一瞬の雨

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雨が降ると噂されて数日経つが、今日という今日は確率が酷く高く、雨が降っても大丈夫なようにとスニーカーで家を出たというのに何時まで経っても雨が降らず、ああ、今日も降らない、と落胆しながら仕事帰りに強い日差しに満ちた旧市街に立ち寄った。何かこう、ペテン師にあったような、釈然としない気分だった。7月もあと一日で終わるというので、旧市街では随分と店が閉まり、二軒並ぶ魚屋のひとつは一体何時から休暇に入ったのか気が付いたころには重いシャッターが下りていて、夏期休暇中、9月8日より店を開けます、の貼紙が張ってあるし、行きつけの青果店も先週末から今週から夏季休暇で8月一杯は戻ってこない。此れでバールやカフェが閉まったら、お手上げである。更には本屋などが閉まろうものなら開いた口が塞がらないと言った具合だ。私にとって本屋の存在は特別で、こればかりは日曜祝日以外は開いていてほしい、という存在なのである。

気が向いて一頃よく足を運んだ店に入った。夏のサルディももうそろそろ終盤で、気の利いたものはほとんど売れてしまっているに違いないと思いながらも店に入ったのは、雨が降る降ると言いながら降らず、くさくさしていたからだ。この店は結構いい物があって、しかし安い店ではないから、サルディを利用するのが良いのである。と、檸檬色の細身のパンツを見つけた。檸檬色に特別な思い入れは無いが、人がその色を身に着けているのを見るのが大好きだ。店の人が言うには、私はスタンダードの色の殻から時には脱出しなければいけないそうだ。特に夏。夏にそれをしなかったら、あなた、一体何時するの? とのことだった。同じことを爪の御嬢さんから言われたことがある。私の爪の手入れをしてくれるソニアだ。夏に微妙な色、いつも選ばない色に挑戦しなかったら、何時するの? 私はそんなことを思い出して、檸檬色のパンツを試してみることにした。するとなかなかいい。元気な感じがする。これに真っ白のモカシンシューズを合わせたら爽やかな感じがするだろう。店の人も、あなたの印象が変わった感じがすると言った。そうだ、私はこのところ、少々疲れ気味だったから。檸檬色。元気な色。良いかもしれない。それにとても履き心地が良い。ということで半額で購入。気まぐれで立ち寄ったにしては、良い買い物をした。
並びにあるペットの店の前に店主が立っていた。店内が暑いので、客人がいない時は何時も外に立って近所の人と立ち話をしてる。既に一週間の休暇をカラブリアの海で過ごした彼は、頭の先から爪の先までよく日に焼けている。前を通り過ぎようとする私に手を挙げて、やあ、シニョーラ、元気ですか、と声を掛ける。それにしたって機嫌が良い。元気よ、あなたはよく焼けているのねえ、と返す私の背後から小さな子供の声がした。2歳だか、3歳だかの女の子で、母親とさらにその母親らしき人と一緒だった。金魚がいない! 女の子にとっては大きな事件らしかった。この店の前には、いつもプラスチックのバケツが置いてあって、其の中には赤い小さな金魚がすいすいと泳いでいたのだから。私もこの金魚を見るのが大好きだから、彼女の気持ちが手に取るようにわかった。すると店主が大きな声で言うではないか。金魚かい? あまり暑いからみんな休暇をとって涼しいところに行ってしまったんだよ、と。そうだったのかと頷く大人たち。金魚に先を越されたと苦笑する私。いつ帰ってくるのと訊く女の子。

旧市街でバスに乗り込んでもうすぐ自分が下車する停留所と言うところで窓ガラスに大粒の雨が当たった。ぽつり、とひとつだけ。ああ、ついに来たか、遂に雨が降るのかと乗客たちが囁く。そうしてバスから降りたところで雨粒が落ちてきた。駆け足で家に戻った。雨と競争するかのように。アスファルトの路面に黒い水玉模様が出来たかと思ったのは一瞬だけで、あっという間に黒く濡れ渡った。久しぶりの雨。一瞬の雨だったけれど、私達には必要だった。街の熱を冷ましてくれたようだ。今夜の夜風は肌に痛い。痛いほど冷たい風だ。


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共同生活

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近所の花屋さんが店を閉めた。不況で店を続けられなかったからではないらしい。何故ならこの辺りには花屋が無いからなのか、それとも良い店だからなのか、顧客が案外沢山いて潤っていたのだから。それでは何故、と思ったら息子がトスカーナ州でレストランを始めたので、そちらに引っ越しすることになったからだそうだ。店の夫婦と母親は相棒と仲がいい。彼らが相棒の仕事場のすぐ目の前に暮らしていること、近所のバールの常連であることから、相棒は密接な付き合いをしているようだった。そう言う訳で今回の花屋閉店については実に事情通だったし、ついでに閉店にあたっての片付けを手伝って貰えないだろうかと頼まれたということだった。何しろ時間が無い。そういうことらしかった。頼まれると断れぬ性質の相棒だ。友人にも声を掛けて、数人で店を空っぽにする手伝いをすることにした。と言っても昼間は仕事をしなければならない。だから仕事の後に、つまり夜に片付けをすることになって毎日くたくたである。ところが、疲れたとか何とか言いながらも、相棒も友人たちも機嫌がいい。こうした付き合いだから礼金を貰う筈が無い。どうしたのかと訊けば、いい物を貰ったとのことだった。いい物だよ、と。そうして相棒が大きな植木を抱えて帰って来た。フィクス。と相棒は言ったけれど、私が見る限り、それはごむの木の一種だった。昨年の12月に、私がごむの木の鉢植えをぜひ欲しいと騒いだのを今でも覚えていたらしく、店の片付けをしていたらこの木があった。じっと見つめていたら店の夫婦が気に入ったのなら君にあげよう、家に持っていくといい、と言ったらしい。嬉しいな、僕の奥さんがこの木を欲しがっていたんだよ、と好意を丸々受け取って持ち帰って来たということだった。彼の友人たちもまた、こんな風にして店の植木を家に持ち帰ったらしい。嬉しい! でも何処に置くの、こんなに大きな鉢植えを。うん、そうなんだ、それが問題なんだ。しかも君、此れだけじゃないんだよ。下の入り口のところに他の種類の鉢植えがふたつあるんだよ。葉の裏が紫色でさあ・・・。置く場所のことは全く考えなかったらしい。それが実に相棒らしいので、ふたりで顔を見合せて大笑いした。植物との共同生活。まあ、それも悪くない。猫はと言えば、とても嬉しそう。この鉢植えを自分への贈り物と勘違いしているようだ。昨冬のクリスマスツリーがそうだったように。

ところで先日見つけた。ボローニャ旧市街にして、ボローニャの匂いがしない場所。毎日のようにこの近くを歩いていたのに、気が付かなかったのは何故だろう。薄紫がかったグレーの日除け戸。私の鼻先と心をくすぐる。私はこの色にフランスの匂いを感じた。


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涼風に吹かれながら

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もうすぐ7月も終わりという土曜日、まるで夏さえも暑いのに疲れてしまったかのように、涼しい風が吹く。空を覆う明るい鼠色の雲の向こう側には雨粒が控えているのか、じっとりとした空気が漂う。ぱたぱたと音を立てているのはテラスを覆う日除け屋根の布の音。突風が吹くと垂れ下がっているひらひらの部分が、ぱたぱたと音を立てながら忙しくはためく。その下ではいつもと同じ顔をして咲き揃うベゴニア、ゼラニウム、そして名も知らぬ美しい夏の花。開け放った窓ガラスに反射する樹木の緑が風に揺れていて、眺めているだけで涼を感じる。この家に暮らすようになって丸一年が経つ。たった一年なのかと思う。もう随分昔からここに居たような気がするのは、思いがけず私がこの家に馴染んでいるせいなのか。新しい建物では無い。ピアノーロの丘に暮らしていた頃のような広いスペースもない。街特有の喧騒もあるし、探せば不都合なことも沢山ある筈だけど、朽ちた木製の窓枠すらも、所々が錆びたテラスの柵すらも、これで良いと思えるのだから幸せなものだ。少しづつ手入れすればいい。急ぐ理由など何もないのだから。

10年ほど前の夏、クロアチアへ行った。私達の友人の恋人がクロアチア人だったことが大きな理由だ。夏になる都度クロアチアへ行く彼らに、一体何時になったらクロアチアに来るんだい、と言われたことでその夏の行き先が決まった。私達は何年も誘われながら、うん、多分来年に、などと言って先に延ばしてばかりいたのだ。さて、行くとは決まったが彼らのところに転がり込むつもりは毛頭なく、私と相棒はインターネットでやっと見つけた小さなアパートメントに滞在することにした。いくら仲が良くても、距離を保ちながら付き合うのが私たちのスタイルだからだった。やっと見つけた、というのは私達が行くと決めたのが5月だったからである。クロアチアの夏の休暇の、しかも8月の滞在ともなればアパートメントの予約は年明け早々が当たり前らしく、5月に電話をした時には何処も塞がっていたのである。年明け早々8月の休暇のために宿を予約する。そんなスタンダードがクロアチアの海の町にはあるのかと、全く驚きだった。
私達が目指したのは昔イタリア人が沢山暮らしていたと言われるイストリア地方で、私達が言葉に困ることは一度もなかった。時にはイタリアのイストリア州と思えるほどだった。ところが食べ物について言えば、確かにクロアチア国であった。同じ魚介の料理にしても、何か違う。以前から友人と恋人がこの辺りでは烏賊を大蒜でソテーしたものにじゃが芋の付け合わせが美味いと言っては周囲のボローニャ人たちを大いに笑わせていたが、遂にそれを食す日がやって来て驚いた。見た目は、何だこんなもの、みたいな感じなのだが、美味しいこと、美味しいこと。それから私と相棒はこれを食べに3回通った。休暇が終わってボローニャに帰ると、訊かれてもいないのに烏賊とじゃが芋の一皿のことを話して、随分とからかわれたものだ。なんだ、あいつみたいなことを言って。あいつと言うのはクロアチア人の恋人を持つ、私達の友人のことだった。
砂浜は見つからなかった。何処も丸い石の浜か、岩辺だった。砂浜を求めていた相棒は大そうがっかりしたようだが、私はそんなイストリアの浜が好きだった。野性的で素朴で自然だった。浜に日除けのパラソルも寝椅子も並んでいない。浜辺にバールもカフェもない。同じアドリア海の海辺でも、イタリアのそれとは大きくイメージを逸していて、私をとても喜ばせた。
数年前クロアチアがEU加盟国になり、少しは変わっただろうか。美しい浜辺、素朴な食べ物。昔のままならばよいけれど。

クロアチアの海を思い出したのは久しぶりのことだ。私は海へ行きたいのだろうか。


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よく似た犬

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夏はジェラート。これ無しで夏を語るのは難しい。という程、ジェラートが好きだ。最近は仕事帰りにバスを途中下車して、ジェラートを箱詰めして貰って持ち帰るのが習慣だ。600グラムほど、3種類の異なったジェラートを詰めて貰う。この600グラムと言うのは私と相棒が2晩続けて楽しむことが出来るようにとの計算だ。昨夕の暑さは尋常でなかったが、そのまま家に帰ってしまいたいのを我慢して、途中下車してジェラートを購入した。そうして再びバスに乗るために停留所へ行くと、若い女性と犬が居た。犬は俗に言う雑種。あの犬種とあの犬種のミックスだろうかと思いながら顔を見てみたら、あっと思った。この犬は誰かに似ている。それは私の猫だ。犬が猫に似ているという話も、猫が犬に似ているなんて話も、未だかつて聞いたことが無い。それで確認しようと思ってもう一度見てみたら、益々似ている。大きさこそ違うが、体つきも良く似ていた。あまりにまじまじと眺めているので飼い主が不思議に思って私に訊いた。どうしたの? それで思い切って言ってみた、あなたの犬が私の猫によく似ている、と。彼女は一瞬言葉を詰めらせたが、次の瞬間には大声で笑い、そうかと思えば笑うのをぴたりと止めて、それ、本当なの? と訊き返した。それで携帯電話で撮った写真があることを思い出して彼女に見せると、再び大声で笑い、あら、本当だ! と言った。そのうちバスが来てバスに乗り込む私に、あなたの猫によろしくね、と彼女が背後から声を掛けた。彼女と犬は散歩を続けるために歩き出した。それにしても猫と犬が似ているなんて。まったく、面白いことがあるものだ。


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忘れられない夏がある

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私は昼寝が嫌い。子供の頃から夏になると昼寝をしなさいと母から諭されたものだが、一度だって本当に眠ったことなどない。いつも眠ったふりをするだけ。横になって目を閉じたように見せて、実は風に膨らむレースのカーテンを眺めながら、様々なことを空想していた。そうだ、いつだってそうだった。そして、大人になっても昼寝をしなかった。ただ、体調が悪くて椅子に座っていられないほど辛くなった時だけ、体を横たえると深い眠りに就いた。そんな私が、この夏、昼寝をするようになった。あまりの熱気にうんざりして体を横たえると、するすると深い眠りに陥るのだ。眠いというよりは辛かったのかもしれない。兎に角この夏の熱気ときたら、尋常ではないのだから。

忘れられない夏がある。13年前の夏のことだ。私がトロントに、数少ない親友のひとりを訪ねた夏のこと。彼女との出会いはアメリカ。一緒に暮らしていたこともあった。私達は似た者同士かと思えば異なった考えを持ち、仲が良いかと思えば仲違いして、そして怒りの火照りがさめると前より更に仲が良くなった。多くの友達付き合いが当り障りのない付き合いだったのに比べて、彼女とは嫌な面を見せあったこともあって、深いところまで言葉を交わしあえる同士だったと言って良かった。彼女がアメリカを去り日本で結婚をしてトロントへ行った。同じようにアメリカを離れてボローニャに暮らし始め、何年もかかってようやく生活が軌道に乗った頃、私はトロントの彼女を訪れることにした。彼女もまた、模索しながらようやく彼女らしい生活スタイルを手に入れた頃だった。確か私は2週間、彼女と夫のアパートメントの階下に部屋を借りて滞在した。彼女も夫も忙しい身だったから、私は階下に身を置きながら夕食時になると上階に行って、時間を共にした。彼女が腕を振るってくれたこともあったし、私が料理したこともあった。一緒に食べる人が存在するとなると料理をするのも楽しいもので、私は近くの市場に足を運んでは粋の良い魚を購入したり、野菜や果物を手に入れて、料理に勤しんだ。ある日曜日の午後、私と彼女はバスに乗ってナイアガラの滝を見に行った。それは私がぜひ自分の目で見たいと願ったからだったが、彼女もまたナイアガラの滝には何かしらの思いがあったからだった。人を呑み込んでしまいそうな上流の滝の流れ。あまりにも滝に近づく私を、滝に呑まれてしまいそうと怖がったのは彼女。でも、私は彼女が呑み込まれてしまいそうな気がして怖かった。そんな気がしたのには理由はなく、ただそう感じただけだったけれど。数日後、私達はフェリーに乗って島へ行った。何があるでもないけれど、自然が一杯で、天気が良い夏ならそれだけで十分といった長閑な島だった。私達は島をぐるりと歩いて回り、もう歩けないよう、と音を上げたところでフェリー乗り場に到着して、気持ちの良い湖の風に吹かれながら帰って来た。その日、私はいく枚もの写真を撮った。それを現像して彼女に見せると声を上げて喜んだ。其の中の一枚は彼女の写真で彼女が空を見上げている、向日葵のような明るい表情で晴れ渡った空を見上げている写真だった。良い表情をしていたから、彼女の夫も私も喜んだ。いい感じだね。うん、とてもいい感じ。人の写真を撮ってこれほど喜ばれたことは無い。これが初めてのことで、そしてあれ以来あんな素敵な写真をとれたこともない。あの夏から数年経った頃、彼女が病で地上から消え、空のお月様となった。あの写真はどうしただろう。彼女の夫が時々見ているだろうか。彼女が残していった小さな女の子の手に、いつか渡ればよいけれど。あなたのお母さんは向日葵のように明るい笑顔の素敵な女性だったのよ、と。

夏はとどまるところを知らない。明日はもっと暑くなるらしい。


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