秋の匂いがする

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久しぶりに旧市街へ行った。街は何やらざわめいていて、それからいい匂いがした。秋の匂い。焼き栗の匂いだ。まだ出店は少ないにしても。Via Rizzoli のポルティコの下にある焼き栗屋はボローニャで一番早く店を出す。多分10月4日のボローニャの祝日には店を出していたに違いなく、そんなことを考えていれば直ちにあの頃のことを思い出す。

私がボローニャに暮らして初めて迎えた秋のことだ。私はボローニャ郊外の小さな田舎町に暮らしていた。相棒と一緒とはいえ、とても心細かった。知人の家の部屋を貸して貰ったはいいが周囲には何もなくて、ちょっと其処へ、と気軽に出かけるわけにはいかなかった。家の周りには畑と野原。南のほうには葡萄畑が広がり、その手前に大きなプラムの木が幾本も生えていた。東側にはサラダ菜などの野菜の畑、北には大きな木が鬱蒼と生えていた。西側にはかろうじて舗装した道があるのだが、その向こう側には何もない。最寄りのバスの停留所も、一番近くにある小さな店もその道をひたすら真っ直ぐ歩いてゆうに20分。田舎暮らしは慣れている筈なのに、これには少々参った。今の私だったらば、それほど困ったことでもないに違いないが、何しろあの頃の私ときたら土地勘もなければ言葉もろくに話せず、2か月ほど前の夏のある日に迷子になって大騒ぎしたことが災いして、周囲がなかなか一人で外に出してくれなかった。もっとも、私にしても気が引けていた。こんな田舎を歩いている外国人は皆無に等しく、酷く目立って宜しくなかった。何かこう、いつも好奇の視線が纏わりついていて、居心地が悪かったのだ。そんな10月のある日、朝起きたらあまりに空が美しく、心の底から外に出たい気持ちがむらむらと湧いてきた。バスに乗ってボローニャ旧市街へ行くと強く言い張る私に周囲は驚き、車で送ってくれようとするのを丁寧に断って家を出た。日差しが強いが空気はツンと尖っていて、本格的な秋であることを感じたものだ。私がバスに乗る場所とはバスの始発場所だった。ここからボローニャ旧市街までは軽く1時間掛かるから、私にしてみればちょっとした遠足だった。そうして旧市街に着いて分かったのは、今日が10月4日、ボローニャ市の祝日だということだった。私が暮らしていた小さな町は祝日ではなかったから、そんなことも知らずにいたのだ。店という店が閉まっていて、少しなりともがっかりした。別に買い物をするつもりはなかったけれど。ぶらぶら歩いているうちに何処かからいい匂いが流れてくるのに気がついた。その匂いを辿って行ったら、正体は焼き栗屋だった。加熱された金属製の大鍋みたいな中で大粒の栗をごろごろ転がしていた。客が来ると新聞紙でうまい具合に作った入れ物に色よく焼けた栗をぽいぽいと放り込んだ。客はそれを歩きながら食べ、栗の殻はポルティコの下に無造作に捨てられた。その様子を見ながら、へえ、行儀悪いんだ、と思っていたら焼き栗屋のおじさんが大きな声で何やら叫んだ。どうやら客に怒っているらしかった。私はイタリア語がまだあまりわからなかったから想像することしかできなかったけど、多分、おじさんはこんな風に言ったに違いないのだ。あんたたち、栗の殻をそんな風に捨てちゃ困るんだよ。客は申し訳なさそうな顔をしていたから、きっとそうに違いないのだ。あの日、おじさんは一人だったが、そのうち横に二軒焼き栗屋が増えた。可笑しな話だった。そうでなくてもそれほど繁盛するとは思えない焼き栗屋が肩を寄せ合うようにして3軒並んでいるのだから。値段は同じ。笑顔だけが商売の勝負の決め手だったに違いない。寒くなるにつれて焼き栗屋の近くを好んで歩くようになった。いい匂い、そしてほんのり暖かいから。そんなことを思い出していたら、焼き栗屋に身なりの良い老夫婦が栗を注文し始めた。あら、高くなったものね。とか何とか言っておじさんを困らせながら。そして老夫婦は随分と沢山買い込むと、すぐ近くの厳めしいほど立派な、大きな建物の中に消えていった。どうやらそこに住んでいるらしい。彼らは家に着くなりテーブルを囲んで、焼き栗を頬張るのだろう。愉しかった昔話などをしながら。それともリラのころは物価が安くて暮らしやすかったねなどとしんみり語り合うのかもしれない。


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葡萄色

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夜明け前に雨が降ったらしい。目を覚まして窓の外を眺めると路面が黒く濡れていた。ああ、また雨なのかとため息をつく。覚えているだけでも5日は続けて雨が降っているはずだった。私は雨降りと同じくらい又はそれ以上の日数を寝込んでいて、すっかり意気地がなくなっていた。いったい何時からこんな風に病が治りにくくなったのか、と。ひょっとしたら此のままずっとこんな風に寝たり起きたりの生活になってしまうのでじゃないか、と。黒い路面を眺めながらすっかり暗い気持ちになった私は、半べそをかきながらもう一度ベッドに潜り込んだ。再び目を覚ますと空が晴れていた。いや、正確に言うと向こうの空が晴れていた。私の頭上にはおどろおどろしい灰色の雲が佇んでいるにしても、風に押されてそのうち青空になるらしかった。窓を開けると生ぬるい風。ついこの間までの冷たい北東の風ではなく、南西からの風だった。

人が働いている平日のこんな時間に遅い朝食をとるのは愉しく、同時に少し後ろめたいような気がする。病なのだから仕方がないが、そんな風に後ろめたく思うのは自分がまだ多少なりとも真面目な証拠だからだと気づく。もっぱら周囲から不真面目と窘められるこの頃だけど、いやいや、まだ私は多少なりとも真面目なのだ、と気をよくした。空になったコーヒーカップと銀色の小さなスプーンを洗っていたら目に入った、葡萄色の小さなキャンドルホルダー。もう15年ちかく私の元にある、女友達からの贈り物。

女友達との出会いは22年前、アメリカの海のある町だった。私よりも先にその町に暮らし始めた彼女は色んなことを知っていて、色んな人を知っていた。小さくて若くてエネルギッシュな彼女。私とは日本人である以外あまり共通点はなさそうだったがそのうち私たちは話をするようになり、互いの家を行き来するようになった。シックで有名な少し離れた界隈から私のアパートメントから歩いて5分とかからぬ場所に彼女が引っ越してきたからだ。この街で私たちが一緒だったのは僅か1年だった。彼女はまるで当り前なように日本に帰って行ってしまったから。大体私のように帰る予定がない外国人は私の周囲にはあまりいなかった。彼女が帰国して3年もすると私もボローニャに引っ越した。あれ程好きだった町を離れて大丈夫なのか、と彼女や様々な友人に心配されながら。そうしてボローニャに暮らし始めたら案の定難関ばかりが前に立ちはだかっていた。それに辟易してローマに仕事を得て飛び出し、再びボローニャに戻ってきたら新たなる難関にぶつかり、私はすっかりへこんでいた。そんな時期。時々小さな郵便物が届いた。それはあの彼女からで、時にはお菓子が、本のコピーが、そしてある日このキャンドルスタンドが届いたのだ。実にあなたらしいと思った、との言葉が添えられていた。片手くらいの大きさで金属の骨組みに透明の葡萄色の大きなビーズが施されていた。それを見て頷いた。ああ、彼女は今も覚えているのか、と。私はあの町に暮らして少しすると言葉のことで少し落ち込み、しかしある日決心するかのように思い悩みを捨てたのだ。その印にピアスの穴をあけた。ピアスの穴をあけるのはごく簡単で、2分とかからなかった。料金もたったの5ドル。私は有頂天だった。それから半年も経たぬうちに貯金の底がつき始め、ずっと探していた仕事も見つからず全く途方に暮れていた。一度日本に帰って出直そうか。でも一度帰ったら再び出てくるのは難しいに違いなかった。かといってこのままで居るわけにもいかず、ため息がついて出た。ある日の夕方、私は気晴らしに歩いていた。洒落た店が立ち並ぶ通りで、女友達たちとウィンドウショッピングを楽しんだ通りだった。あれはどの店だっただろう、間口の小さな店で小物ばかりを山ほど並べていた店。そこで好みのピアスを見つけた。耳穴に引っ掛けるワイヤースタイルのピアス。長さは3cmほどで葡萄色のビーズがいくつも連なったもの。私は一目で気に入り、もうすぐ日本に帰ることになるであろう自分への思い出の品のつもりで購入した。それをつけて友人たちに会うと誰もが褒めてくれた。とても私らしいとの評判だった。だけどそれを購入した理由を言うと、私がここを去れる筈が無いと言って誰もが笑った。そのうちのひとりが彼女で、誰よりもこのピアスを気に入り、誰よりも私がその町を離れられる筈が無いと言って首を横に振った。果たして私は町を去ることなく、知人のそのまた知人の紹介で数日後に仕事を得た。ああ、それにしても。彼女は同じような色合いの似たような印象のキャンドルスタンドを東京の何処かの店先で見て、私に贈ろうと思ったのだろう。私はキャンドルスタンドを窓辺に置いて時々あの頃のことを恋しがった。あれから幾度も引越ししては行方不明になり、少しすると思い出したように出てくる。キャンドルスタンドは今、キッチンの奥に横たわる鼠色の大理石の上に置かれていて、中には灯されることのないだろう海老茶色の卵形の蝋燭。私はそれを眺めながらあのピアスは一体どうしただろうと考えた。結局私の耳は大した金属アレルギーで、そのうち否が応でも穴をふさがねばならなくなった。それで手持ちのピアスは身近な人たちに譲った筈だけど、あのピアスは一体誰に譲っただろう。

懐かしいことを思い出した。毎日眺めていても思い出すことはなかったのに。少しメランコリーになってしまう。

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素敵な偶然

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外の雨。明け方の強い雨とは比べようもないほど静かな雨。窓ガラスに額をくっつけて目を凝らさねば見えないほど細かい雨は粒子と呼んでもよいほどで、これは雨ではなくて霧なのかもしれないと思うほどである。大窓から眺める景色。100メートル先までは視界が宜しいが、その先は白く煙ってもう見えない。その様子は初秋というよりも本格的な秋の風景で、今年もそんな季節になったのだと私の心に深く刻む。外は寒いらしい。窓を開けてみなくても道行く人々の装いを見ればすぐわかる。皆ジャケットを着こみ、ジャケットの前ボタンまでしっかり掛けている。ジャケットの中は長袖のシャツやセーターに違いない。もうそんな季節なのだ。この雨を喜んでいる人たちの顔をいくつも思い浮かべる。いつものバールの常連の80歳になる老人。トリュフやポルチーニが育つに必要な雨だったと雨を嫌う私にそういうに違いない。それから近所のマリーノ。老人ではないが若くはない。万年青年みたいな人で、彼もまたトリュフ獲得に精を出す。それも人が出動しない夜中に山へ行く。そういう彼のことを人々は命知らずと呼ぶ。夜中は猪が出現するので危険だからだ。猪につつかれたらば彼なんて一発でやられてしまうに違いない。だから皆が夜中は止めたほうが良いと窘めるが、彼は夜中の出勤が好みらしく、一向に時間帯を変更する様子はない。私と相棒はそんな彼から時々トリュフを分けてもらう。別にすごい友達でも何でもないのに。トリュフ丸ごとだったり、細かく刻んだものをバターに練りこんだものだったり。どちらも大変ありがたく、どちらも大変美味だ。だから、と言う訳ではないがマリーノには是非とも元気でいてほしい。彼が夜中の茂みの中で猪に遭遇しないことを遠くから祈るばかりである。

ところで秋になると私の食欲が目覚めだす。夏の間は草食動物みたいに野菜ばかり食べているが、少し肌寒くなるころからボローニャ食料品市場を徘徊するのが妙に楽しい。近頃はこの辺りのトルテッリーニの食べ比べが好きで、今日はあの店、次はあの店と、ふたり分を購入しては晩 に楽しむ。これが大変高価な食べ比べで、1キロ36ユーロもする。もっともふたり分だから200グラムもあれば充分すぎるくらいだから一度の出費は8ユーロにもならない。そんな食べ比べを楽しむ私を相棒は、もう少し経済観念を持たないと、とか何とかいうけれど、美味しいものを食べて満足出来たら人生は楽しくなるのではないだろうか。ささやかな楽しみなんだから、放っておいてほしいものだ。と、私は当分自己流美食的人生哲学を保ちながら、仕事帰りに食料品市場を歩き回るのである。だいたい相棒だってうまいうまいと喜んでいるではないか。私の中でナンバーワンの店は、魚屋の前のSIMONIという店。ここは店構えがひどく小さいのに何時行っても人が沢山いて自分の順番がいつまでたっても回ってこない。ま、それだけ良いものを置いているからということだ。10分も15分も待たされながら、誰もがそう我に言い聞かせている。

ああ、それにしても。ボローニャには美味しいものがいっぱい。この街に暮らすことになったのは単なる偶然だったけれど、まったく素敵な偶然だった。冬が長いとか閉塞感で息がつまりそうだとか文句を言いながらも、実は誰もがそう思っているに違いないのだ。


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夢の中で歩こう

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本当ならばトスカーナの何処かへ足を延ばすはずだった、3連休。今日は10月4日、ボローニャの聖人ペトロニオの日でボローニャ市は祝日なのだ。こういう聖人の日がどの町にも存在する。これはなかなか面白い、とボローニャに暮らし始めてそう思った。ほかの町の人にしてみればごく普通の平日なのにボローニャだけは祝日。だからどこかに足を延ばすのに最適な日、というわけだ。それが週末と続いたならば、これを利用しない手はない。グリッフェンへ行って以来、相棒は人生を楽しむことに再び積極的になったようだ。彼は何故なのか、我慢したり無理をしたりする性質で、その全く反対の哲学を持つ私と彼がどうして一緒に暮らすようになったのかと周囲の人が驚くほどだ。それは私自身も実は昔から思っていたことで、しかし、ま、いいさ、と放っておいた事柄なのだ。その彼がグリッフェンからの帰り道に10月4日の連休に何処かへ行こうと言い出したので、人間とはふとした瞬間にこうも変わるものなか、と驚いたものだ。それから様々なプランを挙げてみたが、その中からトスカーナのマレンマ地方か、シエナ周辺の丘に宿をとって彷徨うふたつのプランに辿り着いた。どちらも車でちょいと行けて、うまくすれば木曜日の夕方に出発することもできる。ところがどうやら天気が悪いらしい。それで宿泊するのはやめにして、もし雨が降らなかったら日帰り旅行でもすればよい、と話がまとまった。それで私たちはとても楽しみにしていたのに、数日前から相棒がひどい風邪を引き、それが私にうつった。私たちは祝日を目前にしてまったく残念でならなかったが、仕方あるまい、と病を治す連休になった。多分私は口で言うよりも心の奥底では深く残念だったらしい。昨晩は薬を服用して早めにベッドに潜り込んむとすぐに眠りについた。

子供のころ悲しくて泣きながら眠りについたことがあったが、昨晩の私は悔いをたっぷり含んだ溜息をつきながら眠りについた。その悔いは気を付けていたにも拘らず風邪を引いた愚かさ、それからせっかくの休みに外へ出ることができないことの悔いだった。幾度も目が覚めた。深い眠りについているはずなのに幾度も目が覚め、そのたびに窓の外を確認したが、いつまで経っても夜が明けなかった。幾つもの夢を見たが最後の夢は私が何処かの町を歩いている夢だった。それは楽しみにしていたトスカーナではなく、それからイタリアでもなかった。私が暮らしていた海のあるアメリカの町でもなければ、この夏帰省した生まれ故郷に日本の何処かでもなかった。でも何時だったか歩いたことのある町。色付いた美しい枯葉が路面を覆っていて、私はその上をかさかさと音を立てながら歩いていた。町の家という家、店という店のガラス窓は大きく、ピカピカに磨きこまれていた。大きい窓は太陽の光を少しでもたくさん取り込むためのものらしかった。大きな町で歩いても歩いても旧市街と呼ばれる地区を抜け出ることがなく、散歩好きの私には最適ともいえる場所らしかった。と、後ろから聞こえた音。チリリン。自転車のベルだった。ふと見ると私は自転車道を歩いていて、後ろからやってくる自転車は、どいてどいて! と警告しているのだった。私が歩行者道に身を移すと黒い古い自転車が横を通り抜けた。ふわふわカールの長い髪の女子学生だった。それを眺めながら自分が今いる場所が昨秋訪れたアムステルダムであると気がついた。そういえばこの道には見覚えがあった。そうだ、ここをまっすぐ行くと少し登り道になって、大きな運河にかかる大きめの橋があるのだ。それを渡って右手に行き、少し行った左手に、細い運河に面した感じの良いカフェがあった筈。私は自分の記憶を辿りながら歩いていくと、果たしてそのカフェがあった。あの日入ろうかと思いながら入らずに通り過ぎてしまったカフェ。私には用事みたいなものがあって先を急いでいたからだ。

目が覚めて顔をつめたい水で洗って朝食をとった。そういえば確か写真を撮った筈だと思い出し、カッフェラッテを飲み終えるなり写真を探した。あった。そうだ、思い出した。店の前にはチェックのシャツを着た人が座っていて、写真を撮る私を珍しげに見ていた。こんなところを写真にとってどうするんだい? みたいな感じで。思うに私はそのカフェに関心を持ちながら足を一瞬止めて眺めただけで素通りしてしまったことが心の何処かに引っかかっていたらしい。そうでもなければこんな夢を見るはずもない。ふと再びアムステルダムを訪れたくなった。昨秋二度続けてアムステルダムを訪れたことで、私の周囲は小さな疑惑を抱いている。もしかしたらアムステルダムに素敵な恋人でもいるのではないか、と。それと同時に、いやいや、彼女のことだから結婚しているうちは他所に恋人など作るはずがない、と安心もしているようだけど。だけど相棒を心配させないために、暫くアムステルダムに行くのは控えたほうがよい、とご親切なアドヴァイスを頂いたいて、それを忠実に守っているのだがそろそろよいのではないか。一年過ぎたことだし。無論、この風邪が治ってからのこと。無論、暫くは休暇など取れそうもない。クリスマスのひどく寒い時期まで。でも楽しみがひとつ増えたことには違いなく、さあ、もう一眠りしてアムステルダムを歩く夢でも見ようか、とベッドに潜るのだ。


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秋の美味しい

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朝晩の冷え込みは格別だ。長袖のコットンセーターに風から身を守る軽いジャケットが必要だ。ついでに言えば首元にスカーフ。今から風邪を引いてなどいられない、と人々はとても用心深い。時々、半袖姿で街を歩いていて大きなくしゃみをしている人を見かけるが、ああ、駄目駄目、とそれを遠巻きに眺めながら周囲の人々は首を横に振るのである。思うに私は少し寒いくらいが好きだ。または少し暑いくらい。中間よりもう少し…というのが好きらしいのである。ちょうど今がそんな感じで、この瞬間を大切にしなくては、と思う。瞬間。そう、あっという間に過ぎてしまうような瞬間だ。

さて、ジェラートは少し涼しくても少し寒くても美味しいものだ。夕方、いつものジェラートの店に立ち寄った。いつもの、と言っても私にはいくつかの常連の店があるのでどれも此れもいつもの店と呼ぶわけだけど、今日のは塔の前をまっすぐ走る大通りと並行に走る道に在る、VENCHIだ。ここは仕事帰りにとても良い。13番のバス停がひどく混んでいてうんざりしているときはこの店に駆け込む。そうしてジェラートを頂いてご機嫌になったところでバス停に戻ると、人がすっかり少なくなって都合がよい。それにこの店には私の気に入りがある。元々チョコレートの店として有名なのだ。だからチョコレートの美味しいことと言ったら!ラム酒がたっぷり入ったチョコレート。これは冬になると毎日欲しくなる。それから栗のジェラート。これは秋冬限定。私はこれを食べたくて店に立ち寄ったのだ。数日前のことだ。ジェラートを注文しようとしたらいつもの女の子が耳打ちしたのだ。お客さん、栗のジェラートは10月初日から店に登場しますからね。彼女は覚えていたようなのだ、昨秋冬じゅう、私は店に来るたびに栗のジェラートを注文していたことを。私はそれに応えるように白い歯を見せて笑うと、彼女はうん、と深く頷くのだった。彼女はなかなかいい。初めのころは愛想がなくて全然つまらない印象だった彼女。今はとてもチャーミング。私たちは互いの名前を知らない単なる店員と客のひとりだが、ほかに客が店にいないような夕方は時々お喋りするのである。亡くなったルーチョ・ダッラのこと、最近シックなカフェが改装したかと思ったら、中で働く人たちが総入れ替えしてちょっと驚いたこと、隣の本屋で小説家のトークショーがあるために少し前まで店の前は大混雑だったこと。そうして私がジェラートをすっかり食べ終えると、それではまたねと話はお開きになるのだ。私が栗のジェラートを好きなのをよく覚えていたものだと感心しつつ、私はそんなに毎回栗のジェラートばかり注文していたのかと苦笑する。それで今日は栗のジェラートを満喫した。いつもなら二種類のジェラートをカップに入れてもらうけど、今日は栗だけ。今日はいつもの彼女は休みらしく、男性が注文を聞く。味は何にしますか、と訊ねられ、栗、と答えると、そして?とまた訊かれる。それで栗と答えると、栗だけでいいんですかと驚く。それで私は答えるのだ。そう、栗だけでいいんです。半年も待っていたんだから! と言うと奥からいつもの彼女が出てきて、ああ、このお客さんは栗が好きなのよ、と言って私に小さなウィンクを投げた。私もそれに応えるように白い歯を見せて笑った。ウィンクが苦手だからだ。早く言えば片目を瞑ると両目が閉じてしまうからだ。

それにしてもなんて美味しいの。待ちかねていた栗のジェラート。暫くここに通い詰めることになりそうだ。


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