月曜日のこと

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月曜日が嫌い。今日の月曜日は今迄で一番嫌いだった。朝の空の憂鬱なこと。まるで今にも雨が降りそうだった。仕事前にしばしば立ち寄るバール。ひとり可愛い女の子がいる。今年に入ってから働き始めた、若くて見るからに元気で感じの良い女の子。彼女は3月ごろから半袖姿で寒がりの私を驚かせたが、兎に角半袖姿がよく似合う。今日は襟ぐりが大きく開いた、鮮やかなエメラルドグルーンのシャツを着ていた。色白の彼女にぴったりだった。それで彼女にそういって褒めると、頬をかすかに染めて笑った。有難う。そう言った彼女は飛び切り可愛くて周囲にいた客達の気持ちをほっとさせた。とんでもない一日が終わり、バスに乗って旧市街へ行った。いつもの薬屋さんに立ち寄った。ボローニャ旧市街の真ん中に建つ2本の塔の手前に在る小さな薬屋さん。気に入っている訳ではないが便利なので此処に通っているうちに顔を覚えて貰うようになった。店に入ると先客がいた。小さな女の子を連れの若いお母さんと、大きな犬連れの老人。そして坊主頭の男性。女の子が犬に関心を示すと犬がするすると近寄った。女の子は驚いたような顔を私に向けたので、大丈夫、この犬はきっとお利巧さん、と言って聞かせると女の子は少し安心したらしく再び犬に好奇の目を向けた。案の定犬は大変賢くて、女の子の前まで行くとぺたんと座り込んで片手を持ち上げた。女の子はそれを犬がチャオと言っているものと思ったらしく、彼女もまた片手を上げてチャオと言った。それを見ていた大人たちは可笑しくて微笑ましくて幸せな気分になった。私の番が来た。薬屋さんも私も先ほどの余韻が冷めず、口元に笑みがあった。私は薬を幾つか頼んで会計を済ませた。すると薬屋さんがこんなクリームがありますが使ってみてください、と片手ほどの大きさの箱を手渡した。中を開けてみると顔用のクリームが入っていた。売り物だろうか。試供品の類ではなかった。イタリアの多くの薬屋さんは自分の研究所なるものでオリジナルのスキンケアクリームなどを作り出しているが、私が貰ったものもまた、その類であった。珍しいこともあるものだ。これも女の子と犬が作り出した幸せ気分の連鎖だろうか。礼を言って店を出るその前に女の子に声を掛けた。彼女と犬がそうしたように片手を挙げてチャオと言ってみた。女の子は笑っていた。食品市場界隈の花屋さん。最近この店には面白い大輪の花がある。見たこともない紫色の花。数日前思い切って訊いてみた、本物ですか、と。店の人は本物だと言い、そして名前を教えてくれたが残念ながら覚えられなかった。それ以来私はこの店の前に来てはこの花を観察する。鮮やかで魅力的な色の大輪の花。雑踏の中に咲く美しい花。今日はそんな月曜日だった。


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偶然が生む偶然

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昨日の散策には続きがある。正確にはもうひとつ面白いことがあったというべきか。知り合ったばかりの彼女と近いうちに連絡を取り合う約束をして別れた後、彼女の薦めどおり私は真っ直ぐその通りを歩いた。この道の反対側半分しか歩いたことが無かったから、残り半分は未知で見るものすべてが新鮮に見えた。もっともそれは他の人にしてみれば何てことの無い風景に過ぎないのかもしれないけれど。古い外壁の隙間に生えた雑草を観察したり、天井の低いポルティコを眺めてみたり。そのうち私は頑丈そうな古い屋敷を見つけた。道に面した真ん中に、深緑色の両開きの扉があった。それは古い分厚い木製の扉だった。左の扉には人間がひとり通り抜けられる為にくり抜いた小さな扉が備えつけられていて、その小さな扉には美しい模様が施されていた。由緒ある屋敷に違いなかった。美しい小さな扉にレンズを向けようと思ったところで大きな扉が開き始めた。中から誰かが出てくるのかもしれない、と思って扉の前から退いてみたら、私の背後にぴかぴかに磨かれた黒い車が中に入るために待機していたのだった。この屋敷の人らしかった。他所様の家の扉をレンズに収めようとしていたことで家主が気分を害したのではないかと思った私は、何も無かったように前から退いて歩き始めた。と、扉の横に建物の説明が書かれているのに気が付いた。Palazzo Bianconcini (ビアンコンチーニ家の館)と書かれていた。1774年に建てられた屋敷とのことであった。すると車の中から声がした。お嬢さん、興味があるなら中を見学しませんか。開いた車窓の向こう側にはぱりっとしたスーツ姿の男性がいた。大変古いフレスコ画があるという。しかし、と躊躇していると、遠慮することはないという。それで好意に甘えて屋敷の中に入ることにした。扉の向こうにはもうひとつ鉄柵の門があって、その向こうに中庭が続いていた。そしてそれを取り囲むように幾つもの窓が並んでいた。声の主は口髭を蓄えた初老の紳士だった。この屋敷は随分前にBianconcini家によって売り出されたのだそうだ。今は数人でこの屋敷を分け合って暮らしているという。初老の紳士が尋ねた。何故私がこの屋敷の前に立ち止まっていたのか。古いものが好きなこと、外の緑色の扉が美しかったこと。私がアンティークを好きなこと、ボローニャの歴史に関心があること。手短に説明すると、うん、うんと頷きながら、右手の扉を開けた。この階段を上まで上ってごらん、フレスコ画が昔のまま残っているから、と言った。そして自分は家に戻って食事をするのでお付き合いできないがと前置きして、どのようにして外に出るのかを説明するとさっさと向こうに行ってしまった。私は幸運を噛み締めていた。石造りの階段を上っていくと確かに古いフレスコ画があった。それはあまり手入れのされているものではなかったが、私はそれが嬉しかった。昔のままのフレスコ画。私はそう呟きながら幾度も壁を撫でた。近代的な建物のようにすべすべしていない、ぬくもりすら感じるでこぼこの壁だった。石造りの階段に腰を下ろした。200年前の人々は誰も階段に腰など下ろさなかったに違いない、と思いながら。人との出会いとは不思議なものだ。私があのイタリア人女性に出会っていなければ、この道を歩くことも無かっただろう。そしてこの屋敷の中に招き入れて貰うことも一生無かったに違いないのだ。偶然が生む偶然。人間関係は時としてとんでもなく鬱陶しくて独りぼっちになりたいと思うこともあるけれど、生きていく上で人間との付き合いは避けて通れないものなのだ。そうだ、良いときもあり悪いときもある。それが人生なのかもしれない。私は天井に描かれたフレスコ画を眺めながら、そんなことを考えた。10分ほど見学して、此処の住人たちが驚かないうちにと靴音を立てずに階段を下りて外に出た。この屋敷から小さな東洋人が出てきたことを通行人たちが怪訝そうに見ていた。それで素晴らしいフレスコ画でした、と述べると納得したような表情で再び歩き始めた。当分この界隈は私の一番のお気に入りになりそうだ。


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平凡な生活

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肌寒い土曜日の朝。先に起きた相棒が、雨が少し降っていると一言残して土曜日だというのに仕事に出掛けた。その途端、深い眠りに落ちていった。次に目が覚めたのは平日の起床時間から数えると3時間もあとのことだった。そうして窓の外を覗いてみると雨は随分前に上がったらしく、しかし冷え込んでいるらしく道行く人々はしっかりとジャケットやスカーフで身を包んでいた。いつも土曜日の朝は時間を掛けて朝食を楽しむが、一刻も早く外に出たくて沸かしたカッフェを一気に飲み干すなり家を出た。約束があったわけではなかった。ただ、外の空気を吸って歩きたかった。旧市街は小雨が降っていた。トレンチコートを着る女性が横を通り過ぎた。急に自分が薄着のような気がして肩をつぼめた。5月に入ってからボローニャではT-DAYSというものが始まった。環境保護のために土、日曜日は旧市街の一部を通行止めにするというものだ。バスがいつものバス停を通らなかったりでなかなか大変なのだけど、しかし車が通らぬ旧市街の道の真ん中を堂々と歩けるというのは何という開放感なのだろう。そう思いながらも気が付くとポルティコの下の歩道を歩いているのだから、習慣というのは面白いものだ。そうしてはまた道の真ん中を歩き、知らぬ間にポルティコの下を歩くのだった。今日はいつもと違う道をあても無く歩いた。単なる気まぐれだった。其処にあっさりとした店構えがあった。小さな店だった。中を覗くと力のありそうな男性がタリアテッレを作るために面を打っていた。長い棒で丁寧に薄く薄く延ばしていく姿が、元気な頃の姑の姿とダブった。そのうち奥から元気そうな女性が出てきて、彼女がパスタを捏ね始めた。昔姑が1kgの小麦粉に10個の卵黄を加えて捏ねていたがこの店もまた同様らしく、黄色い黄色いパスタだった。私は暫く見惚れていたが、よく見ると店内には先客がいた。どうやら店の人と知り合いらしかった。自分も話しに加わりたいのをぐっとこらえて外から観察した。店のガラス窓にはトラットリアの作業場と書かれていた。成る程、此処でパスタを作ってトラットリアで料理するらしい。さてしかし、トラットリアは何処にあるのだろう。すると中から先客が出てきたので、思い切って中に入って質問した。この100m先の右手に店があると教えてくれた。試してみなくちゃ。礼を言って外に出ると先ほどの先客のひとりがいた。どうやら私を待っていたらしい。ボローニャ辺りでは珍しいくらいの大変オープンなイタリア人女性で、見ず知らずの私に次から次へと話しかける。私はこんな女性が大好き。仲良くなれる良い予感がした。私たちは暫く立ち話をして、一緒に100m先の店に行った。彼女はこの辺りのことをよく知っていて、この店もまた顔見知りだった。だからこの店の女主人を紹介してくれるとのことであったが残念ながら彼女は留守だった。それにしてもいい匂い。まだ此処で食事をしていない私でも、どんなに美味しいか手をとるように判るようないい匂いだった。此処であの薄く薄く延ばしたタリアテッレを頂けるのか、と思いながら店内を見回す。壁には小さな額縁が壁一面に飾られていて、沢山の思い出が詰まっている、そんな印象を受けた。私はここで昼食をと思っていたが、改めて来ることにした。相棒を連れてこようと思ったのだ。彼の母親が元気だった頃、土曜日の午後にはしばしばタリアテッレを作るべく粉を捏ねていた。日曜日の家族揃っての昼食に美味しいのを作りましょう、と。その横で舅が手伝いをしながら、自分の妻の腕が良いことを無言で自慢しているように見えた。姑が病気になってからもう14年が経つ。その間、誰もが彼女のタリアテッレを懐かしんでいた。幾度か私が粉を捏ねてパスタを作ったが直ぐに辞めた。あれは大変な作業なのだ。粉を捏ねて棒で延ばす。単純な作業に聞こえるけれど、私はこれをする度に丸5日間酷い筋肉痛になって熱まで出した。この店のタリアテッレに相棒はきっと感激するだろう。私は店の人と、それから知り合ったばかりのイタリア人女性と別れた。人生って面白い。別れもある。しかしその向こう側では人間が小さな繋がりを持って広がっていくのだ。深呼吸をした。山のように空気は美味しくないけれど、ボローニャには人間が暮らしている匂いがする。ごく普通の平凡な生活。でも気持ち次第でどんどん楽しくなる。温かい陽が差し始めた。


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初夏がやってくる

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金曜日の夕方はなんて素敵なんだろう。特に予定も無ければ約束も無いけれど、わくわくする。今週は様々なことに気持ちを大いに振り回されて疲れた。全てが解決した訳でもなく来週の課題として残ってしまったことも幾つかあるけれど、私はいつも決めているのだ。金曜日の夕方を迎えたら、とりあえずそれらの課題や問題や悩みは小箱に押し込んで、楽しく週末を過ごそうと。勿論、時々それに失敗して悶々とした気持ちで過ごすこともあるけれど、まずは楽しく週末を過ごそうという気持ちが大切なのだ。幸運なことに空が明るい。雨が降る気配も無い。帰り道、旧市街の真ん中の2本の塔の手前でバスを降りた。信号待ちをしていたら大きくも大変若そうな犬がやって来た。飼い主の若い女性と一緒だった。犬は私を見つけるとするすると近づいて、横でぴたりと静止したかと思うと私の顔を覗き込むように真っ直ぐ上を見上げた。最近私は犬と大変相性が宜しく、街中で通り過ぎる犬たちが皆そんな風にして私に視線を送ってくれる。私が犬好きと分かるらしい。と言っても私は同じくらい猫も好きで、犬贔屓ではないけれど。飼い主の女性がくすりと笑って、どうやらあなたに好感を持っているらしい、と私に話しかけた。それで私もあなたの犬に好感を持ったと答えると、彼女は良かったわねえ、と犬の頭から背中へと優しく撫でた。犬は尻尾をふりふりしてご機嫌だった。まだ9ヶ月だと彼女は言った。これからまだまだ成長するのだと言ったところで信号が青になった。ふと思い出して大好きなチョコレート屋さんに足を向けた。何しろ金曜日の夕方だ。ちょっと美味しいものをひとつふたつ摘んでみると良いのではないかと思ったのだ。久し振りだった。チョコレート屋さんのある通りはいつも賑やか。細い道なのに、地味な通りなのに、ボローニャの人達はこの通りが大好き。私もそのひとりだった。右手のお洒落だけど高い、しかし大変流行っている眼鏡屋さんの店先を覘き、パン屋さんの入り口に飾られている菓子を物色して、その筋向いに在るチョコレート屋さんへ行ってみると閉まっていた。それも単に閉まっているのではなく、店内の殆どの棚が空いていて、廃業のように見えた。不況の波がついに此処まで来たのかと驚いていると中から女性が出てきた。いつもカウンターの中で忙しく働いている感じの良い女性で、この店の経営者の一人と思われた。声を掛けてみると9月半ばまで休みだと言った。そして彼女はガラスの扉に鍵を掛けて行ってしまった。ふと横を見ると確かに“9月半ばにまた会いましょう”と書かれていた。と、思い出した。10年ほど前の7月、トロントに暮らす私の大好きな大切な友人を訪れる際に私の好きなボローニャのチョコレートを土産にしようと考えた。それで、それを求めて旧市街の店に行ってみたら、無かった。あんなに美味しくてボローニャの人で知らない人は居ないようなチョコレートが無いとは。怪訝な顔を向ける私に店の人が教えてくれた。あのチョコレートはデリケートなので初夏から初秋まで店に置かないのだと。あの時は酷くがっかりして、少々憤慨したものだ。しかし自分の大好きなチョコレートがデリケートと呼ばれたことに少なからずとも気を良くしたものだ。もうひとつ思い出した。昨年の8月の初め、この店の前を通ったらやはり同じような紙切れが張ってあった。9月の半ばまで休みだなんて長い休みだこと、と思ったが実際はこの時期から休みが始まっていたのだろう。それもやはり10年前のあのチョコレートと同じように、デリケートで溶けやすいから、なのだろう。ちょっぴり残念だったけどチョコレート屋さんとはそういうものだと思えばよい。楽しみが少し先に延びたと思えば良い。チョコレート屋さんが長い休暇に入る頃、ボローニャに初夏がやってくる。


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5月24日

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5月下旬。そろそろ半袖になりたいところだ。それから素足にモカシンシューズで軽快に街を歩きたい。ところが少し暖かくないのである。それどころか寒がりの私に限らず、ボローニャの人達もコートにスカーフという装いだ。中にはブーツを履いている人もいるし、ウールのセーターの人もいる。なかなかすっきり晴れ上がらぬ空を眺めながら、また今日も冷たい雨が降るのだろうかと心配する。この明るくて楽しい季節を無駄に過ぎてしまう気がして、私は心配と焦りの毎日なのだ。私がイタリアに引っ越してきたのは5月24日だった。コットンの長袖シャツにジーンズという装いで午後4時頃ボローニャ空港に到着した。今でもさほど大きくないがあの頃は今の半分ほどの規模だったし、小さなバールと売店があるくらいだったから酷く寂しげな空港に感じた。外に出ると眩い光に満ちていた。あれは本当に明るい午後だった。タクシーで旧市街に向かい、Via Santa Caterina で降りた。古い通りで道の片側だけに古い木製のポルティコがあった。アメリカから引っ越してきた私にはそれが実際よりも古びたように見え、こんなところに暮らす知人のアパートに転がり込むことを多少なりとも不安に感じた。17年前のことだ。あの日は日差しが強くて夕方なのに暑かった。ポルティコの下に椅子を出して寛ぐ界隈の老人達が私と相棒をちらちらと眺めていた。相棒は兎も角、見るからに異国人の私は珍しかったに違いない。私は大きな荷物の上に腰を下ろし、相棒は知人と連絡を取るために電話を探しに行った。私は人々の珍しげな、好奇心に満ちた視線を疎ましく思いながらも、それが悪意に満ちたものでないこと確認してほっと胸を撫で下ろしたのだった。じっとしているのに暑くて、咽喉がからからになってどうしようもなくなった頃、向こうのほうから知人がやって来た。髪を長く垂らした、袖なしのシンプルなワンピースが良く似合う若い女性だった。既に袖なしなのかと驚きながらも、私はボローニャの5月とはこんな季節なのだと思ったものだ。それなのに今年ときたら。そういえば子供の頃、梅雨がなかなか終わらないと随分心配したものだ。私たちの楽しい夏が短くなってしまうのではないかと。そんなことを思い出して苦笑する。あの頃から私はちっとも変わっていない。


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