夕立

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近頃、仕事帰りに寄り道をしていない。理由のひとつは酷い暑さだったから。とても寄り道したり、ぶらぶら歩きを楽しんだり、ウィンドーショッピングを楽しんでいる場合ではなかったのだ。それではここ数日の、一頃に比べたら断然涼しくなった夕方はどうかと言えば、やはり寄り道を楽しんでいない。今にも夕立になりそうな空だったから。一刻も早く家に帰るのが得策のような気がしたから。今日だってそうだ。目を丸くしてしまうほど涼しい夕方で、いつもならば散策をしたいところだけれど、向こうの空が真っ黒で、今にもその雲が頭上を覆って雨が降り出しそうだった。向こうの空とは、私の家がある方角だ。不思議なことに、その界隈は良く雨が降るのである。喜んでいるのは植物だけ。住人たちは、雨がよく降ることをあまり好ましく思ってはいない。
パン屋に立ち寄りたいのも止め、購入して置いた食べ頃のメロンと一緒に頂く生ハムを買い求めるのも諦め、真っ直ぐ家に帰ったところ、鞄を置いてテラスに通じる大窓を開け放ったところでひゅーっと音を立てて風が通り過ぎた、と其の直後に大雨になった。猫を抱きかかえて窓辺に立った。風向きが変わり、雨が窓ガラスを叩いた。傘を持たずに出かけた隣人たちが雨の中を走る姿を眺めながら、運が良かったと思った。寄り道もできなかったし、美味しいものも手に入れなかったけれど。雨とは言うが夏のそれは明るくて悲しい印象はこれっぽっちもない。雨は嫌いだけれど、夕立という言葉は好き。これに関しては子供の頃から少しも変わっていない。
雨に濡れて光る緑。夏色と呼ぶのが相応しい。




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6月が終わる頃

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雨が降った、朝食を終えて少し経った頃に。空の様子がおかしい、風の感じが違うと、起き抜けに思ってはいたが、こんなに急に降りだすとは思っていなかった。突然の雨はばらばらと音を立てて落ちてきて、向こうの建物のテラスには洗濯物を急いで取り込む夫婦者の姿。夜中に干しっぱなしだった洗濯物。私がもう見慣れてしまったことのひとつは、イタリアでは洗濯物を夜中も出しっぱなしにすること。ここに暮らし始めたばかりの頃は、なんて不用心なとか、夜露で湿気ってしまいはしないかとか、様々なことを考えたものだ。でも、知らぬうちにそんなことが当たり前となり、仕事を終えて帰ってきてから洗濯物を干して、翌日の夕方にとりこむことに疑問すら感じなくなった。この件を母が知ったら、さぞかし驚くことだろう。昼間家を留守にする、仕事をしている身からすれば、これは実に理に適ていることであるにしても。

夕方、また雨が降った。こちらはごく少量で、地面が濡れたどうかもわからぬほど。遠くの方でも降ったのだろう。丘の方、山の方から涼しい風が吹いてくるから。夕食の準備をしながら、思いだしたこと。それは22年前の6月終わりのことだ。
私達はピアノーロに暮らす、相棒の幼馴染の家に身を寄せていた。涼しいサンフランシスコから引っ越してきたばかりの私達にはボローニャの6月があまりに暑くて、やっとひと月が経ったばかりだというのに、暑さに辟易していた。私達は相棒の幼馴染であるモニカと恋人のジーノのふたりと何処かに家を借りて暮らすなどと言う夢のような話をしていた時もあったけれど、それもあまり現実的ではないと誰もがわかり始めて、家探しをしなくなっていた。何しろモニカが探してくる家と言ったら、ちょっと週末に滞在するならいいけれど、とても腰を据えて暮らせるような建物ではなかったし、場所とてあまりに辺鄙で、恋人のジーノはどうやって仕事へ行けばいいのか、思いつきもしなかった。そんな時、相棒の昔の知人を皆で訪ね、辺鄙な点ではモニカが見つけてくる家といい勝負だったが、住むにはいい小さな離れの家があると知って、そこを借りる話が着々と進んだ。私が其処に暮らしたいかどうかは、誰も私に訊かなかった。私が其処に暮らすのに、と思いながらも、誰かの家に身を寄せて暮らす生活に疲れていたから、私は何も言わなかった。ここなら、少なくとも相棒とふたりの生活ができるだろう、と思って。ひと月の間、私達は放浪の生活、仮住まいばかりしていたから、相棒も私も焦っていて、何とか一か所にとどまりたい、と心のどこかで一心に願っていた、それが私達の6月だった。丘の町ピアノーロの夜風が平地のそれよりずっと涼しくて気持ちが良いことを知った6月でもあった。

今夜はポーランドで開かれている21歳以下のヨーロピアンカップの決勝戦。決勝戦に進んだのはスペインとイタリア。あどけない顔つきの爽やかな若者もいれば、本当に21歳以下なのかと疑惑が深まる濃い髭面もいた。彼は20歳だ、と説明を加える相棒に、嘘だと詰め寄りたいほどの髭面男だった。あの濃い髭の下には、20歳らしい若々しい素顔が隠れているのかもしれないと思いながらも。




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地面の匂い

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猫も私も、まるで怠け者のようにぐーたら過ごした土曜日。いいや、猫の方がずっと怠け者だった。と私は思っていたが、相棒に言わせてみれば、どちらも甲乙つけがたいほど怠け者だったそうだ。あまりに暑くて体力が低下した土曜日。夜中も寝苦しくて、翌朝の目覚めは酷かった。ひどい頭痛だった。食欲もない。私の胃袋は人より小さめだけれど、食欲がないことは滅多にないから、これは一大事だった。どうやら暑さにやられたようだった。
昼を回る頃になると雲行きがおかしくなった。今朝ほど向こうの方にあった鼠色の雲の大群が、頭上に広がり蒸し暑い。この雲に沢山の水分が含まれているのではないかと疑いたくなるほど、蒸し暑かった。と、大粒の雨がひとつ。ひとつ落ちてきたと思った。すると、それが合図だったかのように次から次へと雨がばらばら落ちてきて地面という地面をあっという間に黒く濡らした。雨に濡れた地面の匂い。私の好きな匂いのひとつだ。この匂いが、私を遠い昔に運んでくれる。

遠い昔に暮らしていたサンフランシスコの街には、いくつもの本屋が存在した。本が好きだから、本屋の存在は探さなくとも視界に飛び込んできた。ノースビーチの小さな本屋もよかったが、私は町の中心の、坂道に面した本屋が好きだった。訊ねない限り店の人に話しかけられることもない。それが心地よいと思っていたのは私がまだ言葉を十分習得していなかったからだ。
この店に初めて入ったのは、全くの偶然だった。何処かへ行った帰り道か、誰かに会って別れた後にひとり歩いていたら、急に雨が降り始めた。いつもは霧雨くらい、小雨くらいなんともない、と傘もささずに雨の中を粋がって歩くのに、こんな強い雨では太刀打ちできぬ、と店の軒下に駆け込んだ。乾いたアスファルトが濡れる匂いがした。久しぶりの雨だった。そのうち雨脚はさらに強くなり、横に立っていた見知らぬ雨宿り仲間が店の中に入って止むのを待つかと呟きながら店の中に吸い込まれていったのを見て、そうねえ、私もそうしよう、と後に続いたのがこの店との出会いだった。雨宿り程度で中に入ったが、折角だからと店の端から端まで歩いてみた。そして分かったのはこれと言って拘り品を置くでもなく、ごく一般的なものばかり、だけど中央に置かれた本は半額にも下がっていて魅力的だった。今は書物をネットで読むような時代になったけれど、26年も前のあの頃は、本はやはり本であって、手に取って熟読して、ページをめくる、それが喜び、楽しみのひとつだった。だから本屋が不景気のためにクローズなんてことは考えられなかった、そんな時代だった。私が手にしたのは写真集だった。分厚い立派な写真集が、数ドルで購入できるなんて夢にも思っていなかったから、酷く驚いたものだ。写真家がこれを知ったら残念がるに違いない。それとも多くの人の手に渡って自分の写真を堪能してもらえるならば、それも良いと思うだろうか。そんなことを考えながら、ついにそれを購入することなく、雨が止んだのを機に店を出た。雨上がりの街は急に涼しくなって、駆け足で夕方がやってきそうな感じがした。雨上がりの街を歩きながら、ジャケットもカーディガンも、スカーフですらカバンに入れてこなかったことを反省しながら、家へと急いだ。そんなことを今でも覚えているのは、あの写真集を購入しておくべきだった、と悔やんでいるからだ。手元になくても困ることはないけれど、手元にあれば、時にはそれを開いて堪能することができただろう、と。

今日の雨は案外真剣に降った。もしかしたらこの界隈だけかもしれないけれど。少なくとも周辺の木々は枝を元気に伸ばして喜んでいる。それからテラスの並べられた植物たちも。それにしてもその後に残された湿度と言ったら。どうしようもない、という表現がぴったりだ。そして雨の後の入道雲の美しさと言ったら。こんな入道雲を見ることができるならば、暑い夏も悪くない。




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熱風

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熱風が吹く金曜日。でも、今日に限ったことではない。私ほどの年齢でもそうなのだから、姑のような年齢ともなればしんどいなどという言葉では言い表せぬほど辛いに違いない。遠くの方で救急車のサイレンが鳴っているのを聞きながら、姑が今日も元気に過ごせたならばいいけれど、と思う。この思いは祈りにも似ている。私は相棒が母親を心配しながら生活しているのを見ているから。相棒が今以上に心配しないで生活できればよいと思う。

これほどの暑い日に真っすぐ帰宅しなかったのは旧市街の仕立て屋に行きたかったからだ。7月を待たずに早々と始まった夏のサルディで数枚の服を調達した。本当を言えばもう何週間も前から必要だったのだけれど、もうじき値段が下がるのに定価で購入することに良心の呵責というのか、兎に角、意地でも定価で購入しないと心に決めていたところ、いつもの店から知らせが入った。早速足を運んでみたら、丁度いいのが見つかった。丁度いいだなんて、無難、に似た響きが含まれていてあまり好きではないけれど、しかしまさに丁度良いのが見つかって、考える間もなく購入した。購入はしたが、しかも丁度いいと言いながら、少し直す必要があった。私という人は、イタリアに暮らす限りスタンダードの体型とは言い難いらしく、仕立て屋に持ち込まずに着用できるのはTシャツくらいなのである。ボローニャ旧市街に建つ2本の塔のもう少して枚に存在する、ポルティコの下の店。昨冬随分と世話になったが、それから5か月振りのことである。ポルティコの下は熱気がこもっていて不快だった。ボローニャの旧市街は大好きだけれど、この、風が通り抜けない街の構造には毎年ながら頭が下がる。小さな仕立て屋の店内は、さぞかし蒸し暑いに違いない、と想像していたが、空調が効いていて楽園のようであった。ああ涼しい。と挨拶をするかのように店に滑り込む私に、店の夫婦は笑った。皆、開口一番にそう言うそうだ。私は持ち込んだ服を着せて見せ、女店主がここをこうして、そこをこうして、とピンでつまむのを確認しながら、暑くて大汗をかいて食欲も落ちているというのに、贅肉は少しも落ちないと零すと、女店主は笑いながら言った。いいのよ、こんな暑い夏、大汗かいて食欲が落ちて、そのうえ贅肉まで落ちたら、あなた、ひっくり返っちゃうでしょう? 彼女のそんな言葉を聞きながら、なるほど、そういう考え方もあるかと感心した。物事は一方から考えてばかりいると間違えが生じるのかもしれない。違った方向から考えるのは良いことだ。自分でそうしたことが思いつかぬ私だから、こんな風にして周囲の人たちと言葉を交わすことで気づくのだけど。
ところで仕上がりは10日後だそうだ。順番待ちというわけだ。もう一月も前から仕事が多くて多くてどうしようもなく、服を預かってから10日もかかるようになってしまったそうである。シニョーラのはすぐに仕事にとり掛りたいところだけど、そうもいかないのよ、と詫びる彼女。商売繁盛でよかったわねと彼女を褒める私に、彼女はごめんなさいねと言った。謝ることなんてない。つまりは彼女の腕がいいと言うことで、そんな彼女に仕事を頼めるのだから、こんな嬉しいことはない。

今夜は夕食を作らないでよいそうだ。姑のところに住み込んでいる女性が、相棒と私の分まで料理を用意してくれたのだそう。人間だから色んな欠点がある。姑は彼女のことを快く思っていないようだけど、私はいつも思う。こんな大変な姑の世話をしてくれるなんて何て有難いこと。いつも朗らかで、自由があまりない生活の中に小さな楽しみを見つけながら、色んなことをしてくれる。この、私達のための料理を準備することも、彼女の小さな楽しみのひとつなのだそうだ。姑ばかりでなく、相棒と私も、運がいい、と言わずになんと言おうか。
夜風が吹きだした。近くの山で雨が降っているような、涼しい風。ほっと安堵の溜息が出そうな。




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自分らしくいこう

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空が明るい。今が一番日が長い時期だからなのだろう。と、カレンダーを見ると6月18日。そうか。今日が6月18日なのだと確認して一瞬の焦りを感じた。別に急いでいることなどひとつもないのに。

いつの頃からか、なるようになる、何事もそうなるべき形になるようになっているのだ、と思うようになった。若かった頃みたいに、何かにがむしゃらになったり、人より先に行こうと思ったり、人より秀でた立場になろうと思ったりすることが無くなった。別に人生を捨てたわけでもないし、諦めたわけでもない。ただ、肩の力を抜いて、自分は自分、自分らしく生きるのがいい、と気が付いただけだ。かと言って一生懸命な人のことをとやかく言うつもりもない。一生懸命な人は、それはそれで美しく、他人ながら、頑張れ、頑張れと応援したくなる。つまり自分はそうでなくてもいい、と思うようになっただけだ。今まで肩を張って、肩で風を切りながら長い道を歩いてきた、走ってきた、それをもうやめようと思っただけに過ぎない。
ボローニャに暮らし始めて辛い時期があった。随分長い間。一冊の本を送ってくれたのは日本に暮らす女友達だ。頑張っているのはあなただけじゃない、皆色んな形で戦いながら、自分が暮らすに良い状況を作ろうと努力をしている。ありきたりの言葉で応援したり窘めることなく、彼女は活字を通じで教えてくれた。それがどれほど私にとって有難いことだったか、彼女は知っているだろうか。私は彼女に伝えただろうか。
また、私が辛かった、いや、葛藤していた時期に、ミラノに暮らす女友達がこんなことを言った。川の流れに一度乗ってみたらいい。案外、悪くないかもしれない。そう言われて私は、彼女は他人事だからそんなことが言えるのだ、他人事だから、と密かに憤慨していたのだけれど、随分と月日が経ったある日、ふと彼女の言葉を思いだしてもがくのを辞めて川の流れに乗ってみたら、予想外の結果が出た。彼女が言っていたとおりだった。もっと早くそうしておけばよかったと思いながらも、彼女が言ってくれなかったらばずっともがき続けていたのだろうと思うと、決して遅くはない、遅すぎることなんてないのだ、と思った。
私はいつも人に感謝するばかりだ。人から何かをして貰うばかり。私も人に何かしてあげることはないのだろうかと海のずっと向こう側に暮らす女友達に手紙を書くと、特別なことなどする必要はない、そのままのあなたが自分の友達でいてくれるだけで十分有難いと手紙を返してくれた。私は彼女の言葉を決して忘れない。私の存在を有難いと言って貰ったのは生まれて初めてのことで、そのままの私でいいと言って貰ったのも生まれて初めてだった。
私にはこれと言った物質的財産はない。でも、良い友達がいる。決して多くはないけれど、輝くダイヤモンドやエメラルドよりも価値があって私にとっては大切な。それに気が付いた頃から、自分は自分、自分らしくいこう、と思うようになった。遠回りしたけれど、ようやく自分らしく生活できるようになったことを私は心から嬉しく思う。

今夜は少し暑さが控えめ。気持ちよく眠りに落ちることができそうな気配。




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