暖かい1月、新しい手袋。

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もう、土曜日になった。今週は忙しいと言う訳でもないのに、時間が経つのが驚くほど速い。どうしてだろう、と考えてみたけれど、理由のひとつも見つからない。嬉しいのは連日の快晴。気持ちの良い空なのに、相棒が酷い風邪を引いて寝込んでいるために、うちの中がぱっとしない。早く治ると良いけれど。何しろ自分は若いから、なあに、すぐに治るさ、と過信して、体を少しも休めない。だから恐らくしばらく治らないだろう。若いのは気持ち。しかし体力は確実に落ちているのだ。ねえ、君。20年前と同じだと思っていてはいけないよ。それをどうやって彼に自覚させるか。それが問題だ。

妙なほど暖かい一日。16度にも上がるとは、いったい誰が予測できただろう。まるで春のようだ、と道ですれ違う人々が口々に言っているのが耳に飛び込んでくる。そうだ、道端にも小さな花が咲いている。冬眠していたてんとう虫が目を覚まして家に飛び込んできたのも、春と間違えてのことに違いない。
そんな暖かい土曜日の前日に、私は革の手袋を購入した。今の家に引っ越してきた時に、確かに見た覚えがある気に入りの黒革の手袋が、見つからないからだった。引っ越しを終えて箪笥にすべてのものを収め終わった時に見た覚えのあるそれが、いくら探しても見つからず、しかし必ず見つかるからと思って新しいのを購入せずにいたけれど、このところの寒さに辟易してついに新しいのを調達する決心をしたのが昨日の夕方だった。真っ直ぐ家に帰ろうと思ったが、いや、しかし金曜日なのだからと、寄り道をすることにしたのだ。日が長くなったとはいえ、仕事を終えて旧市街に辿り着く頃には空はすっかり暗く、橙色の街灯が浮かび上がる旧市街の様子はとても美しい。其れを見るたびに、私は中世へと一瞬のタイムトリップするのだ。冬が嫌い、寒いのが嫌いとは言え、この美しさがあるならば冬を何とか乗り越えられるというものだ。そんな人がボローニャの何処かにもう一人くらいいるに違いないと思いながら私は広場を斜めに横断して、公証人の館の一部を利用した、手袋の店に向かった。冬のサルディが行われているこの時期だから、他の店で安く手袋を手に入れることは十分可能な筈だけど、私は敢えてサルディとは無縁の、手袋の店に行くことに決めたのだ。それは何故かと言えば、サイズが豊富で、手に馴染む柔らかい上質の革の手袋が其処でなら見つかると知っていたからだ。そしてもうひとつ。店の娘さんはどうしているだろうかと、店の前を通るたびに思っていたからだった。私は、始めは店先を眺めるだけの常連だった。冬になると店はいつも混み合っていた。客人が4人も入れば一杯になってしまうような店だから、入りきれない人は入り口の外で順番を待っていた。それにしたって決して安くはないこの店の手袋を順番を待って買い物をする人達。とても興味深かった。昔ながらの店の作りで洒落っ気などはひとつもない。今風の手袋もなければ、流行を意識したものもない。話によれば1930年代に始まったこの店に冬になると手袋を求めて通うボローニャ人は、沢山いるのだそうだ。それにしたって客がはけない。その理由は、私が初めてこの店に入った時にわかった。初めて入ったのは、10年くらい前のことだ。5年間のフィレンツェ通いを辞めて、ボローニャの職場に通うようになって時間にも気持にも余裕が出来たところで、自分へご褒美を施そうなどと思ったのがきっかけだったかもしれない。ご褒美はどんなものでも良かった筈なのに、この店の手袋をと思ったのは、長いこと私がこの店の柔らかい革で仕立てられら手袋に憧れていたからだろう。その日は客がひとりも居なくて、私は其の店の娘さんにゆっくり手袋を見せて貰うことが出来た。娘さんは私と同じか、若しくはもう少し年上の、落ち着いた、良い印象の女性だった。押し売りする感じはみじんもなく、私の手をちらりと見ただけで丁度よいサイズの手袋を奥から出してきたので驚いたものだ。あれもこれも試してから、三つほど選び出して迷う私に、シニョーラにはこの手袋が良く似合います、と言って助けてくれた。私はそれを大切にしていて、冬が終わると丁寧に手入れをして、冬がやって来ると奥から出して喜んで使っていた。なのに、数年後、何処かで落としてしまった。それで新しいのを購入しに行くと、娘さんは更に落着きを増して、とても丁寧に親切に接客してくれた。急がせることもなければ、強引に売りつけることもない。でも、客人が迷っていたら、正しいアドヴァイスを述べてくれる。だからひとりの客に時間が掛かる。でも、それを知っているから待たされる客も、じっと待っていられるのだ。
さて、昨夕店に行くと、娘さんはもう娘さんと呼ぶよりも主のような気品と落ち着きを持って迎えてくれた。柔らかいトーンの声も、良い印象も昔のままで私はこっそり安堵の溜息をついた。柔らかい革の、内側に絹を張った手袋。其れだけの注文を言うと、娘さんはやはり私の手をちらりと見て、店の奥に消えていった。そうしていくつかの手袋を手に持って戻ってきた。どれもこれも美しく、着け心地の良い、理想的な手袋だった。其の中からふたつまで絞ったが、どちらに決めるのが難しい。こんな時、人は両方購入するのだろうか。もしそんなことが出来たらば、どんなに素敵だろうと思ったけれど、それはあまりにも贅沢と言うものだった。それで娘さんに訊いてみた。あなただったら、どちらにしますか。すると娘さんはまるで自分が買い物をするような表情をした。私ならばこちらの焦げ茶色のものにします。何故って、この手袋の革はとても上等なんですから!それに使えば使う程、手に馴染む革なんですから!と嬉しそうに言った。それで私はそれを手にして、これにすると言うと、娘さんは更に嬉しそうに、よい選択ですよ、シニョーラと言った。少し予算オーバーだったが、満足だった。娘さんが薦めてくれた手袋は、確かにとても柔らかくて素敵だったし、それにもうひとつの手袋は更に高額だったからだ。もうひとつの手袋があれ程の値段がついていたのは、デザイン料だったに違いない。何しろ名の知れたブランドのものだったから。

私は知っている。箪笥の中から見つからなかった黒革の手袋が近いうちに出てくるであろうことを。探している時は見つからないものなのだ。探し物とはそういうものだ。まあ、いいさ。黒革の手袋と焦げ茶色の手袋。ふたつあっても良いではないか。それにしたってこんなに温暖では、手袋の出番がないというもの。困るなあ。そう呟く私に相棒が笑う。君は寒いのが大嫌いなくせに。



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小さな春を探す

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北西の風が吹く。ボローニャの冬にしては珍しい、風の吹く冬の日。薄曇りの、しかし薄い雲の向こう側に確かに太陽の光が充ちていることを感じる明るい空。1月に入ってやっと3分の一が終わっただけだというのに、テラスの植木鉢に小さな鳥が飛びこんで、くちばしで土をついばむ。いい声で歌う鳥。ガラス窓越しに眺めている私と猫の存在に気が付いて、歌の途中で飛んで行ってしまった。また遊びに来てくれるだろうか。そんなことを思いながら、レースのカーテンを閉じた。

昔、私がローマの仕事を辞めてボローニャに戻ってくるにあたって、相棒は旧市街から直ぐ其処の界隈にアパートメントを借りた。私がボローニャに戻ってくる条件のひとつが、住居がボローニャ市内であること、便利であること、旧市街にすぐ行ける場所であることだったからだ。その辺りは昔からそこに暮らしているイタリア人ばかりで、だから私が其処に暮らし始めた時には酷く噂になったものだ。当時は中国人すら、居なかった。私はこの辺りでは珍しい、外国人だったわけである。借りたアパートメントには広いテラスがついていた。普通の居間の倍近くの広さで、4世帯のテラスが寄り添うように存在していた。言い換えれば広いテラスを4世帯で分け合っていた訳だ。私はとにかく噂の主だったから、テラスに出るのが嫌いだった。テラスに出て洗濯物を干したり、植木に水をくべたり、テラスを掃除していると、必ずと言って良いほど上階のテラスや窓から、又は向かい側の建物の窓辺から誰かが見ていたからだ。私がアメリカの生活で好きだったのは、他人にあまり関心を持たないこと、他人をじろじろ見ないことだったから、その正反対の状況に置かれて私は苦痛を感じていた。ある冬の終わりに近づいた晴れた日のこと、テラスに出たら植木鉢の土が掘り返されていた。土は酷く散らされていて、一体誰がこんな悪戯をするのだろうと思いながら掃き掃除を始めた。すると隣の家族のシニョーラが出て来たので挨拶をすると、彼女は目を丸くして、あなた、イタリア語が話せるのね、と言った。どうやら近所の人たちの間では、私はイタリア語のわからない外国人と思われていたらしい。勿論達者でないにしても、生活するのに言葉は欠かせない。どんな人だって、片言ながらも、それなりのその国の言葉を話せるようになるというものだ。しかしこの辺りには外国人が兎に角いなかったから、そして若い人が少なかったから、外国人とは、こんな感じ、みたいなイメージで固められていたのかもしれなかった。彼女は新しい隣人が下手ながらもイタリア語が話せると分かると、その土を掘り起こした犯人を知っている、それはメルロなのだ、と言った。人が居ない時を狙って土を掘り起こすのだそうだ。時には土で体を洗うかのように背中に土を掛けたり、土の中に虫を探したり、掘った穴に体をうずめて休憩したりするのだと言いながら、ほら、こんな感じに、と真似して見せるので酷く可笑しかった。そうしてよく見れば、彼女のテラスの大きな植木鉢の周りうにも土が散らばっていた。やれやれ、と彼女は言いながらも、メルロは悪戯好きだけど、でもね、鳥が遊びに来るなんて素敵じゃない?と言って嬉しそうに掃き掃除を始めた。確かに。鳥が遊びに来てくれるなんて、そんな素敵なことはない。それから私はメルロに土を掘り起こされて植木鉢の周りが酷く汚れていると、嬉しくてならないのだ。此れもすべて隣のシニョーラのおかげである。あの日、彼女と話が出来たのは、幸運中の幸運だった。どんなことも考え方ひとつで変わる。数年後、別の人からメルロが土を掘り起こして困る、と、ぷんぷん怒っている人に出会ったけれど、もしあの日、私がこんな人と話をしていたら、生活の中の素敵が随分少なくなっていたに違いない。能天気とか、お人よしとか、都合よく考えすぎとか人は言うかもしれないけれど、私はぷんぷんして生活するよりも、あははと流して楽しく生活するほうが好きだ。

鳥が土をついばみに来るなんて、テラスで歌を歌うなんて。やはり冬から春へと季節は移り変わりつつあるのだろう。枯れ木に小さな芽が付いたように、鳥も春の予感を感じているに違いない。ところでボローニャ旧市街で昨年末から咲き続けている桜の花。一体どうしてしまったのだろう。


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冬が嫌い。昔からそうだ。

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楽な生活とは直ぐに身に沁み込むものらしい。たっぷり2週間、呑気な生活をしていたから、いつもこんなリズムで生活していたのかと改めて驚くほど、早く感じる。朝、決まったに起床して、短い時間で朝食をとる。そんなことですら違和感を感じるほど、私は2週間の休暇中、のんびりと生活していたようだ。驚いているのは何も私ばかりではない。猫もまた、私の早起きに目を丸くして驚いている。そうして朝の早い時間にブーツを履き、冬のコートを羽織って出掛けていく私の後姿を眺めながら、確かに冬の休暇が終わったことを感じているのかもしれない。そんなだから、この土曜日かどんなに待ち遠しかったことか。

私は冬が嫌い。昔からそうだ。これは何処の町に暮らしても同じことだ。19年前の今頃、私はローマに暮らし始めた。いや、ローマに暮らす友人の家に、相棒の古い友人ルイジの家に居候していたというのが正しい。相棒とルイジはサンフランシスコの1980年代初期を共に過ごした仲らしかった。互いに若く、互いに奔放に生きていた、と彼らから聞いている。ルイジはどんな時にもアイロンのかかったカッターシャツを着ているので有名だったらしい。一方、相棒は肩に届くほどの長い髪で鼻の下にダリ風の髭を生やしていることで有名だったらしい。一見いい加減な男に見える相棒だが、実は大変面倒見がよくて、困っている人が居ると助けに行き、だから周囲の人たちは困ると相棒のところに助けを求めに行ったのだそうだ。ローマの友人ルイジは、相棒に何かしらの助けを求めて面倒を見て貰った人のひとりらしかった。だから私がローマで仕事をすると決まった時に、アパートメントが見つかるまでうちに泊まらないかとルイジの方から誘ってくれたし、君の相棒には本当に世話になったからと言って、温かくもてなしてくれた。とは言え、私は一日も早くアパートメントを探して自分らしい生活を始めたかった。何故ならルイジは恋人と共に暮らしていたからだ。私は彼らの生活リズムを乱したくなかったし、私を温かくもてなしてくれるルイジを見て、恋人が少しなりとも心配するのは良くないと思ったからだ。それでルイジと恋人に協力を求めて、新聞広告を読みあさり、何軒もの貸部屋に電話をした。そうして私は1月末に一時的にでもと思いながら、旧市街に暮らす老女の家の部屋に住むようになった。ボローニャから見ればずっと南で暖かく明るい印象のあるローマであったが、しかし毎日空は鼠色で、これからの生活を象徴しているように思えてならなかった。個室なだけでも有難かったのに、私はひと月でその家を飛び出してしまった。老女は若かった頃には裕福な人しか暮らせなかったであろうその界隈だったが、今ではひどく荒んで安心して外を歩ける雰囲気ではなかったからだ。そう思うようになったのは、老女の息子の一言からだった。息子と言っても既に私よりはるかに年上だったが、僕が子供だった頃は優雅だったこの辺りも今では安心して生活などできない、とふと溢したからだ。老女の家には確かに多数の部屋があったから、それらを貸してと言うのは理解できたけれど、どうやら部屋を貸しているのは老女がそれらの住人に守られるようにとのことだったらしいと分かって、そして夜9時の門限にも閉口して私は其処を後にしたのだ。まだ外気は冷たくて、ローマとは言え冬のオーバーコートを離せない2月の終わりに。仕事を得てローマに暮らすようになったものの、私は此処に来てよかったと思ったことはまだなかった。定住する場所がなく、すべてが中途半端で。唯一の救いは、仕事があることだったかもしれない。さて、その家を後にして住み始めたのがイタリア人4人との共同生活の家だった。個々に部屋が与えられているものの、私が、この私が、私を含めて5人の共同生活に馴染めるのかどうか大いに不安だった。ただ、それでもそこに住もうと思ったのは、どの人も若く、何かしらの好奇心を持ち、それぞれの夢を持ち、私に良い印象を与えてくれたからだった。それから家の有る界隈も良かった。数分歩いたところに大通りがあって、其処に連なる個人商店の楽しいこと。中でもカストローニと言う名の店は、私を酷く舞い上がらせた。カッフェが美味しいのは勿論のこと、美味しいものが棚と言う棚にぎっしり詰まっていた。ちょっと敷居が高そうな店だったここに同居人のひとりが誘ってくれたことから、私は店に通うようになった。仕事が休みの日はカストローニに立ち寄る。此れがあの頃の私の楽しみだった。美味しいバールやカフェはローマのあちこちに存在したが、此処に立ち寄ることが私の休みの日の儀式みたいなものだったかもしれない。それに知らない人ばかりのローマで、此処に通うことで店の人が顔を覚えてくれて親しげに挨拶してくれることも、私には礼を言いたいほど有難かった。そしてローマの春は突然やって来た。まだ3月に入ったばかりと言うのに街路樹のリラの花が咲き乱れて。それで私は初めてこの町に来てよかった、と思ったものだった。冬が早く終わる町。あの頃の私にはそんなことですら感謝だった。
こんな小さな事も時々思い出してみるとよい。そうしたら、色んなことに感謝できるのかもしれない。安心して暮らせる家があること。相棒と一緒に暮らせること。決まった日にお給料が銀行口座に振り込まれること。美味しい夕食を頂けること。猫がうちに来たことも感謝すべきことのひとつなのだから。

クリスマスツリーを仕舞った。トラディショナルな習慣から言えば1月6日エピファニアの祝日の翌日に仕舞うものであるが、仕事から帰って来てこの作業をするのはしんどいからと、延ばしに延ばして今日になってしまった。飾りをひとつづつ外し始める私に、猫が問う。何をしているのだ、と。次の12月までツリーとはさよならだと教える。猫は家の隅っこに丸くなってしまった。猫はこのツリーを自分への贈り物だと思っていたのかもしれない。都合が悪い時はツリーの下に逃げ込み、機嫌が良い時はツリーの中腹の枝から枝に体を横たえて昼寝をしていたから。がらんとした居間を見回して思う。さて、猫はこれからどんな風にして独りぼっちの時間を過ごすのだろう。一緒に愉しみを探すことにしようか。


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今日で冬の休暇が終わってしまう。

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冬の休暇の最終日は祝日。祝日なのに店の多くが開いているのはサルディが既に始まっているからだ。夏にしろ冬にしろ、サルディが始まって一番初めの日曜日や祝日は普通に開ける店が多いのだ。このサルディで今シーズンのものを売り払ってしまおうと思う店側の意気込みも大きいけれど、私たち市民のサルディに向ける思いはそれ以上に大きいに違いない。それは豊かな人にしても、そうでない人にしても同じなのだ。豊かな人は日頃からぽいぽいと高価なものを購入している訳だけど、でも、その高価な店の気に入りの品が大きな割引で手に入るとなれば、嬉しくない筈はない。そして私達普通の人達にしてみれば、こんなチャンスを逃す手は絶対ないのである。例えばリネン類。バスルームで使う大小のタオルや、シーツ類。イタリアではこれらの割引を俗にFiera del bianco などと呼んでいて、新しい年なのだからタオルやシーツと言ったリネン類をこの割引を利用して新調しましょうよ、みたいなものである。これは案外ようアイデアで、新しい年に新しいシーツやタオルを下ろすと確かに気分爽快だ。私はシーツこそ新調しないけれど、大小のタオルを毎年この時期に買い足すのだ。日用必需品のタオルを半額近くで手に入れて、普通の生活の中に新しいタオルが新年早々登場するのがうちの習慣となっている。相棒はそんな私に目をぱちくりさせているけれど、しかし彼もまたこの習慣を好ましく思っているのを私は知っている。イタリアで長く続いている習慣でもあるのだから。

うちの近所にシチリア人が経営する小さな店がある。大通りに面した、バスの停留所のすぐ近くのその店が主として売っているのは鳥の丸焼きだが、付け合わせのじゃが芋を揚げたもの、野菜をグリルしたもの、茄子を煮たもの、それからシチリアならばどこの惣菜屋にもあるようなものも売っている。総菜屋、と呼べばいいのか、鳥の丸焼き屋と呼べばいいのか、これは誰にもわからないところであるが、兎に角大変な繁盛ぶりである。何がよいかと言えば安い。美味い。其の上、看板娘的存在の女の子が陽気で良い。シラクーサ出身の恐らく20代、の女の子。背が高くて豊かな体つきで目が大きくて、踊るような軽やかな足取りで狭い店の中を動き回る。少なくとも私は、シチリアの太陽のような印象を持つ、彼女の明るい接客が大好きだ。私はこの店の鳥の丸焼きを求めることはあまりない。では、何を求めるのかと言ったらば、様々な野菜をグリルしたもの、それから茄子を煮たもの、ときどき見かける、中に野菜や肉やチーズがたっぷり入った調理パンのようなもの、そして焼きたてのパンだ。一般的にシチリアーノと呼ばれる、白ごまがたっぷりついた縦長のパン。鳥の丸焼きを求める客がパンを一緒に購入できるようにと始めたらしいが、何しろとても美味しいので、最近はこれだけを求めに来る人も多いようだ。夕食時には、手を抜いて、でも美味しいものを食べたい人達で狭い店が一杯になる。殆どが持ち帰りの客で、ほんの一握りが3つしかないテーブル席について食事をする客である。私がこの店に行くのは大抵土曜日の昼時。旧市街から帰えるバスの中で、そうねえ、何を食べようかしら、と考える。そうしてバスの停留所で降りた途端に、いい匂いがする。私はその匂いに誘われるまま、店の中に吸い込まれていくのだ。歩き疲れて帰って来て、手を掛けずに美味しいのを頂く。何処かの店に入って昼食をとるのも良いけれど、出来立てを持ち帰って、うちにあるワインと共に家でのんびり昼食を楽しめるのも贅沢な話なのだ。今日は祝日。さて、開いているだろうか。そう思ったのは、勿論手を抜きたかったからだ。行ってみたら開いていた。しかも随分な混みようで。焼きたてのパンを一本、茄子を煮たものをふたり分、調理パンをひとつ、そしてシチリアの菓子をふたつ。10ユーロもしない。帰ってきて、昨晩栓を抜いた残りの赤ワインで食事をした。猫は興味津々だ。この茄子を煮たものは何なの。調理パンは何ていい匂いなの。焼き立てパンの中は何て白くてふわふわなの。リコッタチーズの菓子が美味しそう。今日のワインはとても赤いのね。猫は鼻をくんくん動かして、どれもが気になってしょうがない。でも、どれも猫が食べられないものばかり。猫は食餌療法中だからだ。私達は見て見ぬふりをするしかない。それにしたって美味しい。手を抜きながらもこんな美味しくて楽しい昼食を楽しめるなんて。だからあの店は繁盛しているのだろう。だから私は土曜日の昼についつい立ち寄ってしまうのだ。

ところで今日、店のショーケースの中に刻んだ唐辛子が入ったペコリーノチーズを見つけた。美味しいの?と愚問をぶつける私に店の女の子がウィンクを投げる。私は大好きよ、と。次回、購入してみようか。やはり、暫く土曜日の昼食は、この店に頼ることになりそうだ。

枯れ木だとばかり思っていたが、窓辺から目を凝らしてみると小さな芽が。この冬の寒さの中に、木は、季節が確実に春に向かっていることを感じ取っているのだろうか。自然には驚きが一杯詰まっている。

今日で冬の休暇が終わってしまう。特別なことが何もないのに此れほど楽しかった休暇は、ひょっとしたら初めてのことだ。


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Strada Maggioreを歩く

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冬の休暇がもうじき終わる。仕事を始める心の準備はまだ出来ていない、が確実に時間は経っている。今の私にできることは休暇を最後まで満喫することだけだろう。心の準備は、仕事を始める当日にすればよい。遅すぎはしないだろう。

太陽の光がある日は気持ちが良い。それがたとえ寒くても、日が暮れるのが早い真冬であっても。午後、旧市街へ行った。まだ店が昼休みの時間に。旧市街の多くの店が昼休みをとらなくなったが、それでもまだ昔ながら昼休みをたっぷりとる店は沢山ある。個人経営の店だ。悪いことではないと思う。人間味溢れていて其れも良い。でも、店が閉まっているのは一概に昼休み中とは言えないらしい。明日6日の祝日までクリスマス休暇の店もあるだろう。長いこと道を閉鎖していたStrada Maggioreに再び車が通るようになってひと月ほどが経つ。何か月も閉鎖されていたためにこの通りから足が遠のいていた。ポルティコの下の歩行には問題はなかったが工事中の為に砂埃が酷かったし、其れに美しいとは言いかねる通りの様子に私は目を背けたかったのかもしれない。そうしているうちに幾つかの店が閉まってしまった。私のような市民たちが沢山いたのだろう。客が来なくては経営が息づまるのは当然のことで、泣く泣く店を閉めたのかもしれない。長く続いていた店が閉まるのはとても残念なことである。それが小さな家族経営の店であるならば尚更だ。赤い壁のボローニャ。ポルティコが市民を守るボローニャ。昔はそれが酷く閉塞的に思えて毛嫌いした私だというのに、何時の頃からかそれらを愛するようになった。赤い壁に太陽の光がぶつかると、ほっとするのは私だけだろうか。太陽の神様がボローニャを守っていてくれるような気分になる。太陽の神様なんてものが存在するのかどうかは別にして。

この角の古い大きな建物を使って撮影したテレビ映画を見たことがある。ボローニャ出身の女優が主演した映画だった。ボローニャ県の端っこ辺りに暮らしていた沢山の子持ちの未亡人が、この建物の広い屋根裏部屋を借りて暮らすという話だった。話はとても湿っぽく、実にイタリアらしく、実にボローニャらしいものであったが、それにしてもこの建物の窓から見える眺めの美しいことと言ったらなかった。こんな家に暮らしたら旧市街を毎日散歩するだろうか。いや、案外窓の眺めで満足してしまうのではないだろうか。散策好きの私が、そんな風に考えてしまうくらい美しく、そして興味深かった。今は一体どんな人が住んでいるのだろうか。何かの方法で、この建物中を見学することは出来ないだろうか。そして上階の窓から、筋向いの教会と長々と続くポルティコを眺めることは出来ないだろうか。いつの日か、そんなチャンスを得ることが出来たらば、人はそれを幸運と呼ぶだろう。

散策はいくら時間があっても足りない。のんびり歩いていたら人との約束の時間が近づいてしまった。さあ、そろそろ待ち合わせ場所に向かおうか。あの、2本の塔の下へ。


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