくれないからだった。私が東洋人であるからなのか、いいのよ、あなたは特別だから、と店の女主人は言うけれど、それが私を店に足を向けさせぬ理由だったとは彼女は知るまい。だから私はいつだって店の前を通り過ぎながら、ガラス越しに手を振って挨拶するばかりだった。ある週末、近所に住む英語学校の先生と生徒のイタリア人と3人で店に行った。イタリア人の生徒は私のクラスメートで、しかし私達は互いにあまり好いていなかった。彼女はプライドが高く、いつもつんとしていたし、イタリア語なまりの激しい英語で、何を言っているのかわからなかったからだ。彼女の方にだって言い分があったに違いない。何しろその頃の私は、英語が話せなかったから、話し相手にもならなかったに違いない。そんなことを知ってかどうか知らないけれど、ある日3人で週末の朝食を楽しむために店に行ったのだ。話によればこの店は大変評判の店で、特にパンケーキが旨いらしい。へええ、そうなんだ。と初めて知ったその店の評判が、まるで自分の店のように嬉しかった。朝食を3人で堪能しながら、初めてイタリア人の彼女とゆっくり話をした。別に悪い娘ではなかった。ただ、私の語学力が低すぎただけだと思った。彼女はいつも地味な装いをしていた。何時だか皆で夕食に出掛けた時、彼女はグレーのジャケットに同じ生地のパンツという装いだった。当時のアメリカで、その装いはしっくりこなくて、皆にどうしてそんな装いなのかと訊かれていた。彼女は、これが彼女の持っている一番良い服で、一番自分に似合っていると思うからだと答えていたけれど、あなたのように若い人はもっとラフで良いのではないかと言うのがみんなの意見だった。でも、今ならわかる。イタリアに暮らすようになってやっとわかった。あれは確かに美しいパンツスーツだった。無駄な飾りがないのは、ラインが美しい証拠。シンプルなグレーだったのも、上質な生地だったからだ。そういう素材の良さや、形の美しさにイタリア人はとてもうるさくて厳しい。母親が衣服のデザイナーだと言っていた彼女ならではの一番良い装いで、スタイルの良い彼女が一番美しく自分を見せることが出来る装いだったのだと思う。26年も経ってそんな夢を見て、そういうことに気が付いた。今の私ならば、彼女ともっと楽しい話が出来るのかもしれないと思った。26年前。私が日本を飛び出した年で、あれから私の冒険が始まった。何時まで経っても安定しなくて手探りばかり。それはこれからも続くのだろう。

数日前購入した南瓜。いい感じなので暫くキッチンに飾っておきたいけれど、美味しいうちに食べてしまおうと思う。さて、どうする。南瓜のパウンドケーキを作ろうか。いや、やはり天婦羅だろう。




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