匂い

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散策に丁度良い気候。目的は何もないが、そのうちこんな軽装でふらふらと街歩きを楽しめなくなるのだろうと思うと、勿体なくて真っ直ぐ家に帰る気になれない。そんな人は私だけでないらしく、街は沢山の人達で賑わっていた。真夏のような賑やかさ、華やかさは無い。その代わりにすっきりした空気が漂っていて、そこらで食前酒を楽しむ人達の表情も爽やかだ。今が一番良い季節。そんな言葉が耳に入ってきたので振り向いてみたら、店の前に出されたテーブル席に私と同じ年頃の女性がふたり座っていた。彼女達も仕事帰りだろうか。仕事帰りの一瞬を仲の良い同士で分かち合っているのかもしれない。たまにはそういうのも良いものだ。9月が終わりに近づくのが毎年楽しみだ。それはテラスの角に置かれた金木犀の花がいい匂いを漂わせるから。数年前に相棒の親戚が贈ってくれた金木犀。日本の家の庭にあった大きな金木犀の花ほど色鮮やかではないにしても、いい匂いは日本のそれと全く同じ。匂いが私の鼻先を擽りながら、日本に居る家族のことや友人知人のことを思い起こさせ、私はと言えばそんな瞬間を口の中でキャンディを転がして味わうように堪能する。夕方、テラスに椅子を出してお茶を楽しんでいたら地上から声が聞えた。うーん、いい匂い。彼女は鼻だけを頼りに匂いの在り処を探しているようだった。私はそっと陰に隠れて、思わず嬉しくて笑みが零れた。この辺りでは珍しい金木犀の匂い。この季節だけの楽しみ。


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帰り道に一杯

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そろそろ長袖と思っていると当てが外れて気温が上がる。そんなボローニャの9月。夕方のボローニャの街には様々な装いの人が往来していて、いったい今が何の季節なのか一瞬分からなくなる。袖なしや半袖のシャツの人々は太陽がすっかり高く昇った頃に家を出てきたに違いなく、長袖を着込んだ人々は朝早く出勤なり登校したに違いない。何しろ朝の空気の冷たさといったら。首元が肝心要の私は早くもスカーフぐるぐる巻きスタイルが始まった。また今年もこんな時期になったのかと思う。暑さにすっかり弱くなった私だ。夏が終わって寂しい気もするが、この気候は有難いの一言に尽きる。それから秋はワインが美味い。赤ワイン好きの私にとって秋冬は生活にひとつ楽しみが増える。それは帰り道にエノテカに立ち寄る楽しみで、気分が良い日は仕事帰りにちょっと一杯ということになる。それは小さな自分へのご褒美みたいなもので、普段は手に入れないようなワインを見つけて注文するのだ。ロッソ・ディ・モンタルチーノ はそんなワインのひとつである。このワインにはちょっとした思い出があって、だから私は家で頂くことは殆どない。10年も前、フィレンツェの職場に通っていた頃、とても感じの良い同僚に恵まれた。彼女は大変エネルギッシュで一緒に居ると元気が伝わってくるような人だった。話しているうちに互いにワインが好きと分かって、それでは橋の向うのエノテカにちょっと行ってみようということになったのだ。其処はPonte Vecchio を渡って少し行った左手にあった。小さな店はいつも人が一杯で、私達はやっとカウンターの隅っこに席を確保できた。カウンターの向う端にはアメリカ人旅行者が4人座っていて一本50ユーロもするような高いワインを頂いていた。私達は顔を見合わせて彼らの景気のよさに驚きながら、自分達は懐と相談しながらグラスに赤ワインを注いで貰った。それがロッソ・ディ・モンタルチーノだった。私達は初めて一緒にワインを頂くことに乾杯して、そうして頂いてみると驚くほどまろやかで喉越しの良いワインだった。あれをきっかけに私達は金曜日になるとどちらからとも無く誘い合い、あの店に通うようになった。時々違うワインを試すが私はロッソ・ディ・モンタルチーノと相性が良いようだった。おかわりはしない。いつもグラスに一杯だけ。ワインとつまみを頼んでひとり8ユーロというささやかな金曜日の楽しみだった。その習慣が長く続かなかったのは、彼女がローマに行ってしまったからだった。そのうち私もボローニャに仕事を得てフィレンツェ通いし無くなった。かといって彼女と縁が切れたわけでもない。互いの職場同士に付き合いがあって、時々声を聞くこともあった。クリスマスが近いある日、彼女の会社から重い包みが職場に届いた。中に託されたカードには良いクリスマスをと書かれていて、箱を開けてみたらあの頃私達が好んで頂いたあのワインが入っていた。今でも彼女はあの頃の楽しかった金曜日のことを覚えていたのか、と思わず嬉しくなった。その後彼女はローマを去って暫く東京に居たが、其処から転勤でまた外国へと飛んでいった。彼女の顔を思い浮かべると、何時までも本当にエネルギッシュなんだから、と思わずうふふと笑みが零れてしまう。あれから私は嬉しいことがあると独りでもエノテカに行くようになった。そして気分が特別良い日には、やはりあのワインを選ぶのだ。赤ワインが美味しい季節。彼女も何処かの町で嬉しい日にはワインを楽しんでいるに違いない。


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9月の海

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金曜日の夕方遅くボローニャを出発した。行き先はフェッラーラ県の海。知人が4ヶ月間の長い休暇から戻ってくると、好きな時に海の家に行くと良いと言って海の家の鍵を貸してくれたのだ。奥さんを連れて週末にでもどうだい、と。知人は相棒の良く知っている人で、私はほんの数回しか顔を合わせたことが無い。私達からすると父親ほどの年齢の彼は近年体力がぐっと低下したらしく、それで相棒が時々手を貸す。裕福な家の息子の彼は仕事をせずにこの年齢まできた。贅沢に慣れきった人にしては我侭ではなく、むしろ自分ひとりでは何も出来ないのだと周囲に宣言して、だから手を貸してくれる人に感謝する気持ちが一般人よりもずっと深い。夕方遅くに出発したので海の町に着いたのは夜9時をすっかり回ってからだった。海は直ぐ其処にある筈なのに海が見えない。潮風だけが海があることを教えてくれた。家の近くのレストランでワインを頂いたら一週間の疲れがどっと出て、夜の散策もせずに家に戻って眠りについた。今朝は眩い光で目が覚めた。強い太陽の日差しが大きな窓から射しこんでいた。近所の人たちが路上で話をする声や犬の鳴き声が聞えた。時計を見ると既に10時を回っていた。お喋りをしながら遅い朝食をゆっくり楽しむ。そんな時間を過ごしながら知人は毎日こんな生活を送っていたのだろうかと想像した。午後、海へ行った。別に海に入るわけではない。まだ暑いとはいえ、やはり9月下旬の海は冷たい筈なのだ。単に潮風を吸い込むために、海の雰囲気を楽しむ為に、砂浜を散歩する為に海へ行ったのだ。9月下旬の海は思ったとおり人が少なく、私達にうってつけだった。私同様に相棒もまた、人混みがひどく苦手なのである。打ち寄せる緩やかな波に気をつけながら浜辺を歩く。時々足を止めて白く光る小さな貝殻を拾った。こんな風に貝殻を拾いながら歩くのは久し振りのことだった。アメリカに暮していた頃以来のことで、似ても似つかぬこの浜辺を歩きながら心が少し痛んだ。私はまだあの頃のことを随分と引きずっている、ボローニャに暮して16年も経つというのに。思うに私の人生は、いつも山寄りだった。山といわずも丘や高原。海は何故か縁遠くて、だから知らぬ間に海への憧れや想いが人一倍強くなった。だから海の打ち寄せる波の音に耳を傾けていたり浜辺の貝を拾っていると、ひょっとした調子に涙が零れ落ちそうになる。別に悲しくも無いの。ところで波の音とは何と精神に優しいのだろう。2時間もぶらぶらしていたら先程までくたくたで倒れそうだと言っていた相棒は生まれ変わったように元気になった。また海に来ようか、と言う相棒。すっかりこんな土曜日の過ごし方が気に入ったようだ。ストレスや疲労と上手く付き合う方法を知らない不器用な相棒だが、どうやら海が宜しいらしい。それにしても9月の海。私だって知らなかった、こんなに素敵なものだなんて。


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冷たい雨

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今朝は屋外で風に揺れる街路樹の枝の音で目が覚めた。開け放ったままだったテラスへと続く大窓の扉が、時々ばたん、ばたんと音を立てていた。今までとは違う空の色。雨不足で枯れてしまった街路樹の葉が路上で寄り添いながらかさこそと音を立てている様子は、まるで私達に聞かれないように内緒話をしているかのようだ。丘の町ピアノーロの、幸か不幸か風通しの飛び切り良い場所にある私のテラス。テラスに出てみると思わず肩を延びやかし剥きだしになった肌を擦りたくなるような涼しさだった。今日はせいぜい25度にしか上がらないに違いない。
ふと思い出した。16年前のことだ。私がボローニャに引っ越してきた年のことだ。私と相棒はボローニャ郊外の知人に部屋を借りて暮し始めていた。田舎の大きな家で、家の一部は塔になっていた。聞けば16世紀のものらしく、それを長いことかけて修復したとのことだった。家の回りは平地で、平地には果実の樹が幾本か植わっていた。風通しが抜群に良かった。9月に入るなり毎日風が吹きぬけて、うっかりすると首の後ろが冷え切り、酷い頭痛に悩まされたりした。だからシャツの襟を立てたりスカーフで首の後ろを守らねばならなかった。あれは夏が酷く暑く、しかしあっけなく過ぎ去った年だった。9月の半ばには半袖などでは居られなかったし、10月にもなると上着を羽織って町を歩いた。そうだ、10月4日のサン・ペトロニオの祝日に私はバスに乗ってボローニャ旧市街へ行った。私は仕事をしていなかったのだから何時でも出掛けられたのにそんな祝日をわざわざ選んだのは、祝日に纏わる特別な行事か何かが見られるかも知れないと思ったからだった。ところが旧市街は全く静かなもので、唯一発見したのは焼き栗屋さんだった。数日前までは無かった焼き栗屋さんがポルティコの下に店を連ねていたのだ。珍しくて近づいてみるといい匂いがした。当時の通貨はまだリラだった。あの頃の物価は現在とは比較できないほど国民に優しかったけど、それでも当時の私には焼きたての栗が妙に高く感じられた。イタリア語が分からなかったあの頃の私。どうやって会話したのか覚えていないが10個売りのところを5個だけにして貰い、幾枚かのリラ貨幣と引き換えにわら半紙にぐるぐる包んだそれを受け取った。栗のぬくもりが手に伝わって嬉しくなった。ほくほくのそれを指を真っ黒にしながら皮を剥いては口に放り込んだ。思うにあの日は寒かったのだ。10月4日にして、栗のぬくもりが有難いくらい。
そうだ。10月4日にバスに乗って旧市街へ行ったあの日はちょっと肌寒かった。そんなことを思い出しながら空を見上げると遠くの方で大きな雷が鳴り響き、そのうち白い糸のような雨が一斉に降り出した。手を差し伸べてみたら驚くほど冷たかった。少し前までの生暖かい雨ではなかった。さようなら、夏の日。今日から秋の始まり。


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書くひと

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今週末を境に気候が交代すると言う噂はどうやら本当らしい。秋が来る少し前というのは大抵こんな風に日差しが強いものなのだ。夏の悪あがき、と呼ぶと良いかもしれない。兎に角ここ数日の間は陽射しは強いし歩けば汗もかくけれど、街路樹の枝がざわめきながら私達の耳元で囁くのだ。もう其処まで秋が来ているよ、と。知らぬ間に夏の暑さに弱くなった私にはそれが嬉しいようであり、ほんの少し寂しいようでもある。夏とは誰にとってもそんな存在なのかもしれない、と思う。
街を歩いていたら店の前に並べられたテーブル席に客がひとり座っているのを見つけた。昼や夕方になるとワインを傾けながら美味しいものを摘まむ人達で一杯になる此処は、ボローニャで知らない人はいないくらい有名だ。ひしめく椅子に腰を下ろしてお喋りしながらワインがぴったり来る店。昼にはまだ少し早い、遅い午前に客がひとり。それが私の目を惹いた。自分で書いた手紙を読み直しては文字を書き足しているようであった。メールを書くのがすっかり主流になった近年だ。こんな光景を目にすることも少なくなった。外国人だろうか。旅先から手紙を書いているのかもしれない。そんなことを思いながら暫く忘れていた手紙を書くという感覚を思い出した。
私がアメリカに暮らしていた頃、メールなんてものはあったかも知れないがそれを使っている人はごく少数だったように思う。少なくとも私も友人も機械ものには縁が無く、近くの店で売っている罫線も何も無い白い紙の大束を購入しては一文字づつ紙面に書き付けたものである。私は家で手紙を綴るのも好きだったが、時々紙の束を抱えて気に入りのカフェで手紙を書いた。そういう人は大変多く、大抵どのカフェにも手紙を綴っている客が3人くらいはいた。それから手紙ではなく長い文章を綴っている人もいた。小説家だろうか、などと想像しながら私は時々書く手を止めては向こう側にいる客を眺めたりした。分厚い本を読み耽る人もいた。私達には互いがしていることの邪魔をしない暗黙の了解みたいなものがあって他人ながらも仲間的感覚を共有していたような気がする。20年も前のことだ。あのカフェには今もそんな人達が通うのだろうか。それとも今は手紙を書くなんて行為は無くて、持ち込んだノートパソコンでメールを書いたりするのだろうか。書くという行為には違いないがちょっと寂しい気がするのは私だけか。そうだ、友人に手紙を書こう。海の向うで生活する私の大切な友人宛に。


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