明るい夕方

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朝6時の暗いこと。でもその分夕方の明るいことといったら無い。仕事を終えて外に出るとまるで昼間のような明るさで、思わずスキップしたくなるくらい嬉しい。それだから寄り道が楽しくないはずが無く、2日続けてジェラート屋さん通いだ。ボローニャには幾つものジェラート屋さんがあって甲乙つけがたいほど何処も美味しいが、私はそのうちの数件をその日の都合で上手く使い分けている。中でも旧市街の2本の塔から歩いて数分のVENCHI は美味しい上に大変都合がよい。立地条件がよいかどうかに関しては人それぞれ言い分があると思うが、少なくとも13番のバスを使う私にとってバスの停留所から僅かワンブロックのこの店は飛び切り都合がよいのである。この小さな店は、しかしなかなか有名で、狭い店内に入れ替わり立ち代り客が入る。そのせいかこんな小さな店にして店員は私が知るだけでも5人いて、時間や曜日で交代しながら働いているようである。その中にひとりだけ好ましくない人がいる。別に感じが悪いわけでもなんでもないが、致命的なのがジェラートの盛り付け具合が少ない。これは大変なデメリットで、初めてこの人に当たったときのショックといったら無かった。それから私はちょっとした調査をしてみたのだが、私同様好ましく思っていない人は案外多いらしく、彼女がカウンターの中にいる日は客の入りが少ない。少なくとも地元客、常連客はあまりいない。反対に別の人、特に私の気に入りの女性がいる日は客足が途切れず大変な繁盛ぶりだ。そうでなくともちょっと高めのこの店だから、気前よく盛り付けてくれなくちゃ、と誰もが思っているのだろう。この場所にあった庶民的な八百屋がある日忽然と消えて小奇麗なジェラート屋さんが開店したときは大変戸惑いを感じたが、今はその様子にもすっかり見慣れて私も足繁く通うようになった。それにしてもどれだけの人があの八百屋を覚えているだろうか。VENCHI は勿論好きだけど、しかし誰もの記憶からすっかり消し去られてしまったら八百屋がちょっぴり可哀想な気がするから、時々思い出してみようと思う。


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春の病

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薄曇の日曜日。テラスに出てみたら思っていたような肌寒さはなく、空気は確実に春のそれであった。肌をすっぽりと優しく包むような、私の弱みの首元さえも緩くふんわりと包み込むような。向こうの一軒家の屋根のはるか遠くに見えるなだらかな丘陵。一言で緑色と言ってしまうには勿体無い、微妙なトーンの緑色。それを眺めていたら思い出した。あの頃私は幾つだったのか、いくら考えても思い出すことが出来ないけれど、父がまだ元気で、姉が不治と宣告された病を克服して元気に外に出るようになっていた頃だ。いや、それとも姉が病に掛かる前だったのかもしれない。ある春の日、私たち家族は遠足をした。遠足なんて言葉は今でも存在するのだろうか。私が日本を留守に押している間に沢山の言い回しが消えていってしまったから、解き何処自分の使う言葉が今でも通じるのだろうかと不安になることがある。あれは5月初旬だったか、4月の下旬だったか、桜が既に散ってしまい、花が散った桜の木が緑に萌えてそれはそれでまた美しいと思えるような頃だった。誰の発案だったのか、私たちは母が用意したお弁当や何やらを鞄に詰め込んで遠足に出掛けた。隣町まで電車で行くと、そこからゆうに1時間掛かるような長い道のりをひたすら歩いた。行った先は国立公園で、既に幾度も訪れてけれど何しろ敷地が驚くほど広いので、何度訪れても上手く把握できぬ場所であった。何処で何をしてどんな話しをしたのかはもう覚えていない。覚えているのは午後になると急に寒くなって天候が急変しそうな気配を感じた私たちが慌てて荷物を纏めて帰ってきたことだ。家に到着してすこしすると雨が降り出した。ああ、間に合ってよかった、と言葉を交わす両親の声を背後に聞きながら私は軒下から腕を外に伸ばすと、雨は思いもよらぬほど温かかった。温かい雨。雨が降り出すと気温が急に上がってもんやりした。庭一面から土の匂いと草の匂いが立ち上がった。私の好きな匂いだった。思い出したのはそんなことだった。もうひとつ思い出した。遠足の帰り、地元駅の直ぐ近くの和菓子屋で大好きな桜餅やきんつばを沢山買ったことだ。遠くの丘陵を眺めながらこんなことを思い出したのは、恐らく私が家族のことを恋しく思っているからだ。自ら望んで日本を飛び出して20年が過ぎた今頃そんなことを言うのはお門違いと言うもので、だからそんなことは決して家族に言ってはならぬと思うのだけど、家族の近くに暮らしていたら、そこで美味しい桜餅を買ったから、などと言って母や姉の家を訪ねては時間を共に過ごすことができるのになどと思うのだ。まったく勝手な話である。案外私は家族から遠く離れていることを長いこと寂しいと思っていたのかもしれない。こんなに大きな大人になったと言うのに。薄曇の日曜日に、私は春の病に掛かったようだ。


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夏時間に乾杯

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すっかり季節が安定したように見える。雨が降ることも無く晴天の毎日。勿論時には薄い雲に覆われることもあるけれど。数日前にいつものバールで会った老人が、折角山に行ったのにとぼやいていたが、つまりこういうことらしい。大好きな野生のラディッキオを摘もうと楽しみにして山へ行ったのに、雨不足で地面もラディッキオもすっかり干からびて台無しだったということだ。この辺りにはラディッキオと言ってもも北イタリアのトレヴィーゾ産の赤い野菜ではなくて、サラダ菜みたいなものがある。これは成長すると産毛が生えてちょっと食感が宜しくなく、しかも苦味が走るから、ボローニャの人達、特に年をとった人達は若い菜っ葉を好んで食する。この老人はどうやら毎年この時期にラディッキオを摘みに山へ出掛けるのが楽しみらしかった。残念だったわねえ、と慰めておいたが私はやはり晴天のほうが嬉しい。それにしても春、特に3月中旬から下旬にかけて毎年酷くしんどい。もう何年もそうだが、私だけなのか、それとも世の人達の多くがそうなのか。とても気になるところである。そういうわけで朝起きるのが辛かったが、頑張って起きてみた。特別丁寧にカッフェを淹れたら驚くほど美味しく出来た。そんなことをしているうちに元気が出てきたので身支度をして家を出た。ボローニャ旧市街は大変な賑わいであった。どうやら学校の遠足らしい。先生と思われる人が目印なるものを掲げて先頭を行き、後からぞろぞろと子供たちが続く。3月くらいから5月に掛けてイタリアの学校では泊りがけの小旅行をするのである。それは大抵クラス単位で行き先が違って、同じ学年でもこのクラスはローマへ、このクラスはジェノヴァへという具合である。先生、何を考えているのか、食料品市場界隈をどんどん突き進み、買い物でごったががえす中を子供たちがちょっと恥ずかしそうに肩をつぼめてついていく。その様子が面白くて私や傍にいた人達がくすくすと笑う。Piazza Maggioreに行くと若者たちがジャズを奏でていた。その周囲を人々が取り囲み、私は少し離れたところから眺めながら一緒に音楽を楽しんだ。明日から夏時間。そんな声が何処からか聞こえて、はっとした。そういえばそうだ、明日から夏時間なのだ。明るい夕方を楽しむ季節がやってくるのだ。いい響き。夏時間とか、明るい夕方とか。しんどいなんて言っている場合ではない。待ちに待っていた季節。存分に楽しまなくては。夏時間に乾杯。


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ポルティコの下

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ようやく冬のコートに別れを告げて10日ほどが経ち、軽いコートで出掛けるのが楽しい毎日。こんなことくらいで楽しくなれるのだから、実に単純であると自分の事ながら可笑しくて笑ってしまう。明日からはもう一歩踏み込んでみようと思っている。例えば春のスカーフにするとか、足元を軽快な踵の低い靴にしてみるとか。それからセーターを脱いで薄いシャツにしてみるとか。勿論、春の気候は変わりやすいので油断は出来ないのだけど。先日いい店を見つけた。こんな店があっただろうかと首を捻って考えてみたところ、思い出した。此処には長いこと違う店があったのだ。とても地味な下着やらパジャマやら、靴下やら木綿のハンカチーフなどを置いている店だった。私の散策に欠かせないその通りのポルティコの下を歩くたびに、その店の前で足を止めた。洒落っ気の無い店だったが、イタリアのある年代層の人達の生活や習慣がそっくりそのまま鏡に映したようなショーウィンドウを見るのはなかなか面白かったからだ。その年代層とは70歳以上の、そうだ、戦争を体験した貧しいイタリアの時代を通過した人達のことだ。以前、まだ舅が元気に自転車で走り回っていたころ、戦争時代、そして終わってからのことを話して貰った。テレビで見たドキュメンタリーフィルムと舅の話はよく一致していて、それから本で読んだその様子ともよくかみ合っていて、私はまるで自分が舅と一緒にその時代を通過してきたような錯覚に陥ったものである。私は戦争の話はあまり好きではない。とても辛い気分になるからだ。しかしそんな辛い時代を見てきた人達から話を聞くのは大切なのではないかと思う。自由で豊かな時代に生まれて育った自分が、話を通じて今ある幸せが当たり前でないことを知る大切さも加えて。兎に角、その店は質素と倹約を強いられていた時代に丈夫で長持ちの必需品を手に入れる贅沢、喜び、感謝みたいなものがギュッとつまったような店だった。初めて見た時、咄嗟に相棒の両親が好きそうな店だと思った。高級品は無く、しかし実用的なものが置いてあった。その中でも花柄の木綿のハンカチーフは印象的で、同時にどこかで見たことがあるなあ、と思った。後で相棒の両親の家に似たような物があることが分かった。やはり彼らの世代が好きそうな店なのだと確信して、可笑しくて暫く店の前を通るたびに笑みがこぼれた。数年前、閉店セールをしていた。もう店じまいなのかと思ったが、閉店セールは1年も続き、この店はしまらないのかもしれないと思い始めた頃、急に店が無くなった。ずっと抜け殻のようになっていた店がいつの間にか洒落た店に変身した。小奇麗なショーウィンドウを眺めながら、しかし心は何故かあの地味な店ばかりを想っていた。


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思案

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春一番が既に吹いたのかどうか私には分からない。そもそも春一番とは日本にだけ起きる現象なのかもしれないし、それとも似たようなものが欧羅巴大陸にも存在するのかどうかも分からない。でも、存在したらよいのに、と思う。季節を感じさせる春一番という言葉が昔から好きだ。立春から春分の日間に毎年ふらりとやってくる、生暖かい大風が吹くと私は大抵咽喉をやられてついでに扁桃腺が腫れて熱を出して2日ほど寝込むのだが、あの大風が春一番だったのだな、と思うと思わず顔がほころぶのだ。やっと来た春。寒いのが苦手な私にとって、それはひとつのセレモニーのようなものであった。春一番の有無は分からないにしても、三寒四温は此処イタリアにも存在すると思う。私自身がそう感じるだけでなく、何時だか周囲のイタリア人がそれに近い言葉で3月を表現していたからだ。何かと大雑把で無頓着に過ぎていくイタリアの生活の中で、こんなことを耳にしたり感じたりするとほっとする。そして自分がいろんなことに敏感に感じて喜んだり有難く思ったり思案出来る日本人であることを嬉しく思うのだ。
特別困ったことも無く、大きな事件も無く、平たい大地のように続く毎日。病気もせずに仕事へいける毎日を有難く思うべきなのかもしれないが、少し物足らなく感じ始めている。それを誰から我侭と言われたなら、返す言葉も無い。私は今まで自由奔放にしたいことをしてきた。数年前からそんな自由が利かなくなって、限られた枠の中で出来ることを自分なりにしてきたが、それでは満足できなくなってきたのだろう。私にはひとりの友人が居た。私より8つくらい若い、エネルギッシュで変化を恐れずに新しい世界に飛び込んでいく女性だった。彼女とはフィレンツェで働いている時代に知り合い、私はあっという間に彼女が気に入った。彼女のほうがどう思ったかは分からないが、しかし時には一緒にエノテカでお喋りをしたり美術館に足を運んだので、案外悪くないと思ってくれていたに違いない。彼女を見ていると若い頃の自分としばしば重なった。結婚をしていないために自由な毎日、しかしその分なんでも自分でしなくてはいけなくて、毎日あちらにこちらに走り回っていた。それで居てそんなことすらも楽しいかのように、大変なんですよと言いながらきらきらと顔を輝かせていた。私がアメリカの生活に飛び込んだ頃がそうだった。頼る人はひとりも居なくて、むしろ自分だけが頼りだった。こんなことが自分の人生の中で起きるとは思っていなかったような心細い毎日、しかし同時に驚くほどポジティブで明日を迎えるのが楽しみでならなかった。次は一体どんなことが待ち受けているのだろう。私はそれを乗り切るのだ。と、心細くも不安より希望に似たものを沢山胸に抱えていた頃のことだ。彼女を見ているとそんな自分を思い出して、頑張れ、頑張れ、と私は心の中で応援したのだ。それで今の自分の生活は、そんなことが欠けているようだ。それは安定という言葉に摩り替えるととても聞こえが良いのだけど、自分らしくないように思えてならない。先日、今はイタリアに居ない、はるか遠くに暮らす、相変わらず前向き精神で頑張る彼女から便りを貰ったせいなのか、それとも春とはそんな風に思案する季節なのか、こんなことを考える毎日だ。


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