陽のあたる場所

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日曜日の快晴。この青い空はボローニャの人達皆が待ち望んでいたものだ。窓から外の様子を覗く。丘のほうへと向かう車の多いこと。外を歩く人の装いが軽快なこと。青空に浮かぶ入道雲がじっと留まっていること。どうやら風もなく穏やかな天気で、誰もが外に飛び出したらしい。そんな良い天気なのに私ときたら、数日前の抜歯のあとの出血と熱と腫れと痛みが引かず、つまり体調不良で家の中でうろうろしている。でも、窓の外を眺めているだけで楽しい。太陽の光が嬉しい。太陽の威力は何と大きいのだろうと改めて実感するのである。そんなことを思いながら随分昔のことを思い出した。

私がアメリカに暮らし始めて一番目のアパートメントは5階の小さなStudioだった。知人が所有する其の建物は町の中心にあって便利だったから、日本を出発する前から押さえておいた場所だった。家賃は程ほど。家具つきの一人暮らしは快適だったが、ひとつだけ問題があった。日が差し込まないことだった。其れについて考えたことは実は其れまで一度もなく、それと言うのも今までごく当たり前のように日が差し込む家に暮らしていたからで、初めて遭遇した其の問題は日に日に大きくなるばかりだった。そのうち大家である知人と不愉快なことがあり、私は友人たちを通じて知り合った知人と共有するべきアパートメントを探し始めた。3人で始まったアパートメント探しはひと月もすると2人になった。何故ならひとりは他の町のカレッジに通うことにしたからだった。知人は酷く憤慨したが、私はそうでもなかったのは、私たち3人それぞれの希望を纏めるのが酷く難しいと感じていたからだった。そうして私たちは午後4時になるとまるで当たり前のように街角で待ち合わせて、トロリーバスに乗ることもなく自分たちが好きな界隈を歩き回った。勿論私たちには住処を探す目的があってのことだったけど、あれはなかなか楽しい散策だった。借りることが出来る筈も無いエリアの素晴らしいアパートメントの管理人に公衆電話から電話をして夢見てみたり。幾つも見て回ってやっと見つけたのは1番のトロリーバスが目の前を通る坂道に面したアパートメントだった。私たちがひと目でそれを自分たちの住処だと感じたのは、素朴な木製の床、南に面した部屋の大きな出窓、出窓から降る注ぐように差し込む太陽の光だった。私たちはふたつ返事で住処を手に入れ、勿論様々な契約に何日もの時間が必要だったけど、11月末に入居に成功した。知人は日当たりの良い、大きなクローゼットのある小さな部屋を選び、私は広くて日当たりの良い、しかしクローゼットもなければ閉めるドアもない部屋を選んだ。居間だった。ドアがないことでプライバシーはなかったし、クローゼットのない不便はあったが、広々とした部屋に驚くほど差し込む太陽の光は他の何にも代えがたく、あの日の差し込まぬStudioからの脱出に成功したことに感謝した。太陽の光の有難さ。日本で家族と暮らしていた頃には当たり前すぎて気が付かなかった。こんな風にして気が付いた。

さて、其の太陽だけど、今借りているアパートメントには其の恵みがない。外が明るいのは見えるけど、家の中には差し込まないのだ。とても残念なことである。かと言ってまだ次に購入するべき物件に遭遇できず。そんな中で小さな吉報。ここから少し歩いた所に、日当たりの良い、もう少し広いアパートメントが空くそうだ。テラスがふたつあって、喧騒からほんの少し離れた小高い場所。私と仲良しの大きな飼い猫の隣の建物で、見慣れた人達が暮らす界隈。こちらもまた購入すべき物件が見つかるまでの仮住まいだけど、太陽と周囲の緑が気に入ったらば、そのまま何時居てもよいかもしれない。そういうわけで再び引越し。抜歯の痛みが引いたらば引越しの準備だ。


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5月、雨の匂い

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外の寒さ。鼠色の空。ボローニャはひと月ほど逆戻りしてしまったようだ。雨が降っていたかと思えば空から眩い光が降り注ぐ。ああ、やっと良い天気が戻ってきたと胸をなでおろしたばかりなのに、外はまた雨。空は気が狂ってしまったのか。私たちはそんな空に左右されて薄着になったり厚着になったり。もうすぐ5月も終わるのだから、そろそろ初夏になってもよさそうなものだけど。

ボローニャに来て18年が経った。相棒にとっても私にとってもこの18年は長かった。様々なことがあって、脱走したい気持ちに何度も駆られた。だからまた一年頑張ったねと、この日と迎える度に小さなお祝いをするのが恒例で、今年もちょっとしたお祝いでもしようと考えていたのに、つい最近まで覚えていたのに、歯を抜いたことで今日まですっかり忘れていた。まともに食事を楽しめるようになったら、美味しい魚料理でも楽しみに行くとしよう。

18年前の5月は暑かった。アメリカから引っ越してきた私たちは家族のところに身を寄せることはなく、旧市街にある相棒の友人のところに転がり込んだ。理由は色々あったけど、あれはあれでよい選択だったと思う。友人は良いところのお嬢さんで、家族の大きな家がすぐそこにあるにも拘らず、大学に入るなり家を出て友人とアパートメントを借りて暮らし始めたのだそうだ。何故、と訊ねる私に自立したかったからだと言った。勉強しながらアルバイトをして生活費を稼ぎながら、小さな時間を見つけては勉強に励んだらしい。家族はそんな彼女に手を焼いたに違いないが、幾つになっても親から離れられない大きな大人が沢山居るイタリアだから、私はそんな彼女を大したものだと今になってそう思う。旧市街のアパートメントは床が大理石でひんやりしていた。外がどんなに暑かろうが家の中は快適で、そんな快適な家の中に居ると外の暑さが想像できず、外に出るなり大汗を掻く羽目となった。建物の古い扉をでて左手に道なりに歩いていくと左右に長い道が走り、そこを右に歩いていくとVia Santa Isaiaに辿り着いた。其処には小さな店が連立していて、私はひとつひとつが珍しくて僅か100mを歩くのに20分も掛かってしまうのだった。相棒にしても同じことだった。故郷といえど長いアメリカ生活から戻ってきた彼にとっても、全てが懐かしく、または珍しく、興味を引くものだったらしい。だから私たちは傍から見たら異国から来た旅行者に見えたに違いない。私たちは毎日のように近くの菓子店に通った。そこでカップチーノと小さな菓子を楽しむと、其の後は何もすることがなかった。その後の私たちの行き先はPiazza San Francescoで、教会の前に広がる広場に置かれた幾つかのベンチに座って今後のことを話し合った。日陰の下に置かれたベンチは先客の老人たちに占領されている為、私たちはいつも日当たりの良いベンチに座った。だから毎日のように陽に焼けて、人に会うたびに海へ行ったのかと聞かれた。面白いことに私たちは其れより先へ歩くことはなかった。少し行けばVia Ugo Bassiがあり、其の先の先には2本の塔があったのに。多分私たちは途方に暮れていたのだ。ボローニャへ行けば何とかなると思っていたが、現実は私たちが思うほど安易ではなかったから。大体、相棒ときたら生粋のイタリア人なのにイタリアの常識や習慣を全然覚えていなかった。私たちはボローニャに多大な憧れと期待を持ち過ぎていたのだろう。と、あの頃のことを思い出して笑う。そうだ、今だからこそ笑えるけど、当時は笑っている場合ではなかった。外国人が少なかったボローニャ。街を歩いているとじろじろ見られて居心地が悪かった。何を言っているのかも解らなければ、自分の言いたいことも表現できず、日に日に外に出るのが嫌いになった。そんな私に相棒と友人は心配して、今日はこちらへ、明日はあちらへと勝手に計画を立てて引っ張り出してくれた。そんな私だったことを、相棒は覚えているだろうか。人間とは変わるものだ。そんな私は何時の日か外へでるのが大好きになり、今はボローニャ市内に暮らしていることもあって時間を見つけてはひょいひょいと出かけていく。友人と約束をしたり、ひとりで散策を楽しんだり、知らない店に飛び込んで新しい知人を作ったり。良い変化だ。自分を褒めてあげなくちゃ。そんなことを相棒が聞いたら、いつも褒めてばかりではないかと言うに違いないけれど。でも、それでいい。自分を沢山褒めて、また頑張ろうと思えるのは良いことなのだ。

ああ、雨の匂いがする。また雨が降りそうだ。私たちの陽気な太陽は何処へ行ってしまったのだろうか。


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宝石のような時間

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朝の雨が嘘だったように思えるような晴天。高く青い空には私をわくわくさせる白い入道雲。微風にゆっくり流されていく様子を眺めるのが子供の頃から好きだった。頭上の入道雲が北のほうに流されていくのを見届けると、頭上に次の入道雲が現れて其れをまた目で追う。私が好きだったのはそれだけではない。微風にそよぐ木の枝。さらさらと音を立てて葉が揺れると其の隙間から太陽の光が漏れてきらきら光る。地面に出来る木の影が美しく、ずっと眺めて居たかった。それから昼寝時に風に膨らむレースのカーテン。膨らんでは萎む其れはまるで浜辺に寄せる穏やかな波のようだと思った。昼寝が大嫌いだったから私は眠っているふりをして、実はそんなカーテンを眺めながら空想の世界をさまよっていた。そんな私を大人たちは空想好きな女の子と呼び、時には空想ばかりしていてと嗜めた。だけど私にはとても素敵な時間だった。心が静かになり、私を前向きな気持ちにさせたものだ。私にとっては宝石のような時間だった。あの頃で時間が止まってしまったら、どんなに良かっただろう。周囲の大人たちは別として、そんな私を理解してくれるのは父であり、母であった。あれから何十年も経ち、私はこんな遠くに来てしまった。でも、ちっとも変わっていない。私は昔から好きだった様々を、今も大切にしているのだから。

こんな遠くまで来て、しかも何十年も経っているのに忘れないことが沢山ある。其のひとつを先日思い出した。子供の頃に住んでいた家から歩いて15分も行ったところにあった場所。其処は数軒の店が寄り添うように営んでいて、母はよく私にお使いを頼んだものだ。私は確か5,6歳だったから15分も掛かったけれど、大人の足なら10分と掛からなかったに違いない。小さな私が籐の買い物籠をぶら下げて歩く姿は、傍から見れば滑稽だっただろう。しかし私ときたらお使いを頼まれたことで一人前の子供になったような気分だったから胸を張って歩くのだった。目的の店はお豆腐屋さん。バスタブほど大きな水槽が店頭にふたつあって、右の水槽には出来立ての豆腐が水に浮かんでいた。絹ごし豆腐と木綿豆腐。すき焼きの日は木綿豆腐だったが、大抵絹ごし豆腐を注文した。時には水槽の中にひとつも豆腐がなく、子供ながらしまったと思うのだが、店主が出来た出来たと言いながら奥から大きな豆腐を板の上に乗せて運んでくると、大きな四角いナイフでちょいちょいと切って袋に入れ、小銭と交換に袋を手渡してくれた。私はお豆腐屋さんが好きだった。豆腐の匂いが好きだった。さて左手の水槽だが、中には金魚が泳いでいた。小さな赤い金魚が幾匹も。すいすいと水の中を泳ぐ姿はとても素敵で、ずっと眺めて居たかった。お豆腐屋さんへ行くと帰ってこないと母が言ったことがある。うん、金魚が居てね。と言うと、母がお豆腐屋さんに同行して気に入りの金魚さんを数匹買ってくれた。そうして我が家に金魚がやって来た。ぴかぴかの新しい水槽の中で泳ぐ小さな金魚ばかり眺めている私に、外で遊ぶのも楽しいとか、オルガンの練習もしなくてはねと嗜めるのだった。そんなことを思い出してみると、私の子供時代はなんて幸せだったのだろうと思うのだ。勿論今も決して不幸ではないけれど、あの幸せはまるで穏やかな太陽の光や風に揺れてきらきら光る草のようだったと思える。私の大切な思い出。

さあ、準備しなくては。歯医者へ行くのだ。腐れ縁の親知らずに別れを告げるのだ。嬉しいようで怖い。正直言えばとても怖い。そうだ、歯医者の椅子に座っている間、あのお豆腐屋さんのことを思い出してみよう。のんびりした気持ちになれるだろう。


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リラの花が咲いている

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風に揺れるリラの花。美しい紫色のアイリス。自然は確かに季節を感じとっているのに人間だけがほんの少し季節に後れた装いをしている。5月半ばと言うのに間の季節のコートが手放せないのは風のせい。昨日の土曜日も朝から天気が良くて暖かそうに見えたが、用心してコートを手に持って外に出た。確かに太陽の陽射しは強く暖かいが、案の定、風が吹き始めるとあっという間に冷え込む。コートを持ってきて正解だったと旧市街を歩きながら頷く。
髪を切った。数週間のうちに伸びた髪。少し切ったらすっきりした。其の足で近くの店に行った。クレシェンティーナと言う名の揚げパンに似たものを求めて。揚げたての柔らかいクレシェンティーナに生ハムを挟んでいただくのが大好きだ。旧市街のVia Gallieraにこの店が出来たのは何時の頃だっただろうか。レストランのような素敵な雰囲気はないけれど、美味しいものが沢山あるLA VECCHIA SCUOLA BOLOGNESE。ボローニャの手打ちパスタや菓子、パンの作り方を教えてくれるクラスのあるこの店は、有名な女性料理人がオープンさせたと聞いたことがある。店先でクレシェンティーナを注文して10分も待つと熱々のが出てきた。其れを受け取って店を出た。近くのポルティコの下に佇んで空を眺めながら堪能した。この辺りは人通りが少ない。その少ない通行人たちがそんな私を珍しそうに眺めた。通り過ぎた飼い犬が、クレシェンティーナのいい匂いに鼻を動かしていた。いい匂いをキャッチしたに違いなかった。

またこの季節がやって来た。ボローニャに引っ越してきた日。沢山の不安と希望を鞄に詰めてボローニャの飛行場に降りてから、もうじき18年の歳月が経つ。あれから私はちっとも変わっていない。不安は今も左の手に握り締め、右手に小さな希望を握っている。ボローニャに来てよかった、本当によかったといつか思える日がくればよいと願いながら。


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寄り道の季節

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ツバメがすいすい飛び交う5月の空。雨が降ってばかりのボローニャの空はツバメたちにとって悩みの種だったに違いなく、それだから晴れた日の夕方には此処数日の運動不足を解消するかのように力強く空を泳ぐように飛び交うのだ。群れになって行ったり来たりを繰り返すツバメたちを眺めるのが昔から大好きだ。今年もそんな季節になった。

素敵な季節になったものだと彼らを眺めなが思う。そんな夕方の楽しみは寄り道で、寄り道先はジェラート屋さんだったりカフェだったり本屋だったりするのだが、最近ひとつお気に入りが増えた。旧市街の、界隈で言えばボローニャ大学に近い辺りに存在するBIOの店だ。其の界隈は私にはあまり縁がなく、そういうこともあってどんな店があるのかについて皆が驚くほど疎いのである。疎いって、道の名前を言われてもぴんと来ないくらい疎いのだ。先週だっただろうか、仕事中に仲間たちが話しているのを耳を澄まして聞いていた。あの通りのあの店、カップチーノがとても美味しくて。質の良い牛乳を使っているに違いない。カウンターの奥に置いてあるパンもとても美味しい。そんなことを耳にしたので何処何処? と訊ねてみたところ私がいつもバスで一気に通り過ぎてしまう道の途中を右に曲がった先のほうにあるということが分かった。成程、途中下車して少し歩かねばならないのだな。実際其のバス停辺りは私好みでなく、一気に通り過ぎてしまうのが得策だった。それで思いついた。もうひとつ先まで行って戻ってくるのはどうだろう。それで其の翌日の夕方、途中下車して後戻りしてみたら、そんなに悪い感じがしなかった。此れなら大丈夫。その其の足で話題になっていたBIOの店へ向かった。まるで探検しているような気分だった。17年も住んでいるのにこの通りに来なかったとはどういうことなのだ。小さな、数珠だまのように連なる小さな店のひとつひとつを外から眺めながら歩いていった先に目指す店はあった。平日の夕方とあって店は空いていた。カウンターに向かってカップチーノと小さな菓子を注文した。注文の品が出てくるまで私は店をぐるりと見回して観察を楽しんだ。モダンな感じはなく、しかし古臭い感じも無い。私が昔暮らしていたアメリカの町にあったBIOの店とも違う。土臭くて手作りの匂いがして、何だか楽しくなってきた。勘定を済ませて足の高い椅子に座った。4人テーブルだがほかに客はひとりしかいないのだから問題はあるまい。カップチーノを飲み込むと、美味い。確かに美味しかった。仲間が言っていた質の良い牛乳は確かに正しく、うまいことを言ったものだと感心した。そのうち若い夫婦とやっと歩き始めたくらいの男の子が入ってきた。どうやら彼らはこの近所に住んでいるらしく、親しく挨拶を交わした。赤い髭を生やした夫が言う。朝の開店時間が遅くなって残念だというと、そうね、朝のカップチーノを楽しんでから仕事へいくのが習慣だった人達から既に散々言われたわ、と店の女性が言って笑った。この店はどうやらそういった朝の常連客が多かったらしく、しかし何らかの都合で営業時間を変えたばかりらしかった。店内ではゆったりと時間が流れ、ひとりでそんな夕方を過ごすのはなかなか宜しいと思った。昔そんな時間を持つのが好きだったように。しかしあの頃は手紙を書くのが目的だったと思い出し、また手紙でも書いてみようかと思った。私が手紙を貰うのが好きだったように、今でも手紙を貰って嬉しい人はいるに違いない。店を出る前に店の女性に声を掛けた。この界隈は私には実に新鮮であること、店内の空気とカップチーノをとても気に入ったので、近いうちにまた来ること。すると女性は顔を輝かせて、隣のスペースにはオーガニックの商品と、それからレストランがあるので是非見て欲しい、と言った。彼女の言う通りに隣のスペースに続く通路へ向かうと確かに小さな、うなぎの寝床のような空間があって、昔通ったアメリカの店にあったような自然栽培の野菜や果物、それから豆類を観察し、そして奥のレストランを拝見した。レストランは主に昼の時間らしく、夜は金曜日と土曜日だけらしかった。平日のこの時間とあってレストランに活気どころか人はひとりも居ず、しかし昼間のにぎやかさが想像できる造りだった。カウンターにもう一度立ち寄り、店の女性に挨拶をして店を出た。いい店見つけた。店と言うよりも自分の居場所と言っても良く、椅子に座っているだけでわくわくするような場所。この良い天気の良い季節に、私は仕事帰りの寄り道がますます楽しみになりそうな予感なのだ。


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