遠い記憶。田舎暮らし。

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世間では夏の休暇が始まったらしい。先ほどテレビで言っていた、北から南へと続く高速道路が如何に混み合っているか、空港と言う空港が旅立つ人達で如何に混雑しているか。イタリアの子供たちはもう随分前から約3か月の夏休みだけれど、大人にも休暇の季節が遂にやってきたという訳だ。尤も私の休暇はまだ1週間先だけれど、しかしこうも町の人口が減ると、市内の交通量がぐっと減ると、それから近所の日除け戸が固く閉ざされていると、私もひと足先に休暇に入ったような気分になるというものだ。ここ数日過ごしやすかった。朝方は20度を下回って。暑さにめっきり弱くなった私にはとても有難かったけれど、それも終わりらしい。今週は連日38,39度が予想されているらしい。そんな予報を見てしまったことを後悔しているところである。あと一週間仕事に行くのになあ、と思いながら、暑さに負けぬように睡眠と栄養をたっぷりとろうと心に誓う。

夕方になって突風が吹いた。カーテンが大きくめくりあがるほどの突風。アペニン山脈の方で夕立でもあったのだろうか。それとも遠い海の方からの風だろうか。ふとした瞬間につーんと酸味がかった、果物が熟れて、木の枝から落ちて、それが腐敗し始めた感じの匂いがして、一瞬その匂いに眉をしかめたら、遠い昔の記憶が蘇った。

相棒と私が、アメリカ生活を畳んでボローニャに暮らし始めた年のことだ。こちらに2週間、あちらに2週間といった、相棒の友人たちの助けを得ての放浪生活の終わりは真夏にやってきた。私達はボローニャ郊外の田舎町、その中でも更に田舎生活をしている小規模農家の離れを借りて暮らすことになったのだ。相棒の古い友人の家だった。母屋の横の納屋、そして私達が借りたのは納屋の隣の建物で、既に100年か200年経っている、実に古い建物だった。天井には太い梁が横たわっていて、外側の壁の厚みは50センチ以上もあった。だから外が恐ろしい暑さでも家の中は涼しくて、冷房も扇風機も不要だった。不便な場所だったが、放浪生活にうんざりしていたので、私には充分有難かった。朝早く目を覚ましたのは鶏のせいだった。驚くほど早い時間で、文句を言いながらもう一度眠りに落ちた。次に目を覚ましたのは牛のせいだった。バリトン歌手のような響く声で、早く起きろ、寝坊助め、と言われているような気がした。鶏は新鮮な卵の収穫の為に、家は新鮮な牛乳の為に。小規模にやっていたから何処かの市場に卸すのではなくて、知る人ぞ知る、直売の農家だった。野菜や果物もあった。向こう、あの辺りまでがうちの敷地だ、と指さして教えてくれた。小規模とはいえ、なかなか広い農地だった。22年前のイタリアにはまだオーガニックやBIOなんて言葉はあってもあまりもてはやされてもいなければ知られていなかった。アメリカではオーガニックの野菜に拘っていた私と相棒だったから、イタリアでそうした野菜がないことに驚いていたから、ここにあった、と偶然住むことになった場所がその手の農家だったことを喜んだものだ。自家製ワインを作るらしく、ぶどうが延々と植えられていて、その横には果物の木があった。ある日家主の奥さんに声を掛けられた。プルーンが熟れて美味しいから好きなだけ取るといい。そのままにしておけば地面に落ちて腐ってしまう。だからその前に収穫してジャムを作るといい、と言うことだった。彼女は果実畑に入って、ほら、こんな風にして収穫するのよ、と見せてくれて、私に大きな籠を手渡した。私は相棒を呼んでプルーンをもいでは籠に入れた。沢山収穫した後は果実を洗って鍋で長時間煮た。出来上がったジャムは飛び切り美味しかった。鍋の中の果実をかき混ぜている間に流した汗の分だけ美味しく思えたのかもしれない。数日後、畑に残った熟れすぎのプルーンは地面に落ちて、そのうち腐敗し始めた。つーんと酸っぱい匂いがして、プルーンがさよならを言っているように思えた。収穫してあげられなくて可愛そうだったと言う私を家主の妻は笑ったけれど、やはり可愛そうだったと今でも思う。美味しい美味しいといって食べて貰いたかったに違いない、と。
あの家には半年しか居なかった。私はローマに仕事を得てひとり飛び出してしまったから。感謝は言っても文句は言うべきではない。私と相棒は助けて貰ったのだから。定住する家がなくて困っていたのを彼らに助けて貰ったのだから。ただ、私には辛すぎた。世間と隔絶された世界と、慣れない田舎暮らし。人間の数よりも牛や鶏の方が多かったあの生活よりも、街の暮らしがしたかった。あの生活が悪かったのではない。私が環境に溶け込めなかっただけなのだ。
今ならどうだろう。案外あの生活を楽しめるのではないだろうか。時間が私を変えたのか、それとも私が自ら変わったのか。いくら考えても分からないけれど。

今日は良く汗をかいた。シャツを3度も着替えた。走ったわけでも歩いたわけでもないのに。水。沢山水を飲まなくては。夏バテなんてしている場合じゃないのだから。




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桃の匂いがする

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キッチンに漂っているのは、昨日近所の青果店で購入した桃の匂い。仕事帰りに立ち寄ることが多いこの店。バスの乗り換えの停留所の背後にあるので、実に便利している。電気がついていないから外から見ると店が閉まっているように見える。電気をつけないのは多分少しでも涼しく過ごすための店主なりの知恵なのだろう。それとも冷房をつけている分、明かりをつけないで節約したいのかもしれない。何にしてもイタリアでは明るすぎるのを好まないので、こうしたことは大したことではない。うちだって、煌々と電気をつけることはあまりない。例えば夜に本を読むならば小さなランプだけをつけてみたり、天井の照明にしても最低限まで絞り込んで夕食を楽しんだりするのだから。照明器具よりも蝋燭の明かり。それから月明かりが美しい。いつの間にかそんな風に思うようになった。それで昨日店に立ち寄ると、店主が忙しそうにしていた。何時立ち寄っても客が居て、店主が暇そうにしていたところは未だに見たことがない。シニョーラ、何を差し上げましょうか。店主は何時もそんな風に話し始める。手前にあった色のいい杏子。甘いだろうかとの私の問いに、これは自信を持って薦められるというので、大きいのを15個ほど茶色の紙袋に入れて貰った。それから棚にある桃。どんな桃がいいかと訊くので、白桃の美味しいのを6つ頼んだ。それを持ってちょうど来たバスに乗り込んだら、前から二番目に座っていた小さな女の子が桃の匂いがする! と叫んだので乗客が皆笑った。母親が慌てて子供にしーっと言って宥める。女の子が私の袋をじっと見ているので、ちょっと話しかけてみた。桃を6個も買ったんだから。いい匂いがするからきっと美味しいね。すると女の子は6つも! と言って喜び、そしていい匂いがするからきっと美味しいよ、と私の口ぶりを真似た。バスを降りる時、Ciaoと彼女に向かって手を振ったら、彼女が笑顔で手を振り返してくれた。Ciao、桃のシニョーラ! 桃のシニョーラだって。何だかいい匂いがしそうでいい感じだと思った。

もう何年も前。そう、多分20年も前に相棒とアメリカにひと月滞在した時のことだ。私達は昔住んでいた界隈の、しかし違う通りに暮らす友人、ロンの家に泊めて貰った。その界隈に私達の友人知人が多く住んでいたのは、ひとえに相棒が、そこに長く暮らしていたからだ。私は途中から参加しただけ。でも気持ちの良い人達だったから、私はすぐに彼らと良い関係を持つようになった。ロンは相棒より年上で、ひとり暮らしだった。結婚をしたがうまくいかず、二度目の妻とですら別居生活をしていた。それぞれの場所に子供が居て、彼はサンフランシスコの大きな公園の近くの界隈の一軒家にひとり暮らしだった。と言っても寂しとか、侘しいとか言った印象はなく、ひとり暮らしで自由気まま、そんな感じだった。結婚がうまくいかなかったのは、価値観の違い。うまくいかなかったのは確かだけど、別々に生活しながら良い友人関係を保つことを選んだというのは決して嘘ではないだろう。彼は時には人を招いて夕食を楽しんだり、時にはひとりで音楽を聴きながら開放感あふれるテラスで食事をしたり、兎に角料理をすることが好きなようだった。私が感心していると、彼はこういった。口から入るものは、そのまま僕らの体に影響するんだ。だからいいものを食べたい。自分で素材を選んで料理したものは絶対確かだからね。当時もうすぐ60歳になろうとしていたロン。でも少しも衰えた感じはなく、確かに髪は白いものが多く混じっているけれど、海沿いの道をオープンカーで走るのを好み、大きな公園を走ることを習慣にして、外へ外へと向く関心と友人知人との交流のその様子は、当時若かった私ですら羨むほどエネルギーに溢れていた。それからもうひとつ。季節の野菜と果物。それがポイントさ、と言ってウィンクを投げるところなんかが、相棒と私に言わせれば、とんでもなくカッコいい、のだった。ある日私達はロンのオープンカーに乗り込んで、街から北の方に行った小さな海辺に行った。有名な海辺だが隠れ家のような場所があって誰も居ない、あまり知られていないんだとロンが言っていた通り、誰も居なくて静かだった。僕はここを知っている、昔よくここに来た、という相棒にロンはちょっと驚いて、そうだな、君は知っているだろうさ、だから僕らは何となくウマが合って友達になったのかもしれないよ、そういうことは言わなくても分かるものなんだ、と言った。そんな会話を聞きながら、こうした友人関係は素敵だと思った。帰り道に、地元の農家が店を出していた。ロンが夕食のためにと野菜を沢山買い込んで、それから桃を見つけると目を輝かせた。うまそうな桃だな。僕は桃に目がないんだよ。あれ以来、店先で桃を見るたびにあの日のロンの声を思いだす。私だって桃に目がないのよ、と心の中でロンに語り掛けながら、店主に桃を6つ袋に入れて貰うのだ。

最近猫が私につれないのは、私があと10日もすると数日間のひとり旅に出掛けるのに気付いているからだろう。旅の準備は前日の晩。これは昔も今も変わらない。猫が気付いたのは此のところ、古い旅行鞄を廃棄処分して新しいのを購入したこと、そして枕元に置かれた旅先の地図、旅の案内本。でも数日、たったの数日なのになあ。




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ちょっと立ち話

涼しい朝。仕事に行く前にちょっとそこまで出かけてみた。近所とはいえ、いつもは行くことのない食料品市場は思いのほか賑わっていて、私がたまに前を通る時は夕方のことが多いから、既に半分が店じまいだから活気がないのだ、ということが分かった。そうか、そうか、とうなづきながら歩いていたら向こうの方から声を掛けられた。掠れた、けれども精一杯発したような声。声の方に目を向けてみたら、近所のバールの常連の旧トリュフ採りの名人が居た。彼は一人暮らしで自由気ままな生活だから、気が向くと朝から散歩をすると言っていたのを思いだして、散歩かと訊いてみたら、いいや、昼食用のパンを買いに来たのだ、とのこだった。しかし買いに来たはいいが目当てのパンはもう売り切れで、がっかりだったよ、と彼は言った。この時間でもう売り切れってどういうことなのかと驚き返す私に、彼は、ふふん、君は何にも知らないんだな、とでも言うように小さく笑って教えてくれた。この辺りの老人は朝が早いこと。皆、7時には活動開始だから9時などに行こうものならば欲しいものが手に入らないことだってあること。時計を見たら9時で、成程ねえ、とまた今日もひとつ新しいことを知った。老人と言えば彼もまた老人だ。80だったか、もうとっくに80を超えていたか、今となってはもうわからないが、老人とはいえ自分のことは自分で出来て、元気に毎日散歩をしたり食料品市場に買い出しに来れるのだから、元気なものだ。案外私なんかより、ずっと元気なのかもしれないと思った。昼食は12時、夕食は19時。そして食事のあとの近所のバールでカッフェをしながら仲間と世間話をしたり、サッカー中継をするのが彼の習慣らしい。そんなことを話しているうちに、時間が経ってしまった。もう夏休みなのかと訊かれて、違う違う、これから仕事に行くのだ、と言う私に、それは悪いことをしたな、てっきり君も暇なのかと思ってさ、と言うので笑ってしまった。朝から大笑い。そんな一日の始まり。




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自分

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明日は雨になるらしい。そうした情報が数日前から出ている。そんな情報を鵜呑みにしている私のことを周囲の人達は笑うけれど、私には感じる、今夜の風の感触の違いが。何となく冷やりとしていて、 近郊の山の辺りでは一足先にひと降りしているような、そんな感じの風。雨は嫌いだけれど、少し本格的に降った方がよいだろう。ちょっと降っただけでは、単に湿度が増して不快度が倍増するだけだから。思い切り降って、空気を清めてもらうとよいのではないだろうか。

このところ普通のことに疲れている。イタリアに来たばかりの頃は、如何に目立たぬことばかりを考えていた。何しろ、ひと目でそれと分かるような外国人があまり居なかったから、私は外に出ると周囲の自然を十分に集めて、居心地が悪いこと夥しかったのだ。兎に角普通でいようと、そればかり考えていた。周囲のリズムに合わせて、周囲の生活習慣に合わせて。それがいつの間にか体に染みついて、はっとする様なことを考えることもなければ、はっとする様な行動をすることもなくなってしまった。あなた、変わっているわねえ、と言われて喜んでいた、人と違うことを喜びと感じていたアメリカの女友達が今の私に会ったら、なんと言うだろう。退屈な人間に見えるだろうか。それともその他大勢的存在だろうか。勿論とか、当然とか、人は良く言うけれど、当然とか勿論とか、あまりに視野が狭すぎやしないか、と思うようになった。もし誰もが同じことを考えなくてはいけなくなったら、もし誰もが同じ行動をとらねばならなくなったら、それはあまりにも退屈すぎやしないか。そうして新しいことも生まれず、誰もが同じサイクルをぐるぐる回っているだけの人生なんて、楽しいだろうか。もっと柔軟でいたい。もっと自由でいたい、と思い始めた。この22年、それに気が付かなかったわけじゃない。気が付かないふりをしていただけだ。でも、もうやめよう。私は私でいよう。
昔のように手仕事をしたくなった。物を創りたくなった。最近、酷く傷ついたことで、やっと自分がどんな風で居たいのが分かった。だから傷ついたことは、私にとって良いことだったのだと今は思っている。プライドはぼろぼろになったけれど、ちっぽけなプライドだ。自分がどうでありたいかに気付いたことの方が、よほど尊い。

風が吹く。風が吹く。ひんやりした風が肩を撫でる。火照った肌を冷やす風。必要だった。




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昼寝だなんて

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向こうの空に入道雲。夕方7時のボローニャの空は明るく、夕食の準備をするような気分には到底なれない。テラスに出て、植木鉢に水をくべると、生い茂ったバジリコが、ゴクゴクと音を立てて飲んでいるような錯覚に陥る。毎日たっぷり水をあげているのにカラカラになる土を見ながら、ああ、夏なのだと今更ながら思う。家中の窓を開け放っているから風が吹き抜けて気持ちがいい。こんな風が吹く限りは、どうしたって冷房のスイッチを入れようなんて気にはなれない。

それにしても昼食を済ませた後、急に襲ってきた睡魔。昼寝が大嫌いだから、どんなことをしたって体を横たえて昼寝をしようなんて思ったことは、あまりない。勿論それも体調が悪いとかならば別だけれど、頭痛がするでもなく、疲れているでもなく、自ら昼寝をしようなんて思うなんて、と驚きながらベッドの上に横たわった。ふわりふらりと揺れる大窓のレースのカーテン。美しいレースのカーテンは、恐らくは17年ほど前に相棒の友人のルイジが仕立ててくれたものだ。
どんな風にして相棒とルイジが知り合ったのかは、今となっては思いだすこともできない。覚えているのはある土曜日の昼前にルイジの店に居た相棒から電話がかかってきて、店に来ないか、昼食に行こうとルイジが誘っているんだ、と言うのが私にとってのルイジとの付き合いの始まりだった。当時住んでいたアパートメントから5分も歩くとルイジの店があった。ルイジはソファや肘掛椅子の布の張替えや、カーテンを仕立てる職人で、物心ついたころからこんな職人になりたいと思っていたんだ、と彼が言っていたけれど、彼にとっては天職ともいうべきだった。器用で腕がいいだけじゃない。辛抱強いところも。この仕事をする条件のひとつみたいなものだ。黙々と、きちんと仕上がるまで黙々と作業する。全く彼にぴったりの仕事だった。誘われるままに店に行ってみたら、さあ、レストランに行こうというではないか。てっきり近くのバールでパニーノか何かを齧るものと思っていたから、コットンのセーターに随分履き込んだジーンズといういで立ちだった私は驚いてしまったが、これから行くのはルイジの妹夫婦の店だからとのことで、気にすることなどないと強引に車の中に詰め込まれた。店はサント・ステファノ通りにあった。土曜日の昼時は此れほど混み合うものなのかと、世間の人達が如何に気前よく外で食事をしていることに驚いたのを覚えている。後から知ったのは、店にはボローニャのサッカー選手と家族や友達がつるんで店を訪れることが多いらしく、その土曜日は丁度それにあたっていたらしい。広い店内は満席で、そんな人の波をかき分けていくと奥の方に広いスペースが確保されていた。ルイジと相棒と私。それに彼の妹と子供たち。あなたが話に聞いていた日本人ね、と言ったのはルイジの妹、シモーナだった。私達は同じ年齢で、環境も文化も異なった中で育ったのに価値観がよく似ていて話が合った。店は案外名が知れていたらしい。それは単に場所が良かったからだけでなく、料理がどれをとっても抜群に美味しいからだろう。魚介のパスタの美味しかったこと! 南イタリアの野菜の味の濃かったこと。シモーナが作っているという、菓子の美味しかったこと。私とルイジの付き合いは、こんな風に色んな事がいっぱい詰まった形で始まった。その彼がある土曜日の午後、相棒と一緒に家に来た。レースのカーテンとカーテンを吊るす木製の棒を携えて。平日、私が留守の間に長さを図ったらしい。脚立に乗って棒を設置すると、美しいレースのカーテンがふわりと下がった。わあ、美しい! と歓喜する私にルイジは大変満足したらしい。見れば上等なレース地で、普通なら相棒と私が手を出せるような代物ではなかった。彼の客が注文したらしい。ところが途中で小さな変更があって何メートルか残ったらしい。うちに遊びに来た時に居間の大窓に掛っていたレースのカーテンが素敵じゃなかったのを覚えていたルイジが、私達のために仕立ててくれたとのことだった。カーテンという物のは、あればいいというものじゃない。外からの視線を遮ればいいだけじゃない。家の中に居る人が気分良くなるようなもの、それが大切。気分良くなるようなカーテンで外からの視線を遮るのが正しい考え方だ。というのがルイジの説明だった。大窓のレースのカーテンが素敵になってから、確かに気分が変わった。あれから私のカーテンへの考え方もすっかり変わった。
17年も経っているレースのカーテン。丁寧に洗濯しているから、まだまだ使える。何よりもルイジとの思い出が染みついているから、到底このカーテンを箪笥の中に仕舞い込むなんてことはできない。暫く会っていないルイジが、このカーテンが今も健在と知ったら、どんなに驚くことだろう。そんなことを考えているうちに、私は眠りに落ちたらしい。

花の時期を随分前に終えたジャスミンが、再び花を咲かせた。風に蔓を揺らせるジャスミン。空は一向に暗くならないけれど、空がもう疲れたから休みたいと言っているかのような色になった。蝉はまだまだ鳴き続ける。あと2時間は蝉の声が止まないに違いない。夏だもの。それもよし。




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