友人からの電話

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電話が鳴った。最近勧誘の電話が多くて辟易していた。だからどうしようかと迷ったけれど、大切な電話だったらいけないと思って出てみたら、電話の向こう側から友人の声が聞こえた。海の向こうからの電話の声は小さくて、私たちの距離を表しているように感じた。友人の声は消えそうなほど小さくて、何度も聞き返しながら10分もした頃、コードレス電話の電池切れで前触れも無くぷつりと切れてしまった。最近電話の調子が悪い。電池の消耗が激しく、こんな風に切れてしまう。まるで長電話は宜しくないと戒めるかのように。それにしても折角の友人からの電話がこんなに短く切れてしまったのが酷く残念で、近いうちに電話機を替えることに決めた。人間関係とは面白いものだ。同じ町に暮らしていなくても、頻繁に会っていなくても、たまにしか連絡を取り合っていなくても、気の合う同士にはそんなことは関係なくて、声を聞いた途端にまるで昨日会った同士みたいに話が弾む。私には他の人達のように友人と呼べる人はそう多くないけれど、気心が知れていて何年会っていなくても壁を感じることの無い友人たちを持つことが出来たことを心から嬉しく思っている。ボローニャに暮らし始めた頃、私は友人たちからの手紙が楽しみでならなかった。彼らの手紙を読むことで自分がひとりぼっちでないことを確認した。彼らの文章から楽しい世界を覗いては、元気付けられ勇気付けられて頑張ろうと思った。でも誰一人私に頑張れと言った人はいなくて、文脈にメッセージがそれとなく含まれているのだった。そろそろ一歩踏み出しなさいよ、あなたらしくないわねえ、と。住めば都、ボローニャの生活に嘆きアメリカに戻りたがる私に友人たちが言ったが、冗談じゃない、反発した。なのに気が付いたら今も私は此処にいるし、案外気に入っている節もある。誰もそのことについては何も言わないが、多分誰もが思っている筈なのだ。ほらね、ふふふ、と。私にしても数年前から気が付いてはいたが、気が付かない振りをし続けていた。いつもそんな風だ、私たちの人間関係は。でも、それでいい。気が付いていても気が付かない振りをすることも時には良いのだ。それにしてもあの電話。友人はあの後何を話したかったのだろうか。日曜日。予報どおり冷え込んだ。ウールのセーターが必要な、そんな季節の到来だ。


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秋深まる

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10月も終わりに近づき、霧の予報が出るようになった。晴れでも雨でも曇りでもなく、霧。こんな予報が出るようになると秋が深まりを実感する。私が暮らす丘の辺りではボローニャ市内で見られないような濃霧に見舞われることがある。朝起きる頃はそうでもないのに家を出る頃になると一寸先が見えないような濃霧。毎日通っている道だけど5メートル先も見えないような朝は全くお手上げで、のろのろと車を走らせるにしても何処にいつものあのカーブがあるのかが分からない。前を走る車も、飛び出してくる雉や鹿の姿も見えない。手探り、と言うのがぴったりで一種の恐怖に近い感じである。今朝もそんな風かと思えば朝から雨が降っていた。静かな雨は冷たい空気を伴ってやってきた。冬のような寒さは無いが湿っぽい空気が不快なので暖房をつけた。前の冬以来つけていなかった暖房が、家中を暖めながら冬が近いことを囁いているように思えた。ボローニャ旧市街にも晩秋のような眺めが満ちていて、大きな銀杏の木の葉が深い黄色に色づいていたり、道端に木の実が転がっていたり。それから店のショーウィンドウには美しいスタイルのマネキンが冬のコートを纏っていたり。そんなひとつひとつに気を留めながら街を歩くのが好きだ。そんな時間を持てるのは一種の幸運だとも思う。私がボローニャに腰をどっしりと下ろし始めたのはこの頃だった。アメリカの、海のある穏やかな町からボローニャに引っ越してきたがなかなか生活に馴染めず、仕事のオファーを貰ったローマへとひとりで飛んでいってしまった私だった。そのうち相棒もローマに暮らし始めるに違いないと密かに願うように期待していたが、ようやくその気が全く無いことが分かってボローニャに戻ったのだ。戻ったけれど数日後には息抜きと称して懐かしいアメリカの町へと飛んでいき、ひと月ばかり息抜きしていた私が、よーし、ボローニャで頑張ってみよう、と気持ちを入れ替えてボローニャの生活を始めたのが丁度今頃なのである。だから私がボローニャに暮らし始めたのは引っ越してきたあの日よりも、アメリカから戻ってきたあの日なのだと思う。兎に角毎日じめじめしていた。街路樹の木の葉が路面に沢山落ちていて、その上を踏みしめるようにして歩いた。私と相棒が暮らし始めたアパートメントには広々としたテラスがあったので様々な植物を置いていたが、時期に隣の夫婦に見習って植木たちを隅に固めて冷たい風から守らねばならなくなった。テラスには掃いても掃いても木の葉が沢山だった。近くの街路樹から飛んでくるプラタナスの大きな葉だった。当時私は職についていなかったので毎日が週末だった。自分が仕事に向いている人間であることを発見した時期でもあった。勿論、することは沢山あった。イタリア語を学ぶよい機会でもあった。家の中で出来ること、するべきことは沢山あったが気持ちがいつも外に向いていた。幸運だったのは、旧市街まで歩いて10分ほどのところに暮らしていたことだった。朝、相棒を送り出すと、さささと家の中を片付けると、歩きやすい靴をはいて家を出た。一番初めの十字路を右に曲がってお菓子屋さんの前を素通りして自然薬局の前も素通りして、いつもの八百屋の前も素通りして、真っ直ぐ真っ直ぐ歩いていった。時々近所のおじさんが後ろから自転車で追い抜いて行き、やあ、歩いていくのかい、と私に声を掛けた。私はイタリア語があまり話せなかったから、こんな時は大きな声で、Sì (うん)と答えて大きな笑顔を作ればよかった。それだけでおじさんには私が徒歩を楽しんでいることが伝わるのだった。秋のボローニャは淋しげに見えた。もっとも旅行者で賑わうローマから戻ってきたばかりだったから、そんな風に感じたのかもしれなかったけど。あの頃、ボローニャには旅行者と言うか、外国人がほんの一握りしかいなかったから歩いていると酷く目立っているような気がしてならなかった。何時か誰もが私をじろじろ見なくなる日が来ればいいのにと願いながら歩いていた。あれから十何年も経って、確かに誰も私のことをじろじろ見なくなった。何時の間にか外国人が沢山暮らすようになったボローニャで、私の存在は全然目面敷く無くなったのだ。へえ、何時か本当にこんな日が来るようになるとはね。最近私はそんなことを時々思う。これが時の流れというものだろうか。ボローニャで大波に流されそうになったり溺れそうになったりして情緒不安定だった私とずっと付き合ってくれた相棒は大変だったに違いない。相棒に何か小さなご褒美を贈ってみようか、今までの感謝を込めて。


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開放感

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ふと思い出した。通り過ぎたこの夏のことだ。私は気楽な旅人で、リスボンに沿って悠々と流れるテージョ河からすぐ其処の、エレベーターの無い古い建物の5階に部屋を借りていた。上り下りすると木製の階段がみしみし言った。音を立てぬように静かに歩くと余計な時間が掛かってしまい、部屋に着くまでに、若しくは階段を降りきるまでに時間切れで照明がぷつりと消えてしまって幾度も困った。こんな時、映画の中のマルチェッロ・マストロヤンニは上着のポケットからマッチ棒を1本取り出すと無造作に壁にこすり付けて火をつけるのだが、私にはそんな術も無く、ただただ慌てふためくばかりだった。壁を手で這いながら階段の踊り場に備え付けられたスイッチを探していると、やれやれまたあの東洋人か、と誰かしらが哀れんで照明のスイッチを入れてくれるのだった。ある夕方、私は市場で食べ頃の桃を幾つも購入して部屋へもって帰ると、再び部屋を出た。大きな美しい噴水のある広場で、リスボンで知り合ったばかりの、しかし何となく気の合う同世代の日本人女性と待ち合わせをしていたからだった。夕食に誘われたのだ。それが丁度私が行きたいと思っていた店で、しかし見つからなくて半分諦めていたところだったから、私は二つ返事で誘いに乗った。レストランでの夕食はひとりよりふたりのほうが楽しい。これが気軽なら昼食なら兎も角、レストランでの夕食はやはりひとりぼっちは宜しくないのである、特にヨーロッパでは。しかしその時に限ってはそんなことよりも、誘われたことが嬉しかった。アレンテージョ地方の料理を出す店で、内装が美しく、私たちは地方の赤ワインを頂きながら話がとても弾んだ。そのうち隣の席に若いカップルが座り、耳を澄ましてみたらイタリアからの旅行者であることが分かった。彼らはメニューを選んでいるらしく、ああでもない、こうでもないと揉めているところだった。と、女性のほうがひとつ選んだ、がそれは非常に悪い選択であった。私は知っていた、つい先ほど注文して、出てきた料理にがっかりしたばかりだったからだ。差し出がましいとか、余計なお世話とか、自分に言い聞かせながらも我慢できずに話しかけた。それ、やめたほうが良いんです、さっき私も注文して・・・と言うと、彼らの顔にぱっと笑顔が広がった。ああ、有難う! 注文してしまうところだった、と言って。何しろカップルなので私と知人はなるたけ知らん振りして自分達のお喋りに夢中になろうとしていたのに、そのうち向こうのほうから話しかけてきた。彼らがウーディネの人達であること、女性のほうはボローニャ大学を卒業したこと、これからポルトガルの南端へ行って海を存分楽しむこと。他には何を話しただろうか。覚えてないが、何やらとても楽しかった。そして良い旅をと互いに言葉を交わして別れた。その後、私と知人はぶらぶら歩いて、そうだ、私がぞっこんだったカフェへ行ったのだ。もうすぐ夜中だと言うのに店は混み合っていて、席に着いたが店員がなかなか注文に来てくれなかった。そんなことばかり覚えている。もう12時になるという頃、知人は地下鉄駅に向かい、私はぶらぶら歩きながら部屋に戻った。あの晩が懐かしい。気楽で自由で、暑かった昼間の熱を冷ますような涼しい風が街を駆け抜け、いつものパン屋の店先にはシャッターがきっちりと下ろされていて、角の焼き魚定食の店の中は真っ暗で、入り口に張りっぱなしの昼のメニューだけが淋しそうに目立っていた。15日間。そんな中で私が得たものは数え切れず、知人と呼んでいた女性はいつの間にか仲間になっていた。友達でもない、単なる知り合いでもない。仲間、そんな言い方が似合う存在。旅から戻るとまた生活の波に呑み込まれたが、体のどこかで覚えているあの旅の開放感。この夏の贈り物。私の宝物にしておこうと思う。


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想う

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昨晩友人と会った。昼間はシンプルなカフェだけど夕方辺りから洒落た老若男女が次から次へと集まる店で。遅い夕食を終えてから家を出たのだから、10時半を回っていたに違いない。大急ぎで駆けつけたが、友人の姿はまだ無かった。いつもなら時間に正確な友人なのに、いつもなら後から到着して、ごめんごめんと言う私と相棒なのに。そんなことを考えているうちに、友人がやってきた。ごめんごめんと言いながら。私がいつもと立場が逆だと言うと、友人と相棒が、あ、本当だ! と言わんばかりに笑った。友人との出会いは一体何時だったのだろう。ああ、そうだ、思い出した。友人が旧市街に骨董品店を開けた頃だ。私はその隣の隣にあるジムに通っていて、遅くなったので迎えに来てくれた相棒が友人の店に関心を持って入ったのが始まりだ。10年くらいの付き合いだろうか、それとももう少し短いかもしれなかった。あれから友人と相棒は急速に親しくなり、そしてその頃友人が付き合い始めた若い恋人も交えて私たちは時々一緒に食事をしたり、時には店番をしながら長々とそれぞれの人生について論じ合ったりした。こんな風に文字にしてみると、そんなことがあったのだなと、まるで遠い昔のように思える。友人は店をしながら骨董品について更に学び、しかし本当にしたかったのは舞台役者だったから役が回ってくると店を人に任せてさっさと飛んでいってしまうのだった。行き先はサルデーニャだったりニースだったり、シチリアだったり、そしてボローニャだったり。そんな彼のことを怒って恋人が去って行った。それから友人は暫く淋しそうだったが、それを振り切るようにして店をたたむとニースへ行った。役が回ってきたらしかった。そして今度はパリへ行くと知らされたきり音沙汰が無かったら、次に連絡があったのはローマ近郊の小さな町からだった。そこで舞台役者として生計を立てているのだと、嬉しそうな声が電話から聞こえてきた。そんな彼だが、其処を引き上げてボローニャに帰ってきたのかと思ったら、ボローニャにある荷物をトラックに積んでローマに持っていくのだと言う。やはり自分のしたいことで生活できる喜びは、何にも代えがたいということらしかった。誰にだってそういう大切なものがある。多分相棒にも。私にも。役者の仕事が出来るなら何処へでも行くよ、アメリカの片田舎だって、ヨーロッパの隅っこだって。そう言う友人は今まで見たことが無いような晴れ晴れとした表情だった。多分、友人は幸せなのだ。私は、私はどうだろう。いつか友人のようにあんな晴れ晴れした表情で自分のことを語る日は来るのだろうか。華やいだ店の片隅で、友人の話に耳を傾けながら、私はふと自分の人生に想いを馳せた。


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親切と好意

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忙しい毎日。案外悪くない。あっという間に週末がやってくるからだ。好きな時間に起きられる土曜日。それは私には意味のあること。日に日に寒くなっていくが、朝から太陽が出ていると気持ちが良い。窓の外は冷えた空気に満ちていて、道行く人達はしっかりと上着を着込んでいる。この辺りはボローニャ市内よりも3度は確実に涼しい。だから夏は気持ちが良い、が秋から冬の寒い時期は、やれやれ、と誰もが溜息をつかねばならない。そしてよく見張っていないとすぐに雪がちらつくから、油断も隙も無い。もっとも見張っていても、降るときは降るのだけど。朝晩の冷え込み方はもう晩秋のようだ。もうじき暖房をつけなければならないだろう。今朝はゆっくりと朝食をとってバスに乗ってボローニャへ行った。此処まではいつもの土曜日と同じ。違うのは途中下車して相棒とカフェで待ち合わせしたことだ。何か用があった訳ではない。ちょっと一緒にカッフェでもしましょう、ということになっただけだ。土曜日なのに仕事をしている相棒がちょっと抜け出してくれた。少しお喋りして再びバスに乗って旧市街へ行った。人が多い。天気が良いから誰もが家でじっとしていられなかった、と言う感じである。人混みを避けながら路地を歩いているうちに、気に入りの店にたどり着いた。中を覗いてみると空いていた。それで店に入った。髪を切ってもらうことにしたのだ。予定外ではあるが、予定通りに生活しない日が時々あるのは楽しいことだ。それにこんなに空いているのだ、これを利用しない手は無い。待つことなく髪を切って貰った。こんなに切るつもりは無かったが、思いがけず沢山切ることになり、気分がすっきりした。気分がすっきりするとお腹が空くものらしい。お腹が空いた、お腹が空いたとお腹が喚くので何処へ行こうかと悩んだ挙句、エノテカ・イタリアーナへ行くことにした。レストランに入るつもりは無かったし、訳の分からぬパニーノも嫌だったからだ。この店ならば注文したその場で簡単なパニーノを作ってくれるから。店に入るなりいつものパニーノを注文した。此処最近こればかりで、店の人も予定通りと言わんばかりだ。そして赤ワインを少し。新聞を読みながら立ったままパニーノにかぶりついていたら、50代半ばくらいの夫婦が店に入ってきた。きちんとした装い、しかし何処と無くこの近所に住んでいて、家からふらりと出てきたような雰囲気のある人達。彼らは店の常連らしく、やあやあと挨拶をするとあれとこれをと注文して隣の小さなテーブルを囲んで立ったままワインを飲み始めた。私は新聞を読みながら時々ちらりと隣の様子を眺め、仲の良い夫婦だと思いながら喜ぶ。他人事なのに何となく嬉しい。夫婦は仲良しが一番だ。一方、夫婦は私の存在が気になるらしい。小さな東洋人がパニーノにかぶりつきながら新聞を読み、時々赤ワインを咽喉に流し込むのが、ちょっと珍しいといった様子だった。そのうち妻のほうがカウンターへ行き、ショーケースの中にある小箱を指差して話し始めた。そして、これを頂戴、といった。更に彼女は言うのだ。凄く美味しかったのよ、と。その小箱は私も気になっていたのだ。店員は小箱を開けると小皿に乗せて四つ切にした。カマンベルチーズのような形をしたチョコレートだった。見るからに美味しそうだった。私は店の人にもう一箱無いのか強請るように訊ねてみたが、これがおしまいだと言う。10日もすればまた入庫すると言うので、納得して速やかに引き下がる私を見て夫婦が言った。一緒に頂きましょう! さあ、さあ、と勧めるので有難くひとつ頂く。うーん、美味しい!と表情を緩ます私に、そうでしょう?そうでしょう? と喜ぶ夫婦。気持ちの良い人達。彼らのおかげでこんな美味しいものと出会えた。感謝して御代は半分持ちますからと言うと、これは私たちのおごりだからと夫婦が言う。それならあなた達のカッフェの御代を私が持つからと言うと、そんな必要はないという。店の人も口添えする。ボローニャの人達ってこんな風なんだからご馳走になればいいんだよ、と。私はパニーノとワインの会計を済ませながら、夫婦のカッフェもついでに払った。夫婦が困ったような顔をしたので、これがあなた達の親切への感謝の表現なのだと説明するとぱっと表情を明るくして笑った。親切という言葉が嬉しかったのかもしれない。他人からの、ましてや知らない人からの親切や好意は有難い。当然と思ってはいけないと思う。感謝して、感謝の気持ちを表すのは大切だと思う。同時に人に親切にするのも大切なこと。皆で楽しみや喜びを分かち合うのは素敵なことだ。私は笑顔の夫婦と店の人に挨拶して店を出た。良い土曜日になった。


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