春を待つ心

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朝から雨だった。折角の復活祭の連休に雨はないだろう、と空を見上げるも雨雲はそ知らぬ顔。3月も終わりになってこんな寒さでよいのだろうかとか、雨続きで関節が痛むとか、頭痛がするとか、ボローニャの人々の不満は膨らむ一方である。私の此の不調もひょっとしたら此の気候が大いに関係しているのかも知れぬ、と思いながら、もやもやを振り切る為に外に出た。

旧市街は旅行者で思いの他賑わっていた。折角ボローニャに来てくれたのにこんな悪天候ですみません、と旅行者とすれ違うたびに心を痛める。別に私が謝ることでもないけれど、しかし、そうでなくとも何か閉塞感のあるボローニャに来てくれた上に雨まで降ってくさくさしているに違いない彼らが、少しばかり不憫に思えてならないのだ。そういう自分はそんな町に暮らし、雨が降っているのに外に出た。家の中にいたら脳みそと心に黴が生えてしまいそうな気がして。店のショーウィンドウはすっかり春めいていた。其の前を行き交いする人々は未だに冬のオーバーコートに襟巻きと帽子といった重装備なのに。ガラスの向こうのマネキンが踝がでる丈の軽快なコットンパンツに春のニットを合わせて楽しそうな雰囲気で立っているのを眺めながら、こんな日が本当に来るのだろうかと思いをめぐらす。私がボローニャを初めて訪れたのもこんな時期だった。結婚前に相棒の家族に会いたくて私たちは4週間休暇をとってアメリカからやってきたのだ。温暖な町に暮らす私たちにはボローニャの3月は寒く感じられたけど、よく考えれば冬のオーバーコートを身に纏う人はあまりいなかったし、私自身腰丈の皮のジャケットをペラリと羽織っていたのだから、案外過ごしやすい3月だったのだろう。見るもの全てが面白くて歩き回った記憶があるけれど、サン・ペトロニオ教会やネプチューンの噴水、街の中心にひょろりと建つ塔に思い出はなく、思い出すのは郊外の町で開かれていた小さなアンティーク市で美しいルビーの指輪を見つけたことや、其の近くにあるバールでカフェラッテを注文したこと、それから腎臓結石で一週間入院した病院での生活や、満員のバスの中で偶然会った入院中に世話になった看護士のことなどである。以前はもっと沢山のことを覚えていたに違いないのだが、21年の歳月が記憶をふるいにかけて残ったのがこういうことばかりであることに、不思議な気持ちになる。そういえばあの休暇で私たちはウンブリア州へ行った。私が何処かでウンブリアの話を読んだからだ。本には緑の美しい州と書かれていたが、其れはまことに本当であった。深い深い緑。其れはボローニャ辺りでは見ることが出来ない緑で、私たちが暮らしていたアメリカの町の何処を探してもない色だった。私たちは子供のようにわくわくしながら歩き回った。旧市街に隣接するのにこんな緑が存在するウンブリアの魅力を噛み締めながら。グッビオ、アッシジ、フォリーニョ、スポレート。小さな町を4つほど回り、それぞれの町にいつかまた戻ってくるからと約束した。あの約束は21年経った今も果たされず、近いうちに果たされる予定も今のところない。相棒はそんなことをもう覚えていないかもしれないし、ウンブリアのあの町々も私との約束はとっくの昔に忘れてしまっているかもしれない。足が元気で歩き回れるうちにぜひとももう一度、と辛気臭い雨が降るボローニャを散策しながら思うのだ。ふと足を止めた。いつもはない花屋さんがポルティコの下にあった。復活祭向けに設置された店らしく、覘いてみたら春らしい花が肩を寄せ合うようにして並んでいた。こんな寒い復活祭。お花でも飾って一足先に春を楽しみましょう、と人々は足を止めては購入していく。私も。小さな花束を買った。少々疲れ始めた仮住まいの生活。花束を飾ったら少しは楽しい気分になるかもしれない。そんなことを願って。


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窓の外

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雨が窓ガラスを叩く音で眼が覚めた。もう4日も寝込んでいるので眠りが浅い。だから小さな物音にも目が覚めてしまう。今回の扁桃腺は強情だ。寝ていれば其のうち治るさと金曜日の晩に薬を飲んで早い時間にベッドにもぐりこんでみたが4日も経つのに治らない。何故、幼少のうちに扁桃腺を取り除いてしまわなかったのだろう。姉が小学生のうちにしてしまったように。欧羅巴ではちょっと遊びに行きましょうね、みたいな感覚で母と出掛けてみたら扁桃腺をとられた、なんて話をよく聞くけれど、そんなに簡単なものならば私もとってしまいたかった。大人の扁桃腺は大人の盲腸くらい危険なのだ、と数年前掛かりつけの医者に断られた。だから上手に付き合うのが得策と常に心がけているのだが、時々こんなことになる。どうやら無理をしたらしい。自分の体をもう少し良く理解しなければいけないようだ。ここ数日で唯一嬉しいのはジェラートだ。扁桃腺にはジェラートが良いと昔近所に住んでいたご婦人が言ったあれは名言として我が家に残り、私の扁桃腺が腫れて寝込むと頼まずも相棒がいそいそとジェラート屋さんへ足を運ぶようになった。昨晩もこんなに寒いのにと言いながら相棒がジェラートを持ち帰った。わーい、嬉しいなあ、と両手放しに喜ぶ私。小さな子供みたいだと笑う相棒。

それにしても寒い。日に日に天気が悪くなり気温が下がっていく。もう3月下旬なのに。と毎日テレビで語っているが、全くどうしたことだろう。土曜日の朝の太陽が夢だったように思えるほどの悪天候だ。北のトリエステ辺りでは冷たい突風が吹き荒れて、路面がカチカチに凍りついているらしい。数日後に控えている復活祭の週末には冷たい雨が降る予報で、何だか聞いているだけでがっかりだ。復活祭の頃は何時だって天気が不安定なものだけど、それが春というものだけど、それにしても。というのが私たち民の感想だ。さて、ここ数日こんなに天気が気になって仕方が無いのは私が何時に無く家に閉じこもっているからである。日頃外の生活が多いから、こんな風に数日家の中に閉じこもると窓の外が気になって仕方が無いのだ。そんな結論にようやく達した頃、彼女のことを思い出した。昨秋の終わりに地上を明るく照らすお月様になった私の大切な友達のこと。彼女は其れまで人一倍元気だったから、病気になって家にいる生活を辛く思っているようだった。体が言うことを聞かないとはいえ、体力が低下して家に居るのが得策だとはいえ、購入したばかりの新しい家の窓から見える隣の公園の様子を眺めながら、毎日様々なことを感じていた。公園はすっかり春めいて重いコートを脱いだ人々が楽しそうに散歩をしているとか、草の上に寝転んで日光浴をしているとか、小さな子供を遊ばせているとか。夏になればこんなに眩しいばかりの太陽の下を自転車で駆け抜けたらどんなに気持ちが良いだろうとか。彼女はそんなことを時々メールの中に綴った。長い冬を持つ国に暮らす彼女は、冬の景色をまるで自分の心のようだと言った。自分の心のように悲しい色。そこまで思い出して、ふと窓の外をのぞいてみたら、空と地上が区別がつかない重苦しい鼠色の世界が広がっていた。雨に濡れた黒い路面。分厚い雨雲。どの家も雨戸を締め切り、外を歩く人の姿も無い。成程、今日の私の心のように重苦しくて悲しい、と呟き、彼女はこんな風にして幾年も家の中から窓の外を眺めて暮らしたのかと、急に悲しくなった。今頃彼女の気持ちがわかるなんて。私は本当に彼女の良い友達だったのだろうか。彼女のことを本当は、ほんの少しも理解していなかったのではないだろうか。そんな自己嫌悪と悲しみに襲われて子供のように泣いた。そうしたら振り出しに戻った。扁桃腺がまた怒り始めた。あーあ、泣くと体が冷えるから扁桃腺に良くないの。扁桃腺の大敵は、疲れと体の冷えなんだって。何時だったか、彼女が不意に電話をかけてきてそんな風に私を慰めてくれたことがあったけど。失敗。もう泣くのをよそう。

雨の音。風の音。明日は元気に外へ出られることを祈りながら、彼女が私を忘れないでくれることを祈りながら、無心になって眠る努力でもしてみよう。


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彼女のこと

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外の太陽。春の気配に誘われて窓を開けたら、冷たい風が吹いていた。南向きの窓から見える空は高く青く、こんなに楽しそうな色に溢れているのに。ふと思いついて北向きの窓から外を眺めてみたら黒い雲が空一杯に敷き詰められていて、風に乗ってゆっくりこちらに向かっているところだった。そうだ、明日はまた雨なのだ。ひょっとしたら昼過ぎから雨になるのかもしれない。此の不安定な気候は3月特有のもので別に珍しいことではない。しかしそれによる不調を訴える人は随分多く、たとえ春の始まりの象徴とは言え、一日も早く通り過ぎてくれればよいのにと私たちは願うのだ。

ボローニャに特別な思いがあるといえば嘘になる。かといって何の感情もなく仕方が無く此処に暮らしているというのでもない。きっかけがどうであれ長々と此処に暮らしているのは、それなりに受け入れているからであり、居心地の良い空間を自分なりに作り上げ自分の町になりつつあると言っても良く、だから時々人に君は何処の人なのかと訊かれるとボローニャと答えるようになった。イタリア国籍もなく、イタリアに一生居るかどうかも判らない。ボローニャ暮らしは私の長い人生のまだごく一部でしかないのに。そんな今日、彼女からメールが届いた。私が彼女と会ったのは随分昔のことだった。アメリカに暮らし始めてから数ヶ月たったころだ。彼女は若く、猫のように柔らかい豊かな長い髪を大切にしていた。私とはどんな共通点があっただろうかと今思い出しても思いつきもしないけど、兎に角同じ時代の同じ町で暮らしを共有していたというと良かった。あれは春のことだ。でも何月だったかは思い出せない。春の花が咲いていたとしか思い出せないからだ。彼女は私が暮らすアパートメントの近くのレジデンスに住んでいた。そんなこともあり時々路上でばったり会うことが多かった。ある日、直に日本に帰るのだと言った。嬉しいような淋しいような。自分でも良く分からない心境だといって彼女は笑った。此の町に暮らしたくて家を飛び出してきた私だったから、淋しいは理解できるにしても嬉しい気持ちは理解できぬと思ったものだが、あれは私があまりにも若かったからに違いない。私より幾つも若い当時の彼女のほうがずっと精神的に大人だったのかもしれない。彼女と最期に会ったのは彼女が空港に向かう朝だった。朝早いから見送りは来なくてもいい、と言っていたが早起きしてでももう一度会っておきたかった。タクシーに乗り込む彼女にまだ何処か出会おうと約束して、遠ざかるタクシーに手を振った。21年前のことだ。あれから私たちは時々思い出したかのように手紙を書いた。そして10年前、彼女は夢中になって働いて溜めた資金と共に長年したためていた彼女の夢を追う為にイギリスに渡った。夢を追って。其れは素敵なことだけど楽しいことばかりではなかったに違いない。私がアメリカでそうであったように。世の中がメールの時代になると私たちの連絡手段もメールになり、時々近況を交換するようになった。途切れてばかりの私たちの関係。出もまた思い出してはメールを書いた。今日、彼女から吉報が届いた。ようやくイギリスに定住する権利を得たというメールだった。10年間かけて自力で得たその権利を、私は彼女の為に嬉しく思いながらふと思った。いつか誰かが彼女に訊いたら、君は何処の人なのかと訊いたらば、なんと答えるのだろう。好きで好きで住み着いたその町を彼女は自分の町と呼ぶのだろうかと。

外の風。もう直ぐ降り始めるに違いない雨。無理がたたって扁桃腺が腫れてしまった土曜日に肩を落としながらも、異国に暮らす彼女のことを嬉しく思う。


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美味しい生活

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朝の寒さと言ったら。其の分だけ昼間の春めいた空気の喜びと言ったら。それで夕方は仕事を早々に引き上げて旧市街めぐりをした。気が付けば随分日が長くなった。18時を過ぎてもまだ空が明るい。なんて素晴らしいのだろうと感嘆した。後10日もすれば夏時間が始まって、朝は薄暗くて目覚めが悪くなるだろうけど、夕方は19時を過ぎても明るくて寄り道を楽しむ日が多くなるに違いないのだ。ああ、待ち遠しい。そんなことを考えながら街を徘徊した。こんな気持ちの良い夕方は真っ直ぐ家になど帰っていられないのである。

昨晩のことを思い出した。相棒が知人夫婦からトリュフと刻んだトリュフをバターに混ぜたものを貰ったと言っていたので、それでは、といつもの店で手打ちの生タリアテッレを購入した。スーパーマーケットの市販の乾いたタリアテッレは値段が手頃で良いけれど、こんな素晴らしいものを頂いた日は少々奮発しても良いではないかと思って。と言っても驚くほど高いわけではなく市販の乾いたものの倍の値段くらいだから、自慢するほどのものではない。2人分。と店の人に注文するとふた玉取り出したので、うちの腹ペコ大食漢のことを思いだしてもうひと玉追加して貰った。これで5ユーロ弱。安くはないがまあまあである。美味しく頂くこと、それが目的なので少々のことは宜しい。ついでに、とトスカーナのペコリーノチーズも注文した。家に帰ったら早速赤ワインの栓を抜いて・・・と美味しい夕食で頭が一杯になった。家に帰ると追うようにして相棒が帰ってきた。ほら、美味しそうなパスタとチーズを買ってきたからと紙袋の中から取り出すと、嬉しそうな表情をしたかと思うといそいそと赤ワインの栓を抜き始めた。私たちの性格は驚くほど違う。友人の誰もが口を揃えて言うくらい。結婚していて此の性格の大きな違いが支障にならないのかと皆が不思議がるくらいなのだ。しかし、何も言わないのに私が此れと決めていたシチリアの赤ワインの栓を抜くとは。案外何処かで私たちは共通しているのかもしれないと思って、笑いを堪えるのが大変だった。もし私が笑い出して此の話をしたらば、相棒も大笑いして収拾がつかなくなること間違いなしなのだ。溶かしたトリュフのバターを茹でたてのタリアテッレに絡め、上に生のトリュフのスライス。たったそれだけなのに何て美味しいこと。そしてシチリアの赤ワインの合うことと言ったら。此のワインは相棒の知人から分けて貰ったもので、シチリアの田舎街に暮らす知人の両親自慢の自家製ワインなのだ。先日シチリアから戻ってきた知人が、良かったらどうぞ、と分けてくれたのだそうだ。両親が自慢するわけである。店では手に入らぬ美味さであった。チーズを切り分けてはワインを飲み、いつもなら短時間で終わる夕食が長々と続いた。そんな晩が時々あると良い。週に一度、ひと月に一度でも良いから。

そんなことを思い出しているうちに本屋に着いた。本を買いたかったわけではない。本屋の中にある食材コーナーのジャム、プルーンのジャムが欲しいと思っていたのだ。ジャム。ワインを分けてくれた知人から母親が作ったという桃のジャムを分けて貰ったことがある。素晴らしく美味しくて暫くジャムに夢中になった。様々なジャムを様々な店で探し出して試してみたが、あんな美味しいジャムには遭遇できなかった。そうしているうちに私のジャム熱は冷めて、すっかり忘れてしまっていた。知人のワインを堪能しているうちに、再びジャム熱が発生したのである。数種類のブランドからひとつ選び出した。此れが良いだろうと思ってラベルに書かれているのを読んでいたら、背後から声がした。美味しいわよ。先日私も購入して、毎朝頂いているのよ。振り向くとご婦人が立っていた。80歳ほどの老女と呼んでも良かったが、きちんとした装いと美しく整えられた結い髪が、老女と思わせなかったのだ。そうですか、美味しいですか、と訊ねるとご婦人は此れと此れと此れを試してみたけどと指差して、しかし此れが一番美味しくて今一番の気に入りなのよ、と嬉しそうに笑うのだった。それで私が此れに決めたというと、再び嬉しそうに笑った。老女の毎朝食に出される此のジャムはどんなだろう。そんなことを思いながら私は家に帰った。待ちきれぬといわんばかりにジャムのビンの蓋を開た。スプーンですくって口に投げ込むと、ははあ、確かに此れは美味しい。昨日から私は美味しい続き。暫くこんな毎日が続きそうな気配なのである。


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日曜日のバール

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日曜日を迎えてほっと一息つく。と言っても何もしないでゆっくりの日曜日ではない。日曜日は必ず以前暮らしていたピアノーロへ行き、まだそこに住んでいる姑と日曜日の昼を一緒に過ごすからである。毎週。そう、毎週日曜日。だから何処か遠出することもなければ、友人知人と出歩くこともない。ピアノーロから戻ってくると既に早い夕方の時間帯だから、家の小さな諸々の仕事をして日曜日が終わっていく。つまらないと言えばつまらない。でも最近になってそんな日が週に一日くらいあっても良いと思えるようになった。

夕食後、相棒の提案で近所のバールへ行った。ちょっとした気分転換のために。店には居るとこんな時間に居る筈のないジャンニが居た。あらあら珍しいですね、と挨拶すると、ジャンニは事情があって昼と夜のシフトを交換して貰ったのだと言った。と、ジャンニは思い出したように私にけしかける。君の相棒が、最近君は出歩いてばかりいるといっていたが本当なのか、と。成程、寛大な相棒も週に4日も出歩いている妻には脱帽だったらしい。私は控えめに本当だと答えると、其れはいい、どんどん外に出るべきだ、と言って笑った。昔から女性は家の中に居るのが当たり前、夫を家で待っているような風習があるけれど、そんなの今時宜しくないという。君だって平日の日中は働いているのだから、家のこともしているのだから、時間を見つけて友達と外に出掛ける権利はあるのだよ。そう言ってジャンニは私の肩を2回叩いた。先月65歳になったジャンニ。此の理解の良さには私も驚いた。彼の妻も現役で働いているというが、きっとこんな風にしてジャンニは妻の良い理解者であるに違いない。私は大きく頷きながら、相棒の腕を引っ張る。ほらね、こんな風に言ってくれる人も居るよ、と。私たちは顔を見合わせて大笑いして、其のうち話は新しい法皇の話題に移り、バールに居た客たちがそれぞれ話し出した。話をまとめると誰もが新しい法皇を宜しく思っているらしい。理由はあの笑顔と人間らしさと高価なものを身につけない低姿勢だ。あの笑顔が何時までも消えないように、と誰もが心の中で思っているのを知り、笑顔とは何という宝であろうかと深く感じた。笑顔は大切。誰もが笑顔で居られたら良いのに、と思った。ふと思い出した。明日から2週間フランス旅行に出掛ける2人の若者のこと。ひとりは私の知り合いで、もうひとりは其の知り合いの恋人だ。車で北上してフランスの北の海を見たら南下してボローニャに戻ってくるらしい。只今来ている寒波のことを心配していたが、明朝無事に出発できるのだろうか。彼女たちの道のりに一足春がやって来て楽しい旅行になると良い。バールの人混みの中でそんなことを考えながら注文したカッフェを飲みほした。


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