静かなカフェ

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ボローニャに帰ると早々に夕食に誘われた。たった2週間しか経っていないのに友人達は私が何処か遠い国に行ってしまったような気がしたらしく、私が帰ってくるのを首を長くして待っていたそうだ。それで夕食の誘いに乗ると、彼らはまるで宝くじを当てたみたいに大喜びした。理由はいまひとつ分からないが、会えることを喜んでくれるなんて嬉しいではないか。そうして車を北のほうに40分も走らせて彼らの家を訪ねた。一番初めに飛び出してきたのは私の女友達。そして大好きな、彼女の犬。尻尾を大きく振って喜ぶ犬を見ながら、君も喜んでくれるのかと感謝する。家の中では家の主がキッチンに立ち、腕を振るって料理していた。やあ、やっと帰ってきたね、と言う言葉に、私はふと不思議な気持ちに陥った。それは私が日本の地を踏んだときに思ったことで、しかしボローニャもまた私の家に違いなく、成程、自分には戻る場所がふたつあるのだなと今更ながら発見したのだ。彼らの日本への好奇心は限りなく深く、しかし説明するたびに分からないと首を振る。それもその筈、私にとって当たり前のことも彼らにしてみれば想像の外の文化であり習慣なのだ。彼女の要望で写真を披露した。私の目に映った日本の美や、新鮮と感じたものや情景は彼らにとっても興味深かったらしく、いちいち説明を加えねばならなかった。何もかも違うのね、と言う彼女に彼が言う。そうさ、だから日本からイタリアに来ると何もかもが違って見えるのさ。それが文化や習慣の違いであって、だけど面白いことに同じ地球上に存在するんだ。横でそんな会話を聞きながら、なかなか良いことを言うと感心する。そうだ、同じ地球上に存在するのよ。そんなことを心の中で幾度も繰り返して言ってみた。彼らが一番喜んだのは浅草の履物屋の店先に並んだ下駄や草履の陳列写真だったが、私が一番好きなのは別にあった。
それは六本木の国立新美術館内のある静かなカフェだ。義兄が丁度ふたり分招待状があるからと言って、入場券をくれたのだ。それで姉が六本木へ行こうと提案したのだ。絵をやめてからもう何年も経つ。その間美術館へ足が遠のいて、片手ほどの回数しか訪れていない。美術館へと歩く道の途中で姉がふと思い出したように突然言った、また絵を描けばよいのに、と。まったく違う絵を描いてみるとよいと言った。あなたには面白い個性があるのだからと付け加えて。私はそのどれにも返事をしなかったが、あれから何年も経って、その間一度もそのことに触れなかった姉が急にそんなことを言ったことに内心酷く驚いていた。姉は姉なりに、私のことを遠巻きに見守っていたのだろうか。そうだとしたら、私は姉が言うように、もう一度絵筆を持ってみても良いと心の隅っこでそう思った。義兄がくれた入場券は何とひと月先のものだった。私たちは義兄の不注意が酷く可笑しくて、暫く口もきけぬほど笑った。大体私たちだって気が付かなかったのだから、まったく間抜けな話だった。しかし折角だからと私たちは他の展示を観賞してよい時間を過ごした。開館時間からあまり経っていなかったため、空いていて静寂だった。観賞を終えて踊り場に出たところで見つけた。階下に広がるカフェの空間。悠々と広がる、よく磨かれたハードウッドの床。その上に丁度良い間隔で美しく並べられた丸テーブル。テーブル席に着く人はまだ少なく、声も音も聞こえてこない。姉はそれを見慣れているのか、あまり大した感動も無く、しきりに感心しては喜ぶ私を横目で不思議そうに眺めるばかりだった。ボローニャには無い空間。静寂な空間。私もその一部になりたいと願ったが、姉には姉のプランがあった。すぐそこにある大変美味しい中華料理店に連れて行きたいとにことだった。孫さんの手料理なんだけどね、と姉が嬉しそうに話し始めたので、この情景の一部になるのは2年後のお楽しみとなった。それも良い。次回のお楽しみ。午前早くに絵を鑑賞して、静寂きわまるカフェで休憩する。人に言えばそんなつまらない楽しみと言うかもしれないけれど。それにしても、この日私は気が付いたのだ。姉は姉にしかない方法で私を遠巻きに見守ってくれていたこと。それに気が付いて私は嬉しく、心の中で嬉し泣きした。家族とはそういうものなのかもしれない。姉妹とはそういうものなのかもしれない。

私が日本から持ち帰った手土産のカステラの繊細さ、口の中で溶けるような美味しさに友人達は驚嘆し、夕食会は夜中過ぎまで続いた。ああ眠い、と一番初めに席を立ったのは私。その次は妊婦の彼女。美味しかった、楽しかったと幾度も別れの挨拶のキスを交わした。夏休みの締めくくり、締めくくりの儀式みたいな夕食会。私は今も時差ぼけに悩み、口数が少ない。時差ぼけはいつものこと。口数が少ないのは帰省後によくあるホームシック、みたいなものだ。それも明日から仕事が始まれば、いつもの生活に乗るだろう。

ああ、夏休みが終わっていく。


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浅草散策

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目を覚ますとボローニャだった。短い滞在であることは承知の上。しかし11日間という日数が、こんなに早く過ぎてしまうとは。長く帰省していないと感覚が麻痺するらしい。家族に会いたい気持ち、祖国の地を踏みたい気持ち。私が10年日本に帰らずに済んだのはそんな理由もあるらしかった。しかしそれも一度帰ると、またすぐに帰りたくなる。2年前に帰ったばかり、だから大丈夫、と思っていたのに帰省前の一週間はそのことで頭が一杯だった。そうして祖国の地を踏んでみるとそれが当然だったように思えて、それが日常のように思えて、あれもこれもと考えていたのに何となく過ぎてしまう。けれども私の家族は大変だったに違いない。私の11日間が充実したものになるようにと、あれこれ工夫してくれた。

浅草へ行った。日本らしい場所、と言うことで姉が提案したのだ。蒸し暑い8月に浅草は体力との勝負。手持ちのハンカチで額を何度も拭きながらの散策だ。暑い。しかし面白い。大通りから一歩外れると昔ながらの路地。玄関先にほうずきの鉢が置いてあったり、軒下に風鈴が吊る下げてあったり。同じ観光地でも京都や鎌倉のような感じは無く、実に普通で味わい深く、背中の汗が流れるのも忘れて歩いた。大通りに連なる小さな店の様子も良い。外国人が喜ぶわけだ。日本人の私が見ても面白く、時間が幾らあっても足らなかった。浅草。次の帰省のときも足を運びたい場所。


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素敵

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雨が降った。雨が降ったのは一昨夜のことで、そろそろ眠ることにしようかと思い始めた頃だった。雷音が次第に遠くなり、もう聞こえなくなってしまったと思った途端ぼつぼつと音を立てながら雨粒が落ちてきたのだ。あっという間に地面が濡れて、懐かしい匂いがした。土の匂い。乾いた路面が濡れたときの匂いだった。風が冷たかったので、窓を閉めて眠った。久しぶりのことだった。あれから少し涼しくなった。。淀んでいた空気が一掃されたらしく、空が美しい。夏が過ぎようとしている空気に似ている。勿論そんな筈は無いのだけど。

ついに夏休みになった。嬉しすぎて何と表現したらよいのか分からぬほど嬉しい。と言ったらみなに散々笑われたけれど、そういうことって時々ある。知らぬ間に沢山の緊張を体内に溜めていたらしく、昨晩は泥のように眠り、気が付いたらとっく時10時を過ぎていた。しかしそんな朝も有って良い。何しろ夏休みなのだから。深呼吸して体の力を抜いて英気を養うのが良い。天井を見上げると、居た。私の素敵さんたち。てんとう虫が二匹。天井に備え付けられた照明の近くと、そして部屋の隅っこ辺りに。この家に暮らす前に一度様子を見に来たことがあった。テラスに続く大きな窓を大きく開いたら虫が素早く入ってきて私の手の甲に止まった。てんとう虫だった。虫がすっかり苦手になった私は一瞬驚いて手を振り回したが、てんとう虫は驚いた様子も無くふわりと飛び上がり天井に着地した。そのうちもう一匹が外から舞い飛んできて、それからずっと私たちと同居である。ねえ、まだ居る。と言う私に相棒が答える。てんとう虫が家に居るなんて素敵じゃないか。・・・・・そうかしら、と戸惑う私に相棒が言う。そうだよ、だっててんとう虫だよ。何を根拠にそんなことを言うのか知らないが、ちょっとその言葉には説得力があり愉快な気分にさせるので、うちではそういうことになっている。

それにしても夏休みだ。明日の今頃は飛行機の中。長い飛行時間に辟易しながら、しかし久しぶりに見る家族の顔を思い浮かべては笑いが止まらないに違いない。


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遠い雷

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暑い日が続き、いったい何時までそんな天気が続くのかと途方に暮れ始めた頃、雨の予報を耳にした。と言ってもロンバルディアやピエモンテ辺りのことで、北イタリアとは呼ばれながらも限りなく中部イタリアに近いボローニャ辺りには雨雲は及ばないようだった。しかし煙草屋のジャンニに言わせれば、それでもきっと気温が下がって安堵の溜息をつくことになるに違いない、とのことだった。数日前、職場の冷房機が故障したときはどうしようかと思った。外は38度を越える暑さで、しかし屋内もまた33度を越えて座って仕事をしている場合ではなかった。暑い、ああ、暑いと何度訴えたことか。翌朝、専門家が来て修理に成功した時は命拾いをしたような気分だった。暑いから仕事に行きません、とは流石に言えない。しかし、平然として仕事も出来ないに違いなく、気が重いまま翌朝を迎えたからだった。冷房は嫌い。でも、無ければ無いで困るのだ。特にこんな暑いボローニャの夏には。

今夜は夜がやってくるのが少し早かった。それは月が存在しないからだ。月がすっかり欠けた日に当たる今夜の空は、闇と言うに等しい。真っ暗だ。それから星もない。こんな空は久しぶり、とテラスに出て空を眺めていたら、むき出しの肩をひんやりした風が撫でた。珍しいくらいひんやりとした夜風。この近くの何処かで雨が降っているのかもしれない、と思えるような風だった。すると向こうのほうに青い光が。写真機が放つ青白い光みたいなもの。何だろう。私は目を凝らしてみたがさっぱり分からなかった。そして随分経ってから耳にしたのは雷音だった。成程、あの光は稲妻だったのか。どうやら遠くのほうは雷雨に見舞われているらしく、ボローニャはそのおすそ分けに預かっているらしかった。私は子供の頃、雷が大嫌いだった。とくに晩の雷が。大好きな姉にぴたりとくっついて一瞬たりとも離れたくなかった。別に姉が私を雷から守ってくれる訳でもないのに、そうしていることで安心するからだった。姉はそんな妹が鬱陶しかったに違いない。姉は何時だって強く逞しかったから、怖いものなどはあまり無かったから、多分私が土の中から掘り出してくるミミズくらいしか怖いものは無かったから、雷くらいで大騒ぎして暑くてそうでなくとも寝苦しい夏の晩にぴたりとくっついて離れない妹を、やれやれと思っていたに違いないのだ。そんな私はいつの間にかミミズを手でつかめなくなり、虫という虫が苦手になり、その代わりに雷を怖がらなくなった。それどころか雷音を聞くと昔のいろんなことが瞼の内側に蘇り、ノスタルジックになるのである。姉と過ごした子供時代のこと。恋をして夢ばかり見ていた思春期の頃のこと。アメリカに暮らしたいと思い始めたころのこと。そうしてアメリカに暮らし始めて出会った人々や通過した様々な出来事。雷音はそんなことを次から次へと思い出させる。そしてこんな遠くまできてしまった何時まで経っても手探り生活の今の自分を、10年後、20年後になれば懐かしく思えるのかもしれない。遠くに聞こえる雷音は一向に近づく気配は無く、それどころか遠くに離れていこうとしているらしい。そのうち冷えた風も離れていって、そんな素敵な風が吹いていたことすら忘れてしまうだろう。一瞬の休憩。冷えた肩を手の平で覆い、この感触を忘れないでいたいと思う。

明日で仕事も一区切り。早起きも明日まで。もう1日頑張ってみようか。


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桃と情熱

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夏の休暇まであと何日。と数えながら生活をする。昔、子供だった頃、あと何日と指折り数えながら、もしくはカレンダーの数字を幾度も指でなぞりながら夏休みを待っていたのと同じだ。基本的なところで子供の頃から何も変わっていないのだ、と自分のことをそう思う。褒められることでもないが、しかし悪いことでもないだろう。多分、人は皆、そんな風に子供の頃からの習慣や癖を少しならずとも失わずに大人になっていくのだろう。

先週の金曜日を境に街から人が減った。土曜日に旧市街を歩きながらそう思った。いつも賑わう魚屋や雑貨店、青果店、それから昨日まで夏のセールで張り切っていた衣服の店先に重いシャッターが下りていたからだ。土曜日なのに、と思いながら、そうか、彼らは夏季休暇に入ったのだと気が付いて、ふーっと溜息をついた。私はもう一週間仕事だけど、と思いながら。

仕事帰りに旧市街の食料品界隈に立ち寄った。飛び切り美味しい生ハムを求めて。スーパーマーケットで購入すれば安価なのにとよく人から言われるけれど、私は生ハムに関しては妥協が出来ないのである。飛び切り美味しいのを兎に角薄く薄くスライスしてねと念には念を入れて注文する。店の人も私のその台詞を聞き慣れているので、はいはい、と返事をしながら幾つも並ぶ棚から慎重に選び出してスライスしてくれる。他の店ではこうはいかない。だから誰が何と言っても私はこの店で生ハムを購入するのだ。その足で桃を買いに向かった。しかし。横に何軒も並んでいる筈の青果店のどれもが閉まっていて、向こうのほうに一軒だけがぽつんと営んでいた。それはアペリフィッシュ、つまり魚を頂きながら食前酒を楽しめる魚屋の前の店で、人は良いが押しの強い兄さんの店だった。並んでいる桃は大きくてとても美味しそう。でも、キロ当たり3ユーロって。私の行きつけの店はもう少し安いが、しかし他のどの店も休みなのだ、選択の余地なし。店の中を覗いたが兄さんの姿が無い。無用心だなと思いながら店の前を離れようとした時、兄さんが魚屋の中から慌てて出てきた。すみません、どうぞ何なりと、と言いながら。兄さんは、どうやら魚屋の中でアペリフィッシュを楽しんでいたらしかった。それはそうだ、こんな暑い夕方だ。目の前の魚屋の中で冷えたスパークリングワインなど楽しんでいる人々の様子を見ていたら、我慢も出来なくなるだろう。私は甘くて美味しい黄桃を5つ袋に入れて貰いながら、兄さんの店が開いていて助かった、兄さんは夏休みをとらないのかと声を掛けた。すると兄さんはにやりと笑って、そうだろう、俺は働き者なのさ、みたいな事を言いながら、自分は夏の間中働いて10月になったらハリウッドへ行くのさ、と付け加えた。へえ、それって本当の話? ちょっと意外だと思いながら聞き返すと、兄さんは胸を張って答えた。勿論さ、それに情熱を注いでいるんだから。その言い方があまりに芝居がかっていたので私も前の魚屋の店員も大笑いした。兄さんに良い晩を、と挨拶して店を後にしながらふと思った。ひょっとして兄さんは映画が好きなのかもしれない。それとも彼は役者になりたかったのかもしれない。私はそんなことを思いながら先ほどの芝居がかった台詞を思い出した。勿論さ、それに情熱を注いでいるんだから。情熱。なんて素敵な響きだろう。情熱を傾ける青果店の兄さんを思い浮かべながら、そんな情熱を持つ彼が少し羨ましかった。


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