ジェラートを食べに行こうよ

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春とは素晴らしい季節である。日差しの強いこと、空の明るいこと、新緑を纏う木々、地面には小さな花が咲いてまるで花の絨毯のようだ。朝、外で囀る鳥の声で目を覚ますのはなんて気持ちがよいのだろう。夕方、仕事を終えた後も空が明るいのはなんと嬉しいことか。冬が暗い分、春の明るさが嬉しい。暖かい空気が嬉しいと思う。それにしても今日のボローニャは、24度にも上がって、私はほんの少し戸惑っている。少し調子に乗り過ぎてないか。このの調子では夏の暑さが思いやられやしないか。勿論、春の天気は崩れやすいので、この晴れ晴れした天気も何時まで続くかわからないけれど。

帰りのバスに子供たちが乗り込んできて、あっという間にバスが混雑した。前の乗車口から乗り込んでくる子供たちの数をカウントしてみたら24人。引率の先生がふたり。みんな。これは公共のバスなんだ。周囲の人たちに迷惑をかけてはいけないよ。先生の鶴の一声で、皆がお喋りを辞める。しかしそれも長続きはせず、また先生が静かに言う。学校じゃないんだよ。その一言で、また子供たちがお喋りを辞める。その様子があまりにも面白いので、我慢をしていたが思わず小さな笑いが零れてしまった。すると隣に座っていた青年が肘で私を小さく突っつく。駄目駄目、笑ってはいけないよ、とでも言うように。ちらりと青年を覗き見たら、青年が笑いを一生懸命堪えていた。私が途中下車したのは、バスが混雑して嫌になったからではない。急にジェラートが欲しくなったからだ。ムッリ通りのCAPO NORD。私の一番の気に入りだ。いつの頃からか。そうだ、本当にいつの頃からなのだ。

相棒と私がボローニャに暮らし始めた22年前の初夏。私達のドル貯金を両替したらほんの少しのリラにしかならなかった。本当に手持ちのドルがリラにするとたったのこれだけなのかと相棒と顔を見合わせて驚いたものだ。為替がドルに不利な時期に当たったからだった。ボローニャに住み始めて早々遭遇した不運だった。とはいえ、私達は周囲の人に助けられていたから、不運と言いながら幸運でもあったけれど。その頃トスカーナ州の港、リヴォルノ港にアメリカから送った20FTのコンテナが届いた。ボローニャとリヴォルノを往復したり、コンテナがボローニャに到着すれば荷物を降ろす作業があったり、それからボローニャ郊外の町に住まいを借りることが決まって荷物を運びこんだり、ボローニャの蒸し暑い夏に慣れていない私は体力を消耗しすぎて倒れる寸前だった。倒れることがなかったのは、私が今より22歳若かく体力があったからで、そしてこれから始まるボローニャの生活に大変緊張していたからだ。兎に角汗を掻いて汗を掻いて、ジーンズがみるみる間に緩くなった。もっと食べなくてはいけないよ、と周囲は言うが暑くて食欲もなかったし、それに周りのイタリア人のような大きな胃袋も持ち合わせていなかった。それにしたって疲れるばかりで楽しいことのないボローニャ生活。私達の決断は、つまりアメリカからボローニャに生活の場を移す決断は、間違っていたのではないかと早くも思い始めていた。楽しいことがひとつも無い、と零す私に、相棒は辛かったのではないだろうか。それで相棒が始めたのが、私をCAPO NORDに連れていくことだった。ジェラートを食べに行こうよ、と。この店は既に知っていた。結婚する前にボローニャにやってきた時、夜のドライブの帰りに相棒が連れてきてくれたから。彼が若かった頃、この店に足繁く通ったこと、この店は一種の社交場みたいなものであること。混み合う店の中で相棒が教えてくれたっけ。当時は昔ながらの小さな店で店に入って右手にジェラートが並び、左手にバールがあった。兎に角狭いし、そのうえ人気があったから、ひどい混雑で店の中とはいえ相棒とはぐれてしまい心細くなったものだ。美味しいジェラートをひとつ。始めのうちこそ嬉しかったが、それも毎日となると詰まらないものになり、相棒の気持ちも考えずに、いつもCAPO NORD、CAPO NORDばかりでもう嫌だ、などと言って困らせた。あの頃の私は気持ちに余裕がなくて、相棒を困らせてばかりいたと思う。悲しませていたのかもしれない。妻が自分の故郷の生活を楽しめない。幸せに思っていないことで苦しかったかもしれない。22年が経とうとして、やっとそんなことを思うのだから、随分間抜けな話である。私にとって、そして相棒にとっても、CAPO NORDはそんな思い出が染みついている店。もう10年以上前に隣の大きな店に移りモダンな雰囲気になった。奥のジェラート工房がガラス越しに見えて、この店のジェラートが本当に自家製であることを確認できるのも嬉しい。この店のジェラートは美味しいのだ。しかしそれ以上に美味しく思うのは、私達にはそんな古い思い出があるからだ。今日はジェラートを注文しながら、そんな古いことを思い出した。

ガラスにAPERTO TUTTI GIORNI(毎日営業)の紙が貼られていた。定休日が水曜日のこの店にこの張り紙が貼られると、ああ、よい季節が始まったのだと思う。これから夏の間中、毎日開いているCAPO NORD。次回は夕食の後に相棒を誘って来ようと思う。きっと喜ぶに違いないのだ。





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夏時間の始まりが雨だなんて

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昨晩、あまりの静けさに窓の外を覗いてみたら、雨が降っていた。静かに降る雨の様子を眺めながら、とても春らしいと思ったのは何故だろう。そういえば、昔、私が十代だった頃、夜遅く、そっと窓を開けて静かに降る雨を眺めたことがあった。あれも春だった。少しセンチメンタルで、気持ちのやり場がなかった、そんなところだっただろうか。まだ子供のくせに大人ぶっていた頃のこと。夜に降る春の雨はいろんなことを考えさせる。昨晩の雨は私に遠い昔を思い出させた。

朝目を覚ましたら、夏時間が始まっていた。家じゅうの時計を一時間早めながら、これから夕方が楽しくなると思った。仕事帰りが明るいと、家にまっすぐ帰ることができなくなる。何だか勿体ないような気がして。食前酒を楽しむのもよいし、ジェラート屋さんに立ち寄るのもいい。それから、ただ、旧市街を散策するのでもいい。家にまっすぐ帰るのが勿体ない気がする、だって空が明るいから。それは私に限ったことではないに違いない。
夏時間が始まる日は心がワクワクする。大抵何処かで誰かが時間を間違えて待ち合わせの時間に遅れたり電車に乗り遅れたりしたけれど、それも携帯電話が老いも若きも豊かな人もそうでない人も、つまりイタリア中の誰もが携帯電話を持つようになってからは、そうした間違えが少なくなった。壁掛け時計や腕時計は自分で時間を変えねばならぬが、携帯電話やコンピュータは勝手に時間を一時間進んでくれるから。全く便利な時代になった。その代わりにそれらのものが故障したり何かの理由で使えなくなると、まるで手足を捥がれたようになる。それも困ったものであるけれど。

良い天気の週末、と喜んでいたのに、午後になって雨が降り始めた。予感はしていたのだ。昼過ぎに空を眺めていたら、南の丘のほうが黒い雲に覆われていたから。そのうち風に乗って雲がやってくるのかもしれないと思っていたら、その通りになった。しつこい雨だ。夜になっても止むことを知らない雨。夏時間の始まりが雨だなんて、ちょっと残念過ぎやしないか。そんなことを言ったらば、知人はきっと言うだろう。最近雨が降っていなかったから、必要だった雨。文句を言うなんてとんでもない。




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思いがけないこと

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金曜日の夕方、旧市街に立ち寄ることもなく、近所のクリーニング屋さんに行って頼んでおいた衣類を引き取ったり、オレンジを買い込んだりしたのには理由がある。この数日の疲れと言ったら喩えようがなく、週末は家に閉じこもってゆっくりするのだ、家のことなどもせずに本など読んで、と考えていたからだ。それにしたって、金曜日の夕食の後の記憶がない。食器を片付けながら眠い眠いと言い、相棒にそんなことは明日すればよいではないかと言われたところまでは覚えているが、そのあとの記憶が全くない。気が付いたら私はベッドの中に居て、土曜日が始まっていた。鳥の声が聞こえた。窓を開けてみるといつの間にか萌えた緑が美しく、花の匂いがした。天気の良い土曜日。何もしないと決めていたのに、洗濯をして、家じゅうの片づけをした。私はじっとしていられない性質らしい。しかしそれも元気だからこそできること。有難いと思う。家のことに一区切りがついたので、さて、本を読もうか、と椅子に腰を下ろしてみたが身が入らない。気候が良すぎるせいだ。暑くもない。寒くもない。こんな季節に家の中に閉じこもるのは不健康ではないか。と、身支度をして外に出て、ちょうど来た旧市街行きのバスに飛び乗った。

何をしたいとか、何を見たいとか、そういうプランは持ち合わせていなかった。ただ、外に出ようと思っただけのことだ。バスが旧市街に入ったところで下車した。いつも歩かぬところを歩くために。珍しいものもなければ、興味深いものもない路地を抜けたら、教会があった。そしてその筋向いには美容院があった。ああ、この道はここに出るのか、と思った。ここは昨年の夏の終わりに歩いた覚えがあった。その前にここを歩いたのはさらに1年も前のことだっただろう。あまり来ない場所なのだ。兎に角、昨年この店の前を通りかかったら、店の中から素敵な人が出てきて、声を掛けた。彼女は背丈が170センチは軽くあるような、溌剌とした若い人だった。素晴らしくスタイリッシュなショートカットで、身に着けているものもセンスの良い、ちょっとこの辺りでは見かけないような、少なくとも私の身辺には存在しないタイプの人だった。声を掛けたのは彼女の髪が格好良かったからだ。あなた、ここによく来るの?などと、見知らぬ東洋人が声を掛けてきたので彼女はびっくりしたに違いない。しかし彼女はこうした知らない人に声を掛けられるのに慣れているのか、それともそういう予想外のことが好きなのか、私の話し相手になってくれた。この店はいいわよ、と彼女が言った。満足しているの、とのことだった。爽やかな笑みで、また会いましょうね、と手を振って歩き去った人。そんな彼女が通う美容院に大変関心があった。なのに飛び込めなかったのは、勇気がなかったからだ。私は案外頑固で保守的な人間なのだろう。現在通っている美容院にはある冬偶然通りかかって気に入ってから8年ほど経つ。その前の店は10年以上通った。一度気に入ると、何かきっかけがないと変えることがない。変える必要を感じなかったのかもしれない。それでいて、私は少し不満を持ち始めていた。待ち時間が長すぎること。それから、他人の噂話が多すぎること。馴れ合いすぎてしまった感じとでも言ったらよいかもしれない。そろそろ潮時かな、と思っていたが、それでいて知らない店に入る勇気がなかったのだ。ところがどうだろう。目の前にあの店が現れて、まるで私を招いているかのようだった。ガラス越しに店の中を窺うと随分忙しそうだった。そうしているうちに中から客人が出てきたので、入れかわりに私は店の中に滑り込んだ。こんにちは。そういって入ってきた初めての客に、店の人たちは何と思っただろう。髪の手入れをしたいのだという私をすぐに椅子に座らせてくれた店の人たちの寛大さに私は拍手をしたい。後に分かったのだが、店は予約制なのである。ちょうど予約がひとつキャンセルになったらしく、パズルのように組み込まれたスケジュールの中に滑り込ませてくれたということらしかった。店は小さいが感じがよかった。私が外から覗いていたように、中からも外の様子がよく見えた。古いポルティコの下を行き交う人々。いつかこの店の椅子に座ることになるなんて、思ってもみなかった。何しろ知らない店に入る勇気なんて少しもなかったのだから。違う種類の顧客がいる店。なかなか客質は良いようだ。それから途中でハーブティーを振舞ってくれたのも新鮮だった。仕上がりは上々。また来るから、と満足の笑みを残して店を出た。こういうことが沢山ある。新しことをする勇気がないこと。やってみれば、なんだ、こんな簡単なことだったのだと思うのに。予定通りは簡単だけど、たまには突然や偶然を、えいっ、と掴んでみるとよい。

今日の私は思いがけず外に出て、思いがけずあの店に入って、至極爽快。それにしたって暖かく、旧市街には土曜日の午後を楽しむ人たちで一杯だった。こんな日に家に閉じこもるなんてとんでもない。外に出よう。外を歩こう。元気な限り、私は街歩きを楽しむのだ。




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メッセージが届いた

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ここ数日のボローニャの気候には閉口している。暖かくてコートを脱いで歩けるようになったかと思えば、気温が思うように上がらない。例えば昨日がそうだ。一日中曇り空で底冷えがした。夕方には冷たい風が吹いて、暖かいコートを着てこなかったことを後悔したものだ。数日前はジェラートを買い求める人の列ができていたが、それよりも温かいスープが欲しくなるような夕方だった。油断大敵、というのはこの季節のことだ。うっかりして風邪などひいたら大変。もう少し様子をみなくてはならないと思う。

昨晩、メッセージが届いた。送り主は古い知り合いで、私がローマに居たころ世話になった人である。もう21年も前のこと。知人といっても単なる知人ではない。言うなれば私が働いていた会社の上のポジションの人で、間接的な上司であって、古くからローマに暮らす彼は多くの人から慕われたり頼りにされたりする、私からすれば手の届かないような人だった。忘れられないことがある。何かの名前の綴りを電話口で言われたが、私にはさっぱり分からなかった。ゆっくり言ってくれたにも拘らず。アメリカでは、A apple, B boyなどと綴りを説明するけれど、イタリアではappleだのboyだの言わずに、地名を使って説明する。A ancona, B bologna, C comoといった具合に。当時の私はまだそれを知らず、知人がいきなり電話口で沢山の地名を言い出したことに目を白黒させるばかりだった。全然分からなかったことを白状したのは、それから何日も経ってからのことだ。分からなかったことをすぐに言えなかったのは、当時の私がイタリア語やイタリア文化を全然吸収できなかった劣等感からくるものだったのではないだろうか。私が分からなかったことを知人は怒らず、分からないといわなかったことにも怒らず、恥ずかしがるな、分からないことは恥ずかしいことではないと言ってくれた。ああ、この人は親切な人だ、と思った瞬間だった。ローマに居た頃の私は、誰からも良くして貰った覚えがある。そして、この知人もそのひとりだった。誰か大切な人の接待に、おまけか何かで連れて行って貰ったことがある。いつまでも明るい夏の夕方、ヴェネト通りのレストランのテラス席。冷たい白ワインを頂いたことばかり覚えているのは、そんな雰囲気が私の知っているボローニャにはないからだろう。あれはやはりちょっと素敵で、ちょっと華やかで、やはりローマならではのものなのだ。ローマの仕事を辞めてボローニャに戻った私を、その数年後フィレンツェの仕事に誘ってくれたのもこの知人だった。あまり接点がなく遠い存在と思っていたけれど、なんだかんだ言って、私はこの知人に感謝すべきことが沢山ある。イタリアに来たばかりの頃の私は、自分をツイていない人間と思っていたけれど、そんなことはない。気が付かなかっただけだ。私は様々な人に守られていたのだ。知人から届いたメッセージを読みながら、そんなことを思い出していた。

春物のショーウィンドウを眺めながら心に誓う。数週間のうちに冬の間に蓄積した贅肉解消しようと。モカシンシューズを素足を履くころまでに。春はやはり軽快が似合う。




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新芽

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寒がりの私が冬のコートを止めて、薄いトレンチコートを着るようになった。春になった証拠である。見回せば、周囲の人々はひと足もふた足も先に春の装いになっていたようであるが、遅すぎることはあるまい。私は私のペースで春を感じればよいのだから。居間の窓の前の栃ノ木は、秋に葉がすっかり落ちて以来、丸裸だった。ところが2日前、枝の先っぽに緑色の玉のようなものが着いているのを見つけた。その不思議な様子にどんな展開があるのかと楽しみに観察していたところ、今朝緑色の玉はふっくらと、まるで花弁のように開かせた。新芽だった。春だ、春だと新芽が歌っているようで、見ている私まで嬉しくなった。春はいい。寒い冬が終わった後に訪れる春は誰にとっても嬉しいものに違いない。

一昨日、相棒が地下倉庫からお酒を持って上がってきた。それは細い深緑色の瓶で、2001とラベルが貼られていた。明らかに私が書いた数字だった。ジーノのNocino。相棒と私の古い友達であるジーノが作った胡桃のお酒。木から落ちた胡桃の実を拾い集め、90度のアルコールに浸けて作ったものだ。なかなか手間が掛るそれを、分けて貰えるのは全く有難いことだった。ジーノと知り合ったのは、まだ相棒と私がアメリカに暮らしていたころ。結婚を前にして私が初めてボローニャに訪れた時のこと、1993年のことだ。ジーノは相棒の幼馴染の恋人だった。背がひょろりと高くて何を考えているのかよくわからない、というのが私が得た彼の印象だったが、おそらくジーノも私のことを何を考えているのかよくわからない外国人だと思ったに違いない。私たちがアメリカの生活を引き払ってボローニャに来ると、私たちの交流は深いものになった。ジーノと彼の恋人と私たちは、本当にいつも一緒だった。だからジーノが恋人と別れたとき、私たちは困ってしまった。何故ならどちらも同じくらい好きだったからだ。結局恋人はローマに仕事を得てボローニャから出て行ってしまったから、ジーノとの交流だけが残った。山に暮らしていた彼は週末になるとやってくる私たちを歓迎してくれた。庭で肉を焼いたり、山のお祭りに行ったり。私たちの分もお願いね、と冗談で言った一言を真に受けて、毎年律儀にNocinoを作っては、瓶に詰めて分けてくれた。そして家に帰ると私はラベルを張るのだ。2001というのは2001年のNocinoという訳だ。コルクを抜くといい匂いがした。ジーノのお酒。小さなグラスに注いで舐めてみたら、驚くほど美味しかった。ジーノとは、2010年くらいまで、まるで兄弟のように付き合っていたが、いつの間にか疎遠になってしまった。それを私は寂しいとずっと思っていた。言葉にこそ出さないけれど相棒もまた寂しいと思っているに違いなく、いつか再び昔のように友達付き合いができればいいのにと思いながら、年月だけが過ぎていく。一昨日思いがけずジーノのお酒を頂いて、そんなことを思い出していた。ジーノは。ジーノは私たちのことを思い出すことはあるのだろうか。そうであればいいのに。春になると木の枝に新芽が出るように、私たちの友情にもそんな新芽が出るといいのに。

それにしたって週末はあっという間に過ぎていく。これは世界共通。楽しい時間とはそういうものなのかもしれない。




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