冬の旅

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女友達から電話を貰った。この冬休みの一緒の旅行はどうやら無理そうだと。彼女は酷く気にしている様子で、其れをはっきりと言葉にすることが出来ない。だから私が其れを言葉にしてあげたら、彼女の肩の荷が下りたようだった。そもそも無理だったのかもしれないのだ、初めから。私達は違う種類の畑で働いているので、その時期が私にとって一番都合が良くても彼女には都合が悪かったのだから。初めから分かっていた上での試みだったのだ。それでも試みたのだから、私は彼女の歩み寄りに感謝だった。私達はこれから先も一緒に旅をすることは出来そうにないけれど、ならば互いの町に訪れて交流すればよいと話が纏まった。つまり今迄通りで良いと。正直言えば残念だった。仕方がないと解かっていても。ボローニャの町を歩いていると時々旅人を見かける。ひとりで町を歩きまわる旅人。私はそんな人を見かける度に心の中で思うのだ。いったいどんなことを考えながら歩いているのだろう、どんなことを感じているのだろう、と。そんなことをふと思い出して、それではと小さな一人旅を計画し始めた。ほんの少しいつもの生活から脱出するだけでよい。いつもの気に入りのカメラを持って、違う町をひたすら散策する旅。歩いては立ち止まり、歩いてはカフェに入って休憩して。きっと良い気分転換になるに違いない。先程までがっかりしていたのに急に降って沸いた一人旅の案が、私の心を驚くほど刺激している。暫くこのことでわくわくの毎日が続きそうだ。ボローニャに暮らすために引っ越してきたのは1995年の初夏だった。住み慣れたアメリカの海のある町を離れ、相棒と一緒に此処に暮らすためにやって来た。ずっと暮らすためにやって来たと言いながら、私達の心の何処かに、そのうちまた海のあるあの町に戻るのさ、といった気持ちが存在していた。だからこんなに長く此処に留まっていることに、時々ふたりして驚くのだ。私達はまだ此処に居るんだね、と。いったい何時までここに居るんだろうね、と。この町に暮らすことに決めた時、私はこんな風に思っていた、近隣国にいつでも訪れることが出来る、と。ちょっと気が向いたときに穏やかな太陽を求めてニースへ、眩しい陽射しを求めてアンダルシアへ。洒落た空気を求めてパリ辺りへ。刺激を求めてロンドンへ。白夜の北欧へ、まぶしい初夏の緑を求めてスコットランドへ。どれもこれも簡単に実現できそうでいて、実際はその何処へも訪れる機会を得られぬまま十何年が過ぎていった。この機会に初めての町を訪れてみようと思う。雪が降るかもしれないし、毎日雨降りになるかも知れない。でもそんなことも旅の楽しみの一部として受け入れて、色んなことを感じることが出来たら良い。少し鈍感になってきた自分の感覚に刺激を与える旅。いつもの生活から脱出する旅。成長する為の旅。何とでも名前がつけられそうなこの冬の一人旅に、久し振りに心が躍って仕方がない今日である。


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紫色の夕方

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素晴らしい天気の土曜日。ここ数日、体調が思わしくないのは多分少し風邪を引いたからに違いない。特に昨日は力尽きて食事を終える早々ベッドに潜り込まねばならなかったが、それにしても翌朝にはちゃんと元気が戻ってきて、さあ起きよう、と思えるのだからまだまだ捨てたものではない。きちんと食べて充分睡眠をとって体を休める。それから時々お腹の底から大笑いをする。これらが私の健康を保つ基本である。さてそんな訳で今朝も元気に目が覚めた。ゆっくり起きてのんびりと何時にも増して軽い朝食をとり、バスに乗ってボローニャ旧市街へ出掛けた。今日はちょっと人と会う約束があったのだ。人と会うのは好きなほうだ。昔は人見知りなどしたものだけど、それから人と会うのが億劫だった時代もあったけれど、いつの間にか人と会って話をするのが好きになった。特に家に閉じこもりがちな寒い季節ともなれば人との交流は大切だ。そういうことで互いに刺激しあう。言うなれば冬の潤滑油みたいなものなのだ、人との交流は。楽しかった知人との交流を終えて外に出ると、昼間に見た太陽はいつの間にか何処かへと移動して、17時にもならないのに空は薄暗くなっていた。ところがふとした瞬間に空がロマンティックな紫色になった。私はあっと声を出して立ち止まり空を眺めていたら知らない若い男女が隣に立って、美しい空ですね、と私に言った。私は空の美しさと彼らが声を掛けてきたことに驚いて声を失い、その代わりに大きな笑顔を彼らに向けてそれを答えにした。街の中心の広場に立った背の高いクリスマスツリーが美しく輝き、私達が確実にクリスマスに向っていることを深く実感した。もう直ぐ12月。


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濃い霧

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最近、朝晩の霧の濃いことと言ったら。今朝の霧は特に濃かった。視界は10メートル程。丘の上をくねくねと車で走るのはどんなに運転暦に長い者でも速度を充分落としたうえで、前方に目を凝らしながらの運転だ。谷間や更に高い丘の方向を横目で見ながら、あの濃い霧の向う側には鹿たちが悠々と朝の散歩をしているのではないかと思いながら。ボローニャ市内へ行けば霧が晴れているのかと思えば、そうでもない。晩秋から冬のボローニャは大抵こんな風に1日が始まる。私がボローニャに暮らし始めた年の今頃、初めてこんな濃い霧に遭遇し、此処も霧なのかと思った。それまで私が暮らしていたアメリカの海のある町はこんな濃い霧が一年中気まぐれに発生したものだった。それが朝は素晴らしい快晴なのに、知らぬ間に海の方から霧の群れが押し寄せてきて、あっという間に町を包み込んでしまうのだった。秋に限らず冬に限らず、春もそして夏もそんな具合だったから、誰もがいつも何かしらの上着やセーターを鞄や車の中に潜めておかなくてはならなかった。さもなければ急激に下がる気温から身を守ることが出来ないからだった。私は寒いのが嫌いだったし、体が冷えると必ず扁桃腺が腫れるから、ジャケットかセーター、それから必ずスカーフを持っての外出だった。走る霧。そんな風に私達は呼んでいた。実際霧が目の前を走っていくかのように見えた。ある晩、私はひとりで歩いていた。月の美しい晩だった。でもあれがどの季節だったかは思い出せない。大体一年中同じような気温の町で、だから私達は一年中似たような装いをしていた。だからなのかもしれない、何時の季節だったのか思い出せないのは。私は坂を上りつめると右手にある気に入りの小さな公園を横切らずにぐるりと大回りすると、今度は急な坂道を降りて行った。ダウンタウンに暮らす友人のところへ行く為だった。私のアパートメントははダウンタウンのすぐ近くで歩いても10分と掛からないところだったから、雨が降らなければいつもそんな風に歩いていくのだった。私は友人の所でひとしきりお喋りしながら何かご馳走になって、さて、それではと外に出ると先ほどの美しい月は姿を消して全てが霧に包まれていた。そんな濃い霧は初めてだった。一歩先は真っ白の霧。私は恐る恐る歩き出したがあまりにも先が見えないことに疲れてしまい、2ブロック向うの坂の途中にあるカフェに駆け込んだ。カフェ・ロクサーヌ。いつもの気に入りのカフェだった。店は混んでいた。どうやら私と同じようにこの濃い霧に降参して駆け込んできたようだった。人気の店で混んでいるのには慣れているが、テーブルはなかなか空きそうになかった。さて、どうしたものかと考えていると直ぐ其処のテーブルの人が相席でも良ければどうぞと席を勧めてくれた。それで私はようやく席に着くことが出来た。テーブルの向こう側に座っているのは年齢不詳の男性で、店に備え付けられた外国の新聞を読んでいた。私が黙々と注文した温かい飲み物を頂いていると、何か話さなくては失礼と思ったのか、彼は急に新聞を閉じてアクセントの強い英語で話し始めた。どうやらフランス語圏出身の人らしく、もごもごと話す彼の言葉を私は何度も訊きなおさねばならなかった。そんなことをしているうちに外の霧が晴れ始め、月が再び路面を照らした。私は席を立ち、彼もまた席を立った。店の前でおやすみなさいと挨拶を交わし、私は坂道を上りだし、彼は坂道を下っていった。何時まで経っても晴れない今日の濃い霧を何度も窓から眺めながら、そんなことを思い出した。これからこんな霧の日には、幾つもの小さな霧の日のことを思い出すのかもしれない。案外私は・・・霧が好きなのかもしれない。


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冷たい晩

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今週の予定は盛り沢山。毎日違った用事があって、あっという間に夜になる。小さな用事ばかり。毎日それらを消化することに時間を費やすのは、後で後悔しない為だ。そう、後悔だけはしたくない。ああしておけばよかった、こうしておくべきだった、と後になって考えても仕方の無いことに心を痛めるのは嫌いだ。だから小さなことも馬鹿にしないでするし、決心が必要な大きなことにも、ええい、と目を瞑って体当たりする。いつも上手く行くとは限らないけれど、何もしなかったことを後悔するよりは良い。それにしても冷たい晩だ。それなのに今夜は遅く帰ってきた。旧市街で開かれているチョコショウを覗いたり本屋に立ち寄ったりしながら時間を潰し、夜も8時半を過ぎた頃に歯医者へ行った。そんな時間しか予約が取れなかったからだ。奥歯が縦半分に割れてしまったのでぐらぐらしているのを抜いて貰うためだった。抜くのは思った以上に痛くて参ったが、相棒に優しくしてもらったのでよしとしよう。ああ、それにしても暫くは歯医者通いになりそうだ。またひとつ用事が増えてしまった。昔母が言っていた。歯を抜いたら眠るのが一番。明日の朝はきっと元気になっている。


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檸檬色のセーター

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仕事帰りがすっかり暗くなった。夏時間が終わってからは暗くなる時間が日に日に早くなって、今では夕方6時ともなれば真っ暗だ。それだけで急いで帰らねばならないような気になるのは毎年のことで、かといって早く帰らねばならぬ特別な理由も無い。寒いから早く帰ろうというのでもなく、単に暗いからなのである。其の反対に夏場は空が明るくてなかなか家に帰れない。我ながら単純な考え方で呆れながらも、それがとても私らしくて興味深い。食料品市場界隈の道を隔てて向こう側にお洒落な店が寄り添うように存在する。建物は一様に古く、一見寂れた感じに見える場所だけど、店を外から覗いてみると思いのほか素敵で足を止めたくなる。坂道を少し歩いた右手の其の店は素敵な店のひとつである。中に入ったことは無い。何やらとても高級な匂いがするからだ。しかし店のセンスが好きで、此処を通る度に足を止める。中に客人が入るのを見たことは無いが、何年も商売が続いているところをみるとちゃんと顧客なる人達がいるのだろう。中で働く人たちの個性的なセンスが好きだ。奇抜すぎず、シンプルで自分と大して違いないものを着ているようなのに着こなしが垢抜けていてはっとする。こういうのは生まれ持ったセンスなのだろう。そうだとしたら大変な宝である。そういえば何時だか誰かが同じようなことを言っていた。そうだ、あれはフランカだ。彼女はいつも妹のことを、洒落たものを探し出す才能があって、そしてそれを上手く着こなす魔法使いのようだ、と言っていた。信じられないわ。一体何処でこんなのを探してくるのかしら。信じられないわ。一体どうやったら彼女のように着こなせるのかしら。フランカは時々そういって妹を褒め称えては私に聞かせた。そういうフランカも私からすれば結構いいセンいっているのだけど。私はいつもそう思っていたのだけれど。ショーウィンドウの檸檬色のセーターに緑のスコットランドチェックの短い丈のスカート。そういう装いが似合う時期が過ぎてしまったことを、ほんの少し残念に思った。


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