射し色

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ボローニャと比較するべきではないかもしれない。何しろ根本的なところから相違しているのだから。それにしても歩きながら感じるのは色使いの違い。アムステルダムが私を刺激する理由のひとつは、そんなことだった。ボローニャの朽ちた壁の色に情緒を感じる。そんな壁に午後の日が射すと驚くほど美しいと感じる。ボローニャの赤い壁に影が落ちて出来る光と影のコントラストが好きだ。それらのどのひとつをもアムステルダムに見つけることは出来なかったが、その代わりに違った美しさと魅力を見つけた。例えば赤い色の注し方とか。よく磨かれた大きなガラス窓とか、真四角ながらも特徴のある窓のデザインとか。私はカフェが好きだから、どの街を歩いていても兎に角カフェに目が行ってしまう。雨が上がったばかりの街は薄日が射しながらもまだ分厚い雨雲が頭上を覆っていた。微妙な色の空気が立ち込めていた。息の詰まりそうな、と言っても大げさでないような。小さな広場に紛れ込むと、広場の角に赤い群れを見つけた。カフェの赤い椅子たちだった。これと言って特徴の無い、客のひとりも座っていないテーブル席。でも楽しそうに見えた。もう少しして椅子もテーブルもすっかり乾いたら、地元の人達で一杯になるに違いない。


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アムステルダムを歩く

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車やバイクではない。私にとって危険なのは疾走してくる自転車だ。何しろ猛スピードでやって来る。道を横断していると激しいベルで怒られる。どいて、どいて、危ないじゃないの! と言わんばかりに。今しがた誰もいないことを確認したばかりなのに、気が付くと背後まで迫っている自転車。私はそんな自転車の存在に、実は内心びくびくしながら街を歩いた。アメリカに暮らしていた頃、アムステルダムへ行ったことはあるかと訊ねられたことがある。無い。アムステルダムだけじゃない、欧羅巴のどの町も知らなかった。あの時どうして友人はそんな質問をしたのだろうと、あれから20年も経った頃に思い出しながら、私はそのアムステルダムの運河沿いを歩いていた。運河。今まで運河といえばヴェネツィアしか思い出さなかった。あれが運河のある街の情緒だと思っていたのに、アムステルダムは随分違う。同じように水が流れていても、同じように街のあちこちに水路が巡っていても、アムステルダムの運河は全く違う表情を持つ。言葉で表現するとしたら、どんな言葉が良いだろう。明快とか、快活とか。頭を捻って考えてみるが、ぴたりとくるものがが見つからない。例えばこんなのはどうだろうか、ヴェネツィアの運河のある風景は幻想的で映画のシーンの一部のよう。そしてアムステルダムのは現実的で生活感がある。いいや、もっといい表現があるはずだ、と思いながら歩き続ける。私は何度連れに言っただろうか。この街を大層気に入ったこと。また近いうちに戻ってきそうな気がすること。アメリカの町やブダペストみたいに、気に入って足繁く通うようになる予感みたいなものを感じながら、行く先々に広がる小さな一場面に目を凝らし心を躍らす。しかし忘れてはいけない、自転車の存在を。うっかりするとまたベルに怒られてしまう。どいて、どいて。危ないじゃないの、と。


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知らない街

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耳にしたことは何度もあった。アムステルダムは素敵な街である、と。なのに一度も訪れようと思わなかったのは、別に何か理由があるわけでもなかった。いや、もしかしたらこんなことだったかもしれない。美味しいものがないとか、四角張った堅苦しい印象とか。誰かから聞いたわけでも本で読んだわけでもなかった。自分で勝手に思い込んでいただけだ。私にはそんな悪い癖があって、まだ自分の目で確かめてもいないのに、自分の中で作り上げてしまったイメージを勝手に膨らませて思い込んでしまうことがあるのである。アムステルダムがその例のひとつで、もし仕事で行く用事でもなかったら、一生そう思い込んで足を向けなかったに違いない。アムステルダムの空港に着くなり列車に乗った。列車の時刻まであまりなかったから、早歩きでの移動で緊張していたらしい。列車に乗り込むなりほっとして、急に疲れが出た。車窓からの眺めは驚くほどの平地だった。平らな地面と運河。運河の国とは聞いていたが、これほど多いとは。それにしても水域が高い。イタリア語でオランダをPaesi Bassi と呼ぶが、日本語に訳すならば地面の低い国、だろうか。車窓の外に広がる様子を眺めながら、名前どおりだと頷いた。異常に寒い。ボローニャよりもずっと北に位置するのだから当然なのかもしれない。そういえばこんなに北に来たのは初めてだった。そう思ったら、何だか急にわくわくしてきた。南オランダの小さな駅で下車した。仕事は思った以上に長引いてアムステルダムに戻る列車に乗ったのは空が真っ暗になった頃だった。金曜日の晩のアムステルダム駅は混み合っていて、しかしその混み具合がボローニャとは明らかに違う、都会の匂いがして、知らない国の知らない町の駅に居ることを実感するのだった。翌日、朝食を済ますなり外に出た。まだ太陽が朝の光を含んでいるうちに歩きたかったからだ。吐く息が白かった。気温は恐らく10度もない。自転車に乗って軽快に走りぬける人々。軽快な足取りでジョギングする人々。整然と並ぶ建物と朝日にきらめく運河の水面、そして目に新しい色合いを眺めながら、改めて此処が知らない町であることを知った。と同時に、この街をとても、とても好きになりそうな予感がした。


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ほうずきの朱

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旧市街の小さな花屋。魚屋の隣に店らしい構えもないままに、建物の入り口を陣取って存在する花屋。陣取ってはいるが別に嫌な感じは無く、出入りする人達と上手く共有している感じがする。すぐ近くにも別の花屋があるけれど、あちらとは少し趣が違う。ちょっと庶民的というか、ちょっと野菜や魚を買ったついでに花でも買っていこうかと思えるような雰囲気の店。店だけでなく店主の女性も気さくでいい。それで、店先にほうずきを見つけた。別に日本だけにある植物ではないと分かっていながらも、まさかこんな所でこんな風に遭遇するとは夢にも思っていなかったので、思わず、あっ、と声を上げて立ち止まった。ほうずきだ、と確信を持ちながらも見間違えではないだろうかと思い、ほうずきに顔を近づけた。その途端、あの独特なほうずきの匂いがして、私は子供の頃の思い出に引きずり込まれていった。あれは小学校最後の年の夏だった。私は生まれ育った住みなれた町から越してきて3年目を向かえていた。上手くいかないことが沢山あったけど、土地にも風習にも慣れて案外悪くないと思えるようになった年だった。近所に両親の知り合い家族が引っ越してきた。両親の知り合いだが、姉も私も初めて見る人達だった。その家族には私と同じ年の男の子が居て、そんなこともあって私の家族も向こうの家族も急速に親しくなっていった。彼らが引っ越してきたのは霧雨の降る湿った空気が辺りを包む日だった。私はその日の午後、気に入りの袖なしの、水色のワンピースを着て知人家族を訪ねた。母が数年前姉のために作ったワンピースだったが、いつの間にか私のものとなり私の一番の気に入りになっていた。私の手にはほうずきの実。庭に実っていた中で一番朱い奴を摘んできたのだ。指先で実を少しずつ押して柔らかくする。中身がぶよぶよになるまで少しづつ揉むのだ。子供の頃に流行った遊びで、今思えばつまらない遊びに思えるけれど。ほうずきは匂いが強い。指先がほうずき臭くなっていい加減嫌になった頃、うっかり強く押しすぎて実の袋が破けてしまった。あ、大変、と思ったときはもう遅くて、朱色の液体が水色のワンピースを強かに染めていた。私は黙って外に出て、とぼとぼと家路に着いた。歩いて僅か2分ほどのところにある自分の家がとても遠くに感じられた。家に着くなりワンピースを脱いで水で漱いでみたがほうずきの色は落ちそうになかった。母に見せると大層がっかりしたが、私のほうがずっとがっかりしているのを見ると大丈夫、ちゃんと元に戻るから、といった。結局ワンピースは駄目になってしまい、あの日を境に私はほうずきに手を出さなくなった。ほうずきは観賞するだけでいい。朱くて奇麗。顔を近づけて夏の匂いを楽しむだけでいい。子供がそんなことを言うのを周囲の人は子供らしくない、可愛げが無いと言ったが、本当の理由を母は知っていた。私にとってはそれで充分だった。しげしげとほうずきを眺める私に行き交う人達が何か言いたそうだ。それほど珍しいものではないのよ、と。ほうずきは日本の風景によく似合うと昔から思っていたけれど、案外ボローニャの街並みとも相性がよいようだ。


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文化

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金木犀の匂いがする。快晴に吹く微風がテラスの角に置いた金木犀の花の匂いを運んでくる。今年も咲いた。冬の恐ろしく冷たい風や大雪にも負けず、後にやってくる春と夏の間にたっぷり太陽と雨を吸収して、9月になるとまるで当然のような顔して花が咲かせる。有難いと思う。今年も咲いてくれて有難うと金木犀に話しかけた私の声は多分ちゃんと伝わったはずだ。恐らく今週一杯くらいいい匂いを放ってくれるに違いない。この時期辺りからボローニャや近郊の町で様々なことが催される。例えばワインや栗、収穫した穀物や牛肉や腸詰、ポルチーニ茸もあればトリュフもある。車でその辺りを彷徨っていれば何かしら面白い祭りに遭遇する。村や町に暮らす人達が楽しむために行われるものが多く、それだからますます楽しい。中にはとんでもなく美味しいものに出合えることがあり、ボローニャ辺りの人達はその手の情報をあの手この手で探っては週末の催しもの巡りをするのである。旧市街で行われるのは郊外のものとは少々違っていて、例えば芸術、例えば文学、例えばモーダを主題にしたものが多い。昨日、旧ボローニャ大学の中庭が妙に賑わっているので覘いてみたら、職人さんたちが集って店を出していた。帽子を作る職人さんの店があり、絹や純毛でスカーフを織る職人さんの店があり、向こうのほうにはヴィンテージ風の衣服を作る店があり、そして靴を作る店があった。靴職人は40前後の男性だ。この店の名前はずっと前から知っている。ボローニャに来たころからずっと。あの頃は彼の両親が店を営んでいた。手作りの靴は当時80万リラから作りますよ、と店に飛び込んで値段を訊ねる私に彼の母親が教えてくれたものだ。3ヶ月かかりますよ。でもあなたの足にぴったりの靴を作ります。彼女はそう言って棚から一足の靴を取り出して見せてくれた。靴には客の名前が書かれた札が括りつけてあった。客には仕上がるまでに3,4回店に来て貰って、ぴったりの靴を仕上げるのだそうだ。数年前、彼らが引退したと知人から聞いたけど、そうか、息子がちゃんと後を引き継いだのか、と分かり嬉しくなった。靴が出来上がる工程を見るのは初めてではない。しかし何時見てもその丁寧さに感動する。昔、手先が器用で衣服の類は何でも作る母が言っていたのを思い出す。何でも自分で作れるけれど、靴ばかりはそうはいかない。靴は大切、履ければいいってものではないからね。足にちゃんと合っていなければ、歩くこともままならない。だから家では子供の頃から靴だけは念入りに選ぶ習慣があった。職人が靴を作る様子は興味深く、そのうち彼の周囲に人だかりが出来た。彼が仕上げた靴が幾つも並んでいて、明らかに外国人風の男性がそれを感動の眼差しで眺めていた。思うに靴は、イタリアの文化のひとつである。と言ったら妙にイタリア贔屓だなと周囲のイタリア人たちに冷やかされたが、イタリアに暮らし始めてからずっとそう思っていたのだ。若い彼が靴を作る文化を両親から引き継いでくれたことを嬉しく思い、イタリアの靴文化は当分安泰であると内心安堵の溜息をつくのだった。それにしても秋が駆け足で近づいている。そういえば金木犀が咲くのも少し早いようだ。長い秋になるのだろうか、それとも秋は案外あっという間で長い冬になるのだろうか。どちらにしても赤ワインが美味しい季節であることには違いない。。


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