足跡

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ところで私にはひとつの計画があった。もし時間通りに列車がローマに着いたなら、約束の正午までの短い時間をとぼとぼ歩いてみようと。風を切るように颯爽とではなく、探し物でもするように。それはまるで足跡探しみたいなものだ。私がローマの街につけた足跡はもう16年も前のことだから、雨風にさらされてとうの昔に消えてしまっている訳だけど、私には解る、確かにこの辺りに今も私の足跡が残っているのを。私が働いていたのはローマの街中の小さな教会の軒下みたいなところにあった。初めて此処に連れて行かれた時はそれはもう大変な驚きで、職場が教会の軒下にある、と友人という友人への手紙にそれを綴った。事実こんなところに会社があるなど誰も想像しないので、大抵の人は見過ごしてしまうのだった。私はこの職場が好きだった、それはそんな軒下にあったからと、それから気取らぬ仲間たちが作り上げる空気が居心地良かったからだ。始まったばかりのこの職場での仕事は楽しかった。忙しかったからかもしれないが、相棒を残してローマに来たことの寂しさは晩になって独りぼっちになるまで思い出さなかった。しかし周囲はどうだっただろう。多分皆がそれなりに私への気配りをしていたに違いないと。結婚していながら相棒をボローニャに残してローマにやって来てしまった妻には何かの事情があるに違いないと。実を言えば事情などなかった。ボローニャに住み始めて半年も経たぬうちに小さな町での閉塞的な生活にうんざりしてしまっただけだった。もともと家に居られる性分でなかったし、仕事が好きでもあったから、仕事のオファーのあったローマに来てしまっただけだった。私が寂しいなど言う権利はなかった。相棒にこそあっても。兎に角周囲は形を変えながら私を見守ってくれていたようだ。ある日、電話に出てみると上司だった。会社の外に出て来いという。出てみるとすぐ其処に上司が立っていた。そして指差すのだ、この中に入ってごらん、と。其処は職場の隣にあるテッラコッタや石膏の工房だった。出勤する時間帯は柵が閉まっていて、いつも外から中を覗きながら通り過ぎていた場所。その中に入ろうというのだ。中に入ると男性が作業していた。と、私たちの存在を認めて手を止めた。この人の旦那さんはボローニャに居るんだけどアンティーク家具の修復師なんだ。上司はやぶから棒にそんな風に彼に話しかけた。一体何が目的なのだろうと思っていると、工房の奥にある古い蓋つきの箱を指差して、ほら、ローマにだってアンティーク家具は沢山あるよ、というのだ。と、解った、上司は多分こう言いたかったのだ。君の旦那さんはローマでも仕事は沢山ある筈だと。確かに仕事は沢山ありそうだったが、相棒がボローニャから離れない理由は仕事ではなかったから仕方がなかった。理由は老いた両親であり、そしてボローニャ人がボローニャ以外の地に暮らすなど、と今考えれば馬鹿馬鹿しい、ちっぽけなプライドだった。私はそれをきっかけに時々この工房に立ち寄るようになった。昼休みに、仕事帰りに。こんにちは、今日はどんな作用をしているんですか。と声を掛けたつもりだったが何しろイタリア語を学び始めたばかりだったから、相手に伝わらないことが多かった。そのうち私は仕事を辞めてボローニャに戻ってしまったけれど、私は時々思い出すのだ。あの工房。売れている様子はあまりなく、しかし経済難な様子もない。趣味でやっているでもないだろうけど、兎に角上手くやっていたあの工房。今もあるのだろうか。私は共和国広場で地下鉄を降りると真っ直ぐその足で工房を訪れた。柵が開いていたので中に入ってみたが誰も居なかった。声を掛けてみたが返事がなく、少し待っても主が現れないので外に出た。何と言う無用心。しかし工房が今も存在することがわかって安堵した。私が16年前につけた足跡が沢山残っている場所。何時までも此処に居座っていて欲しい。


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再会

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7年ぶりにローマを訪れた。アメリカから友達が来たからだった。私より10歳若い友達。彼女が高校生の頃に知り合った。いつも入れ違いの追いかけっこで同じ町に住むことはなかったけれど、私たちは大きな空間を手紙やメールでところどころを埋めあいながら今までやってきた。いくら考えても本当のところは思い出せない、しかし最後に会ったのは13年前だったと思う。高校生だった彼女が州立大学に通う生き生きとした逞しい女性になったのを見て、時間が経ったことを実感したのを覚えている。あれからまた13年経った。久しぶりに彼女に会うこと、そしてローマを訪れるのも久しぶりなので仕事を一日くらい休んでロングウィークエンドと洒落こみたかったが叶わなかった。今までローマへ日帰りしようと考えたことはただの一度もなかったけれど、兎に角顔を見たい、その一心で土曜日にしては恐ろしく早起きしてローマへ行った。ローマは、暑かった。ボローニャの暑さによく似ていた。正午にスペイン階段の上の方で待ち合わせなどと提案したのは私だった。そんなのが13年ぶりの再会にぴったりで、そんな約束がまた良い思い出になると思ったからだった。約束の場所に到着して後悔したのは、日陰が何処にもなかったからだ。太陽が真上に居座ってじりじりと照りつける。ああ、こんな場所で約束などしなければよかった。ああ、彼女は何処に居るのだろう、と見渡すものの誰もがサングラスをかけていてよく解らない。と、階下から一組のカップルが私を見上げ、手を振る。あ、彼女だ。私は急いで階段を下り、彼女は階段を駆け上り汗を掻いていたことなど忘れてぎょっと抱きしめあった。会えた、やっと会えた。ふたりの子供の母親になった彼女は更に輝き素敵だった。彼女が成長するにつれてますます魅力的で眩しいことを私は何故か自分のことのように嬉しく思った。それは自分の友達だから。それから多分私の小さな妹のような存在だから。16年前にローマに住んでいたことなどちっとも役に立たなかった。歩いているうちに思い出すに違いない、などと思っていたけれど。私は彼らを肩を並べながらローマを彷徨うことになった。この暑さだもの、あまり遠くまで歩けないだろうと思っていたのに、ナヴォーナ広場の更に向こうまで歩いた。それに気が付いた時は心底驚き、そして来れないと思っていたこの界隈に偶然とはいえ足を踏み入れたことを酷く喜んだ。私の好きな、大好きな界隈だった。人を楽しませるのは難しいことだ。特に自分が好きな場所を歩いているときは、自分がわくわくしてしまって人を楽しませるどころではないからだ。しかし今日は少し話が違う。何しろ大好きな友達が遠くからやって来ての再会なのだから。私の心はふたつの喜びが絡み合って操縦するのが大変だった。もうひとつ私が好きな場所。パンテオン。昔ローマに住んでいた頃、さ迷い歩いて此処にたどり着いた。その時にはそれがパンテオンだとは気が付かなかった。妙に古いことから恐らく古代ローマ帝国の大切な残り物であろうことは安易に想像がついたけど。私はこの空間が気に入って暫く前を行ったりきたり、中に入って天井を見上げてみたりして時間を過ごした。そうして建物から出たところでバールに入った。妙に混んでいる店で、入る前からカッフェのいい匂いがした。まだ通貨がリラの時代だった。確か800リラほどだったと記憶する。ボローニャならば1000リラなのになあ、そんなことを思いながらローマという町は安くカッフェを楽しめるよい町だと思ったのを今でも覚えている。そうして出されたカッフェの美味しいことと言ったら。私はこの驚きと喜びを誰かと分かち合いたくて、アパートメントに戻るなり住人たちにそれを伝えると、ひとりがそれはTazza d’oroという店だと言った。ローマに暮らして3ヶ月も経つのにまだ知らなかったのか、君は、といわんばかりの口ぶりだった。ローマではカッフェと言ったらTazza d’oro、と言われるほど美味しくて有名なのだと教えてくれた。それから私はこの界隈に行くと美味しいカッフェを一杯、と足を止めたものだ。私の友達は少々体調が宜しくなくて、それにアメリカに暮らす人達にはイタリアのカッフェは濃すぎるからと今回は前を通り過ぎた。それも良い。涼しい季節になったらまた戻ってきたいと思っているのだから。歩きすぎて大層疲れたが、胸の中は沢山の喜びで豊かになった。また近いうちに会おうと約束して彼女たちと別れた。また遊びに来るからとローマの町に言い残して列車に飛び乗った。


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美味しい杏ジャム

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暑い。兎に角暑い。そんな最近、美味しいものを頂いた。初めはウクライナ女性が作った杏のジャム。何時間もゆっくり煮込んで作ったの。気に入ってくれるといいけれど。そう言って広口の小瓶に詰めた杏のジャムを持ってきてくれた。彼女はイタリアに暮らし始めてもうすぐ2年くらいになるけれどイタリア語をあまり話せない。本人は話しているつもりだけど話が周囲に通じない。其の様子が昔の自分と重なって、もどかしく感じたり親しみを感じたりする。イタリアに来てからジャムをパンに塗って食べなくなった。ジャムは無糖のプレーンヨーグルトに入れて頂くのが美味しいと知ったからだ。早速彼女のジャムをヨーグルトに入れて食べてみたら、美味しい。何故だかちょっぴり紅茶の味と匂いがする其のジャムを頂きながら、彼女の後姿を思い浮かべた。この暑い夏の真っ只中にキッチンに立って杏を洗ったり切ったりする様子。そして弱火に掛けた大鍋の中身を木製のスプーンでゆっくりゆっくりかき混ぜる彼女の姿。暑かっただろうなあ。ほんの少し甘すぎるように感じたが寒い国では砂糖をたっぷり入れるのが主流なのかもしれない。それに全く彼女らしかった。彼女は私も顔負けの甘党だから。彼女のジャムが無くなって少ししたら相棒が大きな瓶を抱えて帰ってきた。ほら、と手渡されたものはまたもや杏のジャムで、ずしりと重たくてうっかり落としてしまうところだった。知人から貰ったものらしかった。知人が困っていたので手助けしたら、シチリアの母親が送ってきたのだがジャムは好きかい? と手製の杏ジャムをくれたのだそうだ。たっぷり果肉が入ったそれは見るからに美味しそうで、我慢できずにすぐに開けた。ヨーグルトにたっぷりそれを載せて頂いてみたら、とろけるような美味しさだった。甘みを抑えた杏特有の甘酸っぱさが口の中に広がった。ジャムというよりは、イタリア風にマルメラータと呼ぶのがぴったりだった。ウクライナ女性のも美味しかったがシチリアの太陽をたっぷり浴びて育ったに違いない杏を煮込んだこれは、ちょっと他のものとは比較しようがないと言うくらい美味しかった。これは美味しい。そう言って微笑む私に誘われて普段はこの手のものを食べようとしない相棒も大きなスプーンで口の中に放り込むと、これは果物そのものだな、といって喜んだ。ジャム作りは案外大変なのだ。昔、私がボローニャに暮らし始めた夏に農家の人から山ほどのプルーンを貰ったのでジャムを作ったのだが、大仕事だった。それに暑いこと! 真夏に鍋の前に立つことの辛いこと! 其の分出来上がったものは自分で言うのもなんだけど、とんでもなく美味しかった。どんな高価な贈り物よりもこんな心のこもった贈り物が好きだ。ああ、それにしても。日に日にジャムが減っていく。無くなったら、今度は自分で作るしかあるまい。あの年の夏のように、玉のような汗を掻きながら。

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懐古

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通勤ロードであるピアノーロの丘の一部にひまわり畑が広がる。花が咲くまで気が付かなかった。じゃがいもだろうか。それにしても背丈があると思っていたが、兎に角何か作物に違いないと思っていた。この辺りは日当たりも風通しも良いので作物が良く育つ。ある年は麦が、ある年は薬草が育つ。翌年の作物は育ってからのお楽しみのこの丘は、私の気に入りのひとつだ。ある朝、丘が黄色いと思いながら通り過ぎるとひまわりの花が咲いていた。ひまわり。近頃ではあまり見かけなくなったが、17年前の夏、私がボローニャに暮らし始めた年の夏は行く先々でひまわり畑に遭遇した。突然視界に広がり行けども行けどもひたすら続くひまわりの群れ。ひまわりの大波に飲み込まれてしまうような錯覚に陥ったものだ。7月に入った頃、私と相棒は車でリヴォルノを目指した。アメリカから送ったコンテナが港に着いたのだ。コンテナの中身は私たちの生活用品や手放すことが出来なかった磨きの掛かった古い家具。アメリカで集めた100ほどの古いラジオ、ジュークボックス、蓄音機とレコード、そして好きで集めたガラス物のコレクションだった。コンテナ一杯に詰まったそれらが役人たちには輸入品、販売目的にアメリカから送った物に見えたらしい。それで多額な税金を課せられそうになり、電話でやり取りをした挙句に出頭するよう命じられたという具合だった。初めてのリヴォルノ。港に続く大通りの広々とした様子はボローニャとは違った印象で、殺風景にも見え、しかし開放的にも見えた。いい匂いがする。どこかの店で魚を焼いているような。私はこの海の町に来れたことを一種の幸運と感じていたが、相棒はとんでもない税金を課せられそうになっている現実に頭をすっかり占領されていて、焼き魚の匂いに気が付くことが出来なかった。港の殺風景な建物の前に車を留めた。役人がこの中で待っている筈だった。私は相棒に促されて中に入ると役人が3人待っていた。相棒がこれこれ云々と説明した。多分私たちがボローニャに引っ越してきた理由を説明しているに違いなかった。と急に役人たちが私に訊くのだ。イタリア語は全く解らなかったから困った顔をすると、ひとりが英語で訊きなおした。それであのガラスのコレクションは私が4年間集めたもので売るなんてとんでもない、とても大切にしているのだから、と答えると3人がひそひそ話しをした。そして次の質問。あの古い300枚ものレコードは、私は相棒に頼まれて半日も掛けて奇麗にしたもので、其の時一枚をうっかり流しの角にぶつけたら、何しろ年代物のレコードだから意図も簡単に割れてしまって散々文句を言われたこと、どんなに頼まれても二度とレコードを奇麗にする作業はしたくないこと、大体普段は触らせてもくれないくらい大切なものなのだから自分ですればいいのよ、などと答えると、それらの答えが決め手になったらしく、単なる引越しによる家財と解釈され、莫大な税金を払わずに済んだのである。相棒は緊張していたらしく、建物を出るなりほっとして疲れが出たようだった。私はといえばあんなくだらない質問ばかりしてと文句を言ったが、役人にあんなことをぽんぽんとよくも言えたものだと相棒に窘められるとようやく彼ら役人の権力の凄さや公の場での高い位置づけが解り始めて、急に疲労が噴出した。帰り道はふたりとも妙な疲労感と驚くような暑さでぐったりだった。お喋りする気力はなく、ラジオだけが一人で喋り時々音楽を流していた。だけど私は楽しみにしていたのだ。行きの道で遭遇した広大なひまわり畑をもう一度見ることを。私が生まれて初めてみた広大なひまわり畑だった。大波のようにうねるひまわりの花が私をすっかり驚かせ、同時に妙に不安にさせた。昔みたデ・シーカの映画 “ひまわり”がふと思い浮かび、始まったばかりのイタリア生活や周囲の人達との人間関係、大好きだったアメリカを去ってしまった後悔が大理石の模様のように入り混じった。それで居てもう一度あのひまわり畑を見たかった。しかしとうとう見ることは無かった。今来た道を使って帰るなんて、と相棒は言った。彼は同じ道を好まないらしかった。あれから17年が過ぎて見るひまわり畑にあの頃のような不安は覚えない。むしろ何か酷く懐かしいような、あの不安で寂しくて後悔に詰まっていた頃の私たちの生活が懐かしような気がした。不思議なものである。枯れてしまう前に一枚写真をと思いながら、こんな風に自分の目に焼き付けておくだけも良いかと思う。今年の夏の思い出のひとつとして。


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夜風

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昼間の暑さが嘘だったように思える。開け放った窓の向こう側から涼しい風が流れ込む。どこかで雨が降っているのかもしれない。多分此処から数十キロほど南のアペニン山脈の辺りで。そういえば今頃山の村では週末ごとに夏のフェスタが繰り広げられて、集まった人々は夏の晩を冷やしたワイン片手に楽しんでいるに違いない。数年前まで私と相棒もそんな晩を楽しむ為にしばしば山を訪れたものだが、知らぬ間に足が遠のいてしまった。私たちの生活スタイルが時と共に変わっていく中で、習慣化していた小さな楽しみが消えていって、新しい楽しみが生まれていく。それは決して悪いことではないと思うけれど、しかしほんの少し寂しく思う。ひらり、ひらりと夜風が部屋の中に流れ込む。夜風。私は夜風と言う言葉が好きだ。何かとても大人びていて、何かとても静かな感じ。私の夜風の思い出は数えたら両手に余るほど沢山ある。その中で私が真っ先に思い出したのは、私が20歳の頃のことだ。私は東京とはいえ随分の山奥に来ていた。幾つも電車を乗り継いで降りた駅は無人駅だった。随分子供の頃から夏になるとこの駅を利用していたが一向に駅員を置く様子はなく、実際この辺りには民家は少なくて、唯一あるのが駅前辺りを陣取っている酒蔵だった。酒蔵の古い建物の前を通り過ぎて坂道を下っていくと急に辺りがひんやりして川の流れが聞こえてくる。私はこの川が大好きで幅広の川を渡りながら、ああ、また此処に戻ってきた、と思うのだ。一度だけ川に入ったことがあった。この辺りの川は驚くほど清く、川底がすっかり見えた。それにしても冷たくて驚いたものだ。泳ぐなんてとんでもなくて、浅い辺りを歩いて川を渡るだけでも膝下がぴりぴりした。川の一部分を石で囲って果物を冷やしておいたら、30分も経たぬうちに芯まで冷えた。私が宿泊していたのはこの川から15分ほど上ったところだった。街中に比べれば昼間とて過ごしやすかったが、しかし周囲の森林に集まる蝉の声を聞いていると嫌でも暑く感じた。ところが20時を過ぎる頃になると山から川からひんやりとした風が流れてきて、確かに人里離れたところに居ることを実感するのだ。22時頃になると外の椅子にひとり座って色んなことを考えた。いや、考えたというよりは空想していたといったほうが正しい。私は子供の頃から空想好きで、いつも夢見たいなことを考えていた。何時か必ず叶う、きっとそんな風になる、と信じて疑いもしなかった子供がそのまま大きくなったのが20歳の頃の私だった。と、横に人が。知り合ったばかりのアメリカ人で、ショートパンツから延びる長細い足だけを見る限りはまだ少年のように見えるが私と同じくらいの歳らしいと人から聞いた。私は英語が好きだったが、そんな気持ちとが正反対に全然英語分からなかったから、次から次へと話しかけられても何一つ解らなかった。暫くすると彼は口をつぐんで5分も黙っていたかと思うと、呟いた。Night breeze.  夜風。英語は全然分からないのにこれだけははっきり解った。私がNight breezeと繰り返すと彼はほっとしたように笑った。気持ちの良い夜風。スモッグとは無縁の夜空に散らばる大粒の星。もしかしたら彼は何かロマンチックなことを話しかけていたのかもしれない。この晩を境に私たちは言葉を交わすようになり、数年文通なんてものもした。私が英語に関心を強く持つようになったきっかけのようなものがあの晩の夜風だった。夜風。何て素敵な響き。今夜はそんな夜風に吹かれながら、深い眠りにつくとしよう。


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