冬の美味しい

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12月とはいつもそうだ。祝日と土日がパズルのようにちりばめられていて日にちの感覚が狂ってしまう。冬休み中も大いに加担しているだろう。月曜日が休みの為に普段はこの界隈の人々の曜日の目安となっている近所のバール。しかし12月中は無休だから、時々その辺の人に聞かれるのだ。今日は何曜日だったかな、と。そういうことを訊ねるのは大抵年金生活の人達である。曜日の感覚が全く狂ってしまっている点では私の生活リズムは彼らと同様ということか。決して悪いことではない。気ままな生活を堪能していると言う証拠だから。

ボローニャ旧市街の食料品市場は12月だろうと6月だろうと何時も大変な活気である。私は買い物をしない時もこの界隈を好んで歩く。今の時期はどんなものが並んでいるのだろうと期待しながら。10月頃は好物のポルチーニ茸が得意げに並んでいたし、その前は幾種類もの葡萄が山盛り積まれていた。最近はと言えば林檎やオレンジ旬と見えて、様々な種類が様々な色や大きさで競うように並べられている。背後には乾燥果実。杏やイチジクがメイン。恐らく夏の日差しを浴びて実った果物はビタミンが豊富だからということだろう。冬には冬の果物があるにしても、夏の太陽の恵みに勝るものはない。と、多分そんなことなのだ。乾燥果物に並んで置かれるのが木の実類。胡桃を中心に私の知らないものも沢山並ぶ。クリスマスの頃になるとこれらが飛ぶように売れるというのが面白い。習慣の違い、文化の違いと言ってしまえば簡単だけど。さて、この時期のものと言えばプンタレッラ(Puntarella)。サラダにしても美味しいし、加熱しても美味しい。が、何といってもこの姿が美しく、冬野菜の中でも一際輝いて見えるのは気のせいだろうか。いや、輝いていると言うよりも、はしゃいで見える、はじけて見えると言った方がぴたりとくるかもしれない。この野菜はどうやら冬も温暖の地方で育つものらしい。ローマより南の方で収穫されて北の方に運び込まれる。私が見つけたプンタレッラはプーリア州のバーリで収穫されたものだった。南の風の匂いがしそうな、南の冬の太陽の味がしそうな、美しいプンタレッラ。その姿をあちらの店で、こちらの店で見つけながら冬を感じるのだ。野菜にしても果物にしても、季節のものを食するのが良い。昔ずっと年上の友人が健康の秘訣は季節のものを食べることと言っていたけれど、全く同感である。プンタレッラ、プンタレッラ。そうだ、年越しの夕食にプンタレッラの一皿を準備することにしよう。


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残り

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いつもの生活の戻るのは良いことだ。と言っても冬休み中だから、いつもの生活と言いながらも全然いつも通りではない。夜更かしはするし朝寝坊はするし、したいことしかしていないからストレスがこれっぽっちもない。これを私は幸運と呼ぶ。誰にでもありそうでなかなかない幸運。今日は髪を切りに行った。切ると言っても元々長い髪ではないので、他人には分からないだろう。言うなれば自己満足。しかし髪を整えて新しい年を迎える準備をする儀式みたいなものは私の年末の習慣で、これをしないわけにはいかない。髪を切って店の人たちに挨拶をして出ると、新年を迎える準備が万端のような気分になれるのだから、私は全く単純でよい。それで髪を洗って貰っているとき、こんな話が飛び交っていた。女主人が向こうに居る若い女性客に声を掛けた。あらあなた、顔色がいいけれど睡眠時間が増えたんじゃない? すると女性客が明るい声で答えた。冬休みなのよ。だから一日の半分は寝ているの。目覚まし時計なんてセットしないのよ。起きたい時間に起きるんだからすごいでしょう? それから何が嬉しいって午後の昼寝。こんな幸せってあるのかしらと思ったわ。彼女が言い終えると店主が言った。私が娘から貰った本に出てくる動物に似ているじゃないの。朝寝て、昼も寝て、夕方も寝て、夜になると一瞬起きて人参を齧るとまた寝る動物なのよ。ああ、この動物は架空の動物で存在はしないのだけどね。すると女性客はあははと笑ったかと思うと、人参をパンドーロ(クリスマスの時期に食べる甘いパンのようなもの)に置き換えたら私だわ。そうしたら架空の動物じゃなくなるわね! と言ったので、店にいた客という客が大笑いした。多分誰もが自分にも似ていると思いながら。兎に角冬休みは誰もがそんな風になるらしい。夏のように活発に動き回る人が少ないのだ。私の髪を洗ってくれていた女主人の甥っ子が、君も肌の調子がいいようだけど、あの寝てばかりいる動物みたいな生活しているのかと訊く。ううん、そんなに寝ていないけど、したいことしかしていないからストレスがないのよね。そう答えると何処かから、それは素敵ねえ、とのため息交じりの声が聞こえた。そうだ、本当に素敵なのだ、ストレスがないと言うことは。それから素敵なことがもうひとつある。ヴィエンナへ行って寒い中を歩き回りながら、私は見失っていた私の中で大切なことをもう一度見つけた。自分らしく生きること、これ以上素敵なことってあるだろうか。

ああでもない、こうでもないと考えながら散策しているうちに、一年が終わっていくだろう。残り、たったの3日間。


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温かいスープと赤ワイン

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ヴィエンナの日曜日は静かだ。12月などというクリスマスの月だから、店が開いているかと思えば何処も堅く扉を閉めていた。開いているのはレストラン、そしてカフェ。そのカフェだってトラムに乗って少し中心地から離れれば当然の顔してしまっている。昔のボローニャがそうだったように、ヴィエンナは今も頑なにそんな習慣を守り続けているらしかった。

たっぷり時間をかけて写真展を見終え、風変わりな建物から出た私は、少し散歩してからトラムに乗って中心街に戻ってきた。それは何か温かいものでもお腹に入れて、再び元気よく歩こう思ったからだった。何か温かいもの。そう、例えばスープなど。それから黒パンをかじりながら赤ワインなどを頂くと良いのではないだろうかと思ったのだ。ところが開いている店は何処も満席で、テーブルに着いた人々は浮かない表情だった。どうやら席に着いてからも注文に取りにこないか、それとも注文はしたが何時まで待っても注文の品が出てこないか、そんなところだろう。幾軒もの店に入っては出た。そうだ、と思いついて一軒のカフェを目指したところ、そこもまた大変な客入りで待ったところでテーブルが空くのを望むのことは出来そうになかった。時間はもう14時を回っていて、腹の虫が大騒ぎだった。路上に置かれたホットドッグの店が妙に繁盛しているのは、そんな背景があるからに違いなかった。しかし私は嫌だったのだ。この寒空の下でホットドッグを立ち食いするのは。もしそれが夏場だったら、少しも気にならないに違いないのに。私は暖房の効いた暖かい店の中の小さなテーブル席に腰を下ろして、この冬の重いオーバーコートを脱いでほっと一息したかったのだ。私のそうした希望は、どんなことをしても曲げられそうになかった。しかしどうしたものか。そんなことを思いながら歩いていた時、目に入った。カフェ・オペラ。オペラハウスの一角にあるカフェ。前日の晩、何やら高そうな店だと思いながら奥まったところに存在する店を横目で眺めながら通り過ぎた、その店だった。目に留まったのも何かの縁。そう思いながら重い扉を開けると、いくつかのテーブルが空いているのが見えた。ひとりです、と言いながら人差し指を立ててみせると糊の付いた白いシャツ姿の給仕が窓際の明るい小さなテーブル席に案内してくれた。店内には菓子を頂く客と食事を頼んだ客が半々くらい。腕時計を刺しながら食事はまだできるのかと訊いてみたら、勿論ですよと嬉しい言葉が返ってきた。温かいスープとパン、そして美味しい赤ワインを。メニューを見ることなく注文する私に給仕は少々驚いたようだが、勿論ですよ、と一言残して奥に入っていった。私は寒そうな顔をしていたに違いない。革の手袋をしていたのに、指先がひどく冷たかった。先に出てきた赤ワインを一口すきっ腹に流し込むと、喉から胃袋にかけて熱い液体が流れるかのように感じた。おかげで少し体温が上がったようだ。ひと息ついて周囲を眺めると、中高年の客が多かった。若しくは母親と年頃の娘。旅行者らしい客は私ひとりのようだった。内装は古めかしく、きらびやか過ぎず。素晴らしい装飾もない。ヴィエンナのカフェらしからぬような、しかしそれがとてもヴィエンナらしいような。ボローニャではカフェよりもバールに入ることの方が多い私だから、このくらいの方が肩がこらないと言うものだ。出された温かいスープは私の頭からつま先までをほんのり温めて、黒パンを齧りながら赤ワインを頂くとすっかり元気が戻ってきた。そろそろ店には午後のおやつを求める客で混み始め、これっぽっちの食事で長々と居座らせて貰ったことの礼を述べて店を出た。悪くなかった。高いだろうと覚悟をしていたが、恐らくはこの界隈の店の中でも良心的な値段に違いない。それに給仕の感じが良い。少なくとも私はそんな印象を得て、思いつきで入ったことを嬉しく思った。

冬のヴィエンナの夕方は早くやって来る。うっかりするとすぐに暗くなる。それでなくても、こんな天気で薄暗いのだから。ホテルに帰る前に2時間ほど歩いた。どこもしっかり閉まっているが、それを承知で見て歩く人々。角の青い店は何やら興味深いものが置いてあるらしく、先ほどからひとりのウィンドウショッパーが釘づけだった。近所の住人だろうか。毎日の日課の午後の散歩だろうか。日曜日のヴィエンナ。暫く忘れられそうにない。


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霧雨が降る朝

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その日は何時まで経っても朝日が昇らずいつまでも外が暗かったから、うっかり寝坊をするところだった。太陽が出ないとこんなに暗いものなのかと、薄いカーテンを開けて窓の外を覗いてみると微かに霧雨が降っていた。そのうち止むさと高をくくっていたが、霧雨は止むことがなかった。

ホテルを出てトラム乗り場までの道を歩く。傘を持っていたが差さなかったのは帽子を被っていたからだ。それに通行人の誰も傘を差していなかった。この辺りではこの程度の雨では傘を差さないのだろう。それにしたってトラム乗り場はたったの100メートル先だった。そこから1番のトラムに乗ればよかった。トラムはオペラハウスまで大まか真っ直ぐ行くと左折して、リンクと呼ばれる旧市街を取り囲む環状道路をぐるりとまわり、4分の3周するかしないかのところで環状道路から外れてプラータと呼ばれる遊園地へと向かうのだ。しかし私が目指していたのはプラータではなく、その少し手前で下車した辺りに在る風変わりな建物だった。その家は以前ヴィエンナにきた時に見たことがあった。何しろ有名な家で、外見を見るだけでも十分興味深い。それだから前回は外から観察しただけだった。さて、同じところにもう一度行くには理由があった。その建物の上階で催されている写真展を見たかったのだ。ヴィエンナの旧市街を歩いているときにその写真展を知ったのだ。写真家の名前は聞いたことがあるような無いような。私の興味を大いに惹いて足を運ぶことになったのである。それによって外からしか見たことのないあの建物の中を覗けるのだから、それもまたよいだろうと。トラムの中から見るヴィエンナ。歩いているときよりも高い視線から見るので、ほんの少し違って見えた。通行人たちを上から眺めるのも楽しい。一瞬見えた美しい路地。しかし路地の名前を確認する暇もない。トラムの中には数人の地元の人たちが無口に腰を下ろしていて、この町の人々の行儀のよさに感心した。と、途中から乗り込んできた若い男女のふたり。見るからに旅行者でどうやら英語圏からきているようであった。男のほうが車内に貼ってある停留所の名前を確認し、女の方がガイドブックをぶつぶつ言いながら食い入るように読んでいた。と、突然70歳くらいの寂しげな女性がふたりに声を掛けた。何処へ行きたいの? と。若い女は私が降りる少し先にある、もうひとつの変わった建物の名前を言い、寂しげな女性は、それならここから幾つ目のところで降りればいいが、自分はその先まで行くから停留所の近くになったら教えてあげるから、と言った。親切な女性だ。私の経験上、ヴィエンナで嫌な思いをしたことはない。訊ねれば親切に教えてくれるし、訪ねなくても向こうから声を掛けてきて親切に教えてくれる。彼らは旅行者に慣れているのだろうか。それとも根本的に親切なのだろうか、ヴィエンナの人たちは、オーストリアの人たちは。それを語るには私はあまりにも知らなすぎるが、しかし気持ちの良い人たちであることには違いないようだった。そんなことを考えているうちに目の前の彼女たちの話は先に進んでいた。、若いふたりはニュージーランドからの旅行者。若い女はフランス人だが家族でニュージーランドに移民したそうだ。すると寂しげな女性が話し始めた。自分は昔ヴィエンナに移り住んで、それからずっと此処にいる。母国にはそれ以来帰っていない。これがこの女性が寂しげな理由に違いないと若いふたりは(そして背後で話に聞き耳を立てていた私もまた)はっとした。若いふたりはその話をするにはあまりにも若かったが、だからこそそんな質問ができたのであろう、母国に帰らないなんて寂しくないのかと訊いた。女性は一瞬考えて、そうねえ、寂しいけれど帰れなかったのよ、と言って、そしてさらに付け加えた。何十年も住んでいるのに私はやっぱり外国人だわ。その言葉は若い女の心を刺して、そして背後で聞き耳を立てていた私の心をも刺した。何十年住んでも外国人。若い女性の表情が一瞬曇ったのを見て女性はあらあらごめんなさいね、つまらない話をしてしまったと詫びた。私が運が良かったのは、ちょうど止まったそこが私の停留所だったからだ。さもなければ私は少し感傷的になっていただろう。私は根無し草。これは日本を飛び出してからずっと私の心から離れない言葉だ。根を生やそうとしても生えない。根がないから大風が吹いたり大雨が降るとすぐに流されてしまう。そんなことをここヴィエンナで思い出そうとは。霧雨は止んでいたが、とんでもなく寒かった。気温はやっと零度ほどで、息を吐くたびに白い煙となって立ち上った。

写真展は素晴らしく、変わった建物の内部もまた人間味溢れ、そしてユニークでよかった。こういうものはボローニャでは手に入りにくいもの。ボローニャとヴィエンナの文化は似通ることがないらしい。しかしだからこそ双方とも魅力的なのだということも知っている。文化とはそういうものなのだ。ヴィエンナに来て私はとても敏感だ。様々なことを感じて考える。肌のすべての呼吸網から何かを吸収しようとしているのを感じる。それを私は嬉しく思う。敏感でいたい。いつも何かを感じていたい。昔の私がそんな風であったように。


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小さな願い

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世界中の人々に平和と温かく心豊かなクリスマスの一日がありますように。

Buon Natale.

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