残暑

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私が暮らす辺りは、日曜日となると驚くほど静かである。この静けさは夏の休暇シーズンのそれとよく似ていて、私をホッとさせる。ひとりだけ残ってしまった焦りのようなものは無く、ひとりの時間を有難う、と言った感じか。私は何処に暮らしていても、この静かな時間を大切にしていた。日本で家族と暮らしていた時も、アメリカで友達と、そして相棒と暮らしていた時も、ボローニャに来て何度も引越しをしながらも、この時間だけは確保しておかねばならなかった。瞑想するわけではないけれど、例えば手紙を書きながら、本を読みながら、写真集のページをめくりながら、音楽を聴きながら、頭の中を清めていくのだ。毎日でなくても良い。週に一度、そんな時間があれば、私はこれからも何とかやっていけるだろう。

昨日、数週間ぶりに近所のクリーニング屋さんへ行った。酷く暑い昼前に店に入ると中は更に暑く、肩をさらしてもまだ暑いとでも言うように、額に汗を掻いた女店主が奥から出てきた。暑いわね。暑いね。すっかり日焼けした彼女は、その日焼けだけが確かに夏の休暇をとった証拠で、しかし楽しかった休暇が遥か昔のように思えるほど忙しく働いているようだった。彼女の夫の姿が見えないが、まさかこの炎天下に釣りに出掛けたのではあるまいね、と訊ねると、勿論そうだと言う。何しろ日曜日には大きな競技大会があるので、その下見に出かけた、と笑いをかみ殺しながら言った。その競技大会とは、こういうことらしい。4人一組で幾つものチームが魚釣りを競い合うのだ。釣った魚は重さを計って、再び水の中に戻す。つまり、何匹の魚で重さはどのくらい、と言った競技らしい。小さな大会なら数十チーム、しかし日曜日の大会は随分大規模らしい。上位入賞チームには、時には賞金、大抵の場合は食料品を貰えるらしい。例えば数年前には生ハムを丸ごと何個も持ち帰って、暫く生ハムを買わずに済んだ、と彼女は笑った。そして日曜日の大会では、チーズが景品らしい。ご主人、釣りに力入れているわね、と笑う私に、彼女は結婚当時からずっとこんなだけれど、釣りをしている限りは健康な証拠だからと、かみ殺していたものが爆発したように笑い出した。そして付け加えるのだ。ねえ、男の人って子供みたいだと思わない? 確かに。私は彼女に同意して店を出た。店を出ると、道の向こう側のバールのテラス席に相棒の姿を見つけた。こっちに来ないか、と手招きするので行ってみると、日焼けをした老若混ぜた男たちがカッフェを片手にお喋りをしていた。それで思い出した。ボローニャに引っ越してきたばかりの頃、相棒の両親が暮らす建物には沢山の家族が住んで居て、家族の主と言われる男性は留守がちだった。何処にいると思う? と私に訊ねる。解らない、と答えると、バールよ、バールに居るのよ、と妻たちは言った。何をしに行くでもない、バールに集まってお喋りをして、気が済むと家に帰ってくる。そうしてバールの前を通ると確かに妻たちが言っていたように、男たちが群れていた。皆楽しそうで、その様子が無邪気に見えて笑えた。そう言えばそうだ、昔から男たちはそうだったな。でも、こうしてバランスをとるのかもしれない。家族を守る大きな義務と、小さな男の子の心に戻って楽しむ時間。女だってそうであって良いと思う。義務ばかりに気を取られずに、楽しむ時間を持つ。そうすれば、不平不満なんていうこともない。少なくとも私はそう思う。と集まっていた男たちに言うと、君は充分実行しているじゃないか、と皆に笑われた。あはは。そうか、私は充分実行しているのか。照れ隠しに私も皆と一緒に笑い飛ばした。

8月が終わろうとしているが、暑さが弱まる様子は暫くない。これを残暑と言うのか。


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嬉しい週末

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私は嬉しい。週末になったことが嬉しくてたまらない。16日間の夏休みを終えていつもの忙しい生活に戻ってみたが、思いのほか忙しくて目が回るようだった。忙しい。いや、そうではない。ゆっくりペースの毎日にすっかり慣れてしまっていたから、決まった時間に起床して、身支度をして、決まった時間に家を出る、と言った小さな、ほんの小さな規則みたいなものを守ることが苦痛だったのだ。8時間パソコンの前に座って小さな文字や数字を追うことにしても。夕方、何時まで経っても来ないバスを待つこと。やっと来たかと思えば酷い混みようで、様々な匂いに耐え切れなくて途中で下車してしまうこと。それに、去ったかと思われた暑さが舞い戻って来たこと。小さな様々が私を困らせた一週間だった。少しづつ、いつもの生活に慣れるしかない。そう思いながら、土曜日の午後に、窓から流れ込む風に吹かれる。これを幸せと思わなかったら何と言おう。

あの夏の終わり。私は3人暮らしだった。それはサンフランシスコの、カリフォルニア1のバスが目の前を通る道に面したアパートメントで、それは友達とふたりで歩いて歩いて探しだしたアパートメントだった。陽当りの良い広いアパートメントで、彼女と私、そしてもうひとりがいた。もうひとりは私と彼女の共通の友達経由で来た人物で、私達よりずっと若い、背ばかりが高くて何もできない、と言った印象のハンガリー男性だった。祖母に育てられたという彼は、何から何まで祖母任せで甘やかされていたらしかった。実際、彼が自分で何かをすることはあまりなく、コーヒーを入れていると、僕も飲みたい、と注文するような人だった。掃除もしない。何もしない。私と彼女のどちらが先に堪忍袋が切れたのか覚えていないけれど、あなた、私はお母さんでもお嫁さんでもないのよ、と怒ったことだけは覚えている。何か月か経って、夏が来て、彼女が夏の休暇で帰省すると、私と彼のふたりぼっちになった。かと言って生活はすれ違いで、私は昼間は仕事で留守で、夜は彼が始めたばかりの仕事で留守だったから、挨拶が出来れば上等くらいの接点だった。
ある日私は知人から大きな照明器具を貰って帰って来た。それはスイッチを入れるとライトが点いて扇が回って涼しい、と言った類のものだった。貰ったはいいが、どうしたものか。アメリカに来てからというもの、私は自分で何でもするようになっていた。例えば家具を家に持ち込むにしても、大きな家具の配置を変えるにしても、照明の電球を替えるにしても、それから壁を塗ったり、ハードウッドの床にワックスを塗るにしても。この大きな照明器具を頭上に持ち上げるエネルギーはあったけれど、しかし机の上に椅子を乗せて、其の上に立っても天井に手が届かなかった。こればかりはどうしようもない。誰かに物事を頼むのが嫌いだった私だったが、観念して今まさに出掛けようとしている彼に声を掛けた。仕事に出掛けるところで悪いんだけど、時間が有る時にでも照明器具を設置するのを手伝って貰えないだろうか。天井に手が届かなくて。すると彼は人差し指を立てて、君が頼みごとをするなんて、こんな珍しいことは無い、と嬉しそうに言って、テーブルの上にのぼった。今日は休みなんだ。時間はあるんだよ。そして照明器具をちょいちょいと設置してくれた。有難うと言う私に、彼は言うのだ。君は人にお願いをするのが嫌いなようだけど、人にお願いするのは決して悪いことではないよ。時には人に頼ってみたらどうだろう。年下の、この頼りない彼に、まさかこんなことを言われようとは夢にも思っていなかったから、私は開いた口が塞がらなかった。でも、その通りだと思った。さて、それでは買い物に行くかという彼と一緒に外に出た。彼の行き先とは違ったが、初めて彼と少し歩きながら話してみようかと思ったからだった。坂道を歩きながら、彼は今はこんなことをしているけれど、いつかはこんな仕事に就きたいと願っているんだ、と一方的に話すかと思えば、急に私に質問ばかりした。そしてインドレストランのある角で、突然彼が言った。君が付き合っていたあの彼は、よい人ではないと思う。恋人を大切にしない人は最低さ。だから、さっさと綺麗に忘れてしまうのがいいんだよ。私は彼がそんなことを知っていたことに驚いていた。私が気が付かないところで、ちゃんと最近終わった私の恋の顛末を見ていたのかと。そして、恋人を大切に出来ない人は最低、だから、さっさと綺麗に忘れてしまうのが良い、だなんて。どうしようもない男の子だと思っていたのに。此れではまるで人生経験の長い大人のようではないか。目を丸くして見返す私に、彼は少し照れた顔をすると、じゃあ、と言って買い物に行ってしまった。第一印象は時として間違うことがある。いつだか誰かが言っていた言葉を思い出して、その通りだと思った。彼とはそれっきりだった。少しすると彼は部屋を出たからだ。別の町でもっと良い仕事を得たからだ。ほんの数か月の仲間だった彼。始まりは最悪だったけれど、出会えてよかった人のひとりだ。

今日はあれもこれもしたいと思うが、思い切ってしないことにした。一日を詰め込んでしまうのは簡単だけど、時には空っぽの方が良い。唯一、予定通りなのは、今夜の満月の夕食。相棒とふたりだけの、決してご馳走ではない、美味しいものを少しづつの夕食。満月の晩は月を眺めながら夕食をする。そんな小さなきまりがひとつくらいあっても良い。


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快適な日曜日

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快適な日曜日。昼間の気温が28度とは、実に理想的である。汗を掻かず、半袖のコットンシャツをさらりと着こなすに丁度よい気温。外では時折大風が吹き、樹木を煽っている。レースのカーテン超しにその影を眺めていると、夏が終わりに近づいているのを感じる。もうひと頃のような湿度もなく、時には喉か乾くような気候。8月から9月へと移り変わる頃は、いつもそうである。
猫は敏感な生き物だと思う。少し前まで暑さにやられて冷えた床にひっくりかえってばかりいたのに、ここ数日はクッションの上に好んで座る。とても用心深いと思う。猫から学ぶものあり。

母はラジオをよく聞いていた。フランク・シナトラが良く流れていた時代で、私はそれを聴いて育った。勿論それがフランク・シナトラと分かったのは、それから20年も後のことで、当時は子供だったから、ラジオから聞こえる歌の題目や歌い手の名前は聞き取ることが出来なかった。母は、ちゃんと知っていた筈だ。しかし私が何も訊かなかったから、母はラジオが何を言っているか、いちいち教えてくれる筈もなかった。小さなキッチン。とても明るかった。今でもよく覚えている。流しの前に窓があった。流し台は子供だった私には高すぎたから、私専用の足踏み台があって、其の上に立って手伝いをした。夕方のお米とぎとか、夕食の片付けとか。母が姉と私に順番にするように言いつけたのを面倒くさいなあと子供心に思いながら、でも、そのくらいならば私にもできると思っていた。他のことは母のようには出来ないけれど、そのくらいならば、と。母がラジオを聴いていたのは夕方ではなくて、大抵午後の2時、3時のことだった。キッチンのテーブルに着いて縫物をしていることが多かったのは、キッチンが其れだけ明るかったということだろう。ラジオを聴きながら縫物をする母の前に座って私も何か書いていた。やっと文字を書くようになったばかりだったから、難しいことはしていなかっただろう。多分、父や母、そして姉に宛てた、ちょっとした手紙だっただと思う。そうだ、私はそんなことをするのが好きだった。椅子が高すぎたから、足をぶらぶらさせながら。外国の歌の意味など解るはずもなく、でも、母がとても楽しそうだったから私も幸せだった。子供の頃の良い思い出。
あの頃からキッチンと言う場所が私にとってとても大切なスペースになった。まずは明るくなくてはいけなかったし、テーブルを置いて、其処で何か書いたりボタンを縫い付けたりしたくなるような空気も必要だ。風通しがよくて、寛げて、ついつい長居したくなるような場所。単に料理をして食事をするだけの場所ではなくて。そうだ、私にとってキッチンとはそんな場所なのだ。ラジオを聴くことはもうないけれど、時々、母が聴いていたフランク・シナトラを聴くようになった。良き古きアメリカ。そんな音楽だ。私よりずっと年上の相棒でさえ、何でフランク・シナトラなんて聴いているんだい、と初めは驚いたけれど、音楽や美術は古くなって廃れるものではないのだ。例えば職場に入る新しい人は若ければ若いほど良いなんて風習があったとしても。

日曜日の恒例の、昼食をピアノーロに暮らす姑のところでとって片付け物をしてボローニャに帰って来る頃、空の色が暗くなりだした。雨が降るかな。立ち寄った近所のジェラート屋さんの奥さんにそう言うと、どうかしらねと返ってきた。だから、頭が痛くなってきたから気圧が下っていると思うと言うと、彼女も、そう言えば首の後ろが妙に痛むと言った。ああ、それでは雨が降るかもしれない、と言ったところで、ぽつりぽつりと生ぬるい雨粒が落ちてきた。一滴、二滴、その後はいっぺんに百も千も降り落ちてきた。幻の快適な気候。私の夏休みもこれで終わり。そんな幕を閉じるのにふさわしい雨だ。


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物事は良い方に考えよう

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驚くほど空が晴れた一日。先週末から今ひとつすっきりしなかったから、目に痛いほどである。窓ガラス越しに樹が揺れている。晴れてはいるが、日差しは強いが、日陰で受ける風は驚くほどひやりとしている。外の様子を伺っていると袖無しシャツのご婦人がひとり。そうか、外に出てみれば案外暑いのかもしれない、と思ったら、向こうからは木綿の長袖シャツを着たふたりが歩いて来る。風が吹かなければまだまだ暑いが、風に吹かれたらひとたまりもない。そんなところだろうか。何故こんなに外の様子が気になっているかと言えば、久しぶりに外に出るからである。実に6日ぶりのことである。夏風邪を引いたらしく扁桃腺と気管支を痛めてしまったために、この楽しい夏休みの6日間を家に閉じこもって過ごしてしまった。まだ抗生物質も飲み終わっていないけれど、もうこれ以上は家の中にはいられないよ、と相棒に宣言して、今日は外に出たいと思ったのである。気をつけるんだよ、ぶり返さないようにな。まるで小さな子供に言い聞かせるような口ぶりで相棒が言うのを、うんうんと頷きながら、明るい空に誘われるかのようにして外に出た。

街にはそろそろ人が戻りつつあり、先週とは比べると随分活気があった。勿論、連なる店の半分以上はまだしまっているし、私の好きなパン屋さんも青果店も休みだけれど。先週の今頃は通行人と言えば外国人ばかりだったというのに。それはボローニャに出稼ぎに来ている外国人だったり、旅行者だったり。しかし今日の街は、確かにここに暮らしている人達で賑わい、小麦色の腕を自慢するための真っ白なシャツに身を包んだ人々が、楽しかった休暇の報告をしながら、立ち話をしているのを何度も見た。彼ら、若しくは彼女たちがそんな素敵な夏を過ごしている間、私は熱を出して家に閉じこもっていたことを思うと、情けないような恥ずかしいような気がする。しかし元気になれたのだから、それだけだって有難いことではないか。その間のことは一切相棒任せだったし。物事は良い方に考えることにしている。そうすれば、ツマラナイことの裏側に大抵ひとつくらい小さな良いことが見つかる。
時間が時間で昼時だった。PIAZZA MAGGIOREの横に広がる食料品市場界隈は、昼食をとる人で一杯だった。何時の頃からこんなに店が出来たのか、記憶を辿ってみるが明快でない。それまでは青果店が並ぶこの辺りには一軒、2軒のバールがあるくらいで、後に小さな魚屋がアペリフィッシュなどと言って、それでなくとも狭い店内の傍らにカウンターを備え付け、魚介をつまみに食前酒を楽しめるようにた・・・多分その頃からだ。この界隈に少しずつワインを楽しみながらお喋りしながら食事をする店が出没して、今では青果店の数を追い抜くほどだ。その多くがこの路地にテーブル席を置くものだから、路の狭いこと狭いこと夥しい。でも路が煩雑で有ればあるほど人の心を惹きつけるのか、どの店も満席なのだからびっくりだ。此処ばかりではない。もうひとつの市場、広場のもっと向こう側にある、店の数ではずっと優っているエルベと言う名の食料品市場の中も、そして周辺も、ワインを楽しみながらお喋りしながら食事、を謳った店が一杯だ。どうしてなんだろう。どうしてなんだろう。いくら考えても分からないが、何処もが流行っているのだから、時代の波に乗ったとしか考えようがない。それとも、私達は皆、心の根底で、旧市街に行ったついでにワインを飲みながらお喋りしながら食事をしたいと思っているのかもしれない。ブームとしか言いようのないこの有様、しかし別に悪いことではない。
そんな人たちを眺めながら、私は例のごとく開いているだけで選んだ行きつけでない青果店で週末用の桃を数個購入して、その先で黒パンを購入して、本屋に立ち寄ろうと考えたけれど少々疲れはじめたので、バスに乗って帰って来た。たった1時間しか歩いていないのに。何だか随分弱ったものだと溜息をつきながら、そうだ、と思いつき、簡単なものを作って、購入した黒パンと、先日近所のシルヴァーノ老人から貰った赤ワインで昼食をとった。私もワインを飲みながら食事が好きだ。喋る相手は生憎いないが、しかし誰に気を使うでもなく、農家から買っているという混ぜ物のないワインとパン、これ以上何を望めと言うのだ。日本の家族が聞いたらば、抗生物質をまだ飲んでいるというのにワインを飲むのか、と窘められそうだけれど、良いではないか、何しろ純正のワインだからね。そうだ、物事は何でも良いほうに考えよう。

そんな風にして一日が終わり、週末を迎え、夏休みがもうじき終わる。


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虫の声が聞こえる

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夏場のボローニャは留守の家が多くて、それを狙った空き巣事件が近年多くなっている。うっかりすればアパートメントの皆が同時期に休暇に出掛けてしまうなんてこともあるらしく、そんな建物を狙って空き巣が荒らしていくのである。でも、うちのアパートメントでは上階の夫婦がいつも目を光らせているから大丈夫。別に暇な人達ではない。空き巣が心底怖いのだろう、と想像する。確かに上階の家族は豊かなので、守るべきものが沢山あるに違いない。だから、不審者が庭を取り囲む柵に近づこうものならば、上の階の窓から声を掛ける。何か用かい。そんな感じに。幾度かそういうことがあったらしいから、悪いことを考える連中は本当に存在するようだ。そんな彼らも家族みんなで来週から休暇らしい。大丈夫、私達が居るから。そう言って胸を張る私に、上階の彼は笑いながら人差し指を立てて、こう言うのだ。よし、後は君たちに任せたぞ。しっかり見張りを頼むよ。と言う訳で私と相棒は、来週から暫く見張りの番人なのである。病気の息子を抱えたこの家族が、皆で安心して休暇を楽しめるように。不審者が近づこうものならば、テラスの先からこう言うのだ。君、君、何か用かな。

日が暮れるのは早くなった。20時にもならないのに空が陰りはじめる。そうだ、もう8月20日だもの。カレンダーを眺めながら、時間が経つ速さに感嘆する。そのうち空には小さな蝙蝠が舞い始めて、更にさらに暗くなっていくのだろう。
私がアメリカへと発ったのは丁度この時期だった。昼間はまだ焦げるような暑さでやり切れなかったが、夜になると虫が鳴いて夜風が気持ちが良かった。あちらこちらで打ち上げ花火が催されて、東京の何処かの川辺に花火を見に行こうと誘われたけれど、翌朝、アメリカへと発つからと、誘いを断ったことを今でも覚えている。もう準備は出来ていたから、特にすることなどなかった。でも、私なりに緊張していた晩だった。そして親孝行を暫く出来なくなるからと思って、家で夕食を共にしたいと思った晩だった。それが本当に親孝行だったかどうかは分からないけれど、そうであることを望みながら。それでいて遠くの方に打ち上げられた町内の花火を窓辺から眺めながら、友人の誘いを断ったことを残念にも思っていた。どれもこれも手に入れることは出来ないと知っているのに。
全て自分が望んだことだった。母が最寄りの駅まで送ってくれた時、体に気を付けるようにと言われて、うん、と元気に頷いて別れたくせに、電車に乗った途端に心細くなった。これからは自分ひとりが頼り。頼る人は居ないのだ、と。私はいつも一人前の大人の気でいたけれど、まだ、本当の意味で一人では何もできない未熟者だった。それはアメリカでなかなか職が見つからず、食べるのにも不自由してしまうようになった時も、結婚をしてボローニャに来て、自分が異国人であることを身に沁みて感じて八方塞がりになった時も、相棒と酷い喧嘩をして離婚したいと思った時も、此処から出ていきたいと思った時も、結局厳しい言葉で私を戒めて、ああ、私には味方がひとりもいないと嘆きながらも、しかしその言葉で私は一瞬立ち止まって、考えて、考えて、乗り越えることが出来た。私ひとりではどうしようもなかった。いつも私の見えないところで応援してくれる家族がいた。それらの言葉は私を一瞬傷つけたり悲しませたりしたにしても。負けるものか、絶対負けるものかと私を奮い立たせたのだのだから。さもなければ、私はすぐに諦めたり、放棄してしまったに違いなく、今頃ボローニャで日が暮れるのが早くなったものだなどと言っていないのだから。
24年の歳月が過ぎて、しかし実を言うとまだ一人前の大人にはなっていない。一人前の大人風。一見そんな風に見えるだけだ。こんなに歳月が過ぎても、私は24年前の私と一寸も変わらない。夢ばかり見ていて、何とかなるさ、などと気楽なことを言っておきながら、困ったことが起きると泣きべそをかいて逃げたくなる。多分これからもずっと同じ。人間とはそういうものだ。

外では虫がしきりに鳴いている。不思議なくらい外が静か。だから虫の声がよく聞こえる。其れに耳を傾けている人がどれ程いるのだろう。どれ程の人が虫の声に安堵を覚えるのだろう。安堵、それは喜びと平和な空気、そして少しばかり人をノスタルジーな気分にさせる。


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