ボローニャ生活
- 2012/11/30 04:33
- Category: bologna生活・習慣
小旅行から帰ってきて、翌朝行く職場があるのは有難いことである。しかしこうも忙しいと、ふーっ、と大きな溜息が出てしまう。例えば昨日の午後がそうだった。外は酷い雨。雨粒が窓ガラスを叩く音に耳を澄ませながら思い出すのだ。アムステルダムの雨音。濡れた路面。叩きつける雨で運河の水面がゆらゆら揺れていた。雨の日のアムステルダムも美しい、などと思いながら驚くほどの冷え込みに首をすくめて早足で歩いた。あの日が夢の一部だったのではないかと自問しながら、いいや、あれは本当のことだったのだと自分に言い聞かせる。そうして骨休みの小旅行は自分次第で出来るのだ、と頷く。時間があるからするのではなく、小旅行にしろ何にしろ、自分がしたいことのために時間を作り出せば良いのだと。そうすれば不満も文句も言わずに済む。そうしてまた一生懸命働くなり勉強すればよい。と言いながら、ふと気が付く。単に自分はついているのだ。こんな風にひとりで飛び出すのを理解してくれる相棒が居ること。楽しんでおいでと送り出してくれる人がいること。感謝を忘れてはいけないと自分に言い聞かせる。その気持ちを忘れてしまってはいけないと思う。
私たちが今の家を手放す日はまだ決まっていないが、仮の住まいはもう決まっている。相棒がよく知っている夫婦のアパートメントだ。と言っても彼らのところに転がり込むのではない。彼らが持っている幾つかのアパートメントのひとつを好条件で数ヶ月貸してくれることになったのだ。私たちが次なる家をゆっくり見つけることが出来るようにとの配慮だった。彼らのことは相棒からしばしば聞いていたが、私が彼らに初めて会ったのはつい最近のことだ。先々週の夕食会で初めて会ってから急に互いに親しみが湧いた。私よりふた周りほど年上の彼らは昔は旧市街で商売を営んでいたが、随分前に店を売って今は気楽な年金生活だという。仲の良いこの夫婦は気が向くと車に乗って国外旅行に出掛ける。予定はなく、何時帰ってくるかも分からない。何しろ帰ってこないと困るようなことはひとつも無く、気ままな生活なのだと言って笑う。妻のほうは料理上手で相棒をしばしば平日の昼食に招いてくれる。そうしてはあなたの奥さんに、と言ってお菓子や料理を持たせてくれる。負けずに夫のほうも手土産を持たせる。先日フランスで買ってきたワインなんだ、今晩の夕食にふたりで楽しむといい、と言いながら。彼らのことをまだ知らなかった頃の私はいつも不思議でならなかった、何だってこんなに良くしてくれるのだろう、と。でも分かったのだ。彼らはシンプルに、何か美味しいものがあれば皆で分かち合いたいのだ。そうして美味しい美味しいと喜ぶ顔を見るのが彼らにとっても嬉しいのだ。一昨日の晩、相棒がまた土産を持ってきた。広口小瓶に詰められた美味しそうなもの。鹿肉のラグー(ミートソース)だった。妻がじっくり煮込んで作ったというラグー。嬉しかったが鹿であることが残念だった。何故なら私は丘を駆け回る鹿が好きだからだった。ああ、鹿なのか! と苦悩する私。しかし美味しいからと促す相棒。それではちょっとだけ、とタリアテッレに絡めて食してみたら、美味い。美味しいと言うよりは、美味かった。そういえばボローニャに住み始めた頃、何も知らずに食べた兎の煮込みがこんな風だった。あまりの美味さにおかわりしながら柔らかい肉だと褒めたら、友人の母親が良い兎の肉が手に入ったのだと嬉しそうに言うのを聞いて酷くショックを受けたものだ。兎だったのか。あの可愛い兎を私は美味い美味いと喜びながら食べてしまったのかと、自己嫌悪に似た気持ちで暫く口が利けなかった。それにしても私の好きなあの可愛い動物たちの肉は、どうしてこうも美味しいのだろう。私はタリアテッレを頬張りながら悩むのである。しかし彼女の料理の腕は素晴らしい。何という幸運。幸運ついでに近い将来ご近所さんになったらば、料理を教えてもらおう。などと密かにそんなことを考えている。