青い扉

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ボローニャは雨。一日中雨雲に覆われていた。それでなくとも月曜日は憂鬱と決まっているのに、其の上空の色まで冴えなければ、憂鬱になっても仕方があるまい。4月ももうすぐ終わりというのに肌寒い。そう言えば日本でもこの時期こんな天気の日があったものだと思い出しながら、日本とボローニャの小さな共通点を見つけたような気がして、少しだけ嬉しくなった。

ヴェネツィアを歩いて得た、全身の痛み。如何に日頃動いていないかを振り返る良い機会であった。その痛みも少しづつ緩み始めた頃、思い出した。あの青い扉の建物のこと。今回のヴェネツィア散策でどうしても歩きたいと思った界隈があった。カンナレージョという界隈で、大雑把に言うとサンタ・ルチア駅の背後にあたる辺りである。幾度も、と言ってもたかだか5回ばかりだがこの町を訪れているのに、その辺りだけはまだ歩いたことが無かった。そしてその横に連なる辺りにしても。だから今度こそ、何しろ時間がたっぷりあるし、何しろひとりの気ままな散策だから、と胸を躍らせていた。駅を出た多くの人々はヴァポレットという市営の船の乗り場に流れていき、残りは地図を片手にそぞろ歩きを始める。リアルト橋を目指しているのだろうか。そんな彼らに逆らうように私は途中で左折して運河沿いに歩き始めた。カンナレージョという名の運河だった。この界隈はこの運河から名前をとったのだろうか。そして手持ちの簡単な地図によると、この運河はそのうち大きな運河に合流することになっている。旅行者はまばらになり、目につき始めたのが地元の普段着の人々。道の名前を確認しようとしたらフォンダメンタという文字が目に飛び込んだ。フォンダメンタ。運河べりの道。だからこの辺りにはフォンダメンタ何とかかんとか、と、どの道にもフォンダメンタと書かれていた。私はこのフォンダメンタという言葉が気に入り、道名前を読み上げて歩いた。と、向こう岸に現れた大きな建物。豪奢とは言い難い、実に殺伐とした朽ちた白い建物だったが、青い扉が私の心を強く惹いて釘づけになった。ぼんやり眺めていたのはどのくらいの時間だっただろうか。通りすがりの主婦や犬を連れたおじさんたちが、一体どうしたんだい、と言わんばかりに私の顔をこっそり覗いていった。そうして思い出したかのようにレンズに収めると、私と同じような単身の旅行者の外国人が、あれは何か有名なのかと聞くので、さあ、知らないわ、答えると首をくすめて行ってしまった。有名であろうとなかろうと、どうでもよかった。私にとってはそれはあまり意味のないことで、自分が美しいと思えば、自分が素晴らしいと思えば、魅力的だと思うならば其れで充分だったから。このカンナレージョ界隈がゲットー、つまりユダヤ人街だと知ったのは、つい最近のことだ。その歴史は以前何かの本で読んだことがあったが、まさかその辺りがゲットーであるとは知らなかった。そんなことが、この界隈を歩いてみたいと思った理由のひとつだったかもしれない。旅行者が心に描く華やかなヴェネツィアの印象は無く、素朴で地味で味わい深かった。いつかこの町に暮らすならば、私はこんな静寂のある界隈が自分に似合うのではないだろうかと思った。其れは彼らの歴史を知らなすぎる異国人の私らしい発想であり、それでいて案外本当に私に合う場所なのかもしれないと思った。運河の向こう側にある建物に魅入っていたが、目の前を通り過ぎた風変わりな船で現実に引き戻された。引っ越しなのだろう、家財を山積みした船で、沈みやしないかと心配したくなるような船だった。テーブルや小さな引き出しの箪笥。ランプもあれば何客もの椅子が積み上げられ、幾つもの段ボールの中にはいったい何が入っているのか。兎に角あまりに面白いので誰もが其れを眺めるものだから、船に乗った男性は恥ずかしくて仕方がないといった様子だった。だけど思い切って声を掛けてみた。Buongiorno! 引っ越しですか。 元気に明るく大きな声で。そうしたら、やはり大きな声で返ってきた。Buongiorno! 自分の引っ越しじゃないよ。友人のだよ。   

挨拶は大きな声の方がいい。気分が晴々するから。特に見知らぬ者同士が初めて声を交わすなら。

外の雨。酷い降りになった。週明けからこんなでは、ちょっと先が思いやられる。ヴェネツィアも雨だろうか。洪水になどならねば良いけれど。


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違う色、違う空気。

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逃亡先はヴェネツィア。逃亡先にしては近過ぎると思うが、けれどもヴェネツィア。同じイタリアだけど、特急電車に乗ればたったの1時間半もかからないけれど、目に飛び込んでくる全てが非日常的に見えるこの町の様子は、私を大そう癒してくれる。ボローニャとは違う色、ボローニャとは違う空気が漂う町。

この町はいつ訪れても旅行者で溢れている。私のようにイタリアの他の町からくる人もいれば、国境を越えて、海を越えてやって来る人もいる。旅行者で溢れていない時期になどと思って様々な時期に訪れてみたが、結局分かったのはいつ訪れても旅行者で一杯ということだ。人混みを嫌う人にとってはヴェネツィアのような町は散策に不向きと言うことになるが、ところがところがこの町には、ひと気のない閑散とした場所も沢山隠されているのである。反対側から言えば、散策の宝庫なのである。迷路のような裏通り。裏通りと言うけれど、本当は表通りかもしれないヴェネツィアの生活路をなぞるようにして歩く楽しさ。ご近所さん同士が立ち話する脇を通り抜けながら、そっと耳を傾けてみる。聞こえてくるヴェネト地方のアクセントが私の笑いを誘う。ボローニャ辺りとは明らかに違うその話し方。そう言えば、ローマに居た頃、ヴェネト出身の男性の話し方を笑ったら、君の話し言葉だってボローニャ特有で可笑しいじゃないか、とローマ生まれの知人に笑われたものだ。日差しは強く、日向を歩いている分には暑く感じるほどだけど、一歩日陰に入ると酷く冷える。しかもラグーナや海からの風が吹き抜けると、ぴしゃりと頬を打たれるようだ。だから地元の人はまだまだ厚着。薄着をしたらあっという間に体が冷えて風邪をひいてしまうのを知っているから。反対に旅行者は薄着。もう袖無しのシャツなどを着て歩いている。老犬を伴って歩いて来る髪の手入れが良く施された女性と目が合ったので、挨拶を交わした。彼女もまだ腰丈の上着を着て海風対策万全だ。犬が歩き疲れたらしく、歩かなくなってしまった。彼女は、ほら、ほら、もう少しだから。そう言って犬を励まし、私に手を振って去って行った。後姿を眺めていたら、本当に直ぐ其処が家で、趣のある朽ちた大きな木の扉を手で押して入って行った。道から道へ。時々小さな橋を渡って、また小さな道へと渡り歩く。でも、時々行き止まりになるので、来た道を引き返し、そうすると方向感覚が無くなって、どちらへ歩いたら良いのか分からなくなってしまう。幾度通りすがりの人が道を教えてくれただろう。私が訊かなくても、この町の人達は方向を失って途方に暮れている人に見慣れているせいか、そういう人に自ら声を掛けて教えてくれる。そういう彼らを私は優しい人達と呼んでいる。それとも私がとんでもなく困った顔をしていたのかもしれないけれど。

散策に夢中になって、6時間も歩いてしまった。時々疲れては教会に入って腰を掛けてみたりもしたけれど。体がギシギシ痛むたびに、ヴェネツィアを歩いたことを思い出す。今度は、冬が訪れる前に行くことにしよう。ヴェネツィアの別の顔を発見できるに違いない。


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たった一日の逃亡

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駆け足の毎日は私らしくないと思う。私はもっとのんびりと、周りを眺めながら歩くようにして生活するのが好き。でも、好きとか嫌いとか抜きに、時にはそういう時期もあるもので、そんな時には目を瞑って、ええい、と乗り越えてしまえばいい。そうして乗り越えたら、またいつもののんびりスタイルの生活に戻れるはずだから。

魚市場前の小さなバールの中には10人もの客が、まるで押し合うようにして立っていた、カッフェを飲む人あり、パニーノを齧る人あり、グラスに注がれた白ワインを楽しむ人あり。この魚市場に来たのは偶然ではない。以前此処に来た時に妙に心に残ったからだ。昼過ぎとあって市場は終わっていて、既にコンクリートの床を水で洗った後だった。其処に居るのは数人の市場の関係者で、明日の話でもしているようだった。別に市場が終わっていたからといって落胆したでもなく、私は此処に来れただけで十分満足だった。昔、ヘミングウェイがこの街に居た頃、この市場に通ったという。別にヘミングウェイが好きなわけでもないけれど、そして彼の本を愛読したというでもないけれど、私はヘミングウェイという響きを大変好んでいて、何かとこの名を聞くたびに心が揺れると言う訳だった。バールは市場に通う人たちの気に入りの場所らしい。店の外にまで人が溢れていた。そして溢れていたのは人ばかりでなく、カッフェのいい匂いまでもが。私はバールを横目で見ながら先へと足を進めた。何しろ私は此処では完全な異国人だから、どれを見ても目に新しく、何かを感じる要因だった。異国人と言うのはつまり、私が日本人だからと言う訳ではない。つまりこの町に住んで居ない人と言う意味で、例えばこの町にローマ人やフィレンツェ人が来たとしても、同じように異国人の立場になるだろう。州ごとに異なった文化、食文化、言葉のイントネーションや言い回しを持つイタリアは、イタリア共和国と称しながらも各州が異なる国で、過去と同じように、これから先も多分そんな風であるに違いないのだ。この町の路地の多さはボローニャの比ではない。やっと人ひとりが通り抜けられるような路地もあれば、人がふたりすれ違えるような路地もある。その先々に大小の広場が存在して、そしてまた路地が続く。空腹を感じたので、一杯飲み屋風の店に飛び込んだ。椅子は4つしかなく、いかにも近所で働く人や住んで居る人がちょっと立ち寄るためにあるような店だった。軽めの白ワインと何か小腹を満たすもの。そんな注文の仕方をしてみたら、店の人がちょっと考えてから出してくれた。気の利く人らしい。それともこの辺りでは、こんな風に注文する人が案外多いのかもしれなかった。ボローニャ辺りでそんなことを言ったらば、え? みたいな顔をしてああでもないこうでもないと、物が目の前に並ぶまでにえらく時間が掛かるのに。天井につる下げられた10個以上ある銅製の大鍋。壁に貼られた古い新聞。そうしたひとつひとつを眺めていたら、私が考えていた以上に長い歴史を持つ店であることが分かり始めた。店の人が出してくれたもののひとつに白ポレンタがあった。と言っても口に入れるまでは其れが何であるかは分からなかったけれど。ポレンタと言えばふつう黄色いトウモロコシの粉を使うけれど、この辺りには白いトウモロコシが存在するらしい。耳にしていたが、そうかこれが有名な白ポレンタだったのかと、私は大変満足だった。小腹が満足したので店を出た。また立ち寄ることを約束して。旅行者の多いこの町で、こんな店を見つけることが出来たのは、幸運と言うしかなかった。そしてその後、足を運んだのは、礼の混み合ったバールである。食後にカッフェ。これをしない訳にはいかない。店はピークの時間を終えたらしく客がひとりも居なかった。短いカッフェ、お願いします。そう注文すると、店主はこの客に手応えありと言わんばかりに目を細めて、カッフェを淹れてくれた。短いカッフェと言うのは、通常のイタリアのカッフェよりも更に少なめの、つまり凝縮したカッフェのことだ。食後はこれがいい。この店のカッフェは美味しいと見込んだならば、特に。出されたカッフェが放ついい匂い。一口含んでみて、やっぱりと思った。美味しいものは笑みを誘う。私は笑いが止まらなくなった。先ほど前を通ったら、外まで客がはみ出ていたこと、いい匂いが外まで放たれていて、この店のカッフェは絶対に美味しいと確信していたこと、だから近所で軽食をとって戻ってきたことを早口でまくしたてると、店主は勿論さ、という表情で黙って大きく頷いた。立ち飲みカッフェ、しかも飛び切り美味しいカッフェが1ユーロ。悪くない。うん、全然悪くない。

駆け足の生活に疲れたら、時には逃亡。それが良いとか悪いとか、様々な意見があるかもしれないけれど、そんなものは自分が決めることで、人がとやかく言うものではない。逃亡で気持ちや感性が元気になるなら、こんな素敵なことは無い。


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宝物

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昨夜の雨が冷たい空気を連れてきた。朝起きてテラスに続く大きな窓を開けたら思いがけず冷たい空気が家の中に流れ込んで驚いた。草木も驚いていることだろう。すっかり肩の力を抜いてリラックスしているところにこの寒さだから。最近、,猫はテラスに出るのが気に入りだ。空を飛び交う鳥を眺めるためだ。鳥を眺めていると自分も自由に空を飛べるような気がするのかもしれない。窓を開けたのをよいことにテラスに飛び出したものの、予想外の寒さに驚いて家の中に引き返した。春は何処へ行ってしまったのかしら。猫に話しかけてみたが、そんなこと知らないわよ、と言わんばかりにくるりと猫が背を向けた。どうやら機嫌が悪いらしい。テラスで寛ぐことが出来ないせいで。

金曜日の夕方、中央郵便局の前の広場で植木の市が開かれていた。人との約束の時間までにまだ少しあるのを確認して、覗いてみることにした。春の花あり、ハーブあり、果実のなる木あり。球根を売る店もあれば、サボテンを売る店もあった。店の間の小路を歩いていたら、美しいツツジの鉢植えを見つけた。ピンクともオレンジとも言い難い、微妙な色合いのそれは、昔、父が大切にしていたツツジを思い出させた。
父は勤め人で、家族の為に月曜日から土曜日の昼間まで、大して休暇もとることなく真面目に働いた。母に言わせれば真面目すぎるそうだけど、私はそんな父を尊敬したし、そんな父を見ながら育った。父はいつか物書きになる夢を持ちながら、しかし私が見る限り何かを書くでもなく、いつも庭で植木の手入れをしていた。うちには金木犀、ツツジ、沈丁花などがあり、それらは父の手入れによって毎年美しい花を咲かせた。そしてツツジ。何しろ狭い庭だったから所狭しと植木があって、それでもまだ場所が足らなくて、父は雛壇のようなものを組み立てて、其処に様々な色のツツジの植木を置いていた。父が普段着に着替えて庭に出るのを眺めるのが好きだった。鉢が小さくなったからと、大きな鉢に植え替えるために父が大きな手で優しく土を解しているのをみると、とても温かい気持ちになった。私が物心ついて自分で何かを植えたいと思い始めると、父が横で教えてくれた。そんな風にして私は育った。とても幸運だったと思う。その父はもう随分前に戻らぬ人となったけれど、私の中に父が教えてくれたことが棲みついている。街を歩きながら微風に揺れる木の葉を見る時、見知らぬ人の家の門に美しい藤の花が絡みつくように咲いているのを見つける時、若しくはボローニャの赤い壁につるのような草が這っているのを発見する時、私は自分の中に棲みついている植物を愛する心が蠢く。父が持っていた丈夫な歯や、真面目さを受け継ぐことは出来なかったけれど、植物を愛する心はしっかりと受け継いだ。私の宝物だ。

時々こんな植木の市が開かれると良い。植物の中をそぞろ歩く人たちの優しい表情を観察したら、こちらも素敵な気分になるというものだ。


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春の喜び

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大きな雷音を合図に雨が降りだした。本当ならば夜中のうちから降りだしてもおかしくなかった雨だったが、土曜日を楽しむ人々を悲しませたくないと思ったのだろうか、夕方まで空は雨粒は落ちてこなかった。空の上の誰かが、そうした方がいいと判断したに違いない。

ボローニャに暮らすようになって何年も経った。其れなりに楽しいことを見つけ出し、其れなりに自分らしく生活する術を身に着けた。気候に関してはこの上なく恵まれていないけど、其れもボローニャの一部、私の好きなボローニャの街並や情緒とセットと思えば、我慢できないこともない。私がボローニャで見つけた春の夕方の楽しみは、明るい夕方の寄り道。勿論、春の夕方の寄り道とは爽やかな白ワインを頂くことで、其れはひとりだったり誰かと一緒だったりするが、どんな時も楽しい時間であることに違いない。ひとりでワインの場合はカウンターの前の立ち飲みで、店主や其の店に通う常連客達との一瞬のお喋りは、思いがけないことを教えてくれたりして、言うなれば宝のような時間である。そして誰か連れが居る時は、奥の席に、若しくはテラス席について、時間を忘れて話し込む。思うにワインは、黙って淋しく飲むものではない。誰かと言葉を交わしながら頂くと、更に美味しくなるものなのだ。勿論、ひとりだってよい。でもその場合は、自分の中が満たされていて、うふふ、と笑みが零れてしまうような状態であることが望ましい。悲しかったり淋しかったりでワインを頂くと、ワインに溺れてしまいそうな気がするのだけれど、どうだろうか。
さて、私が見つけた春の夕方の楽しみは、そんなことばかりではない。高い空に飛び交う燕の群れにしても。ローマのひとりの生活を畳んでボローニャに帰って来たのは、相棒が私達に丁度よいアパートメントを用意してくれたからだ。それが私が出した、ボローニャに戻ってくる条件だった。小さなアパートメントだったけれど、広いテラスがあった。30平方メートルほどの。幾つもの鉢を並べて草木を植えた。其の中でもロースマリーノの生命力は驚くほどで、その辺りでも有名になるほど一年中花が咲いて私達の目を楽しませてくれた。そのアパートメントに暮らし始めて初めて迎えた春のある夕方、聞き慣れぬ声に胸を躍らせてテラスに出てみたら、空高く燕たちが飛び交っていた。其れは本当に沢山の。良く目を凝らしてみれば最上階の上にある屋根の軒下に幾つもの巣があった。そうか、この建物には燕も住んで居るのだな。そう思ったら、とても幸運な気がしてきた。其処には10年暮らした。特別素適な界隈でもないのに其処に暮らしていたのは、旧市街へ行くのに便利だったことや、近所の人たちが親切だったこともあるけれど、燕が住んで居ることも多分理由のひとつだっただろう。その後、私達は丘の町ピアノーロに家を持ち、しかしその生活は5年しか続かず、便利だけれど緑のある場所を探して今の場所に落ち着くわけだけど、何処に居ても燕がついて回った。だから私の春は、燕なしでは語れない。

数日前の仕事帰り、ザナリーニのカフェの前を歩いていたら、無数の聞き慣れた声を聞いた。頭上を見上げたら燕。旧市街のこんな場所にも燕が群れて飛び交うのかと、20年も経って初めて知った。そうか、君たちはこんな所にも居るんだね。空の燕たちに語り掛ける。春のボローニャは素敵だ。いつの間にか、私は春のボローニャの虜になってしまったらしい。


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