路地

DSC_0036 small


こんな酷い雨降りは久しぶりだった。それは1月の雨というより秋の雨によく似ていて、しかし雨の冷たさが冬の雨と教えてくれるのだ。雨降りは嫌い。傘を差して水溜りに気をつけながら雨の中を歩くのは特に嫌い。あれ程気を付けて歩いたのに足元が強かに濡れて、益々寒く感じた。暫くこんな天気が続くらしい。それも雪に比べれば、幸運と言ってよいに違いなかった。

先日、旧市街の路地を歩いていた。この辺りはよく知っている。しかし額縁工房が閉まってからは少し足が遠のきがちだ。一度も入ったことのなかった額縁工房。どうやら修復を主にしていたらしい。古い、味のある額縁が沢山並んでいた。修復のクラスも開いていたらしいが、ただの一度も参加することができぬうちに工房が閉まったことを私は残念に思った。だから、この界隈から足が遠のいてしまった。と、工房の横に並ぶ小さな店の小さなショーウィンドウに見つけた横顔がふたつならぶドレス。どんな人が買っていくのかだろう。ショートカットが良く似合う首と手足がすらりと長い若い女性を想像してみた。素足にシンプルな白いモカシンを合わせたらどうだろう。それにしてもこの路地は、小さな店が地道に商売を続けている。私の好きな工房は長い間の不景気を乗り越えることなく閉まったけれど、他の店には頑張ってほしいものだ。素敵な女性がこのドレスに目をつけてくれることを祈りながら、また路地を歩き出した。


人気ブログランキングへ 

寒い冬

DSC_0040 small


冷たい雨が雪になったかと思えば翌日は快晴。空気が冷たい分だけ空が青い。同じ冬でも同じ寒い季節でも、空が青いのと鼠色では気分が随分と違う。もっとも油断はならなくて、毎日小さな傘を鞄の中に備えているけれど。

昨日辺りから体調が好転し始めた。こちらの方も油断は禁物だけど、ようやく旧市街の食料品界隈で買い物をする元気が出た。昨日はとんでもなく寒い夕方だった。足早に夕食の為の買い物を済ませてバスの停留所へと歩いていたところ、ガラス越しに店主と目が合った。フランス屋の店主だ。そういえば昨年末から立ち寄っていなかった。このまま素通りしてしまうのは感じが悪いかと思い、挨拶くらいしていこうかと思いたって店に入った。こんばんは。久しぶりですが元気ですか。遅くなったけど明けましておめでとう。そんなことを言いながら。店主が機嫌が良く、私の顔を見るなり赤ワイン用のグラスを引っ張り出して、こんな寒い日は勿論赤ワインでしょうねと言いながら、今日のお勧めはこれと言いながら、グラスに注いだ。本当は挨拶だけして帰るつもりだったが、店主がいつも赤ワインを注文する私に先回りして差し出してくれたので一杯頂くことにした。互いの仕事の様子を話し、こんな時代に仕事があるだけでも喜ばしいことだからと労わりあっているところに買い物帰りらしい夫婦客が入ってきた。やあ、こんばんは。夫と店主が目を合わすと無言の了解なのか、夫婦客の為にシャンパンを注いだ。夫婦が嬉しそうに乾杯したので見ている方まで嬉しくなってきた。それで私は思わず声を掛けた。嬉しいわね、夫婦が一緒に買い物して、帰る前に食前酒を楽しむなんて素敵だわ。すると夫が答えた。僕たちはなるべく一緒の時間を作って、出来るだけ食前酒を楽しむようにしているんだよ。だってそれは僕らにとって、とても素敵な時間だからね。それを聞いて喜ぶ私に妻の方が口を開く。これは私達の特別なひと時なのよ。この時間を削ることなんてできないわ。私はレティツィア。あなたは? 年のころが同じの彼女はとても気さくな性格らしく、私の名を知りたがった。私が自分の名を教えると、彼らは話の端はしに私の名前を入れながら、まるで前からの知り合いのように色んなことを話し出した。それはとても不思議な感じで、とても居心地が良かった。ああ、もう行かなくては。そう言いながら残りのワインを喉に流し込む私に、また会えるといいわね、ここでまた会えるかしら、と彼女は言った。会えるわよ、きっと。私時々この時間帯に立ち寄るから。上の階に行くことはなく、いつもカウンターの前での立ち飲みなの。私がそう答えると、店主はうんうんと頷きながら、そう、彼女の特等席はカウンターの前の立ち席なんだよ、と笑った。私達はまたいつかここで会うことを約束して別れた。本当はワインを飲む予定はなかったが、これも一種の運命か。それが運命の一種なら、運命とは何て素敵なのだろうと思った。帰りのバスはなかなか来なくて随分と待たされた。いつもなら来ないバスに腹を立てるところだけれど、これも運命の一種かと思うと、あーあ、仕方ないなあ、と笑うのが得策だった。

寒い冬。何処でどんなことがあるか分からない。分からないから人生は面白いのかもしれない。


人気ブログランキングへ 

春へと向かう証拠

DSC_0048 small


昨日薬屋さんに立ち寄ったにはわけがある。アレルギーが始まったのだ。このアレルギーは春先特有のくしゃみが出るタイプのもので、今年は2月にもならないのに始まってしまった。薬屋さんによると少しもおかしなことではないそうだ。この冬は妙に温暖で草木の芽がいつもより早く出始めたから、そんな人が沢山いるのだそうだ。それにしても雨が沢山降るといいわねえ、と薬屋さんは言った。雨が降ると少しはこのアレルギーが楽になるのだそうだ。雨は嫌い。しかしアレルギーが楽になるなら、仕方あるまい、雨に活躍してもらおうか。

そして待望の土曜日。アレルギーには悪いけど、待望の晴天だった。空の青いこと。空がこんな青だったなんて、私は忘れていたのだ。したいことは沢山あったが、取り敢えず外に出た。太陽の光を浴びなくては、と思ったのだ。旧市街へ向かうバスは満員。多分皆同じように取り敢えず外に出ようと思ったのだろう。こんな日に家に居てはいけない。外へ行こう。散策に出かけよう、と。旧市街に入るなりバスを降りた。満員のバスに嫌気がさしたからだったが、同時に久しぶりにこの辺りを歩いてみようと思ったからだ。8年前位までの何年間も、土曜日の昼になるとこの界隈に足を向けた。そこにはちょっと名の知れた店があった。知人の妹夫婦が営むピッツァと南イタリア料理の店だった。土曜日のもうじき昼という頃になると昼食に出掛けようとの誘いの電話がかかってきた。さあ、準備はいいかい。30分後には出発だよ。私達は一度だって約束などしたことが無かったが、知人は土曜日はその店で賑やかに昼食というのが決まりらしく、私達はそのメンバーに加えられていたようだった。店の中央の大きなテーブルを陣取って私達は2時間半もかけて昼食を楽しんだ。知人と彼の妹夫婦、相棒と私、そして数人の知人の友人たち。軽い白ワインの栓を抜くと前菜から始まってデザートまで堪能した。今思えばよくもあれ程の量が胃袋に収まったものだと驚くばかりだが、食べることを趣味とする人たちと一緒にテーブルを囲めばこそのことだった。あの店はあれから別の場所に移転して、それと同時に名前を変えた。それが良いか悪いかは別にして、私はあの店があった前を歩くたびに懐かしく思うのだ。楽しかった時代。私達が何かによって繋がれていた時代。その界隈を通り抜けて2本の塔の下を通りぬけ、北へと向かった。この辺りは実に久しぶりだった。小さな店のショーウィンドウを覗いた。男性の衣服を置く店。私が興味を持ったのは美しい柄の美しい色の襟巻だった。亡くなった父がそれを知ったら驚くに違いない。父の若いころにはあり得ないような襟巻だった。現代は男性も美しい襟巻を身に着けるようになったのだ。私はそれを嬉しく思う。その横に洒落た帽子があった。こんな帽子を贈ったら父は何と言っただろうか。父にはお洒落るぎると言って困った顔をしたかもしれない。久しぶりに父のことを明確に思い出して嬉しくなった。父はこんな風にして、時々私を思い出させてくれているに違いない。多分今だって、空の何処から私を見守ってくれているのだろう。

それにしても日が長くなった。17時を過ぎてもまだ空が明るいのは何て素敵なのだろう。私達が確実に春へと向かっている証拠。良い季節へと向かっている証拠。そして春へと向かう証拠は私のアレルギー。強い薬が私をひどく困らせている。数か月間の辛抱と分かっていても。


人気ブログランキングへ 

新しくて古い感覚

DSC_0043 small


昨日まで12月だったような気もするし、1月になってもう随分経ったような気もする。私の1月は何か自分以外の人、モノ、事柄の竜巻のようなものに巻き込まれて過ぎていく。1月下旬になって、ふと後ろを振り返ってみる。面白いことに殆どのことを覚えていない。それで良かったような、覚えていないことが少し残念なような。それにしても体調を一定に保つことの難しいことと言ったら。此れほど不安定なことはあまりなく、自分で自分をコントロールできないことに苛立ちを感じさえする。毎朝目を覚ます時に思う。今朝の私は元気だろうか、と。酷い風邪を引いているでもない、寝込むほど疲れている訳でもないけれど。冬の真っ只中と思っているが、別の方向から眺めてみたら案外冬から春へと移りつつあるのかもしれない。季節の変わり目で身体が敏感になっているのかもしれない。

昨夕、旧市街の小さなワインの店に行った。この店を知ったのは先週のことで、友人が何かの話のついでに教えてくれたのだ。頻繁に前を歩いているにも拘らず、私は全然気がつかなかったのだ。教えられたとおり行ってみると、そこには小さな入口があった。そこは昔美容院だった場所で、何やら秘密めいたその入り口から中を覗いたことがあることを思い出して懐かしく思った。結局その美容院には一度もいかなかったが、私はその場所が何か特別なような気がして入り口の前を歩くのが好きだった。一体あの店はいつまで続いたのか。とっくの昔に止めていたのかもしれないし、数か月前まで続いていたのかもしれない。私の生活が忙しくなるにつれて店の入口への関心も薄れていったから、そして店の存在自体が目立たなかったから、周囲の友人知人に訊いても誰も知らない。それが少し悲しかった。さて、11月にオープンしたばかりだと言うこの新しいワインの店を、私はたいそう気に入った。何しろBIOなのだ。有機栽培の葡萄から作ったワイン。酸化防止剤や防腐剤が一切入っていないワイン。この手の添加物にアレルギー反応を示す私は、こんなワインの店をずっと待っていたのである。店内で試飲をすることができる。グラスワインを注文することもできる。ワインを購入することもできる。だけど一番嬉しいのはワインを量り売りしてもらえることだ。ボトルに詰めて貰えるのだ。赤ワインが二種類。白ワインも二種類。ワイン農家のワインを持ち込みのボトルに入れてくれるのだ。75MLで3ユーロ50セント。そんな素朴な販売方法が私の心を射止めた。昔、相棒と私は近郊のサヴォイアと言う名のワイン農家へ出向いて大きなタンクでワインを購入しては、地下倉庫でボトルにワインを注いだものだけど、その作業は口で言うよりずっと大変で、いつの間にか農家から購入するのを止めてしまった。そんなこともあって、ボトルを持ち込んでワイン購入ができるこの店をあっという間に気に入ってしまったのだ。ワインくださーい。そう言いながら店に入ると店主が出てきた。店には先客が無く、おかげでゆっくり店主と話をすることができた。私はワイン通ではないけれど、ワインの話を聞くのが好きだ。これはどこどこのなんという種の葡萄を使った…といった話。これはどんな食べ物に合いそうだとか。もう少し温度が高い方が風味があるね、とか。マルケ地方の白ワインとトスカーナ地方の赤ワインをボトルに詰めて貰いながら、そんな話を楽しんだ。実に地味な店だ。しかしボローニャ人たちが好みそうな店と感じた。そのうち大変繁盛するに違いない。それが嬉しいような気もしながら残念なような気もするのは何故だろう。

新しくて古い感覚の店。私の気に入りリストに書き加えておこう。


人気ブログランキングへ 

砂や鉄の粒

DSC_0156 small


雨ばかりが降る週末。私はすっかり塞ぎこんでいる。こんなことは珍しいから相棒が酷く心配するが、いや、なに、私だって時には塞ぎこむことだってあるのだよ、と心配する相棒を宥める。何があったわけでもない。多分一週間の疲れと風邪と雨降りのせいだ。どれ一つ大したことでないけれど、それらが重なればだれだってがっくりくるに違いなく、大したことではない、と自分自身に言い聞かせる。17時間も目を覚ますことなく眠ったおかげで体が軽い。同時に眠りすぎたせいで頭が痛い。今日が日曜日でよかったと思いながら、もうじき昼という時間に遅すぎる朝食をとった。先ほどまで雨が降っていたのだろう、テラスのタイルが濡れている。向こう側に見えるはずの緑の小高い丘が霧に煙って見えないのが残念だった。

時々アメリカに戻りたい衝動に駆られる。戻りたいと言ったって私と相棒が暮らしていたあの居心地の良いフラットは人手に渡ってしまったし、どうやって新しい生活を始めてよいのかすら分からない。ただ、時々そんな衝動に駆られる。初めは私ばかりがその衝動に駆られて苦しんだが、近ごろは相棒がそうらしい。私達が暮らしていたあのフラットに出入りしていた人は数知れない。夕食時になるとベルが鳴った。ある夕方、沸騰した湯の中にパスタを入れようとしていたらベルが鳴った。窓を開けて下を覗くと大型バイクが街路樹の下にとまっていて、黒い革のジャケットに身を包んだ友人が立っていた。ドアを開けると友人が、そろそろパスタを茹でる時間だろうと思ってと言いながら階段を上がってきた。別に決まった時間があった訳ではないが、大抵こんな風にパスタを湯の中に投げ込む一寸前にベルが鳴った。私達はと言えばそれを迷惑がることもなく、むしろ喜んでいたと言ってよい。私達の生活はこんな風にして様々な友人との交流で成り立っていたから。友人はテーブルの上をざっと眺めて、サラダが無いと見とると坂の上の自然食品の店に新鮮な野菜を求めて走っていったり、ワインが無いと分かれば坂の下にあるリカーショップに走った。だから私達の食事は質素ながらも欠けたものが無く、毎日楽しい食事会だった。時にはパスタが茹だって、さあ皿に取り分けようと言う瞬間に新たに友人が参加することもあった。そんな時は誰が文句を言うでもなく、有るものを分かち合うのだ。私達は友人であり兄弟姉妹であり家族だった。皆、個性が強く、討論を始めたら夜中まで続いて大変だったが、根本的なところで私達は知っていたのだ。100人いれば100の色と哲学があるのが当たり前。だから討論はするものの、相手を説き伏せることはなく、単に考えの交換で、単にストレス解消だった。それから私達は一種のアーティストだった。それだけで生活をたてるのは難しかったが、私達は写真家で、画家で、陶芸家で、作家で詩人だった。誰が集めたわけでもなく、私達はアートという磁石に集められた砂や鉄の粒だった。そのうち誰かがギャラリーを開き、そのうち誰かがアートクラスを開き、そのうち誰かが写真家として軌道に乗り、陶芸家として名を挙げていった。そうしてそのうち私と相棒はアメリカから立ち去ったのだ。海を越えて聞こえてくる彼らの活躍ぶりを友人として嬉しく思いながら、私達は弾かれた鉄の粒であることを寂しく思った。17時間眠っている間に幾つもの夢を見た。その最後の夢は、あの黒い革のジャンバーを着た友人だった。彼はもうずいぶん前に写真家として活躍するようになった。決してハンサムではないが、個性の強い表情と漲る自信が彼をひどく美しく見せ、大抵の人が彼に惹かれる。彼は私より幾つも年下なのに何時だって私を小さな妹扱いした。多分私が精神的に幼かったからに違いなく、それを私は悔しいと思っていたのだけど。それで夢の中で彼が言ったのだ。ねえ、君。それで君は一体何時になったら夢を実現させるのさ。私は一体どんな表情をしていただろう。彼、彼はと言えば20年も経つのに未だに夢を実現させる気配もない私に呆れたかの様子だった。それとも炎が消えてすっかり冷えた蝋燭に再び炎を灯すかのような。私はそこではっと目を覚ました。目を覚ましたのは17時間も眠って充分だったからかもしれないが、多分私は彼の言葉にはっとして目を覚ましたのだ。

ねえ、君。それで君は一体何時になったら夢を実現させるのさ。そんなことを言いに海を越えてやって来た友人に、あなたは今でも私の夢を覚えているのかと宙に向かって言い返しながら、心の底で言葉に表しようもないくらい感謝する。ねえ、夢をかなえられそうなのよ、と友人たちに報告できるように。遠く離れていたって私達はあの頃のように磁石に吸い付けられて集まった友人であることを確認できるように。

いつまでも降り続ける雨。でも違って見える。憂鬱な雨ではない。心のスイッチが入ったらしい。


人気ブログランキングへ