来る秋

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帰りのバスから毎日眺める緑色の建物。8月末まではスイカとメロンを食べさせる店だったが、9月の声を聞いた途端店先をきっちりと閉めて小さな看板だけを残した。10月の焼栗でまた会いましょう。そんな短い書き残しだった。10月といっても10月1日開くかどうかのギャランティはない。そんなところがこの店らしく、ここが再び開くのを待つ私たちを大いに焦らせてくれるのだ。考えるだけでもわくわくするではないか。熱い焼きたての栗に赤ワイン。寒いのは嫌いだけど、寒い時にしか味わえない楽しみもある。明日には9月が去っていく。入れ替わりに10月がやってくれば、あっという間に冬になるだろう。私がいつも願うのは、一日も長い秋。目を離している間に去るのではなく、私たちの目と心を十分満たして欲しいのだ。銀杏木の葉が黄色くなり、音を立てながら葉を落とす様子。銀杏の実が落ちて、それを拾う人たちの姿。重い外套を着る前の軽やかな装い。短めのトレンチコートに小さなシルクのスカーフを首に巻きつけて、颯爽と歩く女性たち。夕方の寄り道。いつもの店での立ち飲みワイン。暗くなるのが早くなったねと言いながら、かといって夕方の寄り道をやめる人はいない。暖かい季節の白のスパークリングワインから深みのある赤ワインに人々の嗜好が移るのが秋。秋の楽しみを数え始めたら、両手がいくつあっても足らないくらいだ。だから、一日も長い秋でいてほしい。

先日、街を歩いていたら聞こえてきた音楽。ビートルズだった。私は急いでいたのにぴたりと足を止め、聞き入った。
何時だったか、姉が私に言った。どうしてあなたは外国に暮らすようになったんだろう。私がまだアメリカの海のある町に居たころだったか、それともボローニャに暮らすようになってからだったか、今思い出そうとしても思い出せないが確かに彼女はそう言ったのだ。あの時私は答えが見つからなかった。だけど、今ならばきちんと答えられる。お姉さん、それはあなたがうちに連れてきたビートルズの音楽が発端だったのよ。姉がある夕方、友達から貸して貰ったと嬉しそうに言いながら帰ってきた。輸入盤のレコードだった。ビートルズなの、と言うと姉はカバンを置くなりレコードをかけて聞き入った。まだ小さな子供だった私には異国の言葉はわからなかったが、音の流れは気に入って、それから姉と一緒にビートルズを聞くようになった。輸入盤には歌詞カードがついていない、と言って姉はいつも耳を凝らしながらノートに歌詞を書き留めていた。それはたいそう大変な作業に見えたが、姉はそうしてでもボートルズの歌を知りたかったようだった。ビートルズは既に解散していて姉はひどく残念がったが、私はそんな解散したビートルズの音楽をまだたくさんの人が好んで聞いていることに感激した。ビートルズっていったいどんな人たちなのだろう。そんなことを考えながら彼らの音楽を聴いた。多分あれが私の外国へと心が向いた発端。同じ時期にビートルズを聞いていた姉は、しかし外国に興味を持つことはなく、ついでに聞かせてもらった妹に影響を及ぼした。姉がもう一度同じ質問をしてくれたら、私はこの話をしてみようと思う。
考え事をしながら音楽を聴くのは危険だ。私は路上に足をとめながら口ずさんでいたらしい。音楽が聞こえる窓の主が窓から顔を出してもの珍しそうに私を眺めていた。照れ隠しに私は大きな笑みで顔を満たして、この歌好きなのよ、と言って歩き出した。すると後方から声がした。窓から顔を出した音楽の主が、僕もだよ、と言っていた。

ボローニャにやってくる秋。でも同じ秋などありはしない。昨年は昨年の、今年は今年の新しい秋。しばらく凝り固まっていた思考と心を自由にして、来る秋を楽しみたいものである。


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桃とポルチーニ

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今暮らすアパートメントのテラスは南西と北東に備え付けられたふたつを合わせても以前住んでいたピアノーロの家のテラスの半分にも及ばない。それは仕方のない話した。あれはあの辺でも数少ない広いテラスで、そもそもあの家に決めたのもテラスが目的だったのだから。あのテラスは庭のないうちにとってみれば地面でこそないけれど、庭と同じ存在だった。そのテラスの中でも一番日当たりが良くて風通しの良い場所に金木犀を置いていた。今頃になるといい匂いを放ち、テラスへと続く大窓を開けるのが楽しみでならなかった。その金木犀の鉢は引っ越しの中で一番厄介な存在であった。のびのびと枝を広げていた金木犀。さんざん悩んだ挙句、このまま置いて行こうと相棒は言ったが、宥めすかして説得して、最後は無理やりお願いしてボローニャに連れてきた。今金木犀はアパートメントの敷地の一角に置かれ、太陽をふんだんに浴び、緩い風にそよぐ。あの時そんなことを言ったのも忘れて、相棒は言う。いい匂い。今年は花を沢山つけて今までになくいい匂いだ、と。そして人が匂いに誘われて訪れるたびに解説する。これは僕の妻の木でね、金木犀と言うんです。イタリアにはあまりないんですよ。ひどく自慢げな相棒を横目で見ながら、私は笑いが零れて止まらない。この木は本当に人気者。そういう私も大した自慢げなのだけど。

9月下旬ともなると晩が早くやって来る。勿論それも冬に比べたら大したことではなく、だいたい仕事を終えて外に出る時間の空がまだ明るいのだから文句などはひとつもない。ただ思うのだ。確実に夏は終わって秋になったこと。時々驚くほど暑い日があるにしても。私の大好きな桃も時期に青果店から姿を消すだろう。それと入れ替わりに艶々の栗が登場して、それからポルチーニ茸が恭しく籠の上に並べられるのだ。私がローマ生活に終止符を打ち相棒の元に戻って再びボローニャに暮らし始めたのはこんな季節だった。後にしたローマの午後はまだ暑くて、長袖など来ている人は誰もいなかった。それなのにボローニャときたら半袖姿は探すほどしかなくて、ここが北に位置していることをそんな形で感じたものだ。私たちがアパートメントを借りたのは旧市街から歩いて10分ほどの場所だった。バスも頻繁に通っていたが雨の降らぬ日の昼間は歩くほうが好みだった。家の近くには小売店が連なっていて、旧市街とは反対方向にあるコープへ行かずとも大抵のものが手に入った。姑は小売店で買い物する私にそれとなく言うのだ。高いのにとか、何とか。でも私は小売店が好きだった。何故なら買い物するのにいやでも言葉を交わせねばならなかったからだ。それからいいものが並んでいる。野菜にしても果物にしても。それからその数年後に店を閉めてしまった鶏屋さんの肉、そして卵。そんな新鮮で味の濃いものはコープでは見つけることができなかった。鶏屋さんの他に私には贔屓の店があった。青果店でバスの停留所背後にあった。いつも人が順番を待っていた。だから自分の番が回ってくるまで10分も待たねばならなかった。待つのが嫌いな私がそれでもじっと待つことができたのは、この店の青果が驚くほど美味しいからだった。待つ価値あり。長く待たされてうんざりした時は、そんな言葉を思い出して、もう少しの辛抱だからと自分を宥めたものだ。ある秋の日、店の中に幾種類もの茸が並んでいた。ひとつは日本のシメジによく似ていて、ひとつはえのきに違いなかった。そしてポルチーニがあった。自分の順番が回ってくるなり店の人に質問した。これはポルチーニでしょう? すると髪の短い店の娘が大きな目を更に大きく開いて、そうよ、と答えた。色んな食べ方があるわよ。パスタに絡めるのもおいしいし、網でそのまま焼くのもいいけれど、私はやはり衣をつけてからりと油で揚げたのが好き。彼女はそんな風に調理方法を教えてくれた。私は彼女が言った油でからりと揚げるポルチーニをどうしても食してみたくなり、思い切って大きいのをひとつ購入した。ほら、いい風味でしょう?店の娘がそう言いながら、柔らかな紙につつんでくれた。あの晩のポルチーニはとびきりだった。聞きかじりのまま試してみたポルチーニを揚げたもの。いうなれば天ぷらだけど、衣が薄いので天ぷらとは少し違う。サクサクした歯ざわりはちょっと言葉では表現できない。結局私たちはあのアパートメントに10年暮らし、そしてピアノーロに移った。必然的に私はあの店に行くことはなくなり、店のことも彼女のことも思い出すこともあまりなく7年ほど過ぎた最近、あの界隈に用事があって店の前を歩いていたら小さな店内できびきび働く彼女と目が合ったすると客の注文の林檎を袋に入れる手を休めて言ったのだ。あら、あなた、覚えているわよ。急に姿を見なくなったから故郷に帰ってしまったのかしらと思っていたのよ。元気そうねえ。私を覚えていたとは驚きだった。それはね、あなたが家で唯一の日本人客だったし、それにあなたくらい桃が好きで桃が出回り始めてから終わるまで買う客はいなかったもの、そりゃあ覚えているわよ。それに10年くらい通ったでしょう、うちの店に。私の驚きの顔を見て彼女がすかさずそう解説した。私は思わず、あっはっはっと笑い、彼女も店の奥にいた彼女旦那さんも笑った。また時々立ち寄ってよ、と言って手を振る彼女に、うん、また近いうちに来るわ、と答えて立ち去った。それにしても私の桃好きをこんなところで覚えている人がいたとは。ふーん、それにあの店、今も繁盛しているのね。近いうちに立ち寄って、そうだ、奮発してポルチーニでも購入することにしよう。


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感性

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驚くほど眩しい朝の光。週末がこんななのは私にとっても、そしてボローニャ中の誰にとっても嬉しいものだ。何処かから車のクラクションの音が聞こえてくる。この尋常で無い鳴らしかたは、多分結婚のお祝いのクラクションだ。こんな天気の良い日に結婚した出来立ての夫婦は、気持ちも一際輝いているに違いない。この太陽の光のように。私の若い小さな友達が昨年9月に結婚した時もこんな天気の良い日だった。教会で行われる結婚式は夕方だったけれど、その時間になっても気温は一向に下がらなくて少々困ったのを覚えている。何故なら誰もがもう少し、涼しい一日になることを予想していたから。しかも夕方ともなれば涼しい風が吹くに違いないと睨んでいたからだ。それにしても9月は良い。昔から9月という月が大好きだったが、何年経ってもその気持ちは変わらない。

ボローニャ辺りの学校がようやく始まって朝の交通渋滞がひどい。ボローニャ辺りの、と書いたには理由があって町によって州によって地方によって始まる日が様々だからだ。そんなことにもいちいち驚いていたあの頃が懐かしい。見るもの聞くことがすべて新鮮で、その都度驚く私を周囲はどんなふうに見ていたのだろう。そんな風に言うと長く暮らすようになって驚くことはもうないように聞こえるがそうでもなく、ここには驚くことはキリなくあるようだ。例えば旧市街のいつもの青果店で大蒜をひとつ注文したら自分の握りこぶしの倍もある大きいのが出てきたり。小さな驚きは案外どこにでもあるもので、ただ、それに驚く感性が自分の中にあることが大切。もしそれが無くなってしまったら、私という人間は大して面白味のない人間になるに違いない。だから、という訳ではないけれど私は歩くのが好きだ。歩いては立ち止まり、時にはそこに居合わせた他人と言葉を交わしたり、思いがけず中にこっそり入れて貰えたり。先日、前から目をつけていた紳士服の店に足を遂に踏み入れた。9月の初めの週の水曜日まで店先のガラス越しに置かれてあった美しいスカーフのことについてどうしても訊きたかったからだ。姿を消したのは売れてしまったからなのか、それとも翌日の木曜日から秋物に様変わりしたショーウィンドウから単に姿を消しただけなのか。何しろ紳士服の店なので入りにくくて暫く迷っていたのだが、心残りにならぬようにと意を決して中に入った。そこは思いがけず、外見よりもさらに高級な雰囲気の店だった。高級、いや違う。洒落心を持つ男性だけが、そしてそれにはお金に糸目をつけない男性だけが入るような感じの店だった。だからころりと重い扉の隙間から転がり込んできた小さな見るからに外国人の私に店の人は目を丸くしていた。店内は外から見るよりも広く、恐らくはふたりほどで切り盛りしているに違いないと思っていたのに店員が6人も7人も居た。奥から丁重な感じで男性が出てきて私の要件を訊いた。それで9月の初めに見たガラス越しに置かれていたスカーフの話をすると、うんうんと頷きながら人差し指を立てた。成程、分かりました、お待ち下さい、と言うことらしかった。彼は上の階に続くなだらかな階段を上がっていくと、両手に抱えきれないほどのスカーフを持ってきた。その中の一つを指さして、これです、と私が言うと彼はスカーフを広げて見せてくれた。大判の、綿麻のスカーフ。聞けば今ならこの値段にできますと言う。私はそれを手に取って、薦められるままに首に巻きつけてみると顔色にぴたりときた。しかもこんな感じのは私の多くのスカーフのコレクションにはひとつもない。これは運命、それとも出会いか。売れ残りと言えば聞こえが悪いから、私のために売れずにいてくれたと思うと気持ちがよく、私はこの運命と出会いを後者と理解して財布を開くことにした。ところでこの気持ちの良い接客をする男性は私が思うに、奥にいる老紳士の息子である。よく似ているし、価格を自分で決めてしまうところが私にそう推測させた。私は彼の良い接客に感謝しながら、ひとつお願いしてみた。それは先程ちらりと見えたガラスの向こうの中庭のこと。この建物が中世のものであることはボローニャの誰もが知っている。歴史的建物だ。しかしその中に入れる人は限られていて、特に中庭を見ることができるのはこの建物にいる人だけの特権みたいなもの。お願いされた彼は、一瞬驚きながらも勿論だと言いながら私を中庭の見えるガラスのところに導いてくれた。と、カラス戸を開けてさあどうぞと中に招いた。あっ。それは小さな中庭で、しかし手入れがされていて美しく、真ん中に古い井戸が存在した。井戸はもう単なる飾りで随分前から使えないそうだ。ほら、あんなふうに補強しておかないとガラガラと崩れ落ちてしまうんです。この建物も井戸も1400年代のものですから。彼はそう説明しながらこんなことに興味を持つ私に関心を持ったようだった。それで私が古いものが好きで、しかしなかなか見る機会を得ることができないこと話すと、確かに、確かに頷いた。私は庭をすっかり堪能すると彼にお礼の握手を求めて店を出た。

ボローニャの良いところは相手が妙な人でないと分かると一気に分厚い扉を開けて招き入れてくれることだ。そうして知らなかった様々を教えてくれる。これだからやめられない、ボローニャ暮らしは。だけど重要なのは自分が扉をたたくこと。それから興味心を失わないこと。ずっとそんな風でいたいと願う。


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丘の上

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夜がやって来るのが早くなった。仕事を終えるころの空はまだ明るく、夕方の自由な時間を楽しもうとウキウキと足取りも軽いのに、14番のバスに乗って旧市街にたどり着くころになるといつの間にか夕暮れ時らしくなり、ちょっとワインなど頂いているうちに夜の気配が漂い始めるのだ。面白いもので夜遅いわけでもないのに家に帰らねばならないような気分になる。若しくは家に帰りたいような気持になる。夕暮れ時というのはそんな魔法があるのかもしれない。日曜日の雨は案の定涼しい空気を運んできた。朝の涼しいことと言ったら。街を歩く人たちは早くもジャケット姿。もちろんそんなに重いものではなく、例えて言えば風除けみたいなもの。私はジャケットは羽織らないが、首元が涼しくてどうしようもない、ということで薄い大判のシルクのスカーフを無造作に首にぐるぐる巻く。そうすると面白いうことにジャケットを着ているくらい暖かく、そのうえ安心感があるのである。首元をしっかりカバーしているから大丈夫、と。もちろん長袖が宜しい。こんな素敵な季節に風邪など引いていられない。バスの中や旧市街には時々未だに袖なしシャツ姿を見かけては其の元気な様子が羨やむ。私も20代の頃は秋口まで半袖を着てさっそうと街を歩いていたものだけど、しかし、そういう時代は終わったのだ。今は少しくらい暖かいくらいがよい。

先週、南オーストリアの小さな町グリッフェンを発った朝、このまま真っ直ぐボローニャに戻るのは何となく勿体ないような気がして、私たちは地図を片手に車で彷徨った。聞いたこともない町ばかり。もっともこの辺りの町のどれも聞いたことがなく、大体グリッフェンだって聞いたことのない町の名前だった。とにかく天気が良かったし、とにかく空が青かった。と、左手の遠く遥か向こう側に小高い丘があるのを見つけた。目を凝らしてみると天辺に何かがあった。城だった。あ、あそこに行こう。喜んで相棒を促すが、相棒ときたら車で頂上まで行けるはずがないという。彼は車での移動が好きなのだ。裏返してみれば彼は歩くのが苦手なのである。しかしどうやら彼も丘の上の城に興味が湧いてきたらしく、どこまで車で行けるかとにかく行ってみようということになった。丘の4分の1まで行くと城へと続く道をふさぐような形で入口があった。ここから有料らしく、ここから徒歩、若しくはケーブルカーを利用するようになっていた。ケーブルカーが急な斜面に沿うようにして高速で上り下りする様子は驚きだ。見ているだけで貧血を起こしてしまいそうな怖さだった。それだからなのか多くの人は徒歩を選び、でこぼこの道をゆっくり歩くのを堪能するかのようにしてひたすら頂上を目指して歩くのだった。私たちがようやく頂上にたどり着いたのは1時間も掛かってからだった。それほど長い道のりではなかったが、何しろ興味深いので止まっては歩きで1時間も掛かってしまったというわけだ。頂上には思いがけず小さな博物館が設けられていて驚くほど保存状態の良い1500年代後半からの剣やら衣類とか書物とか様々が展示されていた。私が興味深く思ったのは当時の城に暮らす人々の絵の数々で、なかなか前に進むことができなかった。小さな博物館に1時間もかけてやっと中庭に出てくると、年配の夫婦が互いの写真を撮っていた。年の頃は70くらいで小奇麗にシンプルに纏めた装いと真っ白の髪に好感を持った。私は近づいてふたり一緒の写真を撮りましょうかと申し出ると、妻のほうは遠慮したが夫のほうが、いやいや是非お願いしますと言って喜んだ。私は彼らの写真を1枚撮った。妻のほうは引っ込み思案らしい。それとも東洋人と接したことがないのかもしれない。始終口をつぐんでいたが、夫のほうは全く陽気で、いやあ、僕たちはドイツからの旅行者でね、と言い、それであなたは何処の人なの? と私に訊いた。私が日本人であること、でもボローニャに暮らしていることを伝えると、おお、ボローニャか、と喜んだ。それはいい、あの町は食事が期待できていい、と付け加えたところを見ると彼らはボローニャに来たことがあるのかもしれなかった。彼らと別れ、中庭のテーブルについてカッフェを頂いていると、城の人が近づいてきた。ほら、あの上の部屋はレストランになっていてね、と指差した。夜のみ店を開けるそのレストランはとても雰囲気があり、満月の晩には演奏を聴きながら食事を楽しめるのだそうだ。一度満月の晩に来てみたいものだと思いながら、私たちは城を後にしたのだ。楽しかったあの日。足が疲れて大変だったが楽しかったと相棒も嬉しそうだった。

私のテラスから見える満月は白く光る真珠のようだ。あの城のレストランでは演奏会が開かれているのだろうか。あの分厚い壁に小さく取り付けられたガラス窓からも、同じように美しい白く光る満月が見えるのだろうか。一瞬中世に引き戻されて過ごす城での満月の晩。今夜はそんな夢でも見ることにしよう。


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雨が降る

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日曜日に雨が降ると少し淋しい気分になる。私だけなのかと思えば、女友達からメッセージを貰ったら彼女もそんなことを呟いていたので、どうやら雨とはそういう気分にさせるものらしいと確認した。と、思い出した。

旅行中に降った夜中の雨。グリッフェンに到着して、22時を回ってからのことだ。宿の下の店で夕食を済ませ、ああ、今日は長旅だったね、しかしこの町の人たちの夕食時間は驚くほど早いね、19時前に夕食を頂くなんてねえ、と部屋に戻って一息ついた頃だ。雨の気配を感じて窓の外を見たが、あまりに暗くて何も見えなかった。この部屋の窓は裏の庭に面していて、庭の先には岩でできた丘の大きな壁があるだけだった。庭を明るくする理由もなく、そんな訳で日没後は真っ暗闇になるのだ。怖いと思うことはなかった。何しろ治安の良い町で、町人たちが信頼し合って生活しているような印象があったから。とにかく何も見えない。しかし雨の匂いがした。土が雨に湿った匂い。私の大好きな匂いだった。窓から腕を出して、雨が降っているのを確認した。ああ、雨が降ってしまった。折角の旅行に雨とは。私は少し残念だったが、ここでがっかりしてはいけなかった。ああ、夜でよかった。明日の朝にはきっと止むに違いない。私は自分を元気づけるように声に出して言ってみたら、本当にそんな気がしてきてた。その雨は夜中に向けてさらに激しい降りとなった。何故そんなことを知っているかといえば、雨音があまりに心地よくて、眠るのも忘れて聞き入っていたからだ。ボローニャから遠く離れた小さな町の宿で聞く雨音は、私に大きな安堵をもたらした。淋しくない雨。静かな気持ちにさせる雨だった。いつの間にか眠りに落ちたようだ。目が覚めると朝だった。カーテンを開けると雨はつい先ほど止んだらしく、地面はまだ濡れていた。しかし遠くの空に太陽が見えた。厚い雲に時々隠れたりしながらも。朝食のために下の階に降りると、年配の女性が元気に言った。おはようございます。このくらいのドイツ語ならば私も知っている、と私も元気に挨拶を返す。店の入り口から入ってくる冷たい空気。ふと店を見回すと皆暖かい装いをしていた。夜中の雨が秋を運んできたらしかった。実際は秋ではなく、9度という、寒がりの私には初冬のような寒さだった。しかし雨に洗われて緑の濃いこと。しっとりと。そんな言葉がよく似合う。

ふと、窓の外を眺めながら、まさかボローニャもまた急に秋がやってくるのではあるまいか、と心配する。涼しくなるのは有難いが願わくはもう少しだけ9月の素敵な気候を楽しませて貰いたいのである。


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