Ferragostoのこと

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昼間の暑さが嘘のように、乾いた涼しい風が吹く夕方。今日はFerragosto という名の祝日で、日本語に訳せば聖母被昇天の日となるだろうか。キリスト教の祝日であり、国の祝日である。この日は何処か、例えば海や山や、生活の場とは違う街で過ごすイタリア人が大勢いるが、私が思いだす限り、私と相棒は毎年家に居る、と思う。時には日本に帰省して不在している時もあるけれど、この誰もかれもが街から脱出して静かな日をボローニャの自分の家で過ごすのは、何だか残念なようであり、実は大変嬉しいことでもある。とても平和な感じがするのだ。行きかう車も少なければ、近所もみな留守。近所の店もこぞって休んでいるから、街中の孤島みたいな気分である。

3年前の夏、今の家に暮らし始めたばかりだった。内装の修復や備品の購入、引っ越しなどで懐が乏しかった私は、当然のことながら夏の旅行どころではなかった。もし、それでもと言って旅に出ていたら、恐らくは夫婦の諍いとなったに違いない。だからボローニャに残ったのは懸命だったと今も思っている。さて、ところが、あの夏は本当に本当に周囲の人たちがこぞって休暇に出掛けていて、静かだった。そのピークはFerragostoで、近所のバールですら、あの、いつも開いているバールですら閉まっていて、私達は地上に残された小さな塩粒のような気分になった。本当にみんな居ない、などと相棒と呟いたのを覚えている。それで私達は車に乗って外に出た。何処かへ行こう、何処かしら開いているさ、と。そうして見つけたのが、俗にいうホームセンターみたいな店で、別に何を探すでもなくとりあえず中に入った。店内には私達のようにボローニャに残ってしまった人々が居て、しきりに興味深そうに商品を手に取ってみていたが、かと言って購入する人などひとりも居ず、暇を持て余した会計担当は欠伸をする始末だった。広い店内をほぼ見終えた辺りで、私は足を止めた。それはオレンジ色に塗られた鉄製の椅子だった。こんな色は人気がないのか、捨て値がついていた。これ、これを買おう!と決めたのは私だ。オレンジ色だなんて楽しくていいじゃないか。テラスに置いて、食前酒を楽しもう。夕食後のジェラートでもいい。それから満月の晩はテラスでワインを片手にお喋りをするのもいい。私は妙に饒舌になっていたと思う。相棒は植物の植え替えの為に土を買った。沢山植物を並べよう。庭がない代わりにテラスを庭にしよう。彼も饒舌だった。多分私達はそんな形で私達もFerragostoの祝日、喜びに参加したかったのではないかと思う。2脚の椅子、そして大きな土の袋をふたつ会計にもっていった。そして代金を払い終えると店の人が小さな植物をふたつ差し出した。さあ、どうぞ。店からのFerragostoのお祝いです、と言って。こんな祝日に店に買い物に来てしまった人への同情だろうか、と思いながらも、私達は嬉しかった。るんるんと椅子と土と植物を車に積んで家に帰ると、テラスに出て作業に掛った。相棒は植物の植え替え。私はそれまで使っていたプラスチックの椅子を廃棄して、オレンジ色の椅子をテラスに置いた。先ほどまで寂しげだった私達のテラスが一気に陽気な雰囲気になって、私達は嬉しかった。嬉しくて、その夏は幾度もテラスで夕食やら、食前酒やら、ジェラートやら、何か理由をつけてテラスで時間を過ごした。
テラスにあるオレンジ色の椅子。3年前の今日買ったのを覚えているかと相棒に訊いてみたら、覚えているという。そして、どうして僕らはいつもこの日にボローニャに居るんだい、と訊かれて答えに困った。どうしてって。それでは何処かへ行きたいのかと訊けばそういう訳でもないらしい。ただ、僕らはいつもこの日をボローニャで過ごしているなと思っただけなんだ、と言うので、ああ、類は友を呼ぶ、私達は似た者同士なのかもしれないと思った。

夕方、風に吹かれながらヴィエンナのことを思った。あのドナウ川のほとり。青くも美しくもなかったけれど、白鳥がすいすい泳いでいた。風に吹かれながら散歩をしたらどんなに素敵だろうと思ったのは数日前のことなのに。ああ、私はもうボローニャに居る。




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ヴィエンナの女性

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ヴィエンナに到着したあの日の午後、携帯電話にメッセージが届いた。送り主はフランカで、通常ならば彼女はロンドンに居る筈だった。何だろうと思って読んでみれば、ボローニャに帰っているらしい。けれども翌朝早くロンドンへと発つから、これからボローニャ旧市街の、七つの教会群辺りの店で落ち合わないか、19時頃に、という誘いだった。時々ボローニャに帰っているとは思うが、こんな風に声が掛ったことはなかった。何しろ彼女は忙しい身なのだ。夫の家族との付き合いも疎かにできないし、勿論自分の家族とも一緒に過ごしたい。それからボローニャ旧市街に生まれボローニャ旧市街で育った彼女は、街を歩けばすぐに友人知人に出会うから、あっちからもこっちからも声が掛って、彼女の方から友人知人に声を掛ける暇なんて殆どないと言ってよいのだから。しかし、こんな時期だ、きっと彼女の友人たちも休暇でどこぞに出払っているのだろう。私はメッセージを送り返した。残念だけど、私は今ヴィエンナで休暇中よ。またの機会に会いましょう。わりと冷たい返事だったが、彼女は興奮した感じであっという間にメッセージを返してきた。ヴィエンナ! ああ、いいわねえ! 良い休暇を! 私は携帯電話を鞄に突っ込むと、また歩き出した。フランカが言うように私はヴィエンナでよい休暇を過ごそうと思って。

いつの頃からか、私は休暇先で骨董品市や骨董品店を覗くのが趣味になった。100年、200年前にその街で流行っていたスタイルの椅子や本棚などを観察したり、ランプの装飾を観察したり。それから近年では絵画を探すのが好きで、そんなお金はないにしても、店に入って絵画にまつわる話を聞いたり、値段を教えて貰ったりして深いため息をついたりするのだ。絵画に関して言えば、高級骨董品店ではなくて、何か掘り出し物があるような、雑多な感じの店がいい。こうした店にはまだ価値が発掘されていない、掘り出し物、認められていない宝物が埋もれているからだ。ヴィエンナにもそうした店は案外沢山あったが、8月という時期が悪かった。見つけた店の半分は夏季休暇中だったから。いや、なに。自分だって夏季休暇中なのだから、文句を言う筋合いはない。ただ、実に残念で、次回は8月と冬のホリデーシーズンは外さなければね、と自分に言い聞かせて店の外からの観察だけで満足せねばならなかった。そんな風にして絵画を観察しているうちに思いだした言葉がある。それは私が友人を訪ねてブダペストに通うように足を運んでいた時代のことだ。8年ほど前のことだろうか。私と相棒がブダペストに散らばる無数の古びた、雑多な骨董品店を渡り歩いて、様々な絵画をハンティングをしたのを知った友人の夫がびっくりしたような声で言った。絵画だって? ハンガリーの絵画など暗くて家の中には飾れないよ。こちらまで気分が暗くなってしまう。私と相棒はその言葉を聞いて、さて、そんなに暗い印象の絵だっただろうかと不思議に思い、絵を取り出してみたら成程、確かに暗い印象だった。私達はそういう観点で絵を眺めてはいなかったから。しかし、そう言われてみたら頷ける点があった。辛い歴史のある国の絵は暗い。冬が長い国の絵も暗くて厳しい。思いがけず友人の夫が教えてくれたポイントであった。
この話には続きがある。私は偶然と幸運が重なって、ヴィエンナに暮らして長い日本人女性と話をする機会を得た。私は時々こうした幸運に出会う。旅先で、ひとり旅の旅先で、こうした機会が得られるのは、そう簡単なことではないと思うから、私はそれを幸運と呼ぶ。ヴィエンナに暮らし始めた頃の街の印象を訊いてみたら、驚いたことに言うではないか。暗い。絵を見ても何を見ても。・・・絵が暗い。それは以前、友人の夫が言った言葉だった。ヴィエンナの青くて高い空につかぬ言葉だったが、確かに冬の厳しさはボローニャの比ではないだろう。歴史は。歴史はどうだろう。しかしそれでも彼女はここに居る。どんなに暗くても、冬が厳しくても、絵が暗くても。そんなことを思い巡らせている私の横で、彼女は明るく笑う。陰りも見せぬ明るさ、そして強さだった。わあ、こういう人いいなあ。其処まで思ってはっと気が付いた。それに気づくために空の誰かが彼女に会うチャンスを与えてくれたのかもしれない。店先で絵画を眺めて歩きながら、私はもう一度そう思う。きっとそうだ。私がはっと気が付くように。私が持ち前の元気を取り戻すために。

ヴィエンナから戻って2日目の昨日、ようやく私は、旅先で日本人女性と知り合って古いカフェに入ったこと、散歩をしたこと、楽しかったことを報告して、相棒はほっとしたようだ。帰ってきても旅のことを何も言わないから、つまらなかったのかと心配していたそうだ。それに旅にでる少し前、私は少々元気がなかったから。でも違う。私が報告をしなかったのは、私の頭の中が未だヴィエンナの休暇中だからなのだ。そのうち、ひとつ、またひとつと旅の話をするだろう。その頃には、私の休暇は本当に終わって、ボローニャの街にも美しい小麦色の肌の人々が戻ってくるだろう。そうしたら少しは涼しい風が、街を吹き抜けるのかもしれない。




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気さくなひと

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ヴィエンナでは本当によく歩く。勿論、昔はもっと歩いたけれど、あの若さがあれば歩けて当たり前だったのかもしれないと思う。私は20代だったし、私には溢れんばかりの好奇心があって、好きで好きで住み着いた街のことをすべて知りたいと思っていたから。友人が時々、私のことを揶揄った。知らない道などないだろう、そのうち地図でも描くのではないか、と。悪い案ではないと思った。私が見たものを地図に書き込んだ、自己流地図を描いてみてもよいと思った。あの頃の健脚と留まることのない好奇心。今は同じようにはいかないけれど、けれども失ったわけではない。私はやはり歩くのが好きだし、そして好奇心も失っていない。昔と比べたら、そのスタイルが異なっているだけだ。だから長時間歩くことが出来なくてもがっかりすることはない。溢れるような好奇心はないけれど、自分が何を好きかを知っている。それでいいじゃないかと思う。昔の自分と比べたり、周囲の人と比べる必要などないのだと気が付いたのは、私にしては実に幸運だったと思う。今の自分を好きになることが出来たのは、実につい最近のことだ。

暑いボローニャから脱出するのだと意気込んでいったが、ヴィエンナは暑かった。日影を選んで歩く人々。そのうちのひとりが私だった。太陽を思い切り浴びたい欲望は、今年の夏に限ってはない。できれば少しでも直射日光を浴びることなく、涼しい日影に居ながら夏を堪能したい。それは簡単そうでなかなか難しい。太陽が頭のてっぺんから照らす昼間は、探しても探しても日影がなく、小さな日影が存在するなら、既に先客が居たりして。そんな時、見つけた。パッサージュだった。パリにはこのパッサージュなるものが幾つも存在して、ああ、ここにもあった、などと言って中に吸い込まれていったものだが、私が知るヴィエンナのパッサージュは、片手に満たぬほどしかない。案外、ヴィエンナに暮らす人に訊いてみれば、もっとたくさん存在するに違いない。そもそもパッサージュとは何かと言えば、建物の中を通り抜ける、通路みたいなものである。ただ、その通路の左右には店が連なっているから、商業空間といった存在なのである。それで私が入り込んだパッサージュだが、これで3度目の訪問だ。とはいえ、いつも偶然たどり着く。これを目的にして訪れているわけではないから、まさに迷い込むという言い方が似合っている。パッサージュにはいくつもの骨董品店があって、そのうちのひとつのガラスの棚に大変興味深いものが置いてあった。単品買いができるのか、それともセットでしか購入できないのか、それによっては値段交渉も、と関心が募ったが、あいにく夏季休暇だった。よく見れば、並んでいる店の半分ほどが夏季休暇中だった。あらあら、残念。などと独り言を言いながら店の前を離れ、しかし強い日差しから逃れてパッサージュを散策できるのは有難いことだった。パッサージュの構造は多少ながら複雑で、興味深かった。そのうち私は明るい光が差し込む中庭に面した、ギャラリーと呼ぶに相応しい、美術品の店に辿り着いた。全面ガラスの向こう側には、Biliardino(ビリヤルディーノ/手動テーブルサッカー)が置かれていた。見たこともない、古い、木製の、よく磨き込まれたもので、美術品として置かれていることに何の異論もない、美しいものだった。私の知っている其れはバールや海辺の遊び道具が置かれているような場所に存在する、見るからに安っぽい、プラスティックとステンレスで作られたもので、美術品なんて言葉が似合わぬ代物だ。そもそもこの遊びは激しく作動するのだから、安物くらいで丁度良いのかもしれないのだ。そういう観点から言えば、ガラス越しに見える美しい其れは、芸術品としてみて楽しむものなのだろう。それとも、かなり古いもので、例えば戦争を潜り抜けたような古いもので、骨董品の類に属したものなのかもしれない。それにしても美しいと感嘆していたら、隣に観客がもう一人加わった。見てみると肩にやっとつくほどの金髪の女性だった。世代は私ほどだろうか、シンプルなシャツにコットンのスリムなパンツ。そして素足にモカシンシューズを履いていた。手には紐。紐を目で辿ってみたら、小型犬だった。素敵な感じの彼女からは想像できなかった、ぼさぼさ頭の・・・何犬だろうか。鳴きもせず、舌を垂らして、激しく呼吸をしていた。あらー、喉が渇いているのかしら。私が話しかけると、彼女は違うの違うのと言わんばかりに首を横に振って、年なのよ、すぐに疲れてしまうのよ、と流暢な英語で言った。そうしているうちに、店の中に作業員がふたり現れ、店の偉そうな女性にあれこれ指示されたかと思うと、作業員たちが目の前に置かれたビリヤルディーノを大型セロハンでぐるぐると包み込み、車のついた台に乗せてパッサージュの外へと運び出した。隣に立っていた彼女が、売れたのかしら、と誰に訊くでもなく言うので、きっと売れたんでしょう、と私は答えたが、答えた後にあんた高そうなものが売れるのかしらと思った。聞けば隣に立っている彼女はこの近所に住んでいて、このパッサージュは彼女と犬の散歩道とのことであった。あのビリアルディーノの美しさと値段がこの辺りでは話題の的であったことを彼女はひとしきり私に話した。ヴィエンナには驚くほど豊かな人たちがいるのだ、きっとそういう人たちが購入したに違いない、と彼女は言うと、さようなら、と手をひらひらさせながら挨拶をすると散歩の続きを始めた。その彼女の腕には誰もがそうと分かる大振りの高級時計が着装されていて、彼女もまたヴィエンナの裕福な人のひとりに違いないと後姿を眺めながら思った。豊かだけれど、見知らぬ外国人とも気さくに話す女性。それからぼさぼさ頭の犬。悪くないと思った。

ヴィエンナは確かに美術品、骨董品を愛する人が多いようだ。ギャラリーと骨董品店の多さが、それを無言で語っている。それからもう一つ言えば、ヴィエンナの人達は気さくだ。私がヴィエンナを好きな理由のひとつなのかもしれない。




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雨と第三の男

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遠くで雷が鳴り響いている。気温が上がりすぎたヴィエンナは、今夜が峠なのかもしれない。そのうち、ザーッと雨が降り出すだろう。

私が滞在しているホテルは、旧市街とされる地区ではない。旧市街をぐるりと取り囲む環状道路を走るトラムのひとつが南へと走っているのだが、それに乗るとあっという間の界隈にある。ホテルも前の通りをトラムが行き交うから、窓を閉めていてもその音が聞こえる。ボローニャには無いタイプの音。だから到着した日は耳につく。かといってそれが嫌なわけではない。その証拠に、そうと知っていながら3度もこのホテルを使っている。嫌いなどころか案外好んでいるのかもしれないとすら思う。窓を開けてトラムが窓の下を通り過ぎるのを眺めるのも好きだ。トラムと言うのは何か異国情緒のある乗り物で、どの街へ行ってもトラムを見つけると訳も無く飛び乗りたくなる。そして自由自在にトラムに乗れるようにと、滞在日数分のパスを購入する。トラムさえあれば怖いもん無し。だから滞在場所が便利な旧市街でなくても良いと言うわけである。結局ホテルの場所を決めたのも、トラムが前を走っているからのようなものだ。もし相棒が一緒だったらば、トラムの音が煩いじゃないかと言うだろうか。それともサンフランシスコに住んでいた頃のことを思い出して、トラムの音を懐かしむのだろうか。
トラムが好きだと言いながら、ヴィエンナの街で私は降りる場所をしばしば間違える。自信満々で降車リクエストのボタンを押して、自信満々でトラムを降りるくせに、背後の扉が閉じた途端、しまった、此処ではなかった、もうひとつ先だった、と気が付くのだ。何しろ私の旅はあまりオーガナイズされていなくて、自分の直感だけで物事が進んでいる。地図を持っているくせにあまり確認することもないし、トラムを降りる場所にしたって、確かこの辺だった、みたいな不確かなものばかりだ。だから一人旅がいいのかもしれないと思う。連れが居たら、いい加減信用を失っていただろうし、その連れが相棒だったならば、既に喧嘩のひとつもしていただろう。今日もそんな風にしてトラムを降りる場所を間違えて、次のトラムを待っていた。後から美しい栗色の髪の女性がやって来て、少し離れた場所に立った。崩れた感じはなくて、かといって昔の学校の教師のような固い印象も無い。何処かでこんな感じの人を見たことがあると考えていたら、トラムに乗り込んで、ガタン、と走り始めたところで思いだした。相棒の、若い頃の恋人。
アメリカに暮らしていた頃、古い写真を整理していたら美しい女性の写真が出てきた。相棒が写したらしい肖像写真だった。綺麗な人ね、と訊ねるでもなく言うと、随分前の恋人だ、ヴィエンナの女性なんだ、と相棒が言った。相棒は私より年上だから、私が知らない時代があって当然で、それをとやかく言うつもりはさらさら無い。ただ、ヴィエンナの女性という言葉が心に引っかかり、それがどんなことを意味しているのだろうと長いこと考えていたことがある。美しいとか知的とか以外の意味があるのではないかと。あれから20何年も経って、こうしてヴィエンナの街を歩いたり、古い本を読んだり、人から話を聞いているうちに少しだけ分かったような気がする。それはある時代のヨーロッパを通過人達に共通するようなもので、そういう人達にしかわからないようなことなのかもしれない。そんなことを考えるようになったのは、第三の男、と言う映画のせいかもしれない。戦後のヴィエンナを舞台にしたこの映画を多くの人が高く評価していて、私も此れは作品として価値の高い映画だと思っている。ただ、とても微妙なのだ。そういう時代が本当にあったと言うことが。カフェ・ブダペストという映画があるけれど、此れも同じように微妙な気持ちが残った。私の知らない時代。でもそんなに昔のことじゃない。イタリアだって70年代は色々あった。人々が同じように安定して暮らせるようになったのは80年代のことらしいから。君は平和な国に生まれて育ったからと、相棒と知り合ったばかりの頃に言われたことがあるけれど、本当にそうなのかもしれない。そして平和な国に生まれ育ったことを、幸運に思うのだ。
そんなことを考えているのは、ヴィエンナの旧市街の外に、第三の男ミュージアムというものが存在して、それを是非見たいと思って訪ねたからだ。もっとも14時オープンのそのミュージアムは14時きっかりに行かないと中に入れてもらうことが出来ないらしく、15時に行った時は、扉は硬く閉ざされていて、扉を叩こうが何しようが、中から人が出てくることは無かった。それでもその雰囲気はミュージアムの外観を見て伝わってきた。古い建物で、あまり手入れはされていなくて、何か胡散臭いような、秘密めいているような。中に入りたかったような、入ることが出来なくてよかったような。

雨が降った。窓を開けてみたら路面が黒く光っていて、それを橙色の街灯が照らしていた。袖なしを着ているのに、まるで晩秋のようだと思った。昨日の明るい陽気な晩とは違う、もう夏の峠を越えてしまったような、そんなヴィエンナの、雨の晩だ。




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Mr. Feeling good

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今日のヴィエンナは暑い。Mr. + Mrs. Feeling goodの彼が言ったとおりだった。このところヴィエンナは涼しいけれど、明日辺りから暑くなるらしいんだ、と言っていたのは昨日午後のことだった。この、Mr. + Mrs. Feeling good、というのは旧市街からホテルへと歩いていた時に見つけた小さなカフェの名前だ。面白い名前なので興味を持って店に足を踏み込んでみたのである。丁度喉も渇いていたし、何か冷たいものでも飲もうと思って。実はもうひとつ私の関心を引いたものがある。店の前に立てかけられた看板だ。それにはBEST CHEESE CAKE IN THE CITY とあった。それが結構下手な字なのである。誰かが慣れぬ手つきでペンキで書いてみたけど、うーん、なかなか難しいもんだな、ま、いいか、こんなもんで、と開き直って店の前に立てかけたといった感じで、私の笑いを嫌でも誘うのである。店の前のテーブル席にも、そして店内にも客の姿は無かった。そういう時間帯なのかもしれない。もしくは流行っていないのかもしれなかった。何しろ場所が悪い。表の通りに面していないのだ。脇道に、何となく存在しているのである。
店に入ってきた私に気がついて店の人が立ち上がった。立ち上がるとなかなか上背のある、さらりと素敵な感じの男性だった。イタリアに連れて帰ったら、すぐに人気者になるだろうと思った。何か冷たいものをと言う私に、メニューを差し出した。外の看板よりは優れていたが、ハンドメイド風の、この店らしいメニューで私の笑みを誘った。その笑みを店の人は勘違いしたらしく、何か良いことがあったのかと訊く。いいや、良いことはないけれど、そうだ、私は今休暇中なのだと言うと、何だ、充分良いじゃないかと言って笑った。そんな彼を見ながら、きっとこの人が店主のMr. Feeling goodに違いないと思った。メニューにはレモネードがあった。自家製らしい。此れを飲めばFeeling goodになるのかと訊ねると、彼は笑いながら大きく頷いた。こういう人はいい。幸せな気分に周囲の人達を巻き込んでくれる。それからチーズケーキを注文した。街でいちばんのチーズケーキは一体どんなものなのかと思って。勿論、期待はしていなかった。誰だって自分の店のものが街で一番だと思うものなのだ。けれど、この店に入った途端、食べてみたくなった。どうしてだろうか。
レモネードは爽やかで美味しくて、此れは予想通りだった。チーズケーキは、一口食べた途端に涙が零れそうになった。姉が作ったチーズケーキとそっくりだった。姉がまだ20代始めだった頃。私がまだ高校3年生だった頃のことだ。姉はある日突然病に掛かった。いいや、少し妙だと家族の誰もが思っていたが、医者に行って病だと診断を下された。疲れてはいけない、外に出てはいけない、あれも此れも制限されて姉は困ってしまった。本を読んだり、音楽を聴いたり、時には勉強をしたり、そうして何か自分に出来ることをと考えて、思いついたのがパンや菓子を焼くことだった。以前、興味半分で買った本を棚から抜き出して作り始めたら面白かったらしい。初めて焼いたパンは上手くできなかったけれど、回を重ねるうちに上達して、家族みんなに喜ばれた。パンが上手に焼けるようになると、ケーキ作りが始まった。ある日学校から帰ってきたら、家中にいい匂いが満ちていた。チーズケーキを焼いたのだという。当時、焼きチーズケーキが日本でもてはやされ始めた時代だったと思う。だから実を言うと、姉も私も、ましてや父や母は、美味しいチーズケーキがどんなものだか知らなかった。どきどきしながら菓子を切り分ける姉。わくわくしながら、それを待つ私。そして食べてみたらレモンの酸味が丁度良くて、甘さはとても控えめで、ずっしりと重いチーズケーキに私は直ぐに恋をした。姉はそれで充分だと言った。私がそれを好きならば、それがいちばんの褒め言葉だといって喜んだ。あれから姉は幾度かチーズケーキを焼いてくれたが、そのうち医者から許可が下りて勉強を再開すると、パンや菓子を焼く時間はなくなってしまった。あのチーズケーキにまさかヴィエンナの、このカフェで再会するなんて。それまでぺらぺらとお喋りをしていたのに、チーズケーキを一口食べた途端に黙りこくってしまった私を、店の彼は不思議に思ったに違いない。食べ終えて代金を払いながら、確かに街でいちばんのチーズケーキだったと言うと、そうなんだ、このチーズケーキはね、みんながそう言ってくれるんだ、と彼は言った。あの看板は、案外そんな客の褒め言葉から生まれたものなのかもしれない。別れ際に彼はいった。気をつけて。ヴィエンナも明日から暑くなるらしいよ。気が向いたらまた遊びに来てよ。私は彼のそんな言葉を背に受けながら店を出た。

今日も一日ぶらぶらした。しなくてはいけないことも無ければ、絶対したいことも無い。気が向いた時に美術館に入って、気が向いた場所で食事をして。こういうのは贅沢だな、と相棒は言う。うん。確かに贅沢だと私も思う。




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