怖気づかぬ心

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心待ちにしていた満月。なのに曇り空で何処を探しても月の姿は見られなかった。冷たい風が吹く夜だった。ところがボローニャの他の界隈では、月が見えたそうだ。それは強い光を放つ月だったそうで、その僅かすらも見ることが出来なかったことを私はとても残念に思った。それで、今夜はどうだろうかとテラスに佇んで夜空のあちらこちらを探してみるが、今夜も同様に月の姿はない。でも、それもボローニャの他の界隈では、真ん丸に一瞬欠けた美しい月を望めるのかもしれない。

ある夏、ひとりで海のあるアメリカの町の地を踏んで以来、私は夢中になってその町に通った。と言っても私は日本に暮らしていたから毎月通えるはずもなく、夏と冬に休みを取って訪れるのが精いっぱいだったけれど。あの頃は日本で会社員をしていたから纏まった休みを取るのが酷く難しく、せいぜい一週間程度の滞在だった。長い休みを取れるような会社はあまりない時代だったから、それでも休むことが出来ることを私はとても感謝していた。それから休んでも再び戻る場所があることについても。私はあの町を通うように訪れて、何か特別なことをしたと言えばそうではない。私はフィルムカメラを持って、真直ぐのびる道を歩いては角を曲がり、坂道を上っては下り、そのうち地図が描けるようになるのではないかと人に言われるほど、兎に角毎日よく歩いた。初めて訪れた時に手に入れたトラムなどの交通網が記入された便利な地図をずっと持ち歩いていた。そのうち折りたたんだ部分が痛んで解体してしまうようになった頃、私は其処に移り住んだ。移り住む、とはなんと良い響きだろう。何か希望や期待が含まれているように感じた。自分が望んで手さぐりで手続きしてその町に暮らすことは、実にポジティブな音が含まれているように感じて嬉しかった。私があの時、そんな風に暮らす土地を替えることが出来たのは、私には失うものなどなかったからだ。自分の努力で再び得られるようなものだからだ。恋人がいて離れがたかったわけでもなく、自分の地位を確立して、それを失うのが惜しいなんてこともなかった。慣れた仕事も安定した収入や生活も、何処に居ても自分さえ元気でやる気があれば、再び手に入れることが出来るものだと信じていた。あれから24年が経って、あの頃の自分のエネルギーの大きさに驚いている。何とポジティブで、何という怖いもの知らず。いや、私にだって怖いものはあった。でも、それが世間の中にある怖さではなく、自分がやる気をなくしてしまう、何かをする前に怖気づいてしまうことが怖かった。多分、其れだけだった。

人間は根本的なところは変わらない、と誰かが言っていた。もしそれが本当ならば、私は今もあの頃のように、怖気づかずに前進するエネルギーを秘めているのかもしれない。ああ、それが本当ならば、と、何処を探しても月など見つからぬ、厚い雲に覆われた闇夜を眺め、心の底から願うのだ。


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外に出よう

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数日前に雨が降った。其れですっかり気温が下がり、半袖姿がめっきり減った。朝晩はもう15度にもならず、昼間だって20度をやっと超えるほど。ひと月前のあの暑さが、汗が噴き出てどうしようもなかった暑さが、射るような太陽の日差しと肌を撫でていく熱風が、夢だったように思える。薄着は格好いいけれど、そして20年前は薄着を好んでいたけれど、もうそんな冒険はしたくなくなった。きちんと首元を暖かくして、ジャケットを着こんで出掛ける。ボローニャの人は寒がりだと昔の私は笑っていたが、いつの間にか私もそんな寒がりさん達の一員になってしまったようだ。でも、それが賢明。この街のエキスパートたちにならっていれば間違いない。ボローニャの季節の変わり目は本当に要注意なのだから。

朝から空が明るいと気分がいい。今朝は気分が少し塞いでいたが、青空に誘われて外に出た。外を歩ける天気の日は、なるべく外に出よう。それはボローニャに暮らし始めた20年前のにある日に私が決めたことのひとつだ。
ボローニャに暮らし始めたと言えば聞こえが良いが、私とい相棒は友人の家から家へと渡り歩いていた。もう少し簡単と思っていた家探しだったが、なかなか決まらなかった。かと言って相棒の両親が泊めてくれるでもなかったが、それはそれで案外幸運だった。兎に角そう言う訳で、ボローニャ旧市街の友人の家から始まって、相棒の幼馴染が暮らすピアノーロの家、そして夏の一番暑い季節に郊外の小さな町に暮らす相棒の古い友人のところに辿り着き、其処の離の家で何か月かを過ごすようになった。古い家屋で200年ほど経っているのかと思っていたら、もっと古いものだと知って驚いたのを覚えている。壁の厚さは80センチほどで、天井の高さも見上げてしまう程だった。その古い家屋は広大な敷地に囲われていて、こんなに人の居ないところに暮らすことが私を酷く不安がらせた。夏の間はよかったが、それが過ぎると風が吹き抜けて寒かった。窓の立て付けが悪かったから、冷たい空気が入り込んで夜になると酷く冷えた。カタカタとガラスが揺れる音で幾度も目を覚ました。寒い季節になるとストーブを焚いた。薪は自分で割らなければならなかったから、なるべく寒いと言わぬように頑張った。しかしその我慢も限界まで来ると、自から外に出て重い斧を振り上げて薪を幾つも割らねばならなかった。薪割は案外難しいものだ。えいっと斧を振り下ろすが、薪に命中しないことがしばしばあった。若かったあの頃でさえあんな調子だった。今ならあの重い斧を振り上げるだけで、息が切れてしまうに違いない。そうだ、斧は本当に重かった。あんな重いものを振り上げたのは生まれて初めてだったから、薪を割り終えると酷く疲れて、相棒や友人たちにからかわれたものだ。何だい、君は、本当に力が無いんだなあ。そう言われると案外不快なもので、そんなことは無いわよと言って、また少し薪を割ったりしたものだ。今の私ならこう言うだろう。そうなの、力が無いから、皆さん、私の分まで薪割をお願いね。あの頃は、あの広大な敷地から出ることすら大変に思えた。出たところで何もなかった。バスの停留所までは歩いて30分もかかったし、そのバスとて、数本しかなかった。そのうち私は塞ぎこんでしまった。それで私はローマへ行ったのだ。仕事を得たのだ。相棒を残して私がローマへ行くことを周囲の人達は良く思っていなかったが、かまわなかった。私は自分が泡になって消えてしまわないうちに、何とかすることで精いっぱいだったから。相棒は寂しかっただろう。幾度もローマに会いに来た。私も幾度もボローニャに来たが、私は此処に居場所を見つけることは出来ず、すごすごとローマに戻って行った。戻ったローマには、私の居場所があった。相棒は居なかったが、仕事があり、同僚がいて、僅かながらも自分の友人と知人がいた。しかしそれではいけないと気が付いてボローニャに戻ったのは、相棒もまた、私に戻ってきてほしいために本格的に二人が快適に暮らせる家を探してくれたからだ。小さなアパートメントだったが、私が希望した通り、家を出たらすぐそこに店がある便利なところで、バスの停留所が近所にあって、その気になれば旧市街まで歩いていけるような。どんな風にしてあのアパートメントを探し出したのか知らないが、相棒が周囲の人たちに声を掛けて、一生懸命探し当てたに違いなかった。古くて修理が必要だったが、私の希望にこたえるような棲み家を探してくれた相棒に感謝だった。あの日、あの家に暮らし始めた日に、私は決めたのだ。外を歩ける天気の日は、なるべく外に出ようって。どんなに悩んでいる時も木漏れ日の美しさが心を癒してくれるだろう、どんなに寂しい時もすれ違う人々の楽しそうな声を聞いていたら元気も出てくるに違いない。そんな風に思ったからだ。まだまだ生活は軌道に乗らず、折角得た仕事も人間関係もローマにすっかり残してきてしまった私が、自分を励ますために決めたことだった。あれから20年も経つが、時々このことを思い出す。

外が明るいのだから、さあ、外に出よう。外を歩いていたら、忘れかけている感謝の気持ちも思い出すさ。ボローニャ旧市街の空は鼠色だった。俄かに秋風が吹いていて、鞄の中にしたためておいたスカーフを首に巻き付けなければならなかった。当然と言えば当然。じきに10月になるのだから。なのに少し寂しい気分なのはどうしたことか。それとも秋とはそういう季節なのかもしれない。


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ガラスコップ

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急に涼しくなった。涼しいと言うよりは冷えると言ったほうが良いだろうか。今までのように肘や足首を出していると、体が冷えて仕方がない。そう言う訳で、足首のでない丈のパンツをはくようになったのが昨日。長袖のコットンセーターに薄手のショートコートを着て家を出たのが今日。何しろ朝は15度だから。これで雨が降ったりすれば簡単に秋がやって来るに違いない。

旧市街のポルティコの下にある店。金物屋さんと言うのだろうか。兎に角いろんなものを売っている。例えば農家からワインを大樽で買って、自分の家で瓶に詰める時の道具。夏の果物を煮てジャムを作り、瓶詰めにする時の道具。ガラスコップやワイングラス、鍋やその他のキッチン道具。一見野暮ったくて冴えないが、この店を贔屓にしている人は案外多い。何しろ店の人が親切だから。何時だったか探し物をしていて店に飛び込んだら、うちには置いていないけど、そうだ、あの店ならきっとあるはずだよ、と言って他の店を紹介してくれた。うちには置いていないけれど、ねえ、お客さん、それよりもこんなのはどうかな、とは言わずに。その日からこの店が好きになった。そして店の外の飾り棚に置かれたガラスコップの群れ。クリスタルでもなければ上等なガラスでもない。毎日普通に使うのにぴったりの物ばかり。これらも私の大変な気に入りだ。店の前の行き交う人たちを眺めながら、ガラスコップたちがお喋りをしているように見える。あ、今の夫婦者見た? 仲が良くていいわねえ。などと話をしているのかもしれない。それから前を通る犬を見て、まあ、あの犬、飼い主に抱かれているけど、歩くのが嫌いなのかしら、などと言っているのかもしれない。 それとも、この小さな東洋人、もう薄手のコートなんて着て、随分寒がりなのねえ、と笑っているのかもしれない。

テラスの金木犀の花は夜のうちに半分ほど散り、残りの花も今までのように良い香りを放つこともない。もうすぐ9月も終わりだから。


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夢を見た

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急に涼しくなったように感じる。もう昼間の気温が25度を超えることは無いだろう。

昨晩、急に熱が出て、日曜日だと言うのに寝込んでしまった。久しぶりのことで、予期せぬことでもあったから、ほんの少し心配した。何かが自分の体に起きたのではないだろうかと。しかし一日眠ったら熱が下がり、熱による体の痛みだけが残ると、単に疲れていたのだと分かった。
それにしても沢山の夢を見た。熱の苦痛で目を覚ましてはまた別の夢を見た。そのうちのひとつはとても印象的で、他の夢は既に記憶が蒸発してしまったと言うのに、脳裏にこびりついて離れない。
夢は、実は夢ではなくて、実際にあったことだ。アメリカに暮らして相棒と出会い、相棒との生活が始まると、人間関係の世界が広がって行った。それは私が持っていた世界とは全く違う、とても人間身溢れ、人間臭い世界だった。写真家のトーマス。同じく写真家のシャロンと一緒に居た。昔は夫婦だったらしいが、私が彼らと知り合った頃には夫婦関係は解消していて、それでいていつも彼らは一緒に居た。それからジム。イタリア人女性のアンナにぞっこんで、アンナと一緒に暮らすようになったのは、私が彼らと知り合ってから一年後のことだっただろうか。それまでのアンナはとても気まぐれで、とても惚れやすく、彼女の美しい外見の虜になった男性が次から次へと彼女の傍らに立っていた。そんな彼女を遠くから眺めていたジムが、やっとアンナを射止めたことを周囲は嬉しく思っていたが、しかし彼らがうまく行っている様子は少しもなく、ジムはいつも嘆いていた。彼女は、アンナは何を考えているのか全然わからない、と。一緒に居るけれど、自分に愛情があるのかどうかすらわからない、と。だから周囲はいつも言っていたのだ。彼女はそんな女さ。其れに我慢が出来ないようなら、別れてしまえばいいだけさ、と。そんなことを話していたのは、かれこれ22年も前のことだ。時々友人たちから貰う便りには必ずこの一件が書かれていた。ジムとアンナはそれでもまだ一緒に居る、信じられないだろう、と。夢の中で私は久しぶりにジムと会っていた。場所は私達がよく行った、カフェ・トリエステ。サンフランシスコに住んでいる人なら知らない人などひとりも居ないと言う程名の知れた店。かと言って近代化するでもなく、拡大化するでもなく。狭い道の角っこに窮屈そうに存在していた。古い椅子。古いテーブル。壁には様々な写真とメモ書きが貼られていて。久しぶりに会ったジムは困惑していた。いつもの髪型に鼻の下には立派な髭を生やして、彼は彼のトレードマーク的黒の革のジャンパーを着て、とてもリラックスしているように見えながら、表情は戸惑いの色で一杯だった。アンナは、僕が離れようとすると縋り付く。しかし僕がアンナに愛情を注ごうとすると、途端に冷たくなる。22年前にあのカフェでの会話其のままだった。どうしてそんな夢を見たのだろう。何か意味があるのだろうか。

ボローニャには、カフェ・トリエステのような店は無い。あの店は実にイタリア的な店と誰もが思い込んでいたけれど。ここ数か月のうちにボローニャにはテラス席を持つ店ばかりが急に増えた。店内は狭くてカウンターを設けるのが精いっぱい、だからテラス席、と言うことらしい。もしボローニャにカフェ・トリエステのような店が出来たらば、私は常連になるだろう。昔足繁く通ったように。陽が射しこむ一面ガラスの傍の席に座って、書き物をしながらカップチーノを頂く。多分、それが、私があの町に残してきてしまったことの、大切なことのひとつなのだ。


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宝物のような存在

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誰が止めたのだろう、私の目覚まし時計のアラームを。目を覚ましたらすっかり外が明るかった。勿論今日は土曜日で、いつものように早起きする必要はないにしても、それなりの時間に起きてゆっくり一日をスタートさせて、それから昨日帰りのバスの窓から見た中央郵便局前の広場で催されている花市場を見に行こうと考えていたのだ。予定より1時間も多く眠ってしまったことを嬉しくも残念に思いながら、ごそごそとベッドから抜け出た。最近は猫も忍耐強くなり、それとも、週末の朝食は決まって遅いと腹をくくったのか、私を揺り起こしに来ることは無い。有難いことだ。もっとも揺り起こしに来てくれていたら、こんなに朝寝坊することもなかったけれど。

半袖姿で外を歩ける晴天、しかし晴れた空の色が夏のそれとは異なっていた。だってもう9月も後半だもの。そう言ったのは13番のバスの中で背後に座っていた女性だった。彼女は傍らに立っている連れの男性と、ちょうど私が考えていることと同じようなことを話していたのだ。みんな考えることは同じ。まだ暑いけれど、朝晩の冷え込みや、空の色が一瞬違うことから秋の到来を感じているのだ。
中央郵便局の広場は賑わっていた。数年前にこの広場を綺麗にしてからというもの、様々な催し物をするようになった。広場は小さいながらも足元がよく整備されているので歩きやすく、取り囲むようにして幾つかのベンチが置かれているので疲れたら座ることもできる。体の弱い人や老人、小さな子供を連れている人には、多分とても嬉しい場所に違いないのだ。幾つもの園芸店が出店していた。とても高価な植物もあれば、2ユーロほどの鉢植えもあって、どんな人も気軽に植物を購入できる感じがとても良いと思った。美しい花あり、雑草かと思うような植物あり、そして様々なハーブあり。そして向こう側にはチーズや食料品を販売する店もあって、週末を楽しむ人たちで賑わっていた。私はもみじを探していたが、残念ながら見当たらず。そうね、イタリアだもの、などと思いながら、ゆっくりと植物を見て歩きまわり、そして食料品市場界隈へ行った。すると音楽が聞こえてきた。サックスの演奏だった。そう言えば知人から、昨晩から3日間、旧市街でジャズの演奏があるとの知らせがあった。夜とのことなので残念ながら行けそうにないと思っていたのだが、昼間も演奏をするのだろうか。音楽が聞こえる方へ歩いて行ったが、驚くほどの人垣で誰が演奏しているのか見えなかった。長い長い演奏で、演奏中は周囲の人達は声ひとつ立てなかったが、演奏が終わると滝の轟音とも思えるような拍手と歓声が沸き起こった。それはいつまでも鳴りやまなかった。5分以上であることは確かだ。私が薬屋さんに入って買い物をして、今日は店内の音楽は必要ないねと店の人と話をして、出て来てもまだ鳴りやんでいなかったのだから。今夜の演奏もこんな風だろうか。聞いている人の心を打つような。揺さぶるような。掻きたてるような。

平日は時間の拘束が大きい分、週末は時間に追われたくない。日曜日は決まって、体が不自由ですっかり老いた姑のところで過ごすから、自分のことに時間を使える土曜日は私の宝物のような存在だ。でも、単なる散策だって、後に予定があるために時間を気にしなくてはいけないとなると、楽しみが半減してしまう。そう説明する私に、日本語を話す手伝いをしてほしいと2年前から毎週土曜日の15時半に会うようになったイタリア人の女の子が残念そうな顔をしながらも、その通りだと同意してくれた。だから、土曜日の待ち合わせは今日で終わり。その代わりに、時間があるときに連絡をすることにしよう。ねえ、ちょっと出て来て一緒にカップチーノでもどう? そんな風にして。


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