夏時間にさよなら

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土曜日なのに早起き。何故なら友達と約束があるからで、その前にクリーニング屋さんへ行きたいからだった。それに今日は夏時間最後の日の、しかも朝から快晴ときているから、満喫しておこうと思ったのだ。土曜日の早起きは出来ればしたくないけれど、そのうち雨が降ったり冷たい風が吹き荒れたり、濃霧に町がつつまれたりすれば、ぞんぶん朝寝が楽しめるのだから、と思って。それにしても今日の旧市街は賑やかだった。友達と会った後に髪を切りに行き、その足で久しぶりにエノテカ・イタリアーナへ行くと何時になく混んでいた。いつものパニーノを注文するとワインは何がよいかと訊かれたので久しぶりに赤ワインを注文した。夏の間は体温が上がるからと控えていた赤ワイン。それも10月も終わりなのだから、そろそろ良いだろう。グラスに注がれたワインを受け取りながら、今日は随分混んでいるのねと店の女の子に言うと、今日は天気がいいからね、と答えた。そして、これからクリスマスに向けてどんどん忙しくなる、と言って笑った。え、え、あなた今、クリスマスと言ったわね。私がそう驚くと、女の子もふと考えたらしく、そうね、クリスマス、あと2か月なのね! と自分で言っておきながら驚いた様子だった。しかし彼女が言ったようにたったの2か月しかないのだ。そしてぼんやりしているうちに今年が終わってしまうのかもしれない。隣で夫婦者が乾杯をしていた。夏時間の終わりに乾杯、とか何とか言って。それはいい、と私も一緒にグラスを持ち上げて乾杯に参加した。夏時間よ、さようなら。ほんの少し名残惜しさを感じながら。


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心の小箱

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最近天気予報がちっとも命中しない。昔から当たらないことが多いイタリアの天気予報だが、ことごとく外れる10月の予報には私は少々呆れている。まあ、雨が降ると言っていたのに青空が広がった今日のような日は、ちょっと儲かったような気分になるものだけど。

雨が降らなかったので帰り道に買い物をしようと思って旧市街へ行くと、店が閉まっていた。それもその筈、何故なら今日は木曜日なのだから。木曜日のボローニャは午後になると店が閉まる。近年はそんな習慣も変わりつつあり日曜、祝日以外は開いている店が多くなったが、私がここに暮らし始めた頃は何処もがしっかりと重い鎧戸を下ろしていて街が閑散としたものだ。20年ほどのアメリカ生活からここに戻ってきた相棒はボローニャ生まれのボローニャ育ちのくせにそんなことを少しも覚えていなかったから、木曜日の午後は店が皆閉まっているとよく嘆いた。夕食のパンを買うのを忘れてしまったとか、明日の朝に必要な牛乳をどこで買えばよいのだとか。今思えば馬鹿馬鹿しい、無ければ無いでよいではないかと思うけど、案外真剣に嘆いたものだった。あれから年月が経ち、今は木曜日とて店は一日中開いている。ただ、私が足を運ぶ店はどこも古い習慣を保ち続けているらしく、一軒目も、二軒目も閉まっていた。多分三軒目も閉まっているだろうと予想して、買い物は明日にすることにした。勿論雨が降っていなかったらのことで、勿論寄り道したい気分だったらのことだけど。さて、今日は買い物するのを諦めてまっすぐ家に帰ろうと歩き始めた。中央郵便局の前の広場の横を歩いていたら匂いがした。くんくん。何か変な匂い。眉をしかめて思いを巡らしたら、分かった。銀杏の匂いだった。湿った路面に踏み潰された銀杏。誰にも拾われることなく踏み潰されてしまった銀杏がちょっぴり可愛そうに思えた。と、ふと思った。私がまだ小さかった頃、銀杏というものを知らずに銀杏木の下を臭い臭いと言いながら歩いたものだった。ところがある日、これは実はフライパンで炒るととても美味しいものであることを知った。大の仲良しの真理ちゃんが教えてくれたのだ。真理ちゃんは美人なばかりでなく賢くて素敵だった。10歳の真理ちゃんを素敵だと思ったには理由があって、彼女は決して誰かの悪口を言わないからだった。転校生で何をしても目立って居心地の悪かった私には、彼女が天使のように思えた。私はそんな彼女をとても尊敬していて、そんな彼女と友達でいることをとても光栄に思ったものだった。ある日の夕方、彼女の家に遊びに行った。平日の夕方はこんな風にしてよく彼女の家に行ったのだ。母は真理ちゃんと一緒なら大丈夫と思っていたらしい。そもそも彼女の母親が、いつも電話をしてくれたのだけど、母が安心するように。お嬢さんがうちに遊びに来てますからね、と。それで真理ちゃんの母親は美味しいものをいつも振舞ってくれるのだった。さっき作ったばかりのシュークリームとか、焼きたてのパウンドケーキとか、プリンとか。でも一番画期的だったのは、銀杏をフライパンで炒ったものだった。成程、これが真理ちゃんが言っていた例の美味しい奴だな。彼女の母親が火傷しないようにねと言いながらお皿に入れてくれた。触ると熱くて柔らかかった。口に放り込むと、あ、美味しい。そう言って喜ぶ私に真理ちゃんの母親が言った。食べ過ぎないようにね。沢山食べると鼻血を出すこともあるからね。私は忠告を守っていくつか食べた。こんな美味しいものがあるなんて! その晩家族に報告した。銀杏を食べたこと、とても美味しかったこと、好物になったこと。私の母にとっては銀杏は大人の食べ物らしくかった。しかしそれほど私が気に入ったのならばと、その日を境にうちでも銀杏が頻繁に登場するようになった。一番好きだったのは茶碗蒸しの中の銀杏。母は料理がうまかったから何を作っても美味しかったが、茶碗蒸しは特別だった。美味しいね。そう言いながら父と母と、そして姉と一緒に食べた夕食。もう戻ることができないあの頃。もう決して戻ることができないあの頃。銀杏が踏み潰されて匂いがプンプンする銀杏木の下にぼんやり佇みながら、私はそんな遠い昔のことを想った。私の大切な思い出。真理ちゃんのことも、仲良しだった私の家族のことも。時々心の小箱から飛び出す、宝物のような思い出。


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遠い雷

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季節が急ぎ足で冬に向かっているのを感じる。ボローニャ特有の重い霧が丘の辺りをすっぽりと包みこんでいて、いつもならよく見える美しい丘を遠くに遠くにしまい込んでいる。今年もそんな季節になったのかと驚くと同時に、そんな季節になってしまったかとため息をつく。他のボローニャに暮らす人たちはどんな風に感じているのだろう。ひょっとしてため息などついているのは私ひとりなのだろうか。

それにしたって昨夜の雨の降り方ときたら酷いものだった。22時を回ったかと思った途端、まるでスイッチが入ったように雨が降り出した。それの轟音を立てて。何事かと下ろしていた日除け戸を上げて、外の様子を確かめたほどだ。何か、尋常でない、そんな気配の雨だった。それから一晩中雷音が響いていた。何故そんなことを知っているかといえば、私が雷音に聞き耳を立てているうちに眠れなくなってしまったからだ。幾度も寝返りを打ってみたが、眠れなかった。そのうち眠る努力を止めて、色んなことを思い出しはじめた。子供のころは雷が怖くて姉にしがみついていたこと。半べそかきながら布団の中に丸まっていたこと。それがいつの日か、私は雷を怖がらなくなり、それどころか雷音に季節やノスタルジーなどを感じるようになった。初夏の雷は何かわくわくするような、何かが始まりような感じがした。私は若く、少女と女性のちょうど中間のに存在していた頃、絵を描くのに夢中だった。と同時に遠くにいる、なかなか会うことのできない男の子に夢中だった。日に焼けた長い足が白いショートパンツによく似合う男の子だった。あの頃は話しかけるのも恥ずかしくて、遠くから眺めているだけで精いっぱいだった。今の私だったら、気軽に声を掛けられるに違いないのに。冬の雷はそんな楽しかった夏を思い出させた。雷が遠くになればなるほど、夏を恋しく思った。大人になると雷の音が鳴り響くたびに、そんなことを思い出した。いつの日か、それは幸せだったころを思い出させる懐かしい音にすら思えるようになり、だからこんな風に一晩中なっていると頭の中を沢山の思い出が駆け巡って眠れぬ夜となるのである。そんな中でふと思い出したのは、私が傘を持たずに出かけた20代の終わり頃、アメリカ生活が軌道に乗り始めた頃のことだ。傘を持たずに出たのは仕方のないことだった。何しろ午前中青い空だったのだから。それが午後になると黒い雲が空を覆い、あっという間に大雨が降り始め大きな雷が鳴り始めたのだ。私は仕事を終えて街を歩いていた。急に降り出した雨にカフェはどこも満席で、私はカフェに入るのを諦めて家具屋に入った。それはこの街では洒落た雰囲気で案外有名な、私はいつも見るだけの店だった。自分のアパートメントに置いたら素敵に違いなく、しかし手が出ぬような価格が平気でついていて、見るだけの客は私のほかにも沢山いるようだった。この店に初めて入ったのは、まだ日本に暮らしている頃だった。この店の少し先の道の向こう側にある小さなレコード店に立ち寄ったからだ。既にCDが出回っていたが店にはそれらは置かれていず、レコードとカセットテープだけが所狭しと置かれていた店だった。私はそこで片言ともいえぬほどの英語でカセットテープを3本購入した。なかなか英語が伝わらなくて全く時間ばかりが掛かったが、しかしそんなことでさえも日本から8時間もかけてくるくせに実際は4日ほどしか滞在できない私という旅行者には愉しくて思い出のひとつとなったものだ。私はその店を出た後に、向こうにある大きな家具の店を見つけたのだ。見るからに洒落ていた。通りに面した部分は大きなガラス張りだったから、中で働く人や訪れる客をよく眺めることができた。私は店に置かれた家具や雰囲気もさることながら、中にいる人たちに関心を持った。それは一種独特の人たちで、私の周囲にはいないタイプの、例えて言えば映画に出てくるような人たちだった。明るくてオープンで、私はそんな人たちの様子に誘われるようにして店に入ったのだ。勿論見るだけ。会話など皆無だったから、周囲もそれを察したかのように放っておいてくれた。こんな家具を床張りの広い居間に置いて、出窓には気に入りの机を置いて。そんなことを想像しながら物色して歩いた。まだ、私がアメリカに暮らすなどと考えてもいなかった頃の話。それから数年後、私は暮らすために海を渡って、急に降り出した雨に追われてその店の中にいる。そんなことを不思議に思いながら、ふふふと思うのだった。運命的なもの。そんな大げさでないにしても、私とは無関係ではなかったのだ、この店もこの通りもこの街も。そのうち雷が遠のき、雨が上がると何事もなかったように空が晴れた。そのまま店を出てもよかったのだが、ちょっく=とした気まぐれで私は小さな置物を購入したはずだった。けれどもいくら考えてもそれが何だったのか思い出せず、そしてそれを誰かにあげてしまったのか、それともボローニャに持ってきたのかも思い出せない。今から10年ほど前にあの街を訪れてみたら、もうあの店はなくなっていた。あの界隈のシンボル的存在だったあの店が。ああ、何という無念。私はあの街の友人に会うたびにその話をしては店の不在を残念がった。そんなことを考えているうちに起きる時間になってしまった。寝不足どころか、全く眠ることができなかった。でも雷音を聞いて実に心穏やかで、不思議と眠気も疲れもなかった。

明日も雨らしい。でもよく考えれば雨期なのだから仕方あるまい。


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駆け足

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何時の間に色づいたのか、向こうの木々が黄色い。心躍るような黄色ではなくて、ほっと落ち着くような黄色。その美しさにはっとさせられるような、心を奪われるような黄色。驚くのは時間の経つはやさ。10月になったと思っていたら、あと10日ほどで10月が終わる。どうしてそんなに急いでいるのか機会があれば10月に理由を聞いてみたいものだが、多分11月も12月にしても同じように駆け足で過ぎていくに違いない。

先週、病で家に引っこんでいるうちに体力が随分と低下したようだ。そういえば母が言っていた。病気になって寝込むのは仕方がないにしても、その後が問題なのだ、と。母ほどの年齢になると寝込むことによって体力が低下してしまう、それが問題なのだそうだ。実際私ほどの年齢でも一週間寝込んだだけでこの通り。がっかりだ、と思いながらバスの窓から流れるような景色を眺めているうちに、車酔いしたらしい。もう3つほどでいつも下車する旧市街の中心の停留所だが、どうにも気分が悪い。私は我慢できなくなって旧市街をぐるりと取り囲む環状道路を超えた旧市街の一番初めの停留所で飛び降りた。ここで降りることはあまりない。この辺りはパキスタンやアフガニスタンからの移民が多く、例えば小さな青果店や酒屋、何でも屋が連立している。その合間にイタリア人経営の小売店が存在する、実に奇妙な界隈だ。昔はどうだっただろうと一生懸命思い出してみるが、これといった記憶がない。多分私は今も昔も、この辺りをあまり歩いたことがないようだ。バスを降りたことで少し気分が良くなってきたが、何か冷たいものを胃の中に流し込みたい気分だった。さて。と考えたところいい店を思い出した。この少し先に小さな店がある。表の様子が地味なために、うっかりすると通り過ぎてしまうような店。ところが、この店はこの辺りではとても人気があって、店内はそんな人たちでいつもいっぱいなのだ。IL GELATAUROという名のその店は、その名の通りジェラート屋さんなのである。ボローニャのジェラート屋さんの多くがそうであるように、ここもまた自家製のジェラートを振舞う。初めてここに来たのは数年前の夏のこと。あれは暑い7月下旬の土曜日で、誰も外など歩いていないような昼下がりだった。この店の存在は知っていたが、何しろ地味な店構えなので私の気持ちを誘わず、仕事帰りのバスの中なら眺めるだけだったのだ。しかし一旦入ってみると、とても良い。自分の家のような空気と、昔母が作ったような菓子。そして素朴な味のジェラートがあった。あの日から私はこの店が好きになった。ただ、途中でバスを下車しなくてはいけないのだけが玉に瑕。だから好きなのにバスの窓から眺めることがやはり多いのだった。さて、車酔いをすっきりさせるために店に入ると、案の定たくさんの客がいた。間口の狭い、ウナギの寝床のような店内には、ふたつの木製のベンチと3,4個のテーブル席。テーブル席は既に埋まっていた。さあ、どれを注文しようか、とジェラートを物色していると、あった、この季節にぴったりの味。南瓜とシナモン。私は店主にこれを注文して木製のベンチに腰を下ろした。冷たいジェラートが喉を通って胃袋に落ちていくのを心地よく感じながら店の天井を眺めた。フレスコ画だ。あれはオリジナルなのだろうか。そんなことを考えながら。店を出る前にチョコレートを購入した。これは私の大好物。ボリビアのカカオを使用したこの店の特製だ。ある日若い知人からこれを贈られて、それ以来私はこれにぞっこんなのだ。

店を出ると早くも空は群青色。秋の陽はつるべ落とし。ポルティコの下を歩く、コツコツと靴の踵の音を響か
せながら。すっかり暗くなる前に家に辿り着けるように。


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月に一度だけ

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10月。日本では夏のような暑さが戻ったらしく半袖姿で街を歩いているらしいが、ボローニャは着々と秋を深めている。外の明るさに騙されてうっかり軽装で出かけようものならば、風邪を引くこと間違いなしだ。私が暮らす今のアパートメントは日本式に言えば4階。しかしエレベーターなどという便利で洒落たものはないから、うっかり忘れものをしたりすると大変だ。忘れものでないにしても、例えば軽装で出てきたものの外に出てみたら思いのほか冷え込んでいてコートやスカーフを取りに戻ろうという時。うーん、どうしたものか、と思い悩むのだ。勿論その後には選択の余地のないことに気づき、やれやれと頭をかきながら先ほど降りてきた階段を再び上ることになるのだけど。だから、最近私はいつも大荷物なのだ。無駄な往復をしないようにとすべてを鞄に詰め込んで家を出るのだ。しかし今のアパートメントを不便だとか何とかで嫌っているわけではない。むしろ私はこのアパートメントを出来ることならば購入したいとすら考えているのだ。勿論、ここの大家である私と相棒の知人がうんと言えばのことである。建物は古いしエレベーターはないし直すところも沢山あるけど、それからもう少し広ければもっと嬉しいという思いもあるけれど、何しろ日当たりと風通しが良くてテラスの前がすかーんと100メートルほど視界を遮る建物がない。しかも周囲には私好みの大きな木があちらこちらに生えていて環境的によろしい。だから、知人も手放したがらないのである。気長に知人の気が変わるのを待つのみ。それが得策というものだろう。それにしても美しい秋の空。夕方の、日が暮れる前の青空は高く遠く住んでいて、向こうのほうに鰯雲が見える。ボローニャ旧市街の骨董品市はさぞや賑わっていることだろう。

そういう私はその骨董品市を土曜日のうちに堪能した。日曜日はいつだって姑と日曜日の昼食会をする役目があるからだ。私が言う骨董品市とは月に一度出るPiazza Santo Stefanoのそれである。一体どれほどの歴史があるのか知らないけれど、この辺りでは大変有名。私が相棒に連れられてボローニャに初めて来た20年前には既に存在してた。多分もっと昔からやっていたに違いないけれど、誰に聞いてもその答えは見つからない。さて、昨日はすぐにいいものを見つけた。テーブルだった。1,5メートル四方程のテーブルで大を支える足の部分の特徴があった。今まで見たことのない様式で、好奇に駆られて店主に声を掛けた。そるとそては1900年初期のものでロマーニャ州、つまりチェゼーナやリミニ辺りで作られたものだと分かった。豚を解体するテーブルだったらしい。ほらね、肉切り包丁の跡が沢山あるだろう? そう言いながら説明してくれた。このテーブルの上で豚が解体され、肉を挽いて腸詰にしたりしたのだろうか。想像するとあまり気色は良くなかったが、素朴なそのテーブルをひどく気に入って値段を聞いた。850ユーロ。勿論交渉の余地はあるんだよ、と店主はウィンクを投げかけた。相棒が見たらどう思うだろうか。何しろ彼はこの道に秀でているから、やたらな買い物はできないのだ。勿論、850ユーロなんて現金も持ち合わせている筈もなく。私は店主に説明の礼を言いながら連絡先を訊ねた。チェゼーナに店があるそうだ。来る前に携帯電話に連絡してくれれば、すぐに店に戻るから、と言う。彼は店の近くに住んでいて滅多に店にいないのだろうか。それともしょっちゅう誰かに誘われて近くのバールにカッフェをしに行って留守しているのかもしれない。私は住所と電話番号が書き込まれた小さな紙切れを鞄の中にしまうと、店主と硬い握手をして店を離れた。酷く後ろ髪をひかれながら。それにしても大変な賑わいで出店も驚くほど多かった。家具だけにとどまらず古いランプや絵画、額縁、宝石、レースのテーブルクロス、陶器、本。見ごたえがあるのは良いが、何しろこの広場ときたら足元が悪くて足がつかれる。広場は握り拳ほどの丸石が敷き詰められているため足の踵や足首がポルティコの下を歩くのとは比較にならぬほど疲れるのである。この広場も骨董品市も大好きだけど、この丸石だけは苦手だ。と、ひとり呟きながら歩き回った。骨董品市の端っこでギターを奏でるふたりの男を見つけた。なかなか良い。何に誰も足を止めようとしないのは何故だろう。それともあれこれ物色しながら人々はこっそり耳を傾けているのだろうか。彼らがもし他の広場で奏でていたら、あっという間に人垣ができて人気者になれるのに。何故もこんな場所を選んでしまったのか。

大好きな月に一度の骨董品市。次はひと月先だ。


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