ちょうどいい

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ヴェネツィアへ行くと運河沿いを歩きがちだ。何しろ運河が無数にあって、そのどれもが異なった風情を持っているから、飽きるということもない。細い運河にかかった短い橋を渡るのも楽しみの一つで、そんな時、ヴェネツィアという街に暮らすのはどんな感じなのだろうと思う。この独特な街のつくり。仕事帰りにぶらりと歩くのはさぞかし楽しいに違いない。しかし強い雨が降り続けると、水域が上がって住人をひどく心配させるに違いない。
ところでこの街の散歩で楽しいのは、驚くほど幅の狭い脇道。それから突然現れるトンネルみたいな場所に思い切って足を踏み入れた先に見つける小さな広場。行き止まりの時もある。それから建物に隠れたところに抜け道があることもある。地元の人達には当たり前のそれらも、年に数回しか足を運ばぬ私には、どれもこれもひどく面白く、それらを見つけるたびに、わっと喜びが沸き起こる。
足を止めて写真を撮っていると、足を止めてくれる人たちが居る。レンズの前を通らないように、と。撮り終えて、彼らに礼と言うと、大抵何か話が持ち上がる。何を撮っていたの? 何か素敵なものがあったの? そんな時は張り切って説明するのだ。ほら、この先にある小さな広場。温かくて愉しい感じがする。これらを見慣れている地元の人たちというのは、見慣れているが故に、忘れてしまうことがある。それらがどれほど美しいのか。それらがどれほど素晴らしいのか。もっとも私の素晴らしいと彼らの素晴らしいは異なる場合もあるけれど、でも、大抵私の説明に目を見開いて、ああ、本当だ、と笑顔が浮かぶ。またね。またね。と挨拶を交わして、また歩き出す。同じイタリア語だけれどヴェネトの独特のアクセントの、またね、が耳に残っていて、時間が経ってから、ふっ、と笑いを誘う。大運河沿いや、名高い建物、広場を避けて歩いた。だから華々しい写真は一つもない。私の手元に残ったのは、地図のどの辺りに在るのかすら分からぬ、路地、広場、幅の狭い運河ばかり。それが自分らしく、それでいいと思う。ちょうどいい。私はそんな風に思う。

日帰り旅行から数日経つのに未だヴェネツィア熱が冷めないのは、歩き過ぎで生じた筋肉痛のせいだ。歩き過ぎた、と身の程を知らぬ自分に呆れながら、しかし楽しかったことには間違いなく、この痛みがすっかり消えたら、またどこかの街への日帰り旅行を企てるのだろう。それにしても、夜、ボローニャの駅から街の中心にあるバスの停留所まで歩きながら、つくづく思ったことがある。ボローニャの、ポルティコの存在の有難さ。ポルティコの下の通路の歩き易さ。ヴェネツィアは美しく、これから先も私の心をつかんで離すことはないだろう。でも、私にはボローニャがちょうどいい。ボローニャのような普通の街がちょうどいい。




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迷う旅

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土曜日の朝、渋りながら列車に乗ったのは、あまり気が乗らなかったからだ。まさ4月下旬のこれほど寒くなろうとは、考えていなかったのだ。連日の冷え込みで少し風邪を引いていたから、ボローニャよりさらに北の、しかも運河や海の風が路地を通り抜けるヴェネツィアへ行くのは得策ではないのではないかと考えあぐねていたのだ。とはいえ、特急列車の乗車券は2月に購入済みだった。何故2月に購入したかと言えば、びっくりするような安い価格で売り出しているのをネットで見つけたからだった。今年は一か月に一度はボローニャから日帰り旅行をしよう、などと年頭に決めたこともあって。渋りながら列車に乗ったが、シートに体を埋めて列車が動き出すと、何やら愉快な気持ちになった。日帰り旅行の始まり。どうせ行くなら楽しまなくては。見慣れたボローニャの街並みを後にして、特急列車は北へ北へと走り続けた。

ヴェネツィアという街にシーズンオフというものは存在しない。それはフィレンツェと共通するもので、一年通じて訪れる人が絶えない。そうと知ってはいたものの、大運河に面して在るサンタ・ルチア駅を出て、あっと驚いた。人、人、人。3月に訪れたときは英語とドイツ語が耳についたが、それらは存在を潜めていた。耳につくのは北から南の様々なアクセントのイタリア語。イタリアは4月25日が祝日なので、飛び石連休を利用して小旅行を楽しむ人が多いとは心得ていたが、その多くがヴェネツィアにきてしまったのではないかと思うほど、四方八方からイタリア語が聞こえてきた。サンマルコへと向かう船は長蛇の列。リアルト橋へと向かう道も大変な混み合いで、混雑が苦手な私は、小さく溜息をこぼさねばならなかった。ようし。と、この人の波から逃れるために細い細い脇道に逃げ込み、その少し先でも人の波から逃れるために脇道に逃げ込み、そんなことをしているうちに私は方向感覚を失ってしまった。地図はポケットに入っていた。しかしあえてそれを広げなかったのは、そして通りすがりの人に道を尋ねなかったのは、時間はたっぷりある、迷えるだけ迷ってみようと思ったからだった。
ヴェネツィアに何があるのか、と相棒は決して訊かない。ヴェネツィアの素晴らしさを知っている人は、行けば行くほどこの街の魔法にかかることを知っているからだ。そんなことを考えているうちに辺りは昼食時のいい匂いがしてきた。カンナレージオ界隈の小さな運河に面して建つ古い店の窓ガラスから中を覗いてみたら、地元人風年配の男性3人が仲良くお喋りをしながら小さなテーブルを囲んでいるのが見えた。小さなガラスコップに白ワインを注ぎあいながら。とてもお腹が空いているわけではないけれど、何かつまみながら地元の白ワインを楽しむのも悪くない、と店の扉を押した。店の中はうす暗くて、小さなテーブルと椅子が所狭しと並んでいて、そのどれもが塞がっているように見えた。カウンターにいた感じの良い女性が私の存在を見つけ、挨拶を投げかけてきた。ひとりなんだけど、席は空いているかしら。そういう私を奥の明るい広い席に案内してくれた。店には数人の店員がいるが、彼女が私の担当になったのは全くの幸運だった。私が観察する限り、彼女は大変明るくて寛容で、誰に対しても大変感じが良かった。すごくお腹は空いていないけれど、何か食べたい。美味しい白ワインと一緒にね、と良くわからないことを言う私の注文に、それならこうしましょう、と手短に説明すると、後は私に任せて、とウィンクをして私を残していった。私の席からは若い男女が見えた。多分、ヴェネツィア大学の学生だ。女性の方はボローニャ出身だろう。アクセントと言い回しでわかる。男性の方はスペイン人だ。イタリア語はうまいが、ときどきスペイン語が混じる。ふたりは店の常連らしく、今日のお薦めを、と注文した。白ワインを小さなガラスコップに注いで、乾杯をする様子が眩しかった。と、そこに私の食事が出てきた。彼女はちらりと皿の中を眺め、メニューにないものが出てきたことに驚いているようだった。あんなメニュー、あったかしら、ねえ、なかったわよねえ、と向かいに座っている男性に話しているのを聞いて、私は先ほどの店の女性が如何に素晴らしいかを知った。メニューにないものを出してくれる店はいい。イタリアでは顔見知りになると、そうした特別なことをしてくれることが多い。けれど私は通りすがりの旅行者。すごくお腹は空いていないけれど、何か食べたい。美味しい白ワインと一緒にね。私が言ったこの言葉を彼女がよく理解してくれた証拠だった。食事は大変おいしかった。ワインも樽から注いだに違いない普通のワインだが、爽やかでおいしかった。お腹が空いていないと言ったくせに、美味しいワインを頂いたせいで食欲が出て、彼女が進めてくれた温かいリンゴとシナモンの菓子も頂いた。向こうの大きなテーブルにアメリカ人の家族が座った。小さな子供達には牛乳を。夫婦には冷えたこの辺りの上等の白ワインを。先ほどの彼女がワインのコルクを抜いてサービスする姿は素晴らしく美しく、単なる店員だとしたら、この店は大変な宝を掘り当てたことになると思った。帰り際にカウンターで勘定を済ませた。勘定係は店主である。忙しくてそれどころではないのだろう、にこりともしない不愛想な店主だったが、美味しく食事を頂いたこと、あそこにいる彼女の接待の素晴らしいことを述べたところ、目を丸くして暖かい笑みを顔いっぱいに広げて、ありがとうと言った。店を出て歩き始めた。いい昼食だった。でも、この店にもう一度来ることはあるかどうかわからない。何しろ何処に店があるかもわからない、迷った挙句にたどり着いた場所だったから。

時には生活の場を離れてみるといい。朝あれほど渋りながら列車に乗ったというのに、もう上機嫌で、今日ここに来たのは全くの正解だと思っていた。 




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春よ、戻っておいで。

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連日の寒さ。朝晩の冷え込みは2度というすごさで、4月を半分終えた時期らしくない。まさかこんな寒さが戻ってくるとは思っていなかったから、早々に冬物をクリーニング屋さんに持って行ってしまった。だから重ね着で凌いでいるが、薄い風よけ程度のトレンチでは寒さを凌ぐのは無理なようだ。夕方の寒いこと。バスを待つ間、幾度クリーニングに出した冬のジャケットを恋しく思ったことだろう。今年は春が早くやってきた、そのうち丈の少し短いコットンパンツをはいて素足にモカシン、などと考えていた一週間前が嘘のようだ。もうそろそろ冬用の羽毛布団をクリーニングに持って行こうと思っていたのを先延ばしにしていたのが唯一の幸運だった。4月とはそんな季節。暖かいと思えば急に寒さが戻ってくる。だから早まらない方がいいのよ、と冬物を持ち込んだ時にクリーニング屋さんの女主人が言っていたっけ。

昨日、マッジョーレ広場近くの食料品市場界隈に行った。目当てはパン屋さん。この界隈には気に入りの店が二軒あって、うまく使い分けている。暫くATTI に通い詰めていたので、久しぶりにもうひとつの店に足を運んだ。年配の男性が営む、割と歴史のある店だ。仕事帰りに立ち寄るから大抵大したものが残っていない。だから毎度のように言われるのだ。シニョーラ、この時間は売り切れていて当たり前なんですよ。ところが昨日は、この急激な寒さと冷たい雨のせいなのか、それとも復活祭の休暇で客が街から出払っているのか、随分と沢山のパンが棚に置かれていた。シニョーラ、今日は運がいい。これもあるし、あれもあるし、と見せてくれる。その中からシリアルの入った弾力のある大きなパンを白い紙袋に入れて貰った。と、ふと思い出して訊ねてみた。ときどき見かける髪の短い女性、彼女はあなたの奥さんなの? すると店主は、いいや、雇っているんだよ、と答え、訊きもしないのに次から次へと話し出した。奥さんはイタリア人ではないこと。当初はイタリア語が話せなくて、だから店で働くなんてとんでもない話だったこと。でも、それで良かったこと。なぜなら店でも家でも一緒だったら、家と仕事の時間の切れ目がなくて、多分諍いが絶えないこと。ほら、それがストレスという奴さ、と彼は言った。ふーん、そうなの、と曖昧な返事をする私に、僕の奥さんはイギリス人なんだよ、と言った。それがどういう意味なのかは私にはわからなかったが、ふと思い出した。そういえば彼は、店に立ち寄る外国人の旅行者に、英語で応対をしていた。その英語は戸惑うことのない話し方で、自然に口からついて出てくるといった感じだったから、私はその様子を見ながら多少ながら驚いたのだ。このおじさんが、この店主が、と。成程、そういう訳だったのかと納得したところで、客が店に入ってきたので話を切り上げて店を出た。それにしても彼は、どうしてこんな話をしてくれたのだろう。暇だったことは間違いないが、それにしても。

先週はジェラートを求める人で一杯だった。薄着の人々が、冷たいジェラートを買い求める様子は、見ていてとても愉しかった。ところがどうだ、昨日今日のジェラート屋さんは。どの店も開店休業。おーい、春よ、戻っておいで、と思っているに違いない。うんうん、分かる、全くそう。私もちょうど同じようなことを考えていたところ。




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4月は人生で一番の貧乏暮らしだった

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今日は風が冷たくて、開けた窓をすぐに閉めた。ああ、寒い! と言ったのは私で、相棒は4月なのだから寒いなんて言葉は的確ではないと言って私を戒めた。ところが相棒もいつもの軽装でテラスに出てみたら、5秒と経たずに家の中に入ってきた。ふふふ。4月だって寒い日は寒いのだ。空が青い。驚くほど青い。東からの風に乗って雲の群れがぐんぐん空を走る。いつの間にか新緑に覆われた木の枝が風に揺れてきらきら光る。それは何か遠い記憶を呼び起こす為の儀式のようにすら見えた。窓辺で眺める分には美しくも、パスクエッタの祝日を郊外のどこかで過ごす人々は寒くて肩をつぼめているに違いない。それもボローニャあたりが寒いだけで、ローマあたりへ行けば、案外暖かくて素敵なピクニックなのかもしれないけれど。いつの頃からなのだろう、パスクエッタはピクニックや屋外で食事を楽しむのが一般的になった。そう言えば以前は私達も山の友人たちに誘われて、パスクエッタの屋外での食事を楽しんだものだった。

4月になって以来、私はアメリカに暮らしていた頃のことをよく思い出す。実のところ、冬の半ばからあの頃のことをあまり思い出さなくなっていた。理由はあるようで、ない。ほかに考えることが沢山あったからかもしれないし、無意識のうちに思い出さぬようにしていたのかもしれない。もし後者の方が理由だとしたら、その理由すらも分からない。
4月、4月。アメリカに暮らして初めての4月は人生で一番の貧乏暮らしだった。と言っても、住むアパートメントもあったし、家賃もきちんと払ったし、自由に市の交通機関を使える月間パスも持っていたし、食事だって贅沢をしなければ困ることはなかった。なのに人生で一番の貧乏暮らしだったと思ったのは、どっちつかずの生活で、ふと気が付いたら、そういえば自分には何もない、自分の手の中は空っぽだ、と思ったからだった。そのうえ仕事探しもうまくいかなかったから、貯金が確実に減っていくのを確認しながら、途方に暮れていた。あれほど夢みて叶えたアメリカ暮らしだったのに、日本に帰ってしまおうかと思ったこともある。なのにそうしなかったのは、帰るのは何時だって帰れるではないか、君はぎりぎりまでチャレンジしていないではないか、好きな場所をそんなに簡単に離れることができるのかい、などど様々な人が私に声を掛けてくれたからだ。それは知人だったり、同じアパートメントに暮らす他の階の住人だったり、よく足を運んだカフェの店員だったり、一緒に暮らしていた友人だったり。そういう意味では私はついていたのだ。運の良い人間と言ってもいいだろう。もしあの時誰かが、残念ねえなどと言っていたら、私はあのまま、何も得ぬまま帰ってしまったに違いないから。4月のある日、とても暖かかった。しかし夕方になると湾からの風が吹いて終いには霧が出始めて急に冷え始めた。襟ぐりの広い、薄手のブラウス一枚で出掛けてきてしまったことを後悔した。首元がひどく寒かった。この街の住人としては初歩的な失敗で、ジャケットのひとつ、スカーフのひとつも持たずに家を出てきたことに我ながら呆れていた。私はユニオンストリートを歩いていた。ユニオンストリートとはこの街でも目抜きの通りで、お洒落で手の込んだものを置く小さな店が連なる通りだった。そこで偶然知人を見つけた。お洒落なものが好きな彼女はこの界隈によく買い物に来るらしい。同じようによくこの通りを歩く私はもっぱら眺めるばかりだったが、ユニオンストリートという共通項を見つけて少し嬉しくなったのを覚えている。寒くなったから帰ろうと思っていたという私に、もう少し先まで一緒に歩かないか、その先にとてもいい店があって、きっとあなたも好きだと思うから、との知人の誘いに乗って寒いのを我慢して歩いた。目当ての店は驚くほど小さくて、狭い店内に驚くほどの量のものが飾られていた。知人は店の常連なのか、店の人と親しそうに話しをしながら、あれを見せて、これを見せてと忙しかった。私はと言えば、ひとりで店に置かれているものを物色していた。繊細な美しいピアスや、ブレスレット。華やかな帽子。レースのブラウス。そうして私が手を触れたのはストールともいえるような、しかしとても薄い軽い、華やかな大きな花模様のシルクのスカーフだった。春とも初夏ともいえる雰囲気の、素晴らしい色合いだった。スカーフに手を触れて考え込んでいる私に、首に巻いてみると言い、と言ったのはもうひとりの店の人だった。複雑にまかれているスカーフを上手にほどいて広げて見せてくれたら、さらに素晴らしかった。勿論エルメスなどと比べたら素材にしても縫製にしても雲泥の差があったけれど、あの頃の私にはそんなことはあまり気にならず、その色合い、花の開き方が私の心をとらえ、踊るような気分になった。首に巻いてみたらいい感じだった。それに首元が寒くてどうしようもなかったから、スカーフの温かさが有難かった。傍にいた知人ともう一人の店員がとても褒めてくれた。値段は29ドル。25年前の私にとっての29ドルは、人生で一番貧乏暮らしだと思っていた私にとっての29ドル。思い切って買うことにしたのは、実際寒くて仕方なかったからと、そしてこんな華やかなものを首に巻いたら気分が明るくなって良いのではないかと思ったからだ。あのスカーフは、あれからとても人気者だった。知人友人ばかりでなく、街を歩いているとすれ違いざまに見知らぬ人たちに声を掛けられた。美しいとか、よく似合うとか。若い人だったり年配の人だったり、女性だったり男性だったり。あれが私の運命を変えたとは思っていないけれど、少なくとも私の気持ちは明るくなって、考える方向を少しならずとも変えたのではないかと思う。私にとってあの時期は、思い出すのもつらいような時期だ。自分の方向が見えなくなって、こんな時、海の向こうに暮らす両親は、姉はどんなことを言ってくれるのだろうと思いながらも、電話をかけなかった。心配を掛けたくないというよりも、好きで自分で決めて飛び出してきたのに泣き言などいえない、といった頑なな気持ちがあったからだ。自分の中で戦うしかなくて、苦しくてつらい時期だった。だから私は外を歩いた。大好きな街の空気に触れながら、坂を上り、下り、階段のてっぺんに腰を下ろして街を眺めた。気を紛らわしていただけと言われればそうかもしれないけれど、私はそんな形で気持ちの整理をしていたのではないかと思う。歩きながら何かを見たり考えたりするのは、人が考える以上に効力があると思っている。鎮静剤の役目もするし、刺激剤にもなる、と言ったら分かりやすいかもしれない。

風に流される雲の群れと揺らめく新緑を眺めているうちに、やはりいろんなことを思いだした。しかも一番思いだしたくないに違いない時期のことを。3連休のせいに違いない。長い週末で、考える余裕ができたから、面倒くさいことを思いだした。きっとそうだ。でも、それも悪くない。時々、思いだすとよいだろう。




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野生のアスパラガスを探したこと

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晴天の復活祭。22年ほどイタリアに居るけれど数えるほどしか記憶にない。復活祭は雨が降る、というのがいつの間にかスタンダードになった。それだから、午後バールに立ち寄ったら、驚いたね、復活祭なのに晴れたね、と店の人も客たちも、その話題で持ちきりだった。そういえば金曜日の夕方にクリーニング屋さんに立ち寄った時も同じような話をした。復活祭? たぶん雨になるでしょ。そんな風に。晴れた復活祭。たったそれだけでなんと嬉しいことか。

ふと思い出したことがある。私がローマに暮らしていた頃のことだ。復活祭の連休だっただろうか、それとも別の連休だったのだろうか。私は同居人に連れられて近郊の町に行った。そこは彼女の家族が暮らす、緑の濃い、自然豊かな美しい町だった。途中で小さな八百屋さんに立ち寄って、数種類の春野菜を買った。私が小さな店で買い物をするのが好きになったのは、多分この時期からだろうと思われる。スーパーマーケットでは存在しない店主と彼女のやり取りを眺めながら、面白いと思ったから。春野菜の夕食を堪能してから、すっかり暗くなった旧市街を歩いた。春とはいえ、夜も10時を過ぎると冷え込んで、薄いジャケットの襟を立てて歩いた覚えがある。翌日、彼女の家族が持つ山の家に行った。私たちが2匹の犬を連れて山道を歩いたのは野生のアスパラガスを探していたからだった。なかなか見つからなかったが、見つかりだしたらあちらにもこちらにも見つかって、短時間で籠が一杯になった。見たことのないものだったし、見た感じ貧弱で美味しそうにも見えなかったが、夕食に出てきたそれは今までのどんな野菜よりも美味しいと思った。そうでしょう? と、彼女は私が美味しいと言って頬張ることを喜び、彼女の父親は娘が連れてきた東洋人がこうしたものを喜んで食べることを面白そうに眺めていた。
もう20年以上前のことで、すっかり忘れていたことだ。彼女は私を不憫に思っていたのだろう。結婚しているのに相棒はボローニャに居て、私はローマに居ること。ときどきしか会えないこと。別に喧嘩して別居しているわけでもないのに。だから、こんな風にして家族の家に連れて行ってくれた。夜、近所の映画館に誘ってくれたのも彼女だ。サンフランシスコが舞台の映画だからと言って。ただ、情報不足で、それが恐ろしく恐ろしい映画だとは彼女も私も知らず、ふたりで腕を組んで震えながらアパートメントに戻らねばならなかったけれど。そうして帰ってみれば、いつもは5人もいるアパートメントに誰もいなくて、一晩中怖い思いをしたけれど。これも長いこと思い出さなかったことだ。考えてみれば、私は彼女にとてもよくして貰ったと思う。復活祭を機に、彼女に深く感謝したい。

夜中になって、驚くような稲光が空を走ったかと思ったら、大粒の雹が降りだした。大粒の雹が日除け戸や雨戸を叩き、私と猫を不安がらせた。まるで空から大きな石が落ちてきたような音だった。怖がりの猫、大きな音が嫌いな猫は、背後から私のコットンセーターの中に潜り込んでじっと息を潜めている。あーあー。セーターが伸びてしまう。と、思いながらも何処よりも私の背中を安全地帯に選んでくれたことを嬉しく思った。




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