6月を待つ心

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長雨に悩まされていたボローニャ。どうやらそれにもピリオドを打ったらしく、驚くような快晴。そして気温も上がり始めて6月を迎える準備万端だ。長雨とは言ったが、日本の梅雨のようなものでもなければボローニャの秋の雨のようなものでもない。とても気まぐれで、誰にも予想できなかったこの雨降り。だからこそ誰もがどうしたらよいのか分からなくて手を焼いたといった感じだった。喜んでいるのは植物。毎日の雨で水分をたっぷり吸収した。生命力を誇るかのように緑が濃い。そして生き生きとした赤いゼラニウムの花、白いジャスミンの花、様々な色のベゴニアの花が咲くテラスを一番満喫しているのは猫。毎朝毎夕テラスに出ては気持ちのいい風に吹かれながら花をひとつひとつ観察する。そうしてひと回りしては猫草のところに戻ってきて、やはりこれが一番いいみたい、と猫草を頬ずり怒ったようにむさぼる。何故怒った表情になるのかは未だに分からないが、夢中になるとあんな表情になるのかもしれない。毎日、雨に打たれて鉢の土が跳ねたり、木の葉や花弁が落ちたりして酷く汚れたテラスを一掃するのも、良い気候になった証拠だと思えば楽しいものだ。仕上げにテラスの小さなテーブルと椅子を布で拭いたら、気分がすっきりした。今度の火曜日は満月だから、テラスで鑑賞することにしよう。特別の日の為にとっておいた赤ワインと、そうだ、大好きなチーズを買ってくると良いかもしれない。

昨日は、折角の天気だからと散歩に出た。雨のボローニャよりも晴れのボローニャの方が美しいと思うのは、私だけではないだろう。空が晴れて陽が射すと、ボローニャ旧市街に巡るように存在するポルティコに光と影のコントラストが出来て美しい。私がボローニャに暮らすようになって嬉しく思ったのは、食事が美味しいことでもなければ、ワインが美味しいことでもなく、ポルティコの光と影の存在だった。どれほどの人がそんなことを考えながら歩いているだろうか。この町に生まれて育った人は、そんな様子を見慣れていて、何とも思わないのだろうか。そうだとしたら私は異国人で良かったと思う。見慣れ過ぎていて、その存在が当然化していて美しさに気が付かないなんて、あまりに残念すぎるもの。今週末はロングウィークエンド。来週火曜日が祝日だから、ついでに月曜日も休んで4連休を楽しみましょう、などと言う人が多い。勿論中には私のようにカレンダー通り仕事に行く人もいるわけだけど。兎に角、そんな訳で別の町からの訪問者が目立つボローニャの旧市街。様々なイタリア語が聞こえる。イタリア語だけれどアクセントが違ったり、語尾が微妙に違う会話に耳をそばだてながら歩くのはなかなか興味深い。美しい運河の町、ヴェネツィアから来る人々の目にボローニャはどんな町に映るのだろう。着こなしが何処となく洗練されたミラノから来る人達の目に、花のように美しいフィレンツェから来る人達の目に、どんな風に映るのだろう。そんなことを考えてみたが、多分こんなことかもしれない。なかなか住み易そうな町だ。でもやっぱり自分の町が一番いいな、と。誰だって自分の町が一番いい。例えば私がどんなにヴェネツィアを美しいと称えても、やはり暮らすならボローニャがいいのだ。私はボローニャ人ではないけれど、長年暮らしているうちにそんな風に思うようになった。
大通りと並行に走る細い道に新しい店を見つけた。以前は何だったのか、いくら考えても思い出せぬ。そして今度の店も色んなものが置かれていて、一体何屋さんなのか分からない。中が工房になっているような、それともそれが内装のひとつなのか分からないが、テーブルの前に男性か腰かけて何かを読んでいる。いや、読んでいるように見えるだけで何かをしているのかもしれなかった。いつもなら中に入って店主と話をするけれど、邪魔をしてはいけないような気がして、そっと一枚写真を撮った。この次は中に入ってみようと思いながら。

赤いゼラニウムの花。この花が咲くと初夏がやって来る。少なくとも私にとって、赤いゼラニウムの花はそんな存在だ。


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雨の日のこと

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昨日に続き夕方の大雨。仕事を終えて帰る頃になると暗雲が空に広がる。昨夕は職場を出る前に降りだしたので30分ほど雨脚が弱るのを待たねばならなかった。そして今日はそそくさと外に出て、旧市街でバスを乗り替えるためにバスから降りたら大粒の雨が降りだした。と思うや否や滝のような雨になり、停留所に大きめの屋根があるとはいえ、それが役にたたぬほどの雨でどうしたものかと途方に暮れていた所にバスが来て助かった。この、助かった、は命拾いをしたなんて大袈裟なものではないけれど、それにかなり近いものだった。ほんの一瞬だったというのにコートが酷く濡れていることに眉をひそめたのは私ばかりではなかった。通路の向こうに座っていた若い女性もまた、大いに濡れたコートや靴に眉をしかめて、ちょうど目が合った私に向かって、一体どういうことかしら、と言わんばかりに肩を怒らせて見せた。私にもわからないわ、私だってほらね、と大いに濡れてしまったコートを広げて見せて目をぐるぐる回して見せると、傍にいた運転手が声を上げて笑い、全く酷い雨だ、前が見えなくて上手く運転が出来ないと言って私達常客を怖がらせた。雨とは、時に癖になるものだ。特に夏へと向かう頃の夕立。どうか雨の癖がつきませんように。私は心から願うのだ。

ボローニャに暮らし始めた頃、旧市街のアパートメントに暮らす相棒の友人の家と、丘の町ピアノーロに暮らす、やはり相棒の幼馴染の家に数週間づつ泊めて貰った。私達がそんな風にしてボローニャ生活を始めたことを、アメリカに暮らす私達の友人たちには理解できなかったに違いない。何故、家族のところへ行かないのだ、君たちは家族の為にアメリカを後にしたというのに、と。確かに、私達はだからボローニャにやって来た。けれども私達が入り込む隙間は、相棒の家族の中にはこれっぽっちもなかった。それに気が付いたのは、私達がボローニャに来てからだったから、俗に言う、後の祭りだった。ふたりの娘を病気で失った相棒の両親は、悲しみに塞いでいた。其の上、息子が連れてきた妻は外国人で、しかも東洋人だった。20年前のボローニャには東洋人が驚くほど少なかったから、目立って目立って仕方がなく、だから両親は何かと嫌な思いをしたに違いなかった。外国を知らない両親は、外国人の私がイタリア語を話せない言って溜息をついたし、日本などと言うとんでもなく遠くの異文化を持つ国から来た私を鼻から理解できない、と言った感じだった。だから、私達はそんな風にして友人知人のところに居候しながら、自分たちでボローニャの生活ベースを作り上げようとしたのだ。そして友人知人はそんな私達を出来る範囲で大いに支えてくれていたのだ。ピアノーロの丘に暮らしていた相棒の幼馴染、モニカの家にはいったいどれくらい居ただろうか。ある暑い6月の日、モニカと恋人のジーノに誘われて、車で旧市街の隅にあるピッツェリアへ行った。途中で友人を拾い、また友人を拾い、小さな車が満席だった。旧型ルノーはそれでなくとも狭いというのに後部席は5人という乗客で、警察に止められたら警告か、罰金か、減点になるに違いなかった。だから私達は車を降りて歩いていくよ、ピッツェリアで落ち合うことにしよう、と提案したのに急な大雨で私達は小さな車に7人乗らねばならなかったのである。とにかくすごい雨だった。ワイパーが忙しく行ったり来たりしながら、その隙間を埋めるように雨粒が当たっては私達に困惑の溜息をつかせた。あの雨。そう、あの雨だ。今日の雨によく似ていた。日本でも雨はよく降るのかと訊かれて、6月は雨の月だと私は答えた。毎日傘を持って出かけなければならないこと、7月の半ばごろまで雨の季節が続くことを言うと、そんな素敵な季節なのにお気の毒に、と言った感じのことを言われて、全くその通りだと思ったものだ。あの夕方の雨。雨に濡れたピッツェリアのフロア。雨の降る中、後から後からやって来たモニカとジーノの友人たち。どの人の名前も顔も忘れてしまったけれど、私が外国人であることを嫌がる人などひとりも居なかった。むしろ、そんな私を応援してくれた人達。みんな今頃何処で何をしているのだろう。

雨に濡れた窓ガラス。そんな窓ガラスに額をくっつけて外を眺める猫の様子を眺めながら、まるで自分のようだと思った。雨の降る日は家に居て、ガラス越しに外を眺めるのが好き。雨に洗われた樹の葉、濡れて黒く光るアスファルト。でも、今日、私がガラス越しに眺めていたのはそんな雨の日を共に過ごした人々との思い出。雨が思い出させてくれた人々のこと。


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苺を食べよう

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好きな果物は沢山あるが、中でも苺は大好きな部類に入る。少し前まで南イタリア産のものが主流だったが、最近この辺りの、つまりエミリア・ロマーニャ州で摘み取られたものも店先に並ぶようになった。数年前に比べると値段が高いようだけど、それも仕方がないだろう。それに美味しいものを頂けるのであれば、多少値が張っても良い、というのが私の考えなのである。先日、マッジョーレ広場の直ぐそばにある、食料品市場界隈に立ち寄ってみたら、私の気に入りの青果店が開いていた。この店は、とても儲かっている、と私は睨んでいる。開いている時は何時も客が順番を待っている。理由は良いものを置いているから。その一言に尽きる。そして適切な値段が付けられているのも理由のひとつかもしれない。唯一困ったのは、休みが多いことだ。だから開いている時を逃す手は無く、その日も店の前で足を止めた。運よくすぐに自分の順番がやって来た。甘くて飛び切り美味しい苺が欲しいのだけど。そう言う私に店主がちょっと考えて、今日家にあるのはどれもとても甘くて美味しいけれど、バジリカータ州のとエミリア・ロマーニャ州のがあってね、と言った。バジリカータ州はイタリアの南に位置するので太陽の恵みが多いかもしれないと思いながら、地元贔屓の私はエミリア・ロマーニャ州の苺を選んだ。確かにナポリの小さなトマトは甘くて美味しいし、シチリアのオレンジも美味しいけれど、苺くらい地元のを選んでみるのが良いだろう、と思って。買った苺を手に提げて家に帰って来た。直ぐに冷たい水で洗って口に放り込んだら、甘い! 酸味と甘みが絶妙で、其のまま食べるのが丁度いい。生クリームを添える必要もなければ、レモンと砂糖を掛ける必要もない。どんなおやつよりも健康的で美味しかった。と、思い出した。昔、まだ私が小学生だった頃、東京から田舎に引っ越して3年目の春、学校の先生の家が苺農家で、日曜日に苺摘みに行ったことを。広々とした畑は苺で一杯だった。今思えば、私たち子供たちの為に畑を開放してくれた先生の両親は、心が飛び切り大きかったと思う。イチゴを摘むのも初めてならば、大きな日本家屋を訪れるのも初めてだった。東京に暮らしていたら得ることの出来なかった体験で、子供ながら私はとても嬉しかったのを覚えている。でも、嬉しすぎて苺を沢山食べ過ぎて、翌日学校を休んでしまったのはいけなかった。夕方、先生が心配して家に電話をかけてきたから、母がとても恐縮していた。いいえ、娘が苺を沢山食べ過ぎてしまったものだから、と。目の前に居ない先生に向かって頭を下げているのを横で見ながら、食べ過ぎは罪だと思ったものだ。あれ以来、私はどんなに苺が好きでも、どんなにその苺が美味しくても、程々を心がけているのだ。この苺。うっかりすると直ぐに姿を消してしまう。近いうちにまた購入することにしよう。旬のものを頂くのが、健康の秘訣なのだ。旬が過ぎたら、たとえどんなに苺が好きでも来年春までさようならなのだから。

うちの猫は赤い苺に興味があるらしい。いや、苺ばかりではない。赤ワインも、赤いトマトにも、それから赤い爪にも。赤い色が彼女の心を刺激するのかもしれない。


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雨に強かに濡れて緑が美しい

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今日も雨。更に気温が下がって、外ばかりでなく家の中も冷え込んでいる。雨が降っているのは嫌だったが、家の中に居ると気分がクサクサしそうなので思い切って外に出掛けた。珍しいこと。いや、全く私にとっては珍しいことであった。

街を歩く人々の装いは、まるで3月のよう。防寒ジャケットを着て、首にスカーフを巻き付けている。私の厚着が目立たないくらい、誰もが着こんでいた。何しろ15度もない。旧市街の中心でバスを降りて散歩を始めたが、ふと思いついて髪を切りに行った。このところ髪の毛が言うことを聞かなくなくて困っていたのだ。土曜日とは言え、こんな雨降りならば客人も少ないに違いなく、あまり待たされることもないだろうと思って。予想は的中。早々に髪を切り終えて、再び散歩を始めた。時は昼時を少し過ぎた頃だった。こんな寒い日は、エノテカ・イタリアーナへ行こう。小さなパニーノを作ってもらい、それからワインを注文した。この店のパニーノは、家で作るような、ごまかしなしのパニーノだ。マヨネーズやソース類は無い。だから安心なのである。素朴で安全で美味しい。実に私好みだった。新聞を読みながらパニーノを齧り、ワインを飲んだ。本当に簡単な昼食。でも、何時の頃からか胃袋が小さくなってしまった私には、十分だった。支払いをする前にカウンターに立ち寄って仕上げのカッフェを注文した。と、カウンターの中に居る女性が、私達は知り合いですね、何処で知り合ったかは思い出せないけれど、と言った。私は彼女の顔をじっと見て、はてな、そうだったかしらと思いながら、しかしこの声には覚えがあると思い、もう一度彼女を見た。あ。分かった。フランス屋よ。あなた、フランス屋で働いていたでしょう? 私はそう言うと、彼女は、ああ、思い出した、と言って顔中に笑みを湛えた。私が仕事帰りに時々立ち寄るフランス屋に居た女性だった。とても感じが良くて、若々しくて、だからてっきり若いお嬢さんかと思っていたら、もう大きな娘がいると知って驚いたことがあったっけ。彼女はあの後、あの店の仕事を辞めて、この店で働くようになったそうだ。何時もワインと接していたいのかもしれない。私達は街でばったり会った旧友のような気分になって、あれからどうしていたのかを報告し合った。勘定を済ませて、声を掛ける。またね。近いうちにまたね。彼女が其れに応じる。また今度。待ってますから。
フランスのワインを頂きたいときはフランス屋へ、イタリアのワインを頂きたいときはエノテカ・イタリアーナへ。客の立場の私は気分によってどちらにも行くことが出来る。選ぶ自由を与えられていること。私はそれを幸運と呼ぶ。たとえそれが小さな、他愛無いことであっても。

テラスに出しておいた猫草の鉢。雨に強かに濡れて緑が美しい。水分をしっかり補給して葉の勢いも素晴らしい。ジャスミンの花が雨に濡れて、輝いている。私にとっては憂鬱な雨も、植物にとっては恵みの雨だ。


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いい匂いがする

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雨。昨日から雨が降り続け、緑が一層濃くなったように見える。しかしこの肌寒さは何だ。昼間とて15度にもならない5月下旬は、ボローニャに暮らすようになってから初めてのことかもしれない。傘からしたたる雨が短い丈のコートの裾を濡らし、靴の表面に水滴が躍る。まるで日本の梅雨時の雨のようだった。

先週の土曜日、近所の店で石鹸を買った。昨冬、店主から手作り石鹸を貰って使って以来、私と相棒はこの店の石鹸にぞっこんだ。いろいろ試してみたがラベンダーの石鹸が気に入りだ。先週の土曜日、近所の店で石鹸を買った、とは言うけれど、実際買いに行ったのは相棒だ。店の隣のバールに居るに違いない相棒に電話をして、買い物を頼んだのだ。あれこれ指示すると面倒く臭さがると思って、好きなのを買ってきてくれればいいとだけ言って。夕方、彼は薄紫色のリボンを掛けたセロハンの袋を手に帰って来た。中には3種類の石鹸。話を聞けば彼が注文したのはラベンダーの石鹸ひとつで、残りは店主が試してごらんと言って袋に入れてくれたものらしかった。袋を開けるといい匂い。私の遠い記憶を呼び覚ますような。シナモンをベースにした石鹸だった。琥珀色の石鹸で、水にぬらして手の中で転がしてみると、更にいい匂いを放った。そして私は思いだしたのだ。あの店の匂いと同じことを。
私が4年間暮らしたアメリカの町はサンフランシスコ。磁石に引きつけられるようにしてその町を訪れて、一目で町に恋した。それから年に数回通うのを数年続けて、まるで駆け落ちのような形で家を飛び出して、その町に暮らすようになった。質素な暮らしだったが幸せだったのは、そんなことが理由だっただろう。私はその町が好きだったから、何をしても何を見ても、幸せ以外の何でもなかったのだろう。気に入りの場所は山ほどあったけれど、其の中のひとつがフィルモアという名の通りだった。この通りは南北に走っていて、並行して走る他の通り同様になだらかな坂を上がっていくと、やがて頂点に辿り着き、其処から湾に向かって坂を下っていくと言った具合だった。私がこの通りを始めて歩いたのは、私がまだ単なる訪問者だった時代だ。偶然だったわけではない。この町に30年だか暮らしているという人から話を聞いて、興味を持って来てみたのだ。小さな店が連立しているこの通りを見て歩くのは時間がいくらあっても足らなかった。どれもが個性的で、ただ見て回るだけだったけれども、私の感性を刺激してやまなかった。信号を渡って直ぐ角の店。其の店に入るといい匂いがした。俗に言う雑貨店。でも、店主の拘りを十分に感じる品揃えで、そのひとつが匂いだった。そうして私がこの町に暮らし始めると、週に一度は其処に足を向けた。時には手紙を書くための拘りの質の便せんや封筒を買い求めたり、時にはただぶらぶらと眺めてみたり。友人知人の間でもこの店のことは評判であったけれど、その存在を知らぬ人は居なかったけれど、面白いことに誰一人匂いに気が付いていなかった。え、匂い? そう言われて、私は驚いたものだ。あんなに鼻先をくすぐるような匂いがしていたのに。毎週通ったのに、ついに匂いの源が分からなかった。
石鹸で手を洗いながら思い出した、あの店の匂いと同じだと。どうして今まで気が付かなかったのだろう。シナモンだなんて。シナモンの匂いだったなんて。勿論シナモンばかりではないだろう。シナモンと何か。その配分が絶妙で、いい匂いが私を遠い昔に連れて行こう、連れて行こうとするのだ。
サンフランシスコのあの店の匂いがする。そう言ったら、相棒は何と言うだろうか。自分の故郷ボローニャに暮らすことで、あの時代のことはもう忘れてしまっただろうか。彼は20年も暮らしていたけれど、ボローニャに戻ってきてから同じ年月が経ってしまったから。私は、私は何年経っても忘れないだろう。自分が選んで暮らした町だもの。あれから20年という歳月が経った。20年前の5月23日に相棒と私はあの町を後にしたのだから。私達にとっては結婚記念日と同じくらい、深い意味のある日。私達が大好きだったあの町を後にして、ボローニャで新しく生活を始めようとした日。

私達は、あれから成長しただろうか。私は。私ひとりに関して言えば、あまり成長した様子がない。


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