魅力

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隣のドアの奥から犬の声が聞こえる。懸命に吠えるのは、白いチワワのシャネル。飼い主がシャネルを好むことから、そんな名前が付けられたらしい。誰に訊いたでもないけれど、それは安易に想像がついた。シャネルがどうして吠えているのか。多分、猫の気配を感じるからだろう。しかし吠えられているに違いないうちの猫は、そんなことは何処吹く風。何しろ姿が見えないから、吠え声が聞こえても落ち着いたものだ。寧ろ興味が湧いたのか、尻尾をくねくねさせながら、入り口前に座って耳を傾けている。互いに顔を合わせたことは無い。いつか対面することがあったら、どちらが先に逃げ出すだろう。

隣の家の奥さんはフランスが好きらしい。それは多分、フランスという国や街が好きというよりは、フランスのものが好きなのではないかと察する。白いチワワにシャネルと名前を付けたことでもよく分かる。この辺りで有名な話がひとつある。彼女がボローニャ旧市街の店に新作の鞄を求めて行ったら、まだパリの本店にしかないと言われたらしい。それで彼女は空港へ直行して、パリ行きの航空券を購入するなりパリへと飛び立ち、欲しかった鞄を抱えて家に帰って来たと言う話だ。この話を聞いたのはもう何年も前のことで、私と彼女が知り合う前だった。話を聞いた私は、会ったこともない彼女を一体どんな人なのだろうと想像した。景気の良い、常連客を沢山持つバールを経営する夫が彼女を甘やかしているのだろうか。それとも彼女が我儘なのだろうか、と。2年前の今頃、今住む家に不動産屋と一緒に見に来て初めて彼女と知り合ってみたら、我儘な感じは微塵もなくて、若く美しい、大らかで笑顔の似合う女性だった。話せば話すほど、彼女の魅力が分かり始め、此れでは夫も甘やかしてしまうだろうと思った。いや、つまり、私が彼女の夫なら、この眩しいばかりの笑顔を見たら、大抵のことは、まあいいか、と思ってしまうに違いないのだ。そうして今の家に引っ越してくると、もう少し彼女のことが分かり始めた。とても優しいこと。礼儀正しいこと。それからあの笑顔がどんなに周囲の人達に愛されているか。どんなに周囲の人の心を和ませているか。まあ、例のパリへひとっ飛びの話は、なかなか奇抜な行動だったが、別に悪い人じゃない。多分、周囲の人達が、ほんの少し羨ましかっただけだ。

ところで私が昨秋パリへ行った時、物欲を掻きたてられてどうしようもなくなるのではないかと思っていたが、面白いことに物欲は騒がなかった。店に入れば、ボローニャとは違う趣味の、実にフランスらしい趣味のものが並んでいたのかもしれないけれど、私は其れよりも歩くことに夢中だった。地下鉄を乗り継いで、地上に出たらひたすら歩いた。時にはショウウィンドウの前で足を止めて覘いてみたりもしたけれど、今の瞬間は今しか得られないとばかりに、私はパリという街を見て感じること、行き交う人達を眺めること、歩くことに夢中だったから、店の中に吸い込まれることは無かった。敢えて言うならば、食料品店によく足を運んだ。ワインやチーズ、パンや果物と言った類の。そして時には美術館や写真展を見て歩き、カフェでひと息をついた。帰ってきて鞄を開けても何ひとつ、例えばシルクのスカーフだとか、何とかが出てこないことに相棒は随分と驚いたようだった。鞄の奥から出てきたのは、チーズの塊。それから焼き菓子。みんなで食べようと思って。身に着けるものを何も購入しなかったのか、と言葉にはしなかったが、こちらを向けた相棒の顔にそう書いてあった。そして相棒は何か感じ取ったらしい。其れほどパリが楽しかったのか、と。
相棒の直感は正しい。私はパリの魅力に落ちた。広くて手におえない。分かったような気にすらなれない、というのが私のパリの印象だった。一度訪れたくらいでは、全然足らないから、これから幾度も足を運ばなければならないだろう。例えば夏季休暇を利用して、例えばクリスマスの頃に。それとも週末に数日間。それを聞いて、やれやれと溜息をつく相棒。でも鞄を求めてパリへひとっ飛びを考えれば、まだいいか、というのが相棒の感想だ。鞄を求めてパリへひとっ飛び。彼女がそんな行動をとってから既に5年ほどが経っているが、人々の脳裏から消える気配はない。少なくともあと数年は、何かにつけて口からついて出るに違いない。

それにしてもパリ。何故もこう私を惹きつけるのか。実のところ私にもよく分からない。


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装い

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窓の外の雨。寝室の窓から見える隣人の庭のプールの水面に、雨粒による幾つもの小さな輪が出来ては消える。予報通りの雨。でも、強い降りではない。静かに淡々と降る雨に、ほんの少し安堵を感じる。そんな土曜日が私には必要だったような気がするのは、多分私が少しばかり疲れているからだろう。

金曜日の夕方、約束の時間まで少し間があったのを利用して旧市街を歩いた。冬と春が交差して見えるのは、連なるショーウィンドウのせい。冬ものを売りつくすためにサルディが続いている店もあれば、春物を飾ってウィンドウの前を行き来する人達の目を楽しませる店もある。檸檬色の軽いのコート。爽やかな色のシフォンのスカーフ。既に冬物に関心がない私には、そうした明るい、明るい季節にぴったりの色や素材が気になってならない。立ち止ってはウィンドウを覘き、そしてまた歩く。途中で食料品市場界隈を見て歩き、早々と並ぶ、赤い赤い苺に心を躍らす。しかしまだ、特有の匂いがぷーんと漂う程ではないのは、苺の季節ではない証拠。まだまだ。地元の苺が採れるようになるまで、せめてイタリア産が店に並ぶようになるまで待ってみよう。そう思いながら、ついつい鞄の中から財布を取り出してしまいそうになる衝動を抑えるのに苦労した。特にいつもの青果店の店の人とうっかり目が合って、こんばんは、シニョーラ、苺が美味しいよ、などと声を掛けられようならば。そうして、その先の路地に出たら、見つけた。自分のスタイルでは決してないけれど、何か清々とした、確実に冬を脱出したショーウィンドウ。とても私の手が出るような店ではない。一体どんな人達が顧客なのか知りたいくらい、高価なものを扱っている。でも、見るのは自由。私はこの店のウィンドウを覗き込むのが好きだ。きちんとしていて気持ちがいい。仕立ての良いジャケット。とても良いラインで魅入ってしまった。こんな装いでボローニャの街を歩いたらば、きっと誰もが振り返るだろう。と、その時、はっとした。今年に入ってから随分と手抜きだったことを。朝は何時も大忙しで、その日に身に着けるものを考える暇すら惜しかった。無難なもの。クルーネックのセーターに細身のジーンズとショートブーツ。首元にスカーフを結んでオーバーコートを羽織って、駆け足で家を出ると言う具合だった。勿論その日その日にセーターとスカーフの色のバランスくらいは一瞬考えたけれど。ここ2か月のことを思い出して、深い溜息が出た。いいや、時間だけの問題ではない。多分私の気持ちの問題。こんなもんでいいでしょう、とか何とか。季節が変わるのを機会に、少し考え直してみようではないか。無難は忘れて、手抜きも止めて、少しは気分が盛り上がるような、そんな装い。新しいものを購入する予定はないけれど、手持ちのものでもお洒落は出来る筈なのだから。そうだ、何時も袖を通さないブラウスを着てみたらどうだろう。それともVネックのセーターに小さなシルクのスカーフをキュッと結んでみるとか。ショートブーツを脱いで、かっちりとした男っぽい靴を合わせてみるとか。冬の間眠っていたお洒落心にスイッチが入ったらしい。次から次から湧き上がっては消えた。長いこと、このウィンドウの前に立っていたようだ。約束の時間が近づいていた。店の人は何と思っただろう。私がこのジャケットを求めて店に入ってくると期待しただろうか。それとも一見して、単なる見物者と見抜いただろうか。私はもう一度美しいラインのジャケットを眺めて、その前を去った。次に来る時には、きっと別の美しいものが飾られているに違いない。

昼前に近所のクリーニング屋さんに頼んでおいたものを引き取りに行ったら、こんな日は家の中でゆっくりするのがいいわねえ、と女主人が言った。こんな日。雨が音もなく、根気強く降り続く土曜日のことだ。
一向に雨が止む気配がない。キッチンの窓から外を眺めてみたが、道を歩く人もない。家の中でゆっくりするのがいい、こんな日は、と誰もが思っているのかもしれない。


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2月

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思い通りにならないことがある。それは最近の自分の体調で、私の前向きな気持ち、元気な気持ちを思い悩ます。誰にでもそういう時期があるのだろう、そうに違いない、と軽く流すようにして居るけれど。それも春が来れば、そんなこともあったなあ、などと思えるようになるのかもしれないけれど。私のことを猫は猫なりに心配しているらしい。時々私の顔を覗き込んで、元気? と問いかける。大丈夫、大丈夫。そう言って猫の頭をぐりぐり撫でる。それで安心したか、もう猫の視線は窓ガラスの外。

丁度20年前の今頃、私はローマのアパートメントに下宿していた。ボローニャに引っ越したが何もかもがうまく行かず、仕事を見つけてローマに飛び出したのだ、相棒をボローニャに残して。始めは相棒の友人のところに泊めて貰い、それからヴィットリオ広場の直ぐそばの、昔は豊かな家族が住んだに違いない、重々しい建物の上階に暮らす、80歳くらいの未亡人の広いアパートメントの一部屋を貸して貰った。老女は昔、その少し先で夫と時計と宝石を扱う店を営んでいたらしい。昔から豊かだったからそんな店を営めたのか、それとも店が成功して豊を得たのか、兎に角、彼女のアパートメントに入ったら、その豊かさが分かるというものだった。リーナ、と言う名の老女だった。階下には息子夫婦が住んでいて、時々母親の為に食料品や必要なものを届けに来た。あの店は、今は息子が引き継いでいるらしかった。息子はいつも仕立ての良いコートに見て其れと直ぐに分かるボルサリーノの帽子を被っていて、ちょっと威張った印象の人だった。この部屋を借りるにあたって、随分と厳しい審査があったのは、家の中に沢山の高価なものが収められているかららしかった。例えばひい御爺さんの金の懐中時計とか、大御婆様のエメラルドが幾つも嵌められたペンダントだとか、この家族にとってはとても大切なものだった。そしてローマ辺りではもう珍しくもなくなったであろう外国人の私を、入居させるか、させないかを何日も掛けて審査したのだから、晴れて入居できることになった時は、何か誇らしい気さえしたものだ。こんな由緒ある家に部屋を借りることが出来るなんて、君は幸運だ、みたいなことを老女の息子が言ったことを、私は今でも忘れていない。私が借りたのは全く小さな部屋で、唯一の救いは両開きの酷く縦長の窓を開けた目の前に、冬でも緑が豊かな広場が広がっていることだった。相棒と離れて、これといった知り合いもいないローマでの生活。仕事のある日はそうでもなかったけれど、休みの日は溜らなかった。老女相手に話をしようにも、私のつたないイタリア語では充分でなかったし、狭い閉塞感のある部屋に居るのも苦痛だった。かといってローマとは言え、外を散歩するには2月は寒かったし、休みの日が来る度に、ローマに来たのはひょっとして間違っていたのではないかと思った。太陽が出ている時は思い切って外を歩いた。そうして歩いているうちに、この辺りは私好みでないことが分かりだした。大体この家は相棒の友人が新聞で見つけたもので、私が働き始める職場へ歩いて行けると言うことだけで選んだものだった。環境とか、好みとか、何とかを考える余裕は私にはなかったのだ。それに私はローマを知らな過ぎた。私の知っているローマは、この家と職場の間と、そのごく周辺でしかなかった。
そうしているうちに仕事を通じて得た知人から、プラティという界隈のアパートメントに部屋がひとつ空いていることを知って、早々と老女の家から出た。老女の息子は、僅かひと月で出ていく私が、もしや母親が意地悪をしたのではないかとか、何か不自由なことがあったのではないかと心配した。案外、前の下宿人は、そんなことが理由で出て行ってしまったのかもしれない、確か数か月で出ていったと言っていたから、などと思いながらも、大変親切にして貰ったと礼を言うと息子はほっとしたようだ。多分体裁を気にしているのだろう。こうした家の人達は、何かと周囲の噂を気にするから。
ひと月しか暮らさなかったのに今でも2月になる度にあの家を思い出すのは、あれが私のローマの生活の始まりだったからだ。メトロに乗らずに毎朝毎夕、家と職場の間を歩いた。まあ、歩いたと言っても地下鉄の駅ふたつ分しかなかったけれど。毎日歩く道沿いに色んな面白いものを見つけたり、少し違う道を歩いた為に迷ってしまって仕事に遅刻しそうになったり。あれはあれで良かったのだ。あまりぱっとしないひと月だったけれど、考えてみれば見ず知らずの外国人を家に招き入れてくれたのだから、感謝する以外に何が出来ようか。

昔はフットワークが軽かった。今ならこんなに気軽にボローニャを飛び出したり、家を替えたり、知らない人達と同居したりは出来ないだろう。重たい、大きなスーツケースをふたつ携えて、タクシーでローマを横断した2月最後の日。素晴らしい快晴で、こんなに空が青いなんてと思ったことを今でも覚えている。若いと言うのは良いことだ。若いうちに色んなことを経験できたこと。決して平坦な道のりではなく、良いことばかりではなかったけれど、私は案外幸運だったのかもしれない。

2月が終われば、私は元気になるだろう。毎年同じことの繰り返しなのだ。それにしたって明日からの数日間、ボローニャは雨降りが続くらしい。そうして雨が止んだらば、待望の春がやって来るのかもしれない。


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街に恋する

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どんなことがあっても、どんなに長い一週間だと思っても、土曜日は必ずやって来る。土曜日を迎えるたびに私はそんなことを思う。カーテン越しに差し込む陽の強いこと。窓を開けて空を仰いだら、思っていた通りの青空。朝、明るくなるのが早くなった。それと同じ分だけ、夜が来るのも遅くなった。本当のことを言えば2月をあまり好ましく思っていない。何故なら冬にもそろそろ飽き始めて、かといって春はまだもう少し待たねばならぬ、双方の壁に塞がれているような気分だからである。それでいて実は、まだか、まだかと春の到来を待つこの瞬間を案外楽しんでいるような節もあって、なーんだ、へんなの、と自分自身を笑う、それが私の2月なのだ。
空の明るさは、昔暮らしていたアメリカの街を思い出させる。こんな天気の週末は、バスに乗って街に行くのも楽しかったが、家からひたすら北へと歩いて湾へ行くのも楽しかった。と言うと湾のすぐ近くに住んでいたかのように聞こえるが、相棒と私が住んでいたフラットからは歩けば2時間はかかった。20年も前の若い頃で2時間ならば、今は3時間かかるだろうか。それとも途中で疲れてバスに乗るか、居心地のよさそうなカフェに腰を下ろして湾へ行く気が萎えてしまうか。

私は友達付き合いが上手いほうではなかった。それは子供の頃からのことだったから、自覚していたと言っても良かった。だけどそういうこともあって、ひとりが平気だったし、ひとりで居ることも案外好きだった。気の合う友達は少なかったが充分だった。少ないけれども本心で話が出来たから。そんな私がアメリカに暮らし始めた。もう25年も前のことだ。日本に居る頃からの僅かな知り合いがいたが、ツマラナイことで交流を絶った。それで本当に独りぼっちになったけれど、寧ろ、やっと出発地点に立つことが出来たと思った。ひとりで住んでいたダウンタウンの小さなアパートメントを引き払って移ったのは、ノブヒルと呼ばれる地区だった。ダウンタウンとは目と鼻の先で、しかし、おっとりした印象があって好きだった。私と知人が一緒に探したアパートメントで、3人でシェアするのが望ましい、そんな広くて明るい物件だった。其処からは歩いて色んな所へ行けて、全く便利この上なかった。中でも好きだったのは湾へと続く道。昼間も良いが、暗くなってから光る月を目印にして歩くのは特別の気に入りだった。坂道を登りつめたところで足を止めて、眼下に広がる街を眺めた。月の光が街を照らしていた。私にはこれと言ったものは無かった。才能も財産も恋人も。でも幸せだった。好きで好きで望んだ街に暮らすことが出来たことが、私に平安と特別な勇気を与えてくれた。何故そんなに嬉しそうなのかと、知らない人に呼び止められたことがあった。好きな街に暮らしているから、私はこの街の空気が好きだから。そう答えたら、そんな答えが存在するとは、とその人は驚いていたけれど。街に恋する。そういうことってあると思う。少なくとも私には。

ボローニャに暮らすようになって20年経った。相棒も私も、まさかこんなに長い年月この街に居るとは夢にも思っていなかった。相棒の家族を支えるために。数年、状況が落ち着くまで。確か私達はそんな風に考えていた筈なのに。だけど、後悔はしない。どの経験も、どんなことも、必ず自分の財産になると信じているから。


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拘り

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土曜日の快晴が一転して、日曜日に目を覚ますと雨だった。天から真っ直ぐ降り落ちる太い雨が地面を黒く濡らしていた。寝室の窓から見える隣人の庭のプールの水面は、雨粒に叩かれて幾つもの小さな輪が出来ては消えた。それを窓辺で眺める猫。猫はこのプールを眺めるのが大好きだから。気温はそれほど低くない。2月中旬にして8度もあるのだから、其れほど寒いと言う訳ではない。暫く乾いていたから木々は喜んでいるかもしれない。鳥は何処かで雨宿りしているだろうか。そんなことを思いながら、外の甘音に耳を傾けた。

朝食のカフェラッテ。気に入りの、白地に緑の線が幾筋も入ったカップを手に取りながら、ふと思い留まり、それを棚に戻した。違うものを使ってみよう。そうだ、昔、私がアメリカで朝食のカフェラッテ用に使っていた、フランス製クリスタルのグラス。高さがあって、分厚いグラスの底は花の形で、誰もがこれを褒め称えた。これを見つけたのはセカンドハンド、訳あり品、若しくは売り残りの引き取り手のない商品などが流れ込む店で、確か1ドルほどで手に入れた。この店のものは一見ガラクタ。でもその中には埋もれた価値あるものが随分あって、それを探しに沢山の人達が足を運んでいた。あの時の私は違った。私はアメリカに暮らし始めて間もなくて、少しでも節約しよう、けれども必要なものがあまりにも沢山あって、知人が連れて行ってくれたこの店に少し戸惑いを感じながらも、自分の好みに合うものを探そうと思っていただけだった。そのうち生活が軌道に乗ったらば、もう少し質の良いものを手に入れればよいと思って。何しろセカンドハンドだから、どれも埃っぽかった。そうした物に多少の嫌悪を感じながら、しかし見れば見るほど面白くて、そのうち指先が汚れるのも忘れてしまった。そうして見つけたのが、フランス製クリスタルのグラスだった。朝食用のミルクやコーヒーに丁度よさそうだった。目を凝らしてみたが、欠けた部分も無ければ傷ひとつなく、恐らくは何処かのうちの棚の中に眠っていた物であったことが想像できた。そうして何かの理由で、この店に流れ込んだに違いなかった。私はカップよりもグラスが好きだった。そういえばカフェで出されるコーヒーもカフェラッテも、同様にグラスが使われていた。一番初めに借りたアパートメントには必要最低限のものは殆ど揃っていた。アパートメントの大家さんが、気を利かせてくれたらしく、ひとり暮らしに必要な僅かな食器類や調理器具も備え付けられていた。でも、朝食くらいは自分が好んだものを使いたいと思った。贅沢をするつもりはなかったし、贅沢するような余裕はは無からなかったけれど、せめて朝食は、と私は拘ったのだ。豊かな気持ちで一日を始められるように。それを共にする食器くらいは好きなもので、と。今思えば、それが何処かの店の素晴らしいものでなく、セカンドハンドのたったの1ドルほどのグラスであるところが滑稽だけれど、あの当時の私にはそれが丁度良いような気がしていた。たった1ドルの古いグラス。でも、あれから25年経とうとしているのに今でも大切に持っていることを見れば、如何に私がこのグラスを好んでいるかが分かるだろう。グラスに茶色い角砂糖をひとつ投げ込んで、カッフェを注ぎ、更にたっぷりミルクを注いだ。いつもと同じカフェラッテ、だけど器が違うだけで気分が随分違う。嬉しいなあ、嬉しいなあ、と気分良く朝食をとり、ふとグラスを眺めたら随分傷だらけになっていた。25年も愛用したのだから当然だった。傷だらけの私の大好きなグラス。綺麗に洗って清潔な布で磨いた。相棒とよりも長い付き合いの私のグラス。25年間、私が遭遇した良いことも悪いことも、黙って見ていたに違いない。傷だらけになったと言ってお払い箱にする気なく、食器棚の前列の端っこに並べた。まだまだ私と付き合って貰おう。誰が何と言おうと、私はこのグラスが好きなのだから。

月曜日も雨。多分、火曜日も雨。雨が降って喜ぶのは大地と草木。私は、やはり青い空と太陽の光の方が良い。


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