土曜日は楽しい

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夕方、相棒と一緒に家に帰って来たら、上の階の奥さんが何やら作業をしていたので声を掛けた。彼女はもみの木を購入してきたらしく、車の後部からもみの木を引っ張り出しているところだった。明日あたり、家族みんなでクリスマスツリーを飾り付けるのだろう。私達は数日前から彼女と話をしたかったのだが、何しろ私達が家に帰ってくるのはいつも夕食時なので、上階に行くのをためらっていたのだ。だから庭先で会えたのは、全くの幸運だった。建物内の何にも使用していない共同の空間に、修復が必要な私たちのアンティーク家具をふたつ置いていることを話したかったのだ。家具は木食い虫にやられたので、ちょっと薬品を使っての修復が必要なのだ。放っておくと大変なことになる。このままにしておくと他の家具までやられてしまう。1800年代の食器棚と大きな引き出しの箪笥。とても美しいが、時々手を加えてあげないと朽ちてしまう。でも、よく考えたら人間だってそうだ。時々そんな風にしてあげなければ病気になったり、それから美貌が衰えたりするではないか。兎に角、上の奥さんは共有の空間を一時的に占領することを快く了解してくれたので、ほっとした。他の住人には既に了解を得ているので、これで2週間ほど置いといても大丈夫。クリスマスを前にして問題を起こすのはタブー中のタブーなのである。

一旦家に入って荷を下ろすなり、もう一度外に出た。近くのバールで食前酒でもと思ったからだ。行ってみると相棒の友人がいて、ちょっとくさくさした表情でワインを飲んでいた。どうしたのかと思えば、今日は家族の用事であちらへ、こちらへと忙しく、酷く疲れたとのことだった。極めつけは妻との買い物。ああでもない、こうでもない、あら素敵、と言いながらも買わずに次の店へ行く。一体何軒見て回ったと思うのさ。全く酷い土曜日だった。仕事をしている方がずっと楽だった。と、彼が言ったので私達は大笑いした。皆が口々に言う。女の買い物なんてそんなものさ。大変なんだよ。私は思う。確かにそうだと。女は確かにそんな風にして、自分が探しているものを見つけ出すのだ。それだから、私はひとりで買い物をするのだけど。その横で相棒が言う。僕の妻はひとりでさっさと買い物に行く。だから僕は、そんな大変な思いをしたことは無い。でも大変は、潔くて、どーん、とお金を使うことなんだ。その言葉に周囲が沸く。不運なことに女性客がひとりも居ない。今日の私は立場が全く悪い。

明日で11月が終わる。早足で過ぎようとしている私達の11月。12月はどんな月になるのだろう。楽しい月になればよいけれど。それにしたって、私の子猫は一体何処に隠れてしまったのだろう。私達は無事に信頼テストに合格して、今日の午後子猫を譲ってもらったのだけど、環境変化についていけないのか、それとも見知らぬ私達が怖いのか、子猫は何処ぞに隠れてしまい先ほどから姿が見えない。私達は良い人達。あなたの最良の友達。ほら。と先ほどから話しかけているけれど。暫く、こんな日が続きそうだ。


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ボローニャの色

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今日は一日雨降りだった。酷い降りではなかったけれど、霧のように細かい雨が身に纏わりつくような感じだった。傘を差すほどではないが、差さねば頭のてっぺんから肩から何からじっとりと湿ってしまう。そんな雨。朝晩の低温はともかく、昼間は10度もあるのだから。なのにひどく寒く感じるのは湿度のせいだ。深々と体の芯まで届くような、ボローニャの湿気。この時期の風物などと言ったら聞こえが良いが、これを好む人はあまりいない。

先日、ボローニャ郊外のメディチーナという町に足を延ばした。この辺りは全くの平地だから、この季節は霧が濃い。車で走っていると時々Banco di nebbia (霧の壁) に遭遇する。壁と言っても幻想で、ただ壁に見えるだけだ。運転している本人はそれを重々承知なくせに、あっ!と急ブレーキを踏んでしまう。だから玉突き衝突が多く、それを防ぐためにもこの辺りはスピード制限が厳しくて、測定器も沢山ある。ゆっくり走りましょう。事故を少なくしましょう。と言うことらしい。事故も嫌なら罰金も嫌だから、相棒と私はのんびり運転を決め込んで、周囲の景色を楽しみながら車を走らせた。
メディチーナに行くのは数年振りだった。この町の旧市街に、亡くなった相棒の妹夫婦が住んでいたらしい。住んでいたらしいと言うのは、私は彼女に会ったことが無いからだ。彼女の夫、つまり私の義理の弟にあたる人には幾度も会ったことがあるけれど。メディチーナの旧市街の家は彼らが結婚した時に購入した家で、思い出深いこともあり、彼女の夫は妻に先立たれてからはそこには暮らしていないけれど、かといって妻との思い出が消えてしまいそうで残念だからと、あれから既に23,4年が経っているのに手放さずにいるのだ。時々疲れると、この家に立ち寄って数時間を過ごすらしい。立ち寄ってと言ったって、彼はラヴェンナ市に住んでいるのだから、この家にわざわざ出向いていると言ってもよかった。前回この町を訪れた時、相棒が教えてくれた。ほら、此処がその家だよ、と。旧市街の古い建物の二階だっただろうか。私は相棒の妹と彼女の夫がその家を選んだことも、残った夫が今も大切にしたいと思った気持ちも、よく分かるような気がした。しかし、先日この町を訪れたのは、別にそんなセンチメンタルな理由からではない。私達は猫に会いに行ったのだ。ボランティアが運営しているところらしく、大いに道に迷ってやっと到着したのはもう直ぐ日没と言う頃だった。捨て猫や、迷い猫、もう買うことが出来なくなった猫たちの世話をしているところだ。私と相棒は其処に子猫が居ると知らされて、会いに行くことにしたのだ。純粋にボランティアで世話をしている女性たちが3人。170匹も居るのよ、と笑っていたが、一体何処にそんなにたくさんの猫が居るのかと思う程、広い敷地だった。野原あり、樹木あり。猫のパラダイスみたいなところで、此処に居れば空腹を逃れ、雨風を逃れ、毎日厚意で見に来てくれる獣医さんに健康を守られるのだ。私達が事前に電話をした例の猫を欲しがっている夫婦であることを述べると、歓迎してくれた。歓迎してくれたのは何も彼女たちばかりでなく、猫たちも大そう嬉しそうだった。子猫は5匹いた。私は其の中の一番小さい、奥にへばりついて怖がっている子猫、なのに私達をじっと見つめて目を離さない子猫を選んだ。ただ、猫はまだ人間が怖いらしく、獣医がもう少し待ってほしいと言うので、連れて帰ることが出来なかった。それから沢山の質問を受けた。数日後、連絡をしてくれるらしい。そして譲ってもらえるかどうかが分かるのだそうだ。つまり、私達は今、試されているようなものなのだ。本当に猫を大切にできる人たちなのか、どうかを。さあ、どうだろう。合格できるだろうか。どうかなあ。もう子猫を家に連れて帰る、心の準備も、実質的な準備も万端というのに。

昨日ボローニャ旧市街を歩きながらふと気がついた。メディチーナの旧市街は、何とボローニャに似ていることか。勿論同じエミリア・ロマーニャ州で、ボローニャ県ではあるけれど。でも、あの壁の色、回廊の在り方、空気の流れるリズムなどが、ぴたりと重なる。ボローニャ生まれの相棒の妹と、ラヴェンナ生まれの彼女の夫がメディチーナに家を持ったのは、互いの家のちょうど真ん中あたりに存在するからと言うだけではなかったに違いない。多分、ボローニャの色があるこの町に、相棒の妹が拘ったに違いないのだ。実にボローニャ人らしい拘り。勿論、此れは私の単なる想像にすぎないけれど。


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お洒落

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ちょっとお洒落をして出掛けてみた。数日前の晩のことだ。それはいつもと違う、ちょっとシックなタイプのお洒落。ひらひらとしたシルクのブラウスに肩のかちりとしたジャケット、黒のベルベットの細身のパンツ。そして踵の高いエナメルシューズ。そんな装いで出掛けるのが好ましい集まりだったからだけれど、翌日になって、時にはそんな装いをするのも良いものだ、と思った。特別買い揃えたものはなく、いつも身に着けることのないものを、ああでもない、こうでもないと言いながら組み合わせただけ。いつもは気楽なスタイルなのだ。何しろ座り仕事なので、かちりとしたジャケットや細身のパンツでは肩がこる。それから街を散歩している時も気楽なスタイルが多い。カメラを鞄に忍ばせてふらふら歩くのに、踵の高いエナメルの靴やひらひらしたしシルクのブラウスもでは都合が悪い。友人たちと会う時だって、皆、気の知れ合った仲だから、例えばちょっと踵の高い靴を履くことはあったとしても、其処まで洒落こむこともない。ちょっとシックなお洒落。時には良いかもしれない。

旧市街を歩いていると、時々はっとすることがある。先日、そんな風にして足を止めたのは、店の内装が美しかったからだ。不思議な形のシェードが天井から吊るされていて、私の目を楽しませてくれた。店に置かれている服は、私には少々甘すぎて好みの対象外であるけれど、このお洒落な内装には強く惹かれて思わずカメラを向けた。そうしているうちに店内に美しい水色のセーターがあることに気がついた。水色のセーターには少しシルバーが混じっていて、ああ、こんなセーターはどんな女性が買い求めるのだろうなどと想像した。若いお嬢さんだろうか。それとももう少し年上の、大人の女性なのかもしれない。そんなことを考えながら、歩き出したところ髪の長い、ようやく20歳になったくらいのチャーミングな女の子、と言うのがぴったりくるような人と衝突した。衝突したばかりではない。私はショートブーツの堅い踵で彼女の足を踏んでしまった。あ、ごめんなさい。そう言ったのは彼女だった。彼女は私の手元のカメラにぶつかったのではないかと思ったらしく、大丈夫だったかしらと言いながら私の手元のカメラを指さした。私は思い切り彼女の足を踏んでしまったことに気が動転していて、ごめんなさいの声すら出なかったのだが、はっと気がついて言ったのだ。いいえ、私の方こそごめんなさい。足を踏んでしまって。そして気が付けば私はまだ彼女の足を踏んだままだったので、ああ、ごめんなさい、と再び彼女に詫びた。足などどうでもよいがあなたのカメラはどうなのよ、と彼女はとても心配そう。大丈夫、大丈夫と答えるとやっと安心したらしく、安堵の溜息をついて私に手を振った。チャオ! そうして彼女は私が眺めていたあの店に吸い込まれていった。ああ、この店には彼女のような人が良く似合う。可愛くて優しくてきちんとした。ごめんなさいを言える人だもの。ありがとうもごく自然に発することが出来る人に違いないのだ。きっと素敵な大人の女性に成長するだろう。

明日を境目に雨降りになるようだ。冬の雨降りは悲しい。それでなくとも雨の日は憂鬱でならないというのに。


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週末は平日の倍の速さで過ぎていく

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日暮れが驚くほど早くなった。16時半を回る頃には、もう空が暗い。毎年のことながら、しかし何年経ってもこの時期の日暮れの憂鬱に慣れることは無い。もうひと月の辛抱だよ、と相棒が言う。確かに、ひと月後は冬至だから、それを超えればまた日が長くなっていく。けれどもそのひと月が、私には一生ほど長く思える。月の光が好きだと言いながら、私は太陽の光も大好きなのだ。

昼頃、相棒とピアノーロに暮らす姑を訪ねるために外に出たら、隣に暮らす住人達、と言うのは行きつけのバールの店主夫婦なのだが、彼らが帰ってきたところに出くわした。上階に暮らす家族同様、彼らもとても感じの良い人達で、唯一困っているのは彼らのチワワが私たちを見ると酷く興奮することである。チワワに酷く吠えられると、何か、こっぴどく叱られているような気分になるのだ。案の定、私達は今日も猛烈に吠えられて、少々情けない気分になった。店主が車から降りて言う。僕はこれから15日間ほどひどく忙しいんだけど、それが過ぎたらみんなで肉を食べないかい? みんなで肉。他にもっと違う言い方があっても良いかと思うけれど、大変わかり易くていいと思った。私は知っているのだ、彼らは肉が大好きなのだ。私たちは、それはいい案だ、と“12月初旬に一緒に肉を食べること”に同意して別れた。12月。何ていい響きなのだろう。自分が生まれた11月よりも、12月と言う響きが好きだ。それは多分、クリスマスに大きく関係していて、かなり大きな確率でクリスマスツリーと結びついていると思われる。子供みたいだと言われても構わない。私はクリスマスが大好きだ。特別なことは無くてもいい。贈り物だっていらない。私は居間の隅っこに、美しい灯りに覆われたクリスマスツリーがあるだけで、この上ない喜びを感じるのだ。住む家がる幸せ。健康の喜び。クリスマスの時期になるといつもそんなことを感じるのである。
街を歩く人達も同じだろうか。早くもクリスマスのライトで美しく飾られたポルティコの下を歩く人達。

明日はもう月曜日。週末は平日の倍の速さで過ぎていく。また一週間頑張ってみようか。


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扉の向こう側

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このところ、私の生活は慌ただしい。そういう生活を好まない私には、心身ともにお手上げ気味。しかしそれも昨日で終わり。これからは自分好みの穏やかな、ごく普通の毎日になる筈だ。昨晩、旧市街へ足を延ばしてみたらPiazza Maggiore周辺の大通りは早くもクリスマスの照明が美しかった。これから少しずつライトアップの輪が広がっていくだろう。そうして完了した頃には、私の家にもクリスマスツリーが置かれるのだ。

昨晩遅く帰って来て、眠りに就くのが遅かったから、今朝は思い切り寝坊した。どちらにしても土曜日だ。休みの日くらい朝寝を楽しまなくては。目を覚ますと外は灰色だった。朝方は濃い霧に包まれていたのかもしれなかった。雨が降った訳でもないのに路面が濡れて黒く光っていた。そのうち太陽が顔を出して、私を外に連れ出した。さあさあ、土曜日は外に出なくてはね、と私の腕を引っ張るようにして。
いつもより随分手前でバスを降りた。ずっと前から昼間に歩きたいと思っていた通りがあったからだ。リアルト通り。最近は爪のケアをしてくれるお嬢さん、ソニアのSTUDIOがこの通りに引っ越したので、この通りを歩くようになった。随分長い間、リアルト通りの存在は忘れていたのに、こうして再び歩いてみるとなかなかいい感じの通りだった。ただ、いつも仕事帰りに立ち寄るために暗くてよく分からない。加えていつも急ぎ足だから、堪能できるわけがなかった。昼間のリアルト通りは違った印象を持っていた。ひっそりとした感じは昼も夜も同じだけれど、ちょっとした宝箱のような印象で、私のような目的のない散策にはぴったりの場所だった。通りは一方通行で、くねくねと先に続いている。右手にあるのは鞄や靴を修理する店。何年も前に人からそういう店がこの辺りにあることを聞かされていたが、ああ、此処のことなのか、と今頃になって頷く。道の反対側には小物の店。何度見ても何の店だかよくわからない。色んなものが置かれていて、其れなりに調和した不思議な店。その先には右手にオステリア。左手にカフェ。オステリアは夜にしか開けないのだろう、中は真っ暗だったけど、カフェは感じの良い初老の男性が忙しそうに動き回り、通りがかりの、外から中を覗き込むだけの私に手をあげて挨拶してくれた。こんにちは、シニョーラ。こういう店はいい。いつか中に入ってみよう。その先の右手には映画館。すっかり綺麗になって、21年前に見たあの古臭さは何処にもない。その先にはソニアのSTUDIO、銀製品の店、花屋、手打ちパスタの店と続くのだが、私が一番気に入ったのは夕方通るときはいつも閉まっていて中を見ることが無い、大きな扉の奥の様子だった。大きな扉は、恐らく随分昔のもので、当時は馬車が此処を通り抜けたに違いない。扉が開いていたのは、ちょうどそこの住人が中に入るために扉を開けたからだった。あっ! と思ったのは、まさか扉の中にこんな情景が隠されているなどと想像していなかったからだ。中は広い敷地らしく、奥へ奥へと道が続いていた。多分、修道院があるのだろう。この辺りには大きな修道院があると、私がボローニャに暮らし始めた当時、相棒の友人がそう言っていたから。それにしたって、こんな素敵な情景を扉の中にしまっておくなんて。そうしているうちに木製の大きな自動式扉は再び閉められた。私が中の様子を堪能したのは、時間にしてわずか30秒くらいのことだっただろう。だけど、1時間分の散策に相当するほどの喜びだった。中に入れて貰えることは出来ないだろうか。あの、美しい色に染まった蔦の葉が落ちてしまう前に。今度近くのカフェでワインなど頂きながら、店主から情報を得ることにしよう。

夜が早くやって来る。最近は夕方の寄り道が断然少ない。仕事と家の往復なんて私らしくもない。そうだ、近いうちに焼き栗屋へ行ってみよう。それともワインでも飲みに行こうか。こういうことは積極的に。元気なうちに沢山楽しんでおかなくては。


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