あの日のこと

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夕方、仕事帰りにボローニャ旧市街に立ち寄った。昼間の暑さもこの時間になると弱まるもので、快適な風が吹いていた。街角で気温を確認したら31度だった。少し前に比べたら格段に過ごしやすく、頬や髪を撫でる風の中をすいすいと歩いて気分がよかった。どうやら周囲の人にとってもそうらしい。日陰のカフェに佇む人は少なく、その代わりにポルティコや広場を闊歩する人を沢山見掛けた。街に元気が戻ってきた、そんな言葉がぴったりの夕方だった。Piazza Maggiore を歩いていたら聞きなれた発音の英語が聞えてきた。振り向いたら背後に数人の男女がいて、旅行者らしかった。多分私がその昔暮していた町辺りから来た人達に違いなかった。そうしているうちに聞き覚えのある町の名前が話しに出てきて、ふと昔に引き戻された。私がアメリカに暮らし始めて1年が経ち、仕事を始めて何ヶ月かが過ぎた頃だ。涼しい8月が終って暑い9月も終わり10月が始まった頃だったと思う。その日は仕事が休みと知った友人が近郊の町に行くので一緒に来ないかと誘ってくれた。まだ足を延ばしたことのないその町に興味を持った私は友人と共にバスに乗った。町の中心を南北に走る大通りを北上し、大きな橋を渡たるとバスは別の郡に入っていった。ひとつ、ふたつ見慣れた町を通過して更に暫く走るとその町に着いた。人に聞いて想像していたよりもずっと感じの良い町で、バスを降りると小さな広場、そして広場に面したところには活気のある、感じの良いカフェがあった。バスに乗るために時間つぶしをする人達、バスを降りてほっと一息つく人達、それからこの町の住人達が気軽に通うカフェらしかった。健康的で気さく。そんな言葉がぴったりだった。友人と私は此処から別のバスに乗る予定だった。時間が沢山余っていた訳ではなかったのにこのカフェに入ったのは、そんな人達が集うこのカフェの雰囲気が気に入ったからだった。さて私達はバスに乗って住宅街に入っていった。住宅街と言っても家が連立している訳ではなくて、メインストリートと呼ばれる通りに面して一軒、そして少し行くと一軒存在するという具合だった。ああ、此処此処、と友人が下車の合図をして私達はバスを降りた。バス停から数分歩くと友人のそのまた友人が暮している家があった。大きな家。広い庭。楓によく似た樹が周囲を覆っていた。色づいた葉が地面に落ちてまるでオレンジ色のカーペットのようであった。家には沢山の人達が既に集まっていて、皆顔見知りのようだった。たまたま着いてきた私は一瞬居心地の悪い気分になりかけたが、それは全く一瞬だった。良い人達の集まりだった。彼らは早めに来て広々としたキッチンで料理をしていたらしく、既にいい匂いがした。皆でテーブルをセッティングして大人数での昼食となった。何を話したのかは覚えていない。昼食が何だったかも覚えていない。でも私達は長い時間話をしながら昼食を楽しんで、帰る際にとても楽しかったこと、来て本当に良かったと思ったことを彼らに述べたら、わあっと喜んでくれて、確か皆が次々と肩を抱いて挨拶してくれた、それだけはよく覚えている。帰りのバスの中で私達は疲れてぐっすり眠った。というのも私達は彼らと別れてから近くの岩場を2時間ほど歩いたからだ、食後の運動などと言って。あの日のことを未だによく覚えていると友人が知ったら何と言うだろう。それとも案外友人も覚えていて、あの日は確かに楽しかったねと私に同感してくれるのかもしれない。


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水のちがい

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先週末は長い夏期休暇を終えていつもの生活に戻る人達で道路が大変混み合ったらしい。その証拠に今朝の出勤時の鬱陶しさといったらなかった。いつもの生活に戻りきれない人達ばかりで訳もなく混み合っていると言っても良かった。泣く泣く生活の場に戻ってきましたと言わんばかりの人達。今年は清々しい気持ちで夏期休暇を終えていつもの生活に戻った私も、彼らの気持ちが分からないでもない。そうでなくとも夏の終わりというのは感傷的になるものなのだ。だから次の夏が来るのを恋焦がれるのだ。
今朝はとても涼しかったので涼しい1日になるのかと思ったら妙に蒸し暑かった。湿度だ。でも湿度といったら、やはり日本の夏である。そう覚悟をしてこの夏帰省したが、想像していたよりも湿度が高くて驚いた。そうだった、そういえば知人が言っていたっけ。ボローニャの湿度は湿度ではないのだと。私にとってはボローニャも充分湿度が高くて困るのだけど、それにしても何ということだろう。それから蝉の声。朝5時ぴったりに鳴き始める蝉。毎朝その声で目が覚めて、ああ、また5時に目を覚ましてしまったと後悔しながらもう一度眠りに落ちた。夏なのだから仕方ないとは言え、蝉も短い一生を力強く生きているとはいえ、毎朝5時には流石に参った。参ったこともあったけれど、様々な素敵を発見した。そのうちのひとつが水。私は忘れていたのだ、日本の水道水がこんなに軟らかいことを。日本に着いて2日目、洗顔後の肌が妙にすべすべしていることに気がついた。休暇中で睡眠時間をたっぷりとって、ストレスフリーで肌もリラックスしているのだろう。ところが翌朝手に気がついた。すべすべしている。何か特製のローションを手にすり込んだみたいな感触。顔にしても手にしても、何歳か若返ったような感じ。気のせいだろうか。姉にそれを報告すると、多分それは水だという。水? そう、日本の水道水は軟水だから。そういえば髪の毛もしなやかだ。水でこんなに変るなんて。それから毎日洗顔するのが楽しくなった。髪を洗って乾かすとふわふわさらさらしてご機嫌だった。なるほど、日本の女性の肌と髪はきめが細かくて美しいと外国では大変な評判だけど、ひょっとしたらその秘密は水にあったのかもしれない。それに気がついて嬉しくなって、そして急にしょんぼりした。日本に居る間だけのなのである、私のすべすべは。事実ボローニャに帰ってきて2週間が経つ今は、夏なのに手を洗う度にハンドクリームをつけなくてはならぬほどカサカサで、髪を洗った後のあのふわふわさらさらは何処にも無い。ボローニャの硬水と日本の軟水の間を往復して、早くも日本が恋しくてならない。


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8月最後の週末

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風の音で目が覚めた。いいや、夢の中では水の音に聞えたのだ、ざあざあと水が降り落ちてくる音。雨かと思って目が覚めたのだ。随分長いこと雨が降っていないボローニャだ。そろそろ雨が降らないと山や森が乾涸びてしまうのではないかと思っていたから雨音に聞えたのかもしれなかった。そうして目が覚めるとそれが風だと分かった。家の前のプラタナスの木々が右に左に大揺れしながらざわざわと騒いでいた。見ると葉はすっかり乾いて路上に降り積もっていた。まるで秋のような光景。違うのは道行く人々が肌を剥きだしにした装いだ。それから夏の太陽が輝く開放的な空。夏休みを終えていつもの生活に戻ってはじめて迎える週末はほんの少しだけ涼しかった。これから少しづつ空の色や空気の感触が変化していくのだろう。
昨日の土曜日もそんな朝だった。恐らく昼には気温が上がり大汗を掻くに違いないが、こんな涼しい朝を放っておく手はなく、さあ、旧市街へ行こう、と足取り軽く家を出た。7月終わりから少し前まで息を潜めたように静かだったボローニャの町に人が戻ってきたようだ。すっかり陽に焼けた人々の姿をみるのは毎年この時期の恒例で、そんな様子を観察するのはなかなか楽しい。焼けた肌が魅力的に見えるように真っ白のシャツを着て歩く人、背中まで奇麗に焼けているのを自慢するかのようなワンピースを着て歩く人、たっぷりとした麻の長袖ロングドレスで隠しているからこそ見え隠れする焼けた肌が尚更素敵に見える人。旧市街の店の半分はまだ閉まったままだった。目当ての店が閉まっていて大層がっかりしたけれど、そういえば昨夏も8月末まで閉まっていたっけと思い出し、いつものことなのだと思ったらちょっとだけほっとした。それがこのところ囁かれているイタリアの経済困難とか、連日続いていた猛暑のせいでないことで私は安心したのである。開いている店の半分は既に秋物が並んでいた。急に思い立っていつもはショーウィンドウの外から眺めているだけの靴屋に入ってみた。英国製の堅い感じの紳士靴の店だ。その堅苦しさと素材のよさにいつも感心していたのだ。この靴屋は女性向けの靴は置いているのだろうか、と常々疑問に思っていたのだ。店の中に感じの良さそうな店員が見えたので、ちょっと訊いてみようと思ったのだ。女性の靴も勿論あると教えてくれた。そうして見せて貰ったら、あった。私が長いこと探していた辛口の靴。この辛口スタイルの靴は最近お目にかからなくて、残念に思っていたのだ。私は昔からこの手の靴が好きなのだけど、初めてであったのは20年前、アメリカに暮していた頃のことだ。店に並んでいた色艶の良いぴりりとしたスタイルのその靴はとても手の出る値段ではなかったので、見るためだけに暫く店に通った。そうして暫く通った後に私はこの靴を自分への褒美とか何とかと理由をつけて手に入れたのだけど、10年近く履いた。高い買い物だったのと、こんな靴にはもう出会えないと思ったのと、それから勿論この靴が大好きだったからだ。さて、その靴はイタリア製だった。イタリア製の靴との初めての出逢いだった。だからイタリアに暮らすことになったとき、この手の靴が安易に手に入るのだろうと喜んだのに、実際は店先で目にすることもなく年月だけが過ぎた。だからこの靴をこの英国製の靴屋で見つけたのは喜びと奇妙さが入り混じっていた。色といい、光沢といい、ラインといい、全く私の好みだった。長く履けそうな仕立ての良い靴だ。気に入ると飽きずに何年もはき続ける性格なので、この値段ならまずまずだ。勿論今日は見るだけで、暫く物色した後に見せて頂いた礼を言って店を出た。それほど人が入る店ではない。何しろちょっと敷居の高い店なのだ。秋が来てから決心しても遅すぎはしないはずなのだ。自分の誕生日の贈り物にするといいかもしれない。と言ってもまだ2ヶ月以上先の話だ。それにしても私と靴は切っても切れない関係だ、と改めて実感すると深い溜息をひとつついた。このことを相棒に打ち明けたら多分彼も溜息をつくに違いない。外は爽やかな風。昨日までの暑さを忘れさせるくらいの涼しさ。さあ、散策の再開だ。8月最後の週末を満喫する為に。


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宝石みたいなもの

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今日も暑い1日。話によるとまだ数日こんな天気が続くらしいが、日曜日くらいから猛暑が息を潜めるそうだ。それは全くの吉報だが、これを鵜呑みにすると後でがっかりすることもあるであろうから、ふーんと聞き流すことにしよう。
夕方、久し振りにいつものバールに立ち寄った。別に此処が嫌いになったわけではなく、ただ暑くて立ち寄るのすら面倒臭かったのだ。バールに立ち寄るのが面倒臭いのは生まれて初めてのことだった。それくらい暑さに参っていたということだ。さて、店に入るなりカウンターの中の女の子が話しかけてきた。随分前にボローニャに戻ってきたくせに全然店に来なかったってどういうことなのかしら。日本の話を楽しみにしていたというのに。そう言って口を尖らせた。それで楽しかったこと、家族と楽しく過ごしたこと、色んな変化があって分からないことが沢山で様々な人に助けてもらったことを大まかに話すと、向こうの方からジャンニがやって来て、もう一度今の話を僕にも聞かせてくれないかと言う。この店には色んな客が来て国籍も様々だが、どうやら日本人はあまりいないらしい。それでもう一度かいつまんで話をしているうちに、今まで忘れていた小さなことを次から次へと思い出した。大きな池に鯉が泳いでいたこと。池の傍には竹藪があってそのしっとりと静寂な様子にとても心を打たれたこと。イタリアの町を歩いていると必ず教会のひとつやふたつが目に入るように、日本では神社やお寺にしばしば遭遇したこと。そうして敷地内に足を踏み入れてみると、背の高い立ち木が生い茂っていて気持ちの良い日陰を作っていたこと。無数の蝉の声が雨のように天から降ってきて、ふと子供の頃のことを思い出したこと。しかしこれらについては話さなかった。イタリアにはイタリアの良さがあるけれど、日本の良さは地味で素朴で繊細で時として言葉に出来ないものもある。私は今回の帰省でそれに初めて気がついた。日本を離れて随分経って、やっと気がついた日本の宝石みたいなもの。そんなことをひとりで思っていたら自然と顔がにやにやしてきた。これから少しづつ彼らに話してみようか。


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冷えた無花果

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いつもの生活が始まった。朝の早起きに慣れるまで数日掛かることだろう。しかし有難いことである。夏休みを終えて戻る職場があるのだから、早起きが辛いとか、もっと遊んでいたかったとか、文句を言っている場合では無いだろう。それに冷房だ。私は冷房が大の苦手。だから家にはそれを置いていない。もっとも私が暮らすボローニャ県ピアノーロ市は丘に存在するのでボローニャ市内より少し涼しい。だから今まで必要性を感じたことが無かったのである。しかし今夏の暑さ。夏休みを終えていつもの生活に戻る美点をひとつだけ見つけた。それが職場の冷房だった。3週間も休んでいたので仕事は恐ろしく滞っていて全く忙しい1日だったが、汗をかくことも無く暑いとぼやくことも無く過ごせたのだから有難いことである。そう思いながら明日も早起きをしようと思う。それにしても私の食欲は何処へ行った。それで今夜は昨日樹から捥いでもらった無花果と薄く切ってもらった生ハムにした。無花果はよく冷えていて、手でふたつに割ってみたら甘い良い匂いがした。そして冷たい発泡性の赤ワイン。母が知ったら仰天しそうな夕食だけど、時にはこんな食事も良い。まだ夏は終わる気配は無いが空が暗くなるのが早くなった。私と相棒は暗くなった空の下に椅子とテーブルを出して、戻ってきたいつもの生活と一向に終わりそうに無い夏の日に乾杯した。


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