フィレンツェへ行こう

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何時雨が降り出しても不思議ではない空。あの重苦しい雲の上に雨粒が溜まっているのだろうか。それともあの雲が水分をたっぷり含んだタオルのようなもので、指で押したらぽたぽたと雨粒が落ちてくるのだろうか。おかげで地上の空気も酷く湿っぽく、自然と日本の梅雨時を思い出す。窓の外を眺めながら思う、昨日行ってよかったと。行き先はフィレンツェだった。予定していたわけではない。金曜日の帰り道にふと思いついた程度のことだった。世間の人々は5月1日までの数日を連休にして遠くに足を延ばすけど、私は連休ではないのでいつもどおりの週末だ。しかし天気が良いようだから、どこか近くに足を延ばしてみようかな、と。思いついたその足で翌朝乗る列車の切符を買った。そうすることで少し楽しみが早く始まるような気がしたからだ。ところで翌朝乗った各駅停車は驚くほどの満員だった。ドアの傍に立ち尽くす私は列車の揺れで何度も隣の人にぶつかっては詫び、そうしているうちに言葉を交わすようになった。隣の人は10歳くらいの男の子の父親だ。母親が同行していないのには何か事情がありそうだが、兎に角仲の良い父子で、赤の他人の私が見ていても嬉しくなるくらいだった。彼らは海に凧上げに行くらしく、リックサックと凧を持っての旅だ。本当ならば急行列車で行きたかったが満席だったので各駅停車に乗ったのだそうだ。予想はしていたが各駅停車もこんなに満員だとはね、と苦笑した。私だって驚いた、この各駅停車はいつもならば各車両に10人も座っていればいいほうなのだからと答えた。車両の中の座席につく人達は殆どが大きなリュックサックで旅をする若者だった。1時間半も立ちっぱなしだったので列車を降りる頃には疲れていた。これからが楽しい散策なのに。そうして駅の外を出ると驚くような晴天。それは初夏というよりは夏とも言えるような陽射しの強さで、路上のデジタル温度計が30度を示していた。フィレンツェは旅行者の多い町だ。この街には沢山の人が様々な国からやってくる。私がアメリカに暮らしていた頃に知り合った人達は誰もがフィレンツェを夢見ていた。芸術の町、ルネサンスの都フィレンツェと。そういえば時々購入した旅行の雑誌にもアメリカと言うとまずはフィレンツェの名前が先に書かれた。ローマでもなく、ヴェネツィアでもなく。恐らくそれはアメリカだけではないだろう、と思うほど外国人旅行者が多い街なのだ、フィレンツェは。私はそんな人達を避けるかのように裏道ばかりを選んで川を目指した。アルノ川。私がフィレンツェに通った5年間、毎日見た川。川の手前に職場があったから、昼休みに外に出ると川に遭遇した。あの頃はなんてことの無い川だと思っていたけれど。川の流れを眺めていて思い出した。職場に良く来た女性の犬だ。白いプードルで大きくならない種類だったが何故か大きく成長した。彼女は犬を溺愛して何処へ行くにも犬と一緒だった。ある暑い日、彼女は友人と共にアルノ川に肌を焼きに行った。勿論犬も一緒に。そのうち犬はじっとしていられなくなったらしい。もぞもぞ動いているうちに川に落ちてしまった。驚く犬、焦ってじたばたする彼女。運良く犬は川から救い出されて一件落着。しかしその話は何年経っても私の頭から消えることが無かった。だから川を眺めているうちにまず思い浮かんだのがこのことだった。向こうのほうに寝転がるのに丁度よさそうな場所があった。あの辺りだろうか、彼女たちがいたのは。そんなことを思った。彼女はその数年後、犬と共に日本に帰ってしまったけれど、時々思い出すことはあるのだろうか、例えばこんな感じの大きな川に遭遇したときには。向こうのほうからカヌーがやって来る。仕事をしていた頃はこんな風にゆっくり眺めることも無かったから、街の真ん中を悠々と流れる様子に気がつくことも無かった。案外いいじゃない。そんなことを言ったらあの頃周囲にいたフィレンツェ人たちに今頃気がついたのかと呆れられそうだけど。それにしても日差しが強い。咽喉が渇いた。私は日陰と冷たい飲み物を求めて歩き出した。


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フランコのこと

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欧羅巴諸国共通の祝日が多い中で、今日はイタリアだけの祝日。イタリア解放記念日である。戦争を通過した人達にとっては感慨深い日に違いない。今日も冷たい風が吹くが朝から天気が良く、恐らくボローニャ旧市街は沢山の人々で賑わったに違いない。もしかしたら何か式典みたいなものも催されたのかもしれない。今週辺りから5月1日の祝日までを強引にくっつけて小旅行を楽しむ人々で賑わっているのかもしれない。私はフィレンツェ辺りに足を延ばそうと考えていたが、昨日体調が悪かったので家でのんびりすることにした。たまにはそんな日も必要だ。フィレンツェが逃げてしまうわけでもあるまいし。先日玉葱を貰った。それも沢山。隣のうちからでもなければ行きつけの八百屋でもない。相棒がいつも頼んでいる自動車修理工場のフランコからだった。フランコはもう70歳を越えていて、とっくに定年退職しても良いのだが、この仕事が好きだから、と戦後に構えた自分の小さな修理工場に毎日通う。引き継ぐ人がいないので彼が定年退職したら消えてなくなってしまうだろう。もしかしたら彼はそれが悲しいのかもしれない。オールドファッションの彼は、つまりよく言えば旧式だが、悪く言えば時代に上手く乗り切れていない彼はコンピュータ化された最近の車が苦手。だからこの分野には手を出さず、もっぱら昔ながらの車のメカニズムの修理に勤しむ。フランコを知ったのは単なる偶然だったらしい。ある日、相棒がバールでカッフェをしていた。今まで行っていた修理工場があまり宜しくないのだが、何処かいいところはないだろうか、とたまたま隣り合わせになった見知らぬ人を雑談をしたところ、知ってるよ、とフランコを紹介してくれたのだ。小さな修理工場だけど、フランコの腕は確かだし、正直者で料金も良心的だから、と。それでフランコの所へ車を持っていったところ、腕はいいし安いしで、それからずっとフランコに頼むようになった。勿論、多少のハンディはある。若くないので時々寝込む。それから作業中に人に話しかけられると、今やっていたことを忘れてしまって困ったことになる。いつの間にかフランコは時々相棒に頼むようになった。安くするから手伝いに来てくれないか、と。まあ、自分の車だ。手伝うことでしっかり仕事してもらえて安くなるのならば、と相棒も仕事がないときにはフランコに付き合うようになった。それで玉葱だ。車の修理に出したがコンピュータ分野でフランコの手に負えないからと彼の知り合いを紹介してもらった。ところがちっともよくならない上にびっくりするほど高かった。しかしフランコのせいではないから、と私は相棒を宥め、そのうち私たちはそんなことがあったことも忘れてしまった。ある日、相棒がフランコの修理工場の前を通りかかったら彼が外で煙草を吸っていたので立ち寄ったのだそうだ。するとフランコは喜んで、ああ、よかった、君が来てくれて、と言って中に入ったかと思うと大きな紙袋を抱えて出てきた。袋の中を覗くと玉葱が入っていた。それも20個ぐらい。白いのもあればブロンドのもあった。ボローニャから40kmほど南に行った山の町モンギドーロに暮らすフランコは大きな畑を持っているらしく、野菜は店で買わないよ、とのことだ。先日の大風で、植えたばかりの野菜の苗がすっかり明後日の方向に向いてしまってがっかりだったが、それにしても玉葱は豊作で、しかも上出来だった。それで相棒におすそ分けしようと待っていたらしい。何時立ち寄るかも分からない相棒の為に玉葱なのかと実に理解に苦しいところだが、気持ちは嬉しい。いい玉葱だな、ありがとうと礼を言うとフランコは酷く喜んで、あんなことがあったから嫌われてしまったのではないかと思い悩んでいたことを告白したそうだ。そんな話を相棒から教えてもらった。ああ、フランコ。身内でもなんでもないけれど、とても愛しく思った。ところでフランコの玉葱は本当に上質だ。こんなのは店では買えないね。そう言って私は涙を流しながら玉葱を刻むのだ。


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鼻の尖った魚

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数日続いている頭痛。薬を飲んでも治らないので飲むのを止めたくらい粘り強い。頭痛が他の不都合も引き起こし、今朝はついに根負けした。こういう時は張り合わずに素直に引き下がって寝るのが一番。折角早起きして朝食まで済ませたけれど、素直にベッドに戻ってもう一眠りした。そうして人々が仕事をしている時間に目を覚まし、ゆっくり身仕度した。体調は宜しくないが一眠りしたぶんだけ体が軽い。今日一日を乗り越えれば明日は祝日だからと自分に言い聞かせて家を出た。雨が降っていた。しかも意外なほど強い雨。折角の祝日が台無しにならなければ良いけれど。4月下旬。日本に暮らしているなら新しい学校や学年が始まり、職場には新しい人達が入ってきて、誰もが自然とわくわくする頃だ。そういう生活が当たり前だったのが随分昔のことになり、私にとってはいつの間にか長い夏休みを終えて人々が街に戻ってくる9月が新しい気分の月になった。しかし面白いもので古い習慣とは何時になっても消えるものではないらしく、今でも4月になると新しいことを始めたくなる。先日街を歩いていたら店先が油絵の道具でディスプレイされていた。旅行会社のショーウィンドウで、春のパリをイメージしたものらしかった。絵の具に汚れた絵筆に懐かしいものを感じながら、しかし私ならば筆の柄をこんなに汚すことはないだろうと思った。こんなに汚れることはつまり自分の手も絵の具で汚れるだろうし、一日が終わるたびに奇麗に洗い落とさなければ絵筆が直ぐに駄目になってしまうからだった。絵筆にしてもパレットにしても様々な液体を入れる小壺にしても、絵を書く人は大抵道具を大切にするものなのだ。それを私たちは愛着と呼ぶのかもしれないけれど。私はショーウィンドウを眺めながらそんなことを思った。・・・それともマティスはそうではなかったのだろうか。歩き始めて少したってからそんなことを考えた。素晴らしい作品を残した人達はどうだったのだろうか。途中で絵を描くのを辞めてしまった私はそんなことを考え、だから私は絵をやめてしまったのかもしれないと思った。本当のところはよく分からない。ただ、そんなことを考えながら私は自分の古傷に触れて少しセンチメンタルな気分になった。私は塔の前を横切り少し行ったところを左に曲がり右に間借りしているうちに、いつもの店の前に来た。いつもの店と言うのは額縁屋だ。新しい額縁を作ってもいるが、古い、骨董品と呼んでも良いほど古い額縁を修復してくれる店である。店と言うよりも工房と呼ぶほうがぴったり来る。ガラス戸の入り口の向こうにはいつも女性が仕事をしていた。たぶん彼女は額縁の修復師でこの場所の持ち主に違いなかった。ふんわりウェーブの掛かった肩までの髪。年の頃は私より少し上かもしれなかった。私は一度ここに入ってみたかったが、興味本位で入って彼女の邪魔をするのは嫌だったから、いつも道端から中を覗くだけだった。いつの日か私は彼女に額縁の修復の手ほどきをして貰いたいと思うようになり、しかし工房の前まで来ては勇気が無くてガラス戸を開けることが出来なかった。それでいていつかきっとと思いながら。ところが工房のガラス戸に魚の絵と共に書き込まれていた。新しい工房。・・・新しい工房! 中を覗いてみたが彼女の姿は無く、今までと少し違う雰囲気が漂っていた。私が額縁の修復に関心を持ったのは勿論それ自体に大変関心を持っているからではあるけれど、私は彼女のひたむきに修復する姿が好きだったのだ。何時だってそうだ。待って待って、待っているうちに機会を逃がしてしまう。昔はそんなではなかった。思い立ったら吉日、みたいな性分だったのに、いつの間にか待ちすぎるようになった。はあー、と大きなため息をついた。彼女が居なくなってしまったことと、私のこの待ちすぎる性分に。4月。この機会に何とかしなくてはいけない。新しいことを始めるだけではなくて、自分改革しなくては。描かれた鼻の尖った魚を眺めながら、そんなことを決意した。私は強い雨の中、既に出来始めた水溜りを上手に避けながらそんなことを思い出していた。


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赤い自転車

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此処連日の天気予報ではこんなことを言っている。4月25日か26日から本当の春がやってくると。そうか、本当の春か。ここ数日の冬の終わりのような寒さに肩をつぼめて外を歩いている私は単純に喜ぶ。しかし其れにしては遅すぎやしないか、それに3月後半のあの暖かさは何だったのかと疑問が浮かないでもないが、この際そういうことには目を瞑って本当の春の到来を待とうではないか。後は天気予報が的中するのを願うばかりだ。先日ボローニャ旧市街を歩いていたら赤い自転車を見かけた。それは良く見ると古いタイプで、しかし大切に使われているのがよく分かった。もともと赤い自転車だ。路肩に立つ鉄柱に括りつけられた自転車が誰か知らない人に持っていかれませんようにと思いながら横を通り過ぎた。私がフィレンツェの職場にに通っていた頃のことだ。仕事を終えて同僚と歩いていた。いつもなら彼女は自転車でぴゅーっと友人との待ち合わせ場所に走っていくのだが、その日は歩きだった。いや、正確には2、3日続けて歩きだった。自転車を盗まれてしまったからだ。重い鎖をぐるぐる巻いて頑丈な鍵をつけて駐輪場に留めておいたのに、戻ってきたら無くなっていた。フィレンツェでは良くあることらしかった。彼女の友人は既に5台も盗まれたらしく、それが悩みの種だった。フィレンツェの街に暮らす人にとって自転車は大変便利なものだった。勿論ボローニャに暮らす人にとってもそうだけど、フィレンツェでは格段に便利な足なのだ。彼女はは自転車にすれ違うたびにハッと振り向いた。ああ、私の自転車は一体何処へ行ってしまったのだろう、と何度も嘆いた。と、彼女が大きな声で言った。あの自転車! ペンキが塗ってあるけれどあれは絶対に私の自転車! 成る程良く見ると黄色く塗られているが確かにあれは彼女のに違いなかった。しかも塗ったばかりの黄色いペンキがますます怪しい。しかし私たちの足はすくんで自転車を追いかけることが出来なかった。彼女は自転車が遠のいていくのを悔しそうに眺めながら、追いかけることの出来ない自分自身を更に悔しく思った。それ以来、ボローニャ旧市街の散策中に路上にとめてある自転車が気になって仕方がない。頑丈な鍵はついているだろうか、ぐるぐるとチェーンは巻いてあるだろうか。時々新品の自転車が無邪気に店の前に留めてあったりするとびっくりする。鍵も何もない。店の中を見ると無邪気な顔した奥さんが肉屋に柔らかいところを頂戴ねなどと頼んでいて、私は驚いてしまうのだ。勿論余計なお世話と言うものだけど、気になって仕方がない。此処に昔の同僚が居合わせたら、きっと大きな声で言っただろう。ああ、奥さん。自転車のことは心配ではないの? 自転車もって行かれてしまうわよ。フィレンツェだったら、あっという間なんだから。


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苺の匂い

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昨日相棒が苺を買って帰った。いつもなら直ぐに切ってレモンと砂糖を振り掛けて苺のデザートを作るところだが、大粒の真っ赤な苺だったのでこのまま頂くことにした。と言ってもまだ頂いてはいなくて今晩のお楽しみなのである。キッチンに置かれた苺の前を通るたびに甘い匂いがする。私の大好きな匂いだ。そうしているうちに友人と交わした言葉を思い出した。あれは5月だったと思う。私がまだフィレンツェの職場に毎日列車で通っていた頃のことで、忙しい時期を通り過ぎたからと、私は休暇を取ってブダペストへ行った。友人がまだ前のアパートメントに住んでいた頃で、彼女の家に居候していた私は家から少し歩いたところの停留所から川に沿って走るトラムに乗って街の中心へ行った。5月ともなると厳しい寒さのブダペストにも春がすっかりやってきていて街は若葉が萌え、花が美しく咲いていた。友人は仕事をしていたのでいつも夕方街中で待ち合わせをした。ある日は大きなショッピングモールの前で、ある日は西駅の前で。ある夕方、私たちは夕食の買出しをした。街の真ん中の大きな食料品市場ではなく、小さな市場だった。足を踏み込むと甘い匂いが鼻を突いた。直ぐに分かった。苺だった。良く熟れた苺は驚くほど赤くて、口に入れなくてもどんなに甘いか想像できた。苺を食い入るように眺める私に気付いた友人が、それでは苺も買おうといって手に取った。この時期はもう国産だから、と言って。その時ふと思い出した。そういえばもっと早い季節に私がこの町を訪れたとき、田舎町の寂しい道で苺を売っている人を見つけて喜んでいる私に向かって友人は言ったのだ。今の時期に出回っているのは皆スペイン産だから、と。つまりまだ苺の季節ではない、苺は国産物が出回る時期に食べるのが一番、若しくは苺は国産でなくてはね、と言うことだ。私は自分より若い友人がお母さんのように私を窘めたような気分になって少々恥ずかしい思いだった。でも実際そうだ、野菜にしても果物にしても、その季節のものが一番なのだ。季節のものは身体の栄養となり、私たちに元気を与えてくれるのだ。それであの夕方買った苺だけれど、私が子供だった頃に食べた苺のように美味しかった。私の小学校の先生の家は苺農家だった。一度だけ生徒たちが招かれて苺狩りをさせて貰ったことがある。赤いのだけを摘むんだよ、と教えられて私たちは夢中になって苺を摘んだ。水で泥を落として口に放り込むと甘くて美味しかった。どの子供の顔からも笑みがこぼれて、其れは其れは楽しい一日だった。ブダペストで食べた苺はあの日の苺と同じだった。昔からの苺らしい苺の味だった。今夜の苺はどうだろうか。と、気になって確認してみたらスペイン産だった。別にスペイン産が悪いというわけではない。スペインに春が一足来るだけのことだ。それにこの苺は充分いい匂いがする。しかし。相棒に教えておかなくては。果物は国産が出回るまで待たなくてはね、と。それは良いとしても苺の匂いでブダペストに飛んで行きたくなった。夏時間の長い夕方、開放的な空気、美しい本屋の二階のカフェ、そして友人とのお喋り。実現するのはずっと先のことになりそうだ。


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