さよなら9月

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今日も晴天。天気の良い日は気分もよい。恐らく誰もがそうに違いないけれど、天気に左右される私などは、空が高くて明るいだけで小さなつまらないことは帳消しになってしまう。もう半袖シャツを着ることはないと思っていたのに、まだよい気候は続くようだ。今日は、自転車レースがあるらしく、近くの丘へと続く道を通過するらしい。時間は分からないが、恐らくもう直に違いない、と言うのが近所のクリーニング屋さんの情報だ。だから、その時間帯は通行止めになって大変ないことになるから、気をつけなさいよ、とのことだった。気を付けなければならないのは明日10月1日もそうだ。ローマ法王がボローニャを訪問するからである。1997年に当時法王に就任していたGiovanni Paolo2世がボローニャに来て以来のことであるから、20年ぶりということになる。バスの運路が変更になったり、通行止めになったり、私服のセキュリティが街中に置かれて、まるで息を潜めるようにしてその瞬間を待っている。いつもはガタガタで整備されていない道も、ローマ法王が通るからと、すっかり新しいアスファルト舗装で綺麗になっている。ローマ法王の訪問で街がきれいになったそれを、バスの窓から確認して、思わず笑ってしまったのは私だけではないらしく、方々から驚きの声が上がった。それにしても、”Papa Francesco a Bologna. “とバスに乗っていると幾度もアナウンスされるために、すっかり脳にインプットされてしまった。遂に夢にまで出てくるようになった。しかし、それも明日が終わればアナウンスされることもなくなり、脳も平常に戻るだろう。

数日前、仕事帰りに旧市街を歩いたのは、いくつかの小さな用事を済ます為だった。その合間にジェラート屋さんに立ち寄り、いつもは覗くこともない界隈を冷やかし歩いて、小さな秋を沢山見つけた。Piazza Aldrovandiという場所は、私にはなじみが深いくせに、かと言って頻繁に足を運ぶこともない。言うなれば、Via San VitaleからStrada Maggiore,、そしてVia Santo Stefanoへと近道したい時に歩く界隈なのである。だからこの辺りに馴染の店がある筈もなく、通りに沿って並ぶ小さな店の人が、私の顔を見て挨拶をすることもない。そんな店のひとつの花屋さん。花屋さんの店先に置かれた大きな箱の中に小さな艶やかな、色とりどりの形の違う南瓜を見つけた。これを見かけると秋を感じるのは、アメリカに暮らしていた頃、近所のオーガニックの店先に9月中旬になると南瓜たちが並んでいたからだ。髪の短い金髪のフランス人女性と、スケートボードで街中のどこにでも行ってしまうアメリカ人男性が雇われている店だ。店に行くとふたりのどちらかが必ずいて、ちょっと長話になった。本当の意味でのHarvestという言葉を知ったのもその頃だった。直訳すれば収穫物だが、郊外の畑で収穫された穀物に感謝する気持ちが、人々がその言葉を発するときに含まれているような気がした。あの頃は見るもの聞くものがすべて新鮮で、そのひとつがHarvestで、店先に並ぶ南瓜たちだった。週末、車で郊外に足を延ばすのが好きだった。街にはない自然、金色に揺れる木の葉、高く青い空。アンティークのマーケットを見て回ったり、ワイナリーに立ち寄って奮発していいのを2本ほど購入したり。私も相棒も今より24年も若くて、楽しいことしか知らないような良い時代だった。花屋さんの店先の小さな南瓜を眺めながら、そんな遠い昔のことを思いだして苦笑した。もう戻ることのない時代。記憶だけが輝いていて、それでよいのだと思った。ひとつ2ユーロだそうだ。高いのか安いのか、私にはわからない。でも、今度旧市街に行ったらば、4、5個購入しようと思う。家の中にも小さな秋。相棒はそれを見て、昔のことを思いだすだろう。

今日で9月が終わりだなんて。私の9月はどうしてこんなに駆け足だったのか、思い返してみても分からない。唯一分かるのは、あっという間だったにしても楽しかったことだ。やはり9月は素敵な月で、終わってしまうのは少し寂しい。




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星空

今日は降るまいと思っていたのに、夕方遅くに降りだした雨。嫌な予感はしていたのだ、バスを待っている時に向こうの空を覆っていた黒い雲の群れを見て。そしてポツリポツリと降り始めた頃、バスがのろのろやって来た。客がすっかりバスに乗り込むと、待っていたかのように強い雨が降りだして、あっという間にアスファルトの路面が濡れて黒く光った。傘を持っていなかったから、救われた気分だった。明日はどうだろう。明日も雨は降るだろうか。

相棒が丸い物体を持って帰って来たのは先週のことだ。細いメタルのスタンドがついていて、テーブルに置くように出来ていた。何かなあ、と思いながらも私は夕食の準備に忙しくて、訊くタイミングを逃してしまった。そうして夕食を終えて、食器を洗浄機の中にすっかり収めて片付けが終わったところで、相棒が居間の中から私の名を呼んだ。何かと思って行ってみたら、居間の入り口の扉が閉まっていて、何事かと思って開けてみると中は照明も点けづに真っ暗だった。しかし、ほんのりと薄明るい。と思ったところで相棒が天井を指さした。暗い天井に無数の星が輝いていた。星の正体は、相棒が持って帰ってきたあの丸い物体で、それは星を映し出す映写機みたいなものだった。プラネタリウムを思い出させるような天井の星を眺めながら、ふと昔のことを思いだした。
私が相棒のフラットに住み始めて初めての初夏に私達は結婚した。すると居心地が悪くなったのだろう、丁度空いた隣のフラットに、一緒に暮らしていたイタリア人女性ブリジットが引っ越して行き、広いフラットに私達はふたりきりになった。広いベッドルームは、以前ブリジットが占領していた場所で明るくて美しかった。白い壁に空色の天井。ウォーキングクローゼットがふたつもついていて、明るいで窓があった。木製の床は飴色に磨かれていて申し分なかった。その中でもひときわ私を喜ばせたのは、天井だった。夜、ベッドに潜りこんで明かりを消したら、空色の天井は星空に変わった。それは蛍光塗料を塗った、星のステッカーが貼られて作られた星空で、明るい昼間には分からないものだった。そもそも私はブリジッドの部屋に足を踏み入れたことは昼間に一度あっただけだったから、天井がそんな具合になっているだなんて知る由もなかったのである。ブリジットが残していった私達への贈り物みたいに思えて、嬉しかった。
相棒が持ってきた丸い物体が、そんな昔のこと、24年も前のことを思いださせてくれた。様々なことを覚えているが、これについてはすっかり忘れていたから、飛び切り嬉しかった。聞けばこの丸い物体は、故障して修理の術がないからと言って、知人が捨てようとしていたところを相棒が待ったをかけて貰ってきたものだそうだ。こんな素敵なものを捨てるなんて、と夢中になってあれこれいじったら使えるようになったとのことだった。それでうちに持ってきた、きっと私が喜ぶだろうと思って。実際私は歓喜して、どんな贈り物よりも嬉しいと思った。タイマーがついているのは実に気が利いていると思った。夜ベッドに潜りこむ前にタイマーをセットして、明かりを消すのだ。そうして星空を眺めながら、穏やかな気持ちで眠りに落ちる。ここ数日、安眠しているのは星空のおかげ。朝の目覚めが良いのもこの星空があってならではのことだ。星空に乾杯。思いやりのある相棒にも乾杯。私は幸せ者だと思った。

嬉しい気分だから、明日は飛び切り美味しいチョコレートを買って帰ろう。勿論その前に立ち寄る歯医者の健診で問題が見つからなかったらのこと。可能性は、フィフティ、フィフティだ。




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雨が降って秋

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日曜日。雨が降ったのは予報通り。それにしてもこの雨で、秋が深まった感がある。この湿った空気も、湿った地面も。雨が降るときのこが生えると喜んでいるのは、バールに集う老人たち。キノコ狩りは彼らの大きな楽しみなひとつで、この季節を待っていたんだと言わんばかりに早朝から山に入る。70代80代の彼らが元気に早起きして山に行くのだから、私も頑張ればなるまい。一向に完治しない私の風邪は、長く細く居座るつもりらしい。高熱や扁桃腺で寝込むことがないのは有難いにしても、不調が長く続くのはしんどい。今週末で決着をつけようと思っていたが、来週に持ち込むことになってしまった。老人たちがあんなに元気なのは何故だ、と考えていたら、パッションという言葉が思い浮かんだ。そうだ、山にきのこ狩りに行くパッション。舅もそんなパッションを持っていた老人のひとりだった。キノコを狩ってきてはじっくり煮込んで、瓶に詰めて私達の家に持ってきてくれたものだ。パスタに絡めて食べると美味しいからと言って。パッション。私のパッションって何だろう。バールに集う彼らを眺めながら、そんなことを思った。

明日はもう月曜日。私の週末はいつも超特急で過ぎてゆく。良い一週間になることを願いながら、ベッドに潜ることにしよう。





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空からの贈り物

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こういうのを秋晴れと言うのだろう。もう暑さの微塵もないが、寒くもない。こうした丁度良い気候はなかなか存在しないから、これは空からの贈り物だと思った。遅く目を覚ましたので陽は既に高く、近所の人々は外での活動に忙しそうだ。庭やテラスの植物の手入れをしたり、洗濯物を干したり。私も久しぶりにテラスを掃き清め、植物という植物に水をたっぷりくべた。緑の葉がきらきら光り、微風に揺れるその様子は、久しぶりの水分を喜んでいるように見えた。もう少し頻繁に水をくべなければならないと思いながら、遅い朝食を時間をかけて楽しんだ。

火曜日の夕方のことだ。疲れていたのに仕事帰りに旧市街に立ち寄ったのは、仕立て屋さんに丈直しを頼んでおいた衣服を引き取る為だった。昔は手持ちの衣類を持ち込んで、何センチ詰めてほしいと頼んでいたが、いつの頃からか仕立て屋さんにどの長さが自分に合っているかを確認してもらうようになった。短すぎず長すぎず、丁度良い長さは気分がいいものだ。これは当たり前のようで、案外知らない人は多い。1センチくらいだから、まあいいわ、と言う私に仕立て屋さんは言う。その1センチが、借り物の衣服に見える理由なのだ、と。そういう仕立て屋さんにお願いするようになってから、私も随分とうるさくなった。肩幅を1センチ詰める、たった1センチだけだけれど。そうするときちんとした印象になる。これはとても大切。勿論ルーズに着る服もある。それもあまり長過ぎたり大き過ぎたりすれば、格好いいものではなく単にだらしなく見えるものだ、と言うのも仕立て屋さんの意見である。長年衣服を縫う仕事に就いていたというこの女性に私の衣服を任せるようになったのは、こうしたことが理由である。
彼女のところで衣服を引き取り、その足で久しぶりにジャムを購入しようと思って大通りに並行して走る道の歩道を歩いていた。早くやって来る夕暮れに誰もが足早に歩いていたが、私の前を歩く男性は実にスローペースだった。しかし追い抜くことが出来ない。歩道が狭すぎるからだった。私は彼の背後1メートルまで迫っていたが、観念して歩みを緩め少し間隔を置くことにした。3メートルほど離れてみてはっとした。あまり背の高くない、もう年金生活に入っているであろう薄くなった髪の殆どグレーで、帽子を被ったその姿は、私の父によく似ていた。
父の仕事帰りと学生だった私の帰り時間が時々重なった。地元の駅の改札を出たところで父の後姿を見つけると、私は嬉しくて無邪気な声でおとうさーん、と呼んだ。父は耳慣れた声に反応して後ろを振り向き遠くに私を見つけると、ちょっと恥ずかしそうな表情で、でも笑みを浮かべて手を振った。混雑した駅を出たところでようやく父に追いつくと、一緒にバスに乗って家に帰った。私は昔から父が大好きだった。日曜日の朝、散歩に連れて行ってくれたのも父だったし、一緒に花の種を植えたのも父だった。地味で無口で静かな父は、大抵本を読んでいたけれど、姉や私が何かを提案すると、億劫そうにしながらも一緒に時間を過ごしてくれた。姉が彫刻を学びたいと言ったとき、姉がずっと彫刻の勉強を続けたいと言ったとき、私が絵をずっと続けたいと言ったとき、いつも応援してくれたのが父だった。私達のしたいことを応援するために、ずっと働くから心配はないよと言った父。そんな父の気持ちが嬉しくて腰を下ろした父の背中に抱き着いて有難う有難うと感謝したけれど、大人になって時間が経って思い返してみると、父のあの言葉の有難みはあの当時の百倍も大きい。もしもう一度父に会うことが出来るなら、私はその気持ちを伝えたいと思う。昔から何事ものんびりだった父だが、随分と年をとると父の歩調は更に緩くなった。時にはその後ろ姿がもどかしくて、もっと早く歩けないのだろうかと思ったものだけれど、あの歩調は父の性格や心と正比例していたのかもしれない。怒るまでに時間が掛った父。つれないことを言われても、耳に痛いことを聞いても、かっと怒ることなどなく、うんうん、そうだねえ、などと言って、傍らに居た私などは何故怒らないのだと、呑気な父に怒りを感じたりもしたけれど、それが父だった。温和で寛大で、あれほど心が広い人は居なかった。義兄は父のことを人格者だと言ったそうだけれど、そのことも、もしもう一度父に会うことが出来たら伝えたいと思う。とは言っても、父はもう12年も前に空の人となってしまったから、本当に会える筈もない。その父によく似た後ろ姿の男性が、私の前を歩いていた。その姿と歩き方があまりに懐かしくて、彼が雑踏に紛れて見えなくなるまで間隔を置いてついて行った。姿が見えなくなって気が付いた時には、陽はとっぷりと暮れ、随分遠くまで来てしまった。目が涙がたまっていたのは、父に似た姿が見えなくなって悲しくなったからじゃない。父の存在をこれほど有難いと思っていたことに気付いたからだ。

一歩早く秋が来たのは窓の前の栃ノ木。葉が枯れて、陽を浴びると黄金に輝く。心穏やかな9月。風邪が完治したら、ボローニャの散策に出掛けよう。




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理由

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日が暮れるのが早くなった。暑い夏はもういいけれど、夜が早くやって来るのはちょっと寂しい、と思うのはあまりに都合が良すぎるだろうか。これからますます日没時間が早くなって、帰り道を急ぎ足で歩くようになるのだろう。

昔は夜道が好きだった。それはもう随分と昔のことで、私がアメリカに暮らし始めた頃のことだから、26年も前のことである。アパートメントをシェアしていた友人には、兎に角たくさんの友人知人がいて、アパートメントに押しかけて来る時もあれば、彼女が外に出ていくこともあった。兎に角彼女がひとりでアパートメントに居ることは滅多になくて、一緒に住んでいるといいながら私達はあまり互いのことを知らなかったかもしれない。もうひとり住人が居た。彼はハンガリーからやって来たばかりの世間知らずの大男。と言うのは祖母に育てられたらしい彼は祖母が何でもしてくれることに慣れ過ぎていた為に、掃除をするのも食事を作るのもコーヒーを淹れるのも誰かがしてくれると信じていて、自分のことは自分ですることをモットーにしていた私と友人を呆れさせてばかりいた。悪い人ではなかったけれど、大木のような大男だった分だけ、その甘えた彼の気持ちが鬱陶しく感じられたのかもしれない。そんな彼も祖国を離れて生活するためには仕事をせねばならず、夕方からレストランでアルバイトをしていた。私が夜道を歩くのが好きになったのは、ひとり行動が好きなくせに、誰も居ない広いアパートメントにひとりでいるのが嫌だったからだ。
坂道を上がりきったところにハンティントンパークがあった。そこで左に折れるとなだらかな下り坂があって、途中で階段を上がると不思議な界隈があった。豊かな人達の家に違いないが、何か芸術の匂いがした。それは小さな庭の作り方であったり、垣根の色合いであったり。背の高い目隠しのような塀などは存在せず、道行く人達にどうぞ庭を堪能してくださいよ、と言っているかのように見えた。恐らく私は怖いもの知らずだったのかもしれない、そんな夜道をひとりで歩くなんて。それとも26年前のあの街は、今からは想像できぬほど平和だったのかもしれない。もしそうだとしたら、私は大変幸運だったといえよう。そうした道を歩きながら、イタリア人街に辿り着くのがいつものコースだった。ガラス張りのカフェに腰を下ろして、書き物をした。書き物とは母への手紙だったり、友人への手紙だったり。私のようにひとりでテーブル席に着いて何かをしている人は多かったから、居心地は抜群だった。帰り道は大抵月が美しかった。月を眺めながら家路につくのはなかなか豊かな時間だと思った。実際外を歩いていなければ月が出ているのも分からなかっただろう。そんな私の小さな楽しみを知った友人は、少しづつ夜になると家に帰ってくるようになり、軽い夕食を終えると一緒に夜道を歩くようになった。ひとりでのカフェの時間がふたりになり、ひとりも良いけれどふたりも案外楽しいものだと知った。昔からひとりで旅をしたり歩くのが好きだった私が、人と一緒も悪くないと思うようになった瞬間だった。

近年は夜道が苦手だ。理由は分からない。それともあの街に行けば、また昔のように夜道を歩くのが好きになるのだろうか。もう何年も訪れていない街。何年も訪れていない理由も分からない。ああ、最近分からないことばかりだ。でも、それでいい。時には物事を曖昧にしておくのもよいと、最近の私は思っているから。




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