ヤドリギの枝の下で

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大晦日の一日は外出しない、と前々から考えていたと言うのに、急遽変更。手早く身支度をして家を出た。昼までに帰って来ようと思って。旧市街の、特に2本の塔のある辺りは大変な人混みだった。高いほうの塔に登ろうと列に並んでいる人々。こんなに沢山の人が並んでいるのを見たことが無い、と空いた口が塞がらぬほどの列だった。過去に幾度か塔に登った経験があるが、ひとりだって入場の為に並んでいる人などいなかった。がら空きで、入場券を販売している係員が暇そうで気の毒だったくらいだ。1年の最期に塔の上からボローニャを見渡す。悪くない案だと思った。
旧市街を歩きながら思い出したのは、今日が土曜日であることだった。冬の休暇に入って以来、曜日の感覚がおかしくなった。旧市街の車道が塞がれていて、道の真ん中を楽しそうに闊歩する人達を眺めながら、そんなことを思った。
食料品市場界隈にある雑貨屋さん。私は此処に用事があった。ほぼ毎日のように前を通るが、昼休みだったり、閉店後だったり、休みだったり。その度に私は思ったものだ、縁がないのかなあ、と。それで今日は絶対に開いている時間帯を狙ったと言う訳だ。この店はたいへん小さい。それから他の店より少し高い。なのにいつも混んでいるのは、他の店ではおいていないものも沢山あるからだ。革製品を手入れするクリームにしても、何にしても。それから案外歴史の長い店なので、昔からの常連さんも多いらしい。店の中があまりに混んでいたので一瞬ひるんだが、思い切って中に入った。時間はたっぷりある。自分の順番が来るまで待てばよいだけだった。そのうちやっと店員の手が空いたらしく、さあ、何をお見せいたしましょうか、と声を掛けられた。ブラシを見せてください。ブラシ? そう、ブラシ。外套の埃をとる為のブラシ。そうして店の人が見せてくれたのは、馬の毛のブラシと羊の毛のブラシだった。前者は黒くて堅い毛で、後者は白くて思わず頬擦りしたくなるほど柔らかだった。値段を訊いて驚いたが、店の人の言葉を聞いて、羊の毛のブラシを購入した。高いですよ。でも、生地を傷めません。この店の人は勧めるのがとても上手だ。気に入りの外套をあと10年着ようと考えている私の心を見抜いたような言葉だった。気に入りとは言え、既に10年着ている外套をあと10年着るなんて、と人は言うかもしれない。でも、ベーシックのこの黒いコートは流行り廃りが無いし、それに少しも傷んでいないから、やはりあと10年は着てあげたいと思う。ひょっとしたら生地が擦り切れてあと5年しかもたないかもしれないけれど。
店を出て並びの近くの花屋を見て回った。近くに花屋が2軒ある。しかしそのどちらにも求めているものを見つけることが出来なかった。その求めているものとは、ヤドリギである。イタリアではヴィスキオ(Vischio)と呼ばれている。昨晩、フランスに暮らしている女性のブログを読んでいたら、ヤドリギのことが書いてあった。フランスではヤドリギの枝の下でキスをして新年を迎えると、幸せな1年になると言う話で、彼女は郊外の森に、このヤドリギを探しに行ったそうである。写真を見てみたら、あら、これは見たことがある。イタリアにも同じ習慣があるのではないだろうかと思って相棒に訊いてみたところ、案の定、イタリアにもそうした言い伝えがあることが分かった。これは是非とも手に入れなくては。とは言っても私は彼女のように森にヤドリギを探しに行くことはない。そもそもどの森に行ったらよいのかもわからない。それで花屋に来たと言う訳だった。このどちらかの店にあると睨んでいたのに。私はがっかりしながら家に帰るべくバスに乗った。幸せな新しい1年を早くも逃してしまったような気分だった。家の近くでバスを降りると、思い出した。そう言えばこの近所に小さい花屋があるではないか。店はパキスタン人夫婦が切り盛りしていて、日曜日も祝日も、要するに一年中営業している花屋だ。花屋へ行くと奥さんが居て、彼女の足元に、あった、あった、ヤドリギがあった。縁起物らしく、購入する人が多いのだろう。既に透明のセロファンで包み赤いリボンを付けたものもあったけれど、贈り物じゃない、自分の家に飾るのだからと、丸裸の元気そうな大振りのヤドリギを選び出すと、それでもやはり縁起物だからと奥さんが枝に赤いリボンをつけてくれた。赤い色は縁起がいいからね、という言葉つきで。嬉しくてならなかった。知らないうちに鼻歌を歌っていたらしい。道端ですれ違った近所の青年に、どうしたのさ、機嫌がいいじゃないか、いいことでもあったのかい、と言われた。いいこと? うん、ヤドリギを手に入れたからね、と言って自慢げに見せると、うちじゃあ、親父が早くも居間に飾ったよ、と言って笑った。午後、相棒にヤドリギを見せたら、喜んでくれた。ヤドリギを見ると死んだ彼の父親を思い出すそうだ。父親は大晦日になると何処からかヤドリギを手に入れて家に飾っていた、と。私は一生懸命昔のことを思い出してみた。すると、古い記憶が蘇った。そう言えば、そうだ。君の家にも少し、と言って枝を分けて貰ったことが一度だけあった。もう10年も15年も前のことで、いったいどの年のことだったか思い出せないけれど。ヤドリギの話が、こんなことに結びついた。ヤドリギの枝が手に入ったことが、既に幸せな新しい1年を保証しているかのように思えて、今日の私は笑いが止まらない。

あと数時間で1年が終わる。色んなことがあったけれど、過ぎてしまえば全て思い出になる。嬉しかったことも、楽しかったことも。辛かったことも、悲しかったことも、同じように綺麗に畳まれて、記憶の小箱に収められるのだ。

沢山のことを学んだ1年でした。多くの人に支えられて、多くの人に教えて貰った素晴らしい1年でした。ありがとう、皆さん、本当にありがとう。両手で抱えきれぬほどの感謝の気持ちと共に1年を締めくくりたいと思います。




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天気がいいから街に出よう

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街は俄かに賑わっている、それは冬のサルディが正式に始まる前の、俄かに事前の割引が始まっているからだ。顧客には電話やメールで連絡が届く仕組みになっている。今日、エルメスの前を通ったら、思いのほか店内が混んでいるので驚いたが、此処もまたそんな風にしてお得意さんに事前に連絡がいっているのだろう。エルメスのお得意さんだなんて、ちょっと凄い。確かにエルメスの上着にしても何にしても、お見事と言いたいくらい仕立てが良い。でも、ちょっと背伸びしたくらいでは手に入れられぬような、値段もまた上等なのである。世の中にはこうした店に家族で通う人達も存在する。こうした店に両親とともに出入りする子供たちは、大人になっても当たり前のようにこの店に通うのだろう。

私は美しい響きと美しい発色のエルメスには縁がないが、バールやカフェには縁がある。特に近所のバール。バールの中にはタバコ屋があって、タバコを吸わないくせにタバコ屋のおじさんと仲がいい。彼はそろそろ年金退職をしても良かろう年頃。彼は大のサッカー好きで、特にボローニャのゲームは見逃さない。ボローニャでゲームがあるときはスタジオに観戦に行き、ボローニャの外の時には家でテレビ観戦と言った具合。ある日、テレビ観戦中にアンテナの調子が悪くなったらしい。よせばよいのに屋根の上に備え付けられているアンテナを正しに梯子に登って屋根の上へと移動しようとしたところで、いや、屋根から梯子に移動しようとしたところだっただろうか、兎に角、足を滑られて落下してしまった。当然のことながら骨折で、しかも複雑骨折ときたから長いこと入院し、11月の終わりに社会復帰したばかりである。長い入院中に様々なことを考えたのだろう。タバコ屋に戻って来たのは良いが、随分後ろ向きな性格になってしまった。何時も皮肉めいたことを言うし、笑いもしない。あんなににこやかな人だったのに。訊けば入院代金が2万ユーロだかで、家計が火の車らしい。うーん、気持ちはわかるけれどねえ。皆そんな風に言ったけれど、最近彼は少々鬱陶しい存在になっていた。拘らないほうが身のため。下手に話しかけたら、いやな気分になるだけ、と。先日の夕方、カップチーノでも頂こうと思ってバールに行った。冬の休暇中の私は、時間が沢山あって余裕しゃくしゃくなのである。タバコ屋の席には彼が居て、顔なじみと長話をしているようだった。遠くから声を掛けてみた。元気? すると彼は、元気なのか元気じゃないのか、などと言った妙な言葉を返してきた。ああ、あなたはまだあの入院代のことを考えているのね。でもね、考えてごらんなさいよ、借金もしないでそんな大金を払うことが出来たのだから、あなた、かなり運がよかったと言うことよ。世の中には、そんなお金が無くて入院も出来ない人もいると思うわよ。私が冷たく言い放つと、タバコ屋のおじさんと先客は目を丸くして顔を見合わせた。彼らはそんなことは考えたこともなかったらしい。へえ、成程ねえ。そう考えたら、君は運がよかったよ。先客がそう言うと、タバコ屋のおじさんも同意した。おじさんは暫く狐に包まれたような表情だったが、そのうち氷が融けたように柔らかい表情を見せた。それから私達の話は一転も二転もして、次に生まれるとしたら何に生まれたいか、という話題になった。先客は犬や猫には生まれたくない、捨てられたら悲しいからな、と言った。できればもう一度人間に生まれたいと言うので、私達は成程ねえと頷いた。タバコ屋のおじさんは自分の意見を控えて私に訊いた。君は何に生まれたいんだい、と。私は、私は樹になりたい、と言った。それも、200年も400年も生きるセコイヤがいい。セコイヤはアメリカの西の方に生殖する常緑針葉樹である。アメリカに居た頃幾度も見に行った。相棒に強請って街から随分と北上し、この樹を見るために国立公園へ行ったものだ。高さが100メートルもあるのは古い樹で、直径は1メートルも2メートルもあった。天に向かって真直ぐのびる樹を眺めながら、私はこんな樹になりたいと思った。ヒッチコックの映画‶めまい‶この国立公園の存在を知ってから、私はすっかり虜になってしまったのだ。。私はセコイヤがいい、しかも国立公園の中に育つセコイヤ。手厚く守られて、滅多なことでが切り倒されることもない。そう、話しを括ると、彼らは酷く感心したようだった。そんなこと、考えたこともなかったよと言う彼ら。そうなの、だから、あまり言わない方が良いみたいなの、変な人だと思われるかもしれないからと笑う私。気が付けばタバコ屋のおじさんが笑っていて、先客も私も涙が出るほど嬉しくなった。

数日前まで温暖だったのに、掌を返すように寒くなった。冬だから当然と言えば当然、しかし、こんな時は気を付けた方が良い。うっかり風邪など引いたらば、折角の休暇が台無しだ。街に出よう。しっかり着込んで街を歩こう。自由な時間があるうちに。元気に散策が出来るうちに。それからクリスマスに溜めこんだ大量のカロリーも消化しなくてはいけないから。




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気が付いたこと

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12月末。私が一番覚えている12月末は、アメリカに住み始めて1年も経たぬ頃のことだ。家族から離れていたからクリスマスを共に祝う人もいなかった。少ない知人達も、冬の休暇をよいことにどこか遠くへ足を延ばしてしまっていた。一緒に暮らしていた友人もどこかへ出掛けていたし、私は本当に独りぼっちだった。家族と離れて暮らすのは生まれて初めてのことではなかったが、これほどの長い距離が家族と私の間にあったのは初めてだった。ちょっと家に帰ることができないほどの距離。海の向こう側に来てしまった自分。自ら望んでアメリカ暮らしを始めたのに、これが外国に暮らすと言うことなのだと思い知った12月だった。11月終わりに、私は引っ越したばかりだった。ダウンタウンのストゥーディオを引き払い、其処から4ブロック坂を上がった辺りに友人とふたりには広すぎるアパートメントを借りた。陽当りが良くて快適な棲み家だった。私の部屋は南に面していて、大きな出窓があった。白い壁に白い出窓。子供の頃に通っていた小学校を思い出させるような、木製の床。壁に備え付けられたクローゼット以外は何もなかった。入居した時は持ち込んだ小さな机と椅子、机の割には大きすぎるランプしかなくて、あまりにも寂しかった。ミッション地区にある安い家具屋にマットレスを買いに行き、チャイナタウンで引き出しの箪笥を手に入れた。どれもこれも安物だったけれど、何の不満もなかった。贅沢しようと思えばできたのだろうけれど、あの頃の私はあの街で生活することだけで充分嬉しかったから、それ以外のことはどうでも良かったのだ。ようやく生活必需品が揃った頃にクリスマスがやって来たのは運がよかった。もしマットレスもなくて毛布にくるまって床に寝る生活が続いていたら、それはもう、侘しくて堪らなかっただろう。それでなくともクリスマスを一緒に祝う友人が居なくて寂しかったのだから。いや、寂しいと言うよりは、なにか取り残されてしまったと言うような感じだった。外に出ても人が歩いていなかった。まるでクリスマスと言う宇宙に人と言う人が吸い込まれてしまい、隠れていた私ひとりが地上に残ってしまったように思えてならなかった。いいや、同じような人が何処かに必ずいるに違いない、と私は人を探して歩いたが、こんな日なのにドラッグストアでレジをさせられてふくれっ面の女性しか見つけることが出来なかった。そうして遂に道を歩いている人に出会ったりすると、こんな日にひとりで街を歩いている者同士で、何かほっとしたりして。そうしてクリスマスが過ぎると街に人が戻ってきて、妙な安堵を感じたものだ。
私がアメリカ生活一年目の12月末をこれほど覚えているのは、望んでいたアメリカ生活一年目だったからではない。寂しかったからでもない。自分がこれほど寂しがり屋だとは知らなかった、其れに初めて気が付いたからだ。其れは私には大きな驚きだった。何故なら私は自分を強い人間、ひとりが好きな人間、ひとりで居ることを愛しているのだと信じていたから。そしてそれを境に私は随分と変わった。人と話したい。人と接することが大好きになった。私が其れまでぶち当たっていた英語という言葉の壁を、えいっと乗り越えることが出来たのも、こんなことが背後にあったかもしれない。人はひとりでは生きていけない。皆が色んな形で交わりながら、知らず知らずのうちに関わりながら、気が付かないだけで助け合いながら生きているのだと知ったのも、その年の末ことだった。私は何時も人よりテンポが遅れているから、そんな大人になってからようやく気が付いたのだ。クリスマスを軸にして色んなことを学んだ時期だった。25年も経つ今もクリスマスになると思い出す。そして思うのだ。気が付くことが出来た喜び。人より遅かったかもしれないけれど、遅すぎはしなかったこと。

髪を切った。短か過ぎると風邪を引くからと言って、あまり切らないでと言ったのに大そう短くしてくれた。きゃっ。短いね。襟巻で首元をぐるぐる巻いておかなくちゃ。と言っていつもの店を後にしたが、悪くない、全然悪くない。髪が短くなって気分爽快だ。




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クリスマスの翌日の快晴。窓辺に佇む猫が嬉しそうな声を上げる。木の枝に鳥が止まって囀っている。冬なのに春を思わせるような、そんな穏やかな一日。
昨日のクリスマスの昼食会は少人数ながら沢山のご馳走だった。皆一様に機嫌がよく、よく喋り、よく飲んで、よく食べた。おかげで夕食は空腹ではなかったから簡単に済ませることにした。兎のようにサラダばかり食べた。サラダの上にチーズのかけらと胡桃のかけらを沢山のせて。添えたパンにはフランスのバターを塗って。美味しい赤ワインを片手に食べたものだから、結局、大量のパンとチーズを摂取して、何だ、お腹が空いていないんじゃなかったのか、と相棒に笑われた。危険だ。気をつけねばならない。この冬の休暇のうちに気に入りのジーンズがきつくなってしまわないように。それにしても不思議なことが続いている。近頃素晴らしいワインを友人知人から頂戴している。近所に暮らす老人からの白ワイン。素晴らしかったので何処で購入したのかと訊ねたが教えてくれない。何処か、秘密にしておきたいワイン農家から購入しているらしい。まだ2本残っている。大切に頂くことにしよう。それから同僚からのフランスの赤ワイン。私がフランス屋によく足を運ぶことを知っていて、わざわざ店に行って訊いたらしい。私がどんなワインを好きなのかと。其れで店主が私が好きそうなのを見繕ってくれたらしい。実際、其れは私の気に入りの赤ワインだった。ただ、これは気をつけねばならない。何しろアルコール度14,5なのだから。相棒や友人たちと、ちびりちびりとやるのがいい。こんな美味しいのがあるのでは、美味しいチーズも必要だ、と望みは広がる一方だ。それから今日、相棒が持ち帰ったプーリア州の赤ワイン。以前隣人だったミケーラが、どんな風の吹きまわしか、これは特別なのよ、なかなか手に入らないわよ、という前宣伝付きで相棒に手渡したらしい。だから特別な晩のご馳走と共に頂きなさいよ、とのことだ。南イタリアのワインはどれもパンチが強いけれど、どうやらこれもそのひとつらしい。このホリデーシーズンに集まった美味しいワインたち。おかげで私と相棒は、笑いが全然止まらない。

さて、クリスマスの翌日の今日も祝日。サント・ステファノと呼ばれている。家に居るには天気が良すぎる、とバスに乗って旧市街へ行ってみた。店の大半が閉まっていて静かなものだった。耳を澄ませると外国語が聞こえてきた。彼らはクリスマス休暇にボローニャを選んで来たのだと思ったら、ちょっぴりうれしい気持ちになった。別に私のボローニャではない。でも、私が暮らしているボローニャ。長年かけて好きになったボローニャ。そんなボローニャに足を運ぼうと思った人達がいる。其れはやはり嬉しい以外の何者でもなかった。広場に面した、いつも歩く道。幅広のポルティコの下、靴の踵の音が響く。その音が耳に飛び込んでくるのは、人が少ない証拠。空気が冷たい冬の証拠。寒いのが嫌いなのに、冬が嫌いなのに、靴の踵の音が響く冬の冷たい空気が好きだ。時々思う。私の頭の中の小さな引き出したちがひっくり返って混じり合ってしまったのではないかと。嫌いなのに好き。頭がどうにかなってしまったのではないか、と。

たった1時間だけ歩いて帰ってきた。たったそれだけで満足してしまう程、楽しい散歩もある。大変好調。冬の休暇、必要だった。




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恵みと喜び

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昨夕、今年の仕事を終えて、冬の休暇に入った。肩の荷が下りたような気分だった。ずっと楽しみにしていた12月のパリにも行けなかった程、忙しい毎日だった。特に最後の一週間は時間との競争だったから、仕事を終えた感激は、ちょっと言葉に言い表すことが出来ない。今朝、のんびり起床したのは、そんなことが理由だっただろうか。目覚まし時計は早めにかけておいたけれど、やはり起きることが出来なかった。ほっとしたことで、今までの疲れがいっぺんに出てこなければいいけれど。其れは、私によくあるパターンなのだから。

今朝、相棒が袋を手に提げて外から戻ってきた。クリスマスの前日であろうと、何であろうと、彼の早起きは変わらない。それから朝食のカッフェを近所のバールで頂くことも。そんな彼の習慣を不経済だと思ったこともあるけれど、普段あまり贅沢をしない彼の数少ない望みだと思えば、それくらいのことに文句を言うつもりはない。バールは社交場。彼の小さな生活習慣の一部。そう思えばよい。さて、相棒が手に提げてきた袋の中には、人参が入っていた。店で売っているような既に泥を洗い落として余分な部分を切り落とされたようなものではなくて、地面から引っこ抜いて手で泥を払っただけの、まだ葉が付いている大振りの人参だった。取り出してみたら7本もあった。どうしたのかと訊ねたら、カルロから貰ったと言う。はてな。カルロは妻と一緒に、最近買い替えたばかりの最新のキャンピングカーでスペインへと旅だった筈。ひと月の予定で。クリスマスと新年の幕開けを気に入りのスペインの街で迎えると言っていたではないか。何しろ素晴らしいキャンピングカーで、小さなホテル、と言っても良いほどの設備だから、クリスマスと新年をそんな最新カーで過ごすのも悪くないと、周囲の人達が言っていたのを私も耳にしている。それともカルロは何かの都合で急遽引き返してきたのかもしれない。それにしても人参だなんて。と思いあぐねていたら、カルロと言っても違うカルロ、山に住むカルロだと言う。私の知らないカルロだった。今朝、バールへ行ったらカルロが待っていた、此の袋を手に提げて。沢山採れたんだ、土の匂いがするほど新鮮なんだから、と言って相棒にくれたのだと言う。そういえば最近野菜を何処かで手に入れて家に持ち帰ってくるが、それらは山のカルロからのお裾分けなのかもしれない。何の説明もないから、てっきり店で買ってきたのかと思っていたけれど。ところで相棒は、貰ってきた人参を見て、こんな大きな人参は見たことが無いと言った。私は其の言葉に驚いてしまった。彼はスーパーマーケットで売られている細くて小さな人参に目が慣れ過ぎてしまったのだろうか。それとも彼は本当に、こうした人参を見たことが無いのだろうか。私は。私は知っている。そんな人参たち。
生まれ育った東京の隅っこを離れたのは10歳の頃だ。随分前に両親が田舎に土地を買っていたらしく、其処に家を建てて私達家族は移り住んだ。住み慣れた街を離れるのは心細かったが、陽当りの良い広々とした自分の部屋があることや、大きなテラスと庭があることは、子供の私にとっても嬉しいことであったのを覚えている。ただ、大変な田舎だった。其処での生活に慣れるの字は時間が掛かった。生活習慣とは、気が付かないうちに身に沁み込んでいて、急に変えることなど出来ないのだと、子供ながら感じ、葛藤した。翌年になると家族はそれなりにその土地で上手くやっていく術を身に着けたのだろう、母は自宅で和裁と洋裁を教え、父は都内にある職場までの長い通勤を上手くこなし、姉も学校で上手くやっていた。姉について言えば、何をさせても優秀だから、新しい学校でもすぐに中に溶け込んで、問題など全くないように見えた。そんな姉を持つ私は、姉を敬う分だけ劣等感を持っていたかもしれない。姉はうまくいくのに私はうまく土地に溶け込むことが出来なかった。転校生とはそういうものだと分かったのは、ずっと後になってからだ。ただ、当時の私はあまりにも子供だったから、広い自分の部屋の喜びはもう忘れ、新しい環境に四苦八苦しては何故こんなところに来てしまったのだろうと悩んだ。そんな生活の中で両親が私に土いじりを教えた。つまり、近所にある農地を借りて、農作物を育てるという喜びである。今まで農家が手を加えていただけあって、良い土だった。黒くて、柔らかい土。土に匂いがあることを知ったのもその頃だ。土曜日になると必ず家族で農作物を見に行った。収穫することもあれば、水をくべるだけのこともあったし、収穫を終えて、再び土を耕すこともあった。私が好きだったのは耕した柔らかな土に苗や種を植えることだった。芽が出るだろうか。来週には緑色の小さな芽が出ていればいいのに、と。周囲には同じように土地を借りて日曜農家を楽しむ人達が居た。土曜日の朝、彼らと挨拶をするのは楽しいことだった。何時だっただろう。掘りたての人参を手にぶら下げている人を見た。其れは店先で見る人参の倍もあって、堂々とした感じがあった。そんな人参を育てたことをその人は自慢しているかのように手にぶら下げて歩いていた。そして私はと言えば、そんな人参を何時か家でも育てることが出来ればいいのにと願ったが、ついに一度もかなわなかった。両親は人参に関心が無かったからだ。其れよりもじゃがいも。それよりも茄子。其れよりもさやいんげん。ついに一度も人参を育てることがなかかった。
山のカルロの人参は、あの時見た人参によく似ている。愛情が沢山込められているに違いない。多分、其のまま齧ったら甘くて美味しいだろう。人参に鼻を近づけてみたら、ふわっと土の匂いがして、あっという間に私を子供時代に引き戻した。両親が教えてくれた土いじり。今はもうすることが無い。土いじりは相棒がしてくれる。相棒が手掛けた植物は、不思議なほど良く育ち花が咲くから。

クリスマスシーズンに人参。馬が喜びそうな人参を眺めながら、そういえばキリストは馬小屋で誕生したのだと思い出し、まんざら無関係ではないと頷く。外は静か。人々は何処へ行ってしまったのだろう。小さいながら温かい家があり、素朴ながら温かい食事があり、クリスマスを共に祝う家族が居る。其れを幸せと言わなかったら、何と言おう。

全ての人に恵みと喜び溢れるクリスマスがありますように。Buon Natale.




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