無花果の実

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雨が降りそうな気配の夕方、私と同僚たちはまるで逃げ出すようにして職場を出た。こんな季節に夕方を楽しまなくてどうする。と言わんばかりに。風がひんやりしているのは、何処かで雨が降っている証拠だった。

家にまっすぐ帰るでもなく旧市街に立ち寄ったのには訳はない。でも、こんな涼しい夕方だから赤ワインでも頂こうかと思いながらポルティコの下を歩いた。歩いていたら私の気に入りの八百屋さんが何時になく閑散としていたので、急に立ち寄りたくなった。無花果でも購入しようと思ったのだ。何しろこの夏ときたらどこの店にも無花果が無い。例年ならば6月早々ぷっくりと大きな無花果が店頭に並ぶと言うのに。何でも新鮮でおいしいものを自信を持って売るこの店だ。美味しい無花果にありつけるに違いないと思ったのだ。店には女主人と息子なのか、店員なのか、青年がひとり居て、待ってましたとばかりに注文を訊く。其れなのに、無花果欲しいんですけど、の一声に2人して深い溜息を洩らした。お客さん、と女主人が話し始めた。今年は無花果が無いのだ。あまりに雨が降りすぎて、実り始めると腐ってしまう。無花果はせめて5日間晴天ではないと駄目だから、こんな天気で実が育つわけがない。女主人はそう説明してくれた。成程、と頷く私に女主人は言葉を続ける。いや、無花果が全くない訳ではない。でも、売る側が納得いかないものを、自信を持って薦められないものを店に置くなんてことは出来ないのだ。次にどの顔下げてお客さんに会えばいいというのだ。   どうやら無花果を求めているのは私だけでなく、こんな風に一日に何度も訊かれるらしかった。それでは今年は無花果なしの夏なのかとがっかりしてみせると、女主人は気を取り直して笑顔で言った。お客さん、9月の初めに小さくて甘い無花果が店に並ぶはずだから9月早々店に立ち寄ってくださいよ。それは吉報と喜ぶ私に、無花果が好きなんだねえ、と女主人が笑い、そうよ、大好きなのよ、私も笑い返した。壁にはもうじき夏の休暇で店が閉まるとの張り紙。だから、良い休暇を! と言って店を出掛けた私に、彼女と青年がお客さんも! と大きな声で言って送り出してくれた。ちょうど来たバスに飛び乗ってしまった。赤ワインのことを思い出したのは家のすぐ近くの停留所で下車してからだった。

何処かで雨を降らしていた雨雲が流れてきたのか、晩になって雨が降り始めた。こんなではね、無花果が育つ筈が無いのよ。窓辺で雨を眺めながらひとり呟くのだった。


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生ぬるい雨

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7月最後の一週間。其れもわずか5日間で、あっという間に8月に入る。それなのに実感があまりないのには理由がある。ひとつはあまり暑くないこと。ひとつは月の初めに引っ越しなどして生活が安定していないこと。そして最後のひとつはあと10日ほどで16日間の休暇を迎えると言うのに、今年に限っては何の予定も立てていないこと。家を購入するときに、この夏の休暇は何処へも行かずに家の中を住み易く整えることにしましょう、と言ったのは相棒ではなく私だった。格好つけたわけではなく、本当にそう考えたのだ。君が休暇に旅をしないなんて、本当に大丈夫かなあ、我慢できるのかなあ、と周囲が案じた。勿論よ、と胸を張って答えたものの、この頃になって自信が無くなってきた。うーん、駄目かもしれない。かと言って、すぐに認めるのも悔しい。もう少し頑張ってみようと思う。それにしたって予定のない夏休みは、張合いがない。それだけは確かである。来年は早めに航空券とホテルを手配して、休暇を指折り数えて待ち焦がれようと思う。

夕方、職場を出る小一時間前に大雨が降った。それはいきなり、と言うのがぴったりの、大粒の生ぬるい雨だった。そんな雨は珍しくて、私は仕事もそっちのけで窓の外を眺めていた。あの日もそんな雨が降った。私がアメリカの海のある町に初めて訪れたあの旅の途中に降った雨。私は英語が好きと言いながら、全然と言って良いほど話せなかった。それでいて一人旅で、何か無防備で準備不足な感じの旅だった。旅と言ってもほんの一週間ほどだった。だから、万が一旅が楽しくなくても、ぎゅっと目を瞑っていればすぐに家に帰れる、そう思っていた。ところがその町は私の感覚を強く刺激し、と同時に自分に似た、いわゆる似た者同士的町であると感じ取った私は、一瞬のうちに恋をした。私が町に恋をして、町が私を捕まえて離さなかった。見知らぬ町。見知らぬ人々。それなのに自然に私の中に入り込んでくる。ある日の午後、急に雨が降った。8月下旬の、妙に空の機嫌が良いと思っていた日だったので、突然の雨が人々を酷く戸惑わせた。激しいと言うよりは単に大粒の、天からぼたぼたと落ちてくる雨だった。人々は四方に散らばって雨宿りをした。私は坂道に面した古い雰囲気の本屋に飛び込んだ。今思うと、その辺りがちょうど、ヒッチコックの映画に出てきた古い書物を置く店だった。鳥、と言う名の映画を見たのはその旅行の後だったから、飛び込んだ時には知らなかった。もっとも飛び込んだ店は映画に出てくるような由緒ある本屋ではなかったが、多分場所はおよそ、その辺りだった筈だ。本屋には案外多くの客がいたが、私のような雨宿り客などいないようだった。いかにもこの町に暮らす本好きたちと言った風で、異端者に違いない私は少し居心地の悪い思いをした。私は彼らの邪魔をしないように奥の写真集の本棚を眺めた。白黒写真の写真集の中に、この町の写真が幾枚かあるのを見つけて心を躍らせた。初めてきた町なのに。知らない町なのに。私は何故か自分の町の写真を偶然写真集の中に発見したような錯覚に陥って、驚き、戸惑い、そしてこの奇妙な感覚を喜んだ。それは何か小さな扉が開きかけているような感覚で、それが私の人生が、この町へと続いているのを感じ取った瞬間だった。私は写真集を棚に戻して店を出た。まだ雨は降っていたが空は晴れはじめていて、空から落ちてくる雨粒がきらきら光って見えた。私は雨の中を歩き始めた。町の人達がそうしているように。生ぬるい雨が空を見上げる私の額を濡らして、それが瞳へと流れ、そして頬を伝わって地面に零れ落ちた。まるで私の涙のように。あれは雨粒だった筈だけど、私の喜びの涙だったかもしれない。何かが変わっていく良い予感。私は雨に濡れながら坂を上った。
人生とは不思議なものだ。思い通りに行かないことが沢山あるのに、上手くいく時は案外水が高いところから低いところに流れるように、又は麦畑の麦が大風に波打つように簡単に事が進む。私のアメリカへの路もそんな風だった。あの日から何年かの歳月を経てあの町に暮らすようになった日、私はあの雨の日と想っていた。この町へと続いている私の路のことを。私はあれから相棒に出会って道が大きく方向転換してしまったけれど、それも良し。流れに逆らうのも良いけれど、流れに身を任せるのも良いだろう。

生ぬるい雨は30分ほどで止んで、再び太陽が顔を出した。驚いたことに雨が降ったのは実に職場の頭上だけで、少し先では降った痕すらなかった。雨は、私にあの日を思い出させたかったのかもしれない。きっとそうに違いない。


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仲間

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昨晩は雨が上がって涼しい道を北東へと車を走らせてボローニャ郊外に暮らす友人の家を訪問した。年明けに誕生した赤ん坊は元気に育っているようで、人見知りもせずに愛想を振りまく。きらきらしたものが好みらしく、例えば鞄の留め金とか、指輪などを発見しては目を見開いて喜ぶ。皆の人気者の赤ん坊はそのうち愛想を振りまき過ぎて疲れたらしく、皆が大きな声でお喋りし続けるのも気にせずに深い眠りに入った。赤ん坊とは、何て素晴らしいのだろうと美しい寝顔を眺めながら皆が囁く。ほんとうに、まったく。

ところで私と相棒が彼らの家に到着したら他の友人たちがテーブルに着いていた。一組の夫婦は近所に暮らすカルロとパトリツィア。もうずいぶん前に年金生活に入っていて、元気と資産がふんだんにあるので、一年の半分以上が旅行だ。そんな彼らは数日前にイギリスとスコットランドの旅から帰って来たばかり。2年前に新調した最新の設備が整うキャンパーで、彼らは気が向くと旅に出る。今回の旅もまた、そんな風にして出発して、2か月近く糸の切れた凧のようにヨーロッパの北のほうを彷徨っていた。とても良い旅だったらしく、大変ご機嫌だった。彼らに並んで一組の男女が。どうやら夫婦者らしく、しかし私は彼らを知らない。それでいて男の方がチャオ、と気軽に挨拶するので、さて、私達は知り合いだったでしょうか、と年上の彼に丁寧な言葉で訪ねると、彼は少し困ったような表情をした。すると周囲に皆が、なんだ、なんだ、忘れたのか、近所の床屋のモレーノを、と言うので私はすっかり仰天してしまった。私の知っているモレーノは、そしてつい最近あったモレーノは、短い髭で顔の下半分をすっかり覆っていたモサモサのモレーノだからからだ。彼は少し恥ずかしそうに、モレーノです、髭をすっかり剃りました、と言って笑いながら、隣に座っていた妻を紹介してくれた。しかし私はまだ戸惑っていた。何故髭を剃った、と問い詰める私。暑いから毎夏すっかり剃るのだと答える彼。こんな顔だったとは知らなかったとまだ驚きを隠せずに言う私に、周囲はあははと声をあげて笑った。モレーノが、僕もこんな顔だったことを夏になると思い出す、と言うので、私達は心底笑った。親しい仲間と美味しい料理があれば文句なし。その上、美味しい冷えた白ワインがあれば、これ以上のことは無い。私達は時々眠っている赤ん坊に気をつけて声のトーンを落としては、また別の話題で盛り上がり、気がついたらすっかり零時を回っていた。

だから今日は大寝坊だ。寝坊しても誰が困るでもないけれど、久しぶりに夜更かししたので調子が出ない。やはり24時にはベッドに入るのが健康的な生活と言うものらしい。明るい空。降り注ぐ太陽の光。週末は楽しいから、いつも急ぎ足で通過してしまう。


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涼風

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週末の雨。と言っても朝から降っていた訳ではない。すっきりと晴れてはいなくとも、其れなりに明るく、まずまずの週末の始まりと言った感じだった。朝っぱらからカンカン照りよりは良い。近年めっきり暑さに弱くなった私は、相棒にそう言った。相棒は早くも簡単な朝食を済ませて、出掛けるところだった。私はと言えばいい身分で、まだシーツに包まったまま、今日は何をしようか、何処へ行こうかと、全くの極楽とんぼだった。

10時過ぎには家を出た。昼前には戻ってきたいからと言う理由で。何故昼前なのかと言えば、午後から雨が降りそうな予感がしたからだ。降る降ると言いながら降らない日もあるけれど、今日と言う日はなぜか本当に降りそうな予感がした。この蒸し暑さが証拠だった。背後にたっぷりと水分を含んだ空気が隠れているような。旧市街は早くも人が少なくなりはじめていた。多くの店が夏のサルディ、つまりセール中だったが、大抵の人達はサルディが始まった数週間前に買い物を堪能しているので、店内は案外寂しげだ。そういう私は引っ越しで出足をくじいてしまったから、そんなガラ空きの店内に吸い込まれては好みのものが無いことにがっかりしながら、しかし其れで良かったような不思議な気持ちに包まれながら店を出た。そのうち私はいつも気になっていた店を思いだして、店が昼休みで閉まるであろう少し前に訪れることに成功した。大通りからあまりぱっとしない路地に入った直ぐ其処に在る、道にあまり似合わない洒落た雰囲気の店。初めて入る。こんにちは。そう言いながら中に入っていくと、接客中だった店員がこちらに顔を向けた。と、互いに顔を見合わせて驚いた。あらまあ、びっくり。こんにちは。と言ったのは彼女のほうで、彼女は私の好きなフランスワインの店、私がフランス屋と呼んでいる店で働いている女性だった。訊いてみれば今だけ店を手伝っているのだと言う。恐らく店主が友人か何かなのだろう。サルディで忙しい今月だけ此処にいるのよ、と言って私にウィンクを投げかけた。店は大した繁盛ぶりで、こんな場所にあるこの店に此れほど人が入っていることに私は驚いていた。彼女は先客から解放されると私のところにやって来て、あれこれ見せてくれた。フランス屋に居る時と同じように彼女は全くてきぱきとしていて気持ちがよかったが、先入観なのか、彼女にはやはりフランス屋でワインをグラスに注いでいる姿が似合うような気がした。彼女に勧められた、そして私も大変気に入った濃いピンクの木綿のシャツを購入した。私が勘定を済ませると他の客のところに居た彼女が飛んできて、次回は別の店で会いましょうね、やっぱりあそこで会うのが一番しっくりくる、と言って私の笑いを誘った。そうね、次回はあの店で会いましょうね。

濃いピンク色のシャツだなんて。思ってもいなかった買い物だったが、気に入ったのだから良いではないか。そんなことを思いながら家路につくべく13番のバスに乗り込んだ。旧市街を取り囲む環状線から外に出た途端、雨が降りだした。それは気まぐれな小雨だったが、塩が錆を呼ぶ、と言うのが同じ言い方とは思えないけど、小雨が大雨を呼びそうな気配がした。家に戻って濃いピンクの新しいシャツを取り出した途端、雨が、それはぽ泥くような黒い雲に覆われた空からばらばらと落ちてきた。本格的な雨。土曜日にそんな雨が降るなんて。もうすぐ7月が終わると言うのに。7月に似合わない雨。7月らしからぬ涼風。涼しくて嬉しいような、ちょっぴり残念なような。


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桃と私

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旧市街の中でも食料品市場界隈が面白い。面白いのは一年中だけど、春から夏にかけては特にいい。色とりどりの青果は見ているだけで愉しくなるし、見ているだけでビタミンを補給しているような気分になるのは私だけだろうか。春の苺は近くを歩いているだけで鼻先をくすぐるし、大振りの茄子は見ているだけで愉快になる。夏の終わりに登場するポルチーニ茸やトリュフも勿論いいけれど、私にとっては夏場の青果がやっぱり一番。今は何がいいって、桃。桃である。先日店先を眺めていたら見事な桃に遭遇した。多分明日頃が食べ頃に違いない、色といい形といい私好み。文句のつけようもない。桃につけられた札は、Don’t Touch!  傷みやすい桃だ。触らないでと言うのも無理はない。

イタリアでは店のものをむやみに触るのが大変失礼という風習がある。大型店ならともかく、小売店で商品に触れると店の人に睨まれると思ってよい。私がイタリアに初めて来たときに、前もって相棒から注意を受けたのもそんな背景があるからだ。ねえ、君。店に入っても勝手に触れて吟味してはいけないんだよ。それではどうやって商品を吟味するのかと訊けば、店の人に頼んで見せて貰うのさ、とまるで当然と言わんばかりに相棒は教えてくれた。そうしてイタリアに来てみると、成程、誰も手に取って吟味などしない。青果店などでは食べ頃の美味しいのを手に取ってみたいところだが、それは店の人に重々美味しいのを選ぶようにと言いつけて選び出して貰うのだ。うちのはどれも美味しいんだから大丈夫、と店主は言うけれど、私が細かく注意点を述べているうちに、店主の頭を横切るのだ。この客はなかなか詳しいうえに味にうるさいらしいから、いいのを選ばないと大変なことになるだろう、と。青果の、特に桃のまとめ買いが嫌いな私は何時も必ずこう注文する。今夜食べるのに丁度よい、飛び切り甘くて美味しいのを選んでちょうだい。

そう言えば、私が子供だった頃、夏場になるとよく桃を食べたものだ。それはするすると皮がむける柔らかい桃で、あれは白桃だったのか、黄桃だったのか。母が綺麗に剝いて切り分けたものが四角いガラスの涼しげな大皿に乗ると、私の出番だった。テーブルまで運ぶのが私の仕事だった。ところがある日、あれ程注意していたと言うのに床に躓いてしまった。あっという間に桃が大皿から滑り落ちた。私は泣き虫だったから、床に落ちた桃を認識するなり泣き出した。あれは単に悲しかったのか、桃を落としてごめんなさいという気持ちだったのか、それとも桃を台無しにしたことを子供なりに罪に似た感情を感じたのか。兎に角あの大量の甘い匂いの桃は、私が籠に入れて飼っていた甲虫たちの豪華版差し入れとなった。あれ程あったのに、翌朝観たらすっかりなくなっていた。美味しかったのだろう。私達人間は食べそびれてしまったけれど。あの事件を母や姉は今でも覚えているだろうか。それともそんなことを覚えているのは、張本人の私だけか。

明日は雨になるらしいが、旧市街へ行く予定だ。土曜日と日曜日の分だけの甘い甘い桃を求めて。


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