寒さ第一号

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寒さ第一号。と私は呼んでいるが、しかし何の裏付けもない。ただ急に寒くなったと思ったらとんとん拍子で気温が下がった。昨日今日と朝の寒さは呆れてしまう程だった。車に霜が降りてフロントガラス幾度も擦らねばならなかった。車の表面も白く凍り付き、見ていると寒さが増した。街角のデジタル温度計が零下3度を示しているのを見て、ああ、成程と頷いたのわ私だけでなかったに違いない。寒さ第一号、若しくは冬の始まりと言っても良いだろう。

帰り道もひどく寒く、私は旧市街に着くなりフランス屋に入った。フランス屋とは私が勝手につけた名前でもっと洒落た名前を持つこの店は、フランスワインを始めにフランスのちょっとした食料品を置いている。上の階にはテーブルが幾つか置かれていて、軽食とワインを楽しめるようになっている。私が上の階に行くのは稀だ。仕事帰りにふらりと立ち寄るのでひとりでカウンターの前で立ち飲みが多い。ひとりと言っても店主が話し相手してくれるから、ひとりという感覚はあまりない。それからたまには居合わせた他の客とも他愛ない話をするので、立ち飲みは結構賑やかで楽しいのだ。さて、寒い寒いと言いながら店に入ると店主が冬のジャケットを着込んで奥から出てきた。寒いねえ、と言いながら。実際店内は酷く寒く、店主がジャケットを着込んでいるのが頷けるほどだった。話によれば暖房が故障したとか何とかで業者に来て貰ったそうだ。一時間前に直って暖房を入れたものの、冷え切った店内が温まるまでにはまだまだ時間がかかるとのことだった。しまったなあ、温かい店内で華やかな白のスパークリングワインでもと思ったのに。仕方がない、と言いながら赤ワインを注文した。仕方がないと言っても赤ワインが大好きだから、何の問題もない。棚の上の方に70ユーロのワインが置かれているのを見つけた。木箱に入れられたそれは何やら特別のワインらしく、私の興味を引いた。あれ、美味しいのかしら。店主に聞いてみると美味しいと言う。ふとほかの棚を見上げると古い装いのワインを見つけた。あれは? あれはどうかしら。そう訊く私に店主は首を横に振りながら、あれは駄目だ、あれは酢になってしまったと言う。随分前のそのワインは明るいところにずっと置かれていたものだから、残念ながら飲める代物ではないのだそうだ。ワインはね、地下倉庫の暗くて涼しいところに置いておかなくては。残念だったな、と何度も言いながら店主はそのワインを眺めた。店主の自宅の地下倉庫には100本以上のワインが隠されているらしく、その殆どが休暇のたびに訪れるフランスで見つけた選り抜きらしい。私は健康なうちに美味しいワインを堪能したいから、地下倉庫になどしまっておけないわ。そう言って胸を張る私に店主が言う。僕の奥さんとおんなじことを言うんだね。私はあははと笑いながら続けて言う。ワインだけじゃない、健康なうちに人生を楽しんでおかなくては。お金は天国には持ち込めないから、生きているうちに人生を楽しむために使うのよ。店主はまた言う。ああ、君は僕の奥さんと同じことを言うんだね。私は再び笑いながら、案外彼の奥さんと私は良い友達になれるのではないだろうかと思った。この店に来るのはせいぜい月に一度くらいだが、こんな話をしながらフランスワインを楽しむのが好きだ。赤ワインのおかげで血の循環が良くなったらしく、あのすっかり冷えていた身体が温まりだした。そのうち店に客が入り始めたので店主に挨拶をして店を出た。

冷え切った空にダイヤモンドのように光る星がひとつ。明日も良い天気になりそうだ。まだ点灯されていないクリスマスツリーを横目で見ながら、いつものバスに乗るために歩き始めた。


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秋と冬のちょうど間

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まだ11月にならぬ頃、旧市街のショーウィンドウで焼き栗を思わせるような服を見た。店はつい最近開けたばかりで、Piazza Maggiore から直ぐ其処に在った。特別な店ではないがショット一工夫のある衣服を置いているらしく、例えば全く違う柄の大判のシルクスカーフを2枚縦に縫い合わせてあったり、コートにしても普通の形とは少々違っていて、店の前を通る人々の歩調をいやでも緩めさせた。一度だけ女友達と入ってみた。例の大判のスカーフ2枚縫い合わせは、実はフランスで見つけてきたヴィンテージのスカーフを2枚縫い合わせたものだったり、とやはりほかの店にあるものとは少し違っていた。それにしてもショーウィンドウの栗色の服は魅力的だった。眺めていると焼き栗を欲しくなった。どうせ行くならいつもの店。いつもの店とは仕事帰りのバスの中から見える緑色に塗られた小屋のような店で、夏にはメロンやスイカを売る、あの店のことであった。それでいて明日こそ、来週こそ、と言いながら、何時も先延ばしにしていたのは雨のせいだ。雨降りの日は途中下車するのが嫌だったからだ。何故と訊かれてもわからない。そういう心境だったと言うしかなかった。

あのショーウィンドウの栗色の服を見てから4週間も経って、私は若い女の子とようやく焼き栗を食べに行った。若い女の子と言っても彼女はもう学生ではなかったし結婚もしているけれど、それでも私から見れば若い女の子と呼ぶに値するように思えた。店は繁盛していた。夏にメロンを食べに来て以来だから3,4か月が経っていたが店主の青年は私達を覚えていたらしく、やあ、いらっしゃいと迎えてくれた。200グラムの焼き栗に温かい赤ワインを2杯注文した。それにしても、昨年の今頃の客ときたら犬連れの老人ばかりだったのに、今年は妙なことに若々しい女性ばかりが次から次へと店に入ってくる。私と女友達はその様子を眺めながら驚き、若い店主もさぞや喜んでいるに違いないと、くすくす笑いが止まらなかった。向こうのテーブルの女の子たちはどう見ても18歳くらいだろう。今どきの若い子たちは栗なんて食べないと思っていたが、美味しいものは美味しい、年齢は関係ないようであった。栗の焼き具合は丁度よく、甘くてふっくらとしていた。指先を黒くしながら栗を剝いては口に放り込み、時々温かい赤ワインを口に含んだ。2人で11ユーロ。仕事帰りのお喋りには丁度よい。それにこんな美味しくて楽しい時間は焼き栗ならではなのだから。こんなに沢山の女性が来る楽しい商売、やめられないよね。勘定を済ませながら女性客が妙に多いことを指摘すると、若い店主は嬉しそうに表情を緩めた。また来るから、と言って店を出ると北風が吹いていた。剥き出しの手がすぐに冷たくなった。秋と冬のちょうど間に居る、そんな感じがした。

あと数日で11月も終わりだ。


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彼女と私

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昨日の雨は今日も続く。厚い雲が空を覆って妙に冷え込む今日の日曜日。ふーっとため息をつきながらふと昔のことを思い出した。

あれは10年前の夏のことだ。私はトロントに暮らしてようやく生活が順調になったと言って喜ぶ友人を訪ねた。私と友人は21年前にアメリカで出会った。私達は仲が良かったが互いに若く意地っ張りだったので喧嘩しても仲直りできず、喧嘩別れしたかと思えば半年後に再び交友関係が戻り、いうなればいいところも悪いところもさらけ出して付き合った仲だ。だから単なる友人ではなく、何か自分の一部みたいにすら感じる存在だった。そんな彼女が結婚相手と共にトロントに暮らすようになってもなかなか生活に慣れることができず苦悩していると届いた手紙で知った時、私は自分のことのように悩み、こんなことをしてみたらどうかなどと様々な提案をしてみたものだった。私は彼女たちが暮らすアパートメントの下の階に半月だけ部屋を借りた。そうすれば彼女や彼女の連れ合いとちょうどよい距離を保って交わることができると思ったからだ。9年ぶりにあった私達はぎこちなかったが、実は涙がこぼれそうなくらい嬉しくて抱き合った体を離せなくて困ったくらいだった。何でも揃っている彼女のキッチンで私は二度ほどイタリアの家庭料理を作り、そして彼女はいいものが手に入ったと言っては日本料理を作ってくれた。ある晩は現地集合でトロント市内のはずれの方にあるレストランへ行った。そんな感じが実に私たちらしくて、昔に戻ったような錯覚にさえ陥った。その都度彼女は言うのだ。ねえ、私があなたの訪問をどんなに喜んでいるかわかるかしら。そう言われれば悪い気はしなくて、うん、うん、わかる、と幾度も頷きながら答えるのだった。トロント滞在がもうすぐ終わると言う頃、私達は地上階にある寿司屋へ行った。寿司屋の店主はアパートメントの持ち主で、この辺りでは知らぬ人が居ないくらい顔が広い人らしかった。ただ、ちょっと癖があるから気を付けて。難しい人なのよ、と暖簾をくぐる前に彼女は言った。貸して貰った部屋は快適で滞在を楽しませて貰っていると店主に礼を言うと酷く嬉しかったらしく、先ほどまでにこりともしなかった顔を緩ませて、さあさあ、こちらに座ってくださいよ、とカウンターに招いた。実はこの晩の支払いは彼女と彼女の連れ合いへの楽しい滞在のお礼として私が持とうと決めていた。しかしカウンターとは。まあよい。私は腹をくくり椅子に座った。店主は酷くご機嫌だった。横に座った彼女が肘で私の脇をつつき、すごく気に入ったみたいよ、おめでとう、と小声で言った。美味しかった。ボローニャ辺りでは望めない本当の握りずし。ああ美味しいと喜ぶ私達に店主が次から次へと握る。と、突然店主が言った。言った相手は私達ではなく、隣に並んで座る常連らしい3人家族だった。両親に若い娘がひとり。娘は25歳くらいで、美しく大切に育てられた感じがにじみ出ていた。こちらのお嬢さんはね、イタリアのボローニャってところから遊びに来ているんですよ。ええと、お客さんがよくいくのは何処でしたっけ。そんなことを店主は客たちと話しているのだった。すると横に座っていた父親が、おお、それは素晴らしい、と言って振り向いた。彼らはどうやら大変な資産家らしく、年に一度ヴェローナで開かれるワインの見本市に自家用飛行機で駆けつけるらしかった。イタリアのワインと食事は素晴らしい、と彼らは口々に絶賛すると、店主は口をとがらせて、うちの寿司も悪くないはずなんだけどな、と言って店の中に居た皆を愉しい気分にさせた。それでいて店主は、ああ、イタリア、行ってみたいなあ、と遠くの方を眺めながら呟き、俺の奥さんを連れて行ってあげたいなあ、と付け加えた。私がそれを聞きながら涙がこぼれそうになったのは、彼の20になる息子が治らぬ病いで長いことトロントから離れられずにいることを友人から聞いていたからだった。いつかボローニャに来たら私が案内するから楽しみにしていてください、というと店主は、そうかい、嬉しいなあ、お嬢さん、優しいねえ、と言って有難がった。お嬢さんと言ったって、私はとっくの昔にお嬢さんではなくなっていたけど。その晩、私達は酷く愉しく、よく食べ、よく飲み、よく笑って店が閉まるまで話をした。結局勘定は友人が払い、しかし店主の粋な計らいで申し訳ないほど小さな勘定だった。あの晩のことは忘れられない。皆が笑って楽しかった晩。皆が幸せで、それぞれの生活を楽しめるようになったころのこと。すべてがうまくいき始めて、すべてが可能にすら思えた頃。

そんなことを思い出したのは11月のせいだ。私の大切な友人が昨年の11月の終わりに他界して、私は毎日のように彼女のことを思い出す。私にできること。彼女が喜ぶこと。彼女のことを沢山思い出すこと。だけど泣いてはいけない。彼女の不在を寂しがりながらも笑顔で彼女のことを思い出すのだ。そうだ、今週はそんな風に過ごしてみよう。


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ああ、また雨が降る

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急に寒くなった。寒いのは11月も下旬なのでよいとして、それにしたってこの執拗に降り続ける雨ときたら頭痛の種だ。単なる言葉のあやでなく、本当に頭痛を引き起こすのだから困ったものだ。季節が秋から冬へと移り変わっていくのをひしひしと感じながら、小さな傘を差しながら、水たまりに足を突っ込まないようにと足元を見ながら歩くのはあまり好きではない。寒くても良いからよく晴れ渡った空を仰ぎながら街を闊歩するほうが自分らしい。そう思いながらも今日もまた足元を見つめながら、傘をさして歩く。兎に角風が冷たくなった。もう帽子なしではいられないほどだ。ところが私の帽子ときたら明るいグレーのニット帽と微妙な赤のベレー帽しか手元になく、今ちょうど被りたい気に入りのボルサリーノの帽子はクリーニング屋さんに行ったっきりなのだ。引き取るのを忘れているわけではない。毎週土曜日になると店に出向いて帽子の安否を確認しているくらいだ。確かに帽子は存在するがまだ仕上がっていないとのことである。数か月前に両親を次々に亡くしてすっかり気弱になっている女主人と病と闘いながら彼女を手伝う旦那さんは、沢山の洗濯物が店に持ち込まれるのを喜びながらも、どうやら体力と時間が足らないらしい。そんな彼らに文句を言う気は毛頭なく、うん、来週ね、と言いながら店を出たものである。大きなチェーン店もボローニャにはあるけれど、遅いけど丁寧に仕上げてくれるこの店が好きだ。ただ、帽子が手元になくて残念なだけなのだ。今日は朝から酷い雨。帽子が仕上がっている筈なので引き取りに行きたいが、それすら足踏みしたくなる雨だった。風雨と言ったほうがぴったりで、足元だけでなくコートも何もかもがしたたかに濡れてしまいそうな降りだった。昼前になってその雨が霧雨ほどになったので大急ぎで店に行ってみると女主人が私を待っていた。ああ、来た。帽子が仕上がっているのよ。そう言うと彼女は奥に行って帽子をふたつと、それから頼んでおいた幾枚ものスカーフを綺麗に畳んで持ってきて言った。帽子代はいらないわ。あなた、文句のひとつも言わずに長いこと待ってくれたものね、ありがとう。驚く私が何か言おうと口を開くのを彼女は手で制して、いいの、いいの、これは私からの感謝のしるしなのよ、と言った。帽子の洗濯代はふたつで合わせて8ユーロ。こんな大きなおまけは未だかつて聞いたことがない。しかし彼女の好意を有難く受け取ることにした。受け取った洗濯物を持って家に帰ると、待ち構えていたように再び強い雨が降り出した。

それにしたってよく降る雨だ。町中の色づいた葉がこの雨ですっかり落ちてしまったではないか。もう少し鑑賞していたかったのに。そんなことを残念がるのは私だけなのだろうか。


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ボローニャを歩く

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ボローニャ市内に再び暮らすようになって11ヶ月目。今まで暮らしていたボローニャ郊外の丘の町ピアノーロと比べたらなんと静かな日曜日なのだろう。郊外は静か、市内は賑やか。どうやら私はそんな風に思い込んでいたようだ。ピアノーロの週末ときたら町の人々の大声でのお喋りで静寂とは無縁だった。それに比べて今の家は、週末となると皆が息をひそめているのか、それとも留守なのか、物音すらしない。それとも町の暮らしはそんなものなのかもしれない。互いが互いを尊重して静かに生活するのかもしれない。

私と相棒がアメリカ暮らしに区切りをつけてボローニャに引っ越してきた頃、旅行者らしい姿はあまり見かけなかったように思う。いや、居たのかもしれない。ただ目立つ存在ではなかったし、居てもごく僅かだったのではないかと思う。この街には学生と働く人がひしめいていて、何か黙々とした雰囲気に満ちていた。ローマのような賑やかさとも呼べる喧噪はなく、寂しいくらいだった。秋から冬にかけては尚更だった。濃霧が音を包み込んでしまうと言うか、飲み込んでしまうと言うか、妙に静かだった。この季節の静けさは今も同様と言えるだろう。多分何年経ってもきっと変わりがないに違いない。変わったのはこの街に訪れる人が随分と多くなったことだ。アメリカ大陸やヨーロッパ諸国から、そしてアジアの国々から。ポルティコの下を歩きながら時々地図を広げては、あっちかな、こっちかなと悩む姿が微笑ましい。迷ったにしても大した事にはなるまい。何しろ小さな街だから。ボローニャとはそんな街だ。


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